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72.

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 三年は男女共に見回りをしていたが、さすがに八時になった時点で王太子が女生徒はテントへ戻るように薦めた。
 最高学年と言えども、貴族令嬢が大半である。
 遅くまで外を出歩かせるのは問題があるのだった。
 王太子には護衛騎士がついている為、クリスは王太子から少し離れて男子生徒と分担し、三年の女生徒達にテントへ戻るように声をかけていく。
 三年は基本的に二人一組で行動している。
 クリスや王太子を害せる者などそうはいないが、他の生徒はトラブルに巻き込まれた時に、一人では対処しきれない可能性がある為の処置であった。
 クリスはぐるりと見回って、見かけた女生徒にテントへ戻るよう声をかける。
 後ろから声をかけられ振り向くと、マッケンジー公爵令嬢が友人の子爵令嬢と共に立っていた。
「マッケンジー公爵令嬢、どうなさいました?」
「あの、あの、」
「…はい?」
 両手の指を合わせてもじもじと俯いており、よく聞こえないので首を傾げながら先を促せば、真っ赤な顔を上げて両拳を握りしめ、胸元でぶんぶんと上下させた。
「お、おやすみなさいませ!!今日も一日お疲れ様でございます!」
「は…」
 ぽかん、と口を開けたクリスの顔を見上げ、公爵令嬢はぐぬぬ、と口元を引き結んで踏ん張るように両足で立った。
 おかしな令嬢だな、とクリスは思ったが、「素敵な方だよ」と言うサラの言葉を思い出す。
 どの辺が?と思いつつ、クリスは精神を立て直した。
「ええ、おやすみなさい。お疲れ様でした」
 にこりと笑みを向ければ、公爵令嬢は真っ赤な顔を両手で覆って、「あぁあああ」と奇声を上げながら走って行った。
 残された子爵令嬢は慌ててクリスに礼をして、「お待ち下さいまし、ディアナ様ぁー!」と声をかけながら追いかけていく。
「なんなんだ…」
 クリスが呆然と呟いていると、背後から肩を叩かれ振り返る。そこにはニヤニヤと笑みを浮かべる王太子がいた。
「殿下?変な顔してどうしました?」
「おい、王家の至宝と名高いこの顔に向かって変とは目がおかしいんじゃないか」
 大真面目にツッこまれ、クリスもまた大真面目に返答した。
「…王家の至宝とか聞いたこともないんで、盛りすぎは良くないと思います」
「いやいや、この顔は十分美形だろう?サラ嬢だって、好きだろう?」
 なるほど殿下は妹へアピールするのに武器を欲しているらしい。クリスはアドバイスをすることにした。
「あ、サラはあれです、父上や俺で美形は見慣れてるんで、顔で好きになることはないそうですよ」
「は!?それじゃ私の最大の取り柄が通用しないということじゃないか!というか待て、おまえ自分で美形とか言って恥ずかしくないのか」
「その言葉そっくりそのままお返ししたいですねぇ…ていうか、護衛騎士の方にすら笑われてる王太子殿下って恥ずかしいんで、ちょっと落ちついてもらっていいですか?」
「は?」
 くるりと王太子が背後を見ると、護衛騎士はきりりと表情を引き締めて立っていた。
「……」
 クリスへと視線を戻すと、クリスは護衛騎士を見て呆れていた。
「まぁいい。変な顔とかほざいたことについては不問に処す。ディアナ嬢とは仲良くやっているようじゃないか」
「え?あれ、仲良く見えました?」
「違うのか?」
「うーん、よくわかりません」
「そうなのか?」
 見回りの続きをしつつ、クリスは首を傾げ、王太子もまた首を傾げる。
「ディアナ嬢はおまえに興味があるだろう、確実に」
「そうなんでしょうか。ちょっと挙動不審でどう接していいのかわからないです」
「まぁ、優しくしてやれ。ディアナ嬢は聡明でサラ嬢のことをとても高く評価している」
「ああ、サラもマッケンジー公爵令嬢のことは素敵な方だと」
「ほほう。ではなおさらきちんと接するように」
「…わかりました」
 暗くなったキャンプ場は、クラスごとに熾したたき火と、テントにつけられているランプがなければ真っ暗だった。
 足下の自由を確保するため、王太子達も光球を少し前方、腰あたりの高さで照らしながら歩いている。
 護衛騎士は右腰にランプを取り付けて歩いていた。
 出歩いている一年生の姿はほぼない。
 三年の男子生徒が二人一組でランプを持ち、歩いているのを見かけるくらいになっていた。
 夜九時以降は三年も休み、見回りは騎士団と魔術師団が担う。
 九時までの間は三年男子にとっては、散歩の時間に等しい。
 王太子とクリスもまた、周囲を見回りながらたわいもない話をしていた。
「…そういえば今後の予定を聞かせて頂けませんか?」
 クリスの言葉に、王太子は首を傾げた。
 予想よりもずっと真面目な表情で、クリスは呟く。
「サラはパーティーメンバーとして、俺達とずっと一緒に頑張るつもりのようですが」
「それは当然…は?待て待て。私の気持ちは伝えたはずだが?」
「で?」
「…で?とは?」
「いや、だから?って」
「…待て。おまえ、ものすごく冷たい目をしてるぞ」
 王太子を見れば、王太子は驚いたように目を見開いていた。
「サラの立場で考えて下さいよ。それを聞いてどうしろと?ですよ」
「……」
「だから今後の予定を、って、言ったんですが」
「ああ…そういうことか」
 王太子は納得して頷くが、相変わらず怖い顔をしているクリスに若干引いた。
「おまえ、そんな怖い顔できるんだな。…いや待て、ちゃんと考えてる。考えてるから!」
「お聞かせ願いましょう」
「…Sランクになれば、男爵令嬢でも誰も文句は言うまい」
「あー…身分の壁ですね~」
「今でも文句を言わせない自信はあるが、私もおまえも、それにサラ嬢もSランクになってしまえばもはや敵はいなくなる」
「父が敵になるかもしれませんが」
 王太子の顔が引きつった。
「いやおかしいだろ。そこは率先して賛成してくれるべきじゃないのか!」
「まぁサラが望めば、父は泣きながら賛成してくれると思いますけど」
「泣くのか…名誉騎士殿が、泣くのか…」
「嫁にやりたくないって言って、母に叱られる未来が見えます」
「叱られるのか…名誉騎士殿が…」
 額に手を当て、想像しようとしては自分の想像力に拒絶されて苦しむ王太子が唸っていた。
 後ろを見れば、護衛騎士も同じように唸っていた。
 名誉騎士のイメージは強固なもののようだった。
「…じゃぁ殿下、Sランクになるまでサラには言わないんですね?」
 確認すれば、王太子は頷いた。
「ああ」
「そうですか…まぁ、サラに「同じパーティーとして頑張る」と言われた時に、何も言えなかった俺は悪くないです」
「ぐ…っ」
「そうだな、頑張ろうな、って言っておきました」
「…おまえ…」
 クリスは真剣な面持ちで王太子を見、王太子は姿勢を正した。
「サラを傷つけないで下さい。これは家族の総意です」
「わかっている。万難を排しておきたいからこそ、今はまだ言えないんだろうが」
「そうですか」
「いいか?私以上にー…」
 王太子が何かを言い掛けたが、最後まで言うことはなかった。
 遠くで悲鳴が聞こえたからだった。
 
 
 
 
 
 マーシャは当初林間学校に参加するつもりはなかった。
 前世の頃から、林間学校や修学旅行にいい思い出がなかったからだ。
 一日限りの遠足や社会科見学はまだ我慢できる。
 だが宿泊込みの旅行となると、グループ行動を求められるのが苦痛で仕方がなかった。
 この学園のグループ分けは成績順だったが、前世では仲良しグループとあぶれた人がはっきりと区別され、あぶれ者グループからもあぶれた者は一人、半端な人数の仲良しグループの中へと強制的に放り込まれるのだった。
 そんな所に入って何が楽しいのか。
 気を遣われて話しかけられるのも苦痛だし、かといって会話に入れないのも苦痛であった。
 最初から一人で行動させてくれればいいのに、それは許されないのだった。
 終始居心地の悪い思いを我慢し、仲良しグループの立てる旅行計画に付き合って共に行動しなければならない。
 希望を言った所で受け入れられることなどなく、ならば聞いてこなければいいのに、義務感から聞いているのだという雰囲気を隠すことのないメンバーと、どうやって仲良く過ごせるというのだろう。
 団体旅行にいい思い出はなかった。
 だから今回の林間学校も欠席するつもりであったのだが、父から参加するよう言われ、アンナからも参加するよう求められたのである。
 今までマーシャの希望は叶えられてきたのに、今回に限って拒否権がなかったことに不審を抱いたが、父やアンナがマーシャの不利益になるようなことをするわけがないことは十分承知していた。
 気乗りはしなかったが仕方なく参加し、やはりというべきか同じグループのエリザベスとミラは二人仲良く行動しており、マーシャが入る余地などなかった。
 気を遣って話しかけてくるこの感じ、懐かしいわ、などと思いながら、一日を過ごしたのだった。
 テントに戻ればアンナがいて、笑顔で迎えてくれることだけが救いであった。
 夕食後、クラスメートはたき火の下に集まって話をしているようだったが、マーシャは早々にテントへと引き上げ、一人ゆっくりと入浴した。
 ダンジョン攻略の野営とは違って、このテントは入浴ができる。
 それだけは認めてやってもいい、と思う。
 アンナはいつもと変わらず、マーシャの世話を焼く。
 夜着に着替え、温かい紅茶を淹れてもらい、寝室で過ごす。
 居間は共用部分である為、彼女達が戻ってきたら挨拶をしなければならないのが面倒であり居心地が悪い。
 寝室といってもベッドの他にサイドボードや椅子もあるので不便はない。アンナも腰掛けてもらってお茶をした。
「このテント、いいわね。冒険者として野営するときにあると、ゆっくり過ごせそう」
「そうでございますね。戻り次第、手配致します」
「ありがとう。アンナも入浴して、寛げる方がいいでしょう?」
「わたくしのことよりも、お嬢様に快適にお過ごし頂くことの方が重要でございます」
「アンナはわたくしをとても大切に思ってくれるのね。嬉しいわ。わたくしもアンナを一番信用しているわ」
「もったいないお言葉でございます、お嬢様」
 穏やかな時間を過ごしていると、テントの入口が騒がしくなった。
「…うるさい令嬢達でございますね。落ち着きがございませんわ」
 エリザベスとミラが戻って来たようだった。
 アンナの言葉を否定はせず、マーシャは苦笑する。
「テントだから音が漏れてしまうのは仕方がないわ。今日だけの我慢よ。アンナも気にしないようにね」
「お嬢様、ご立派でございます」
 前世の修学旅行なんて、一部屋に布団を敷いて並べ、クラスメートと共に寝なければならなかったのだ。
 あの地獄に比べれば、一人一つずつ寝室が用意されているだけ今の環境は幸せというものだった。
 入浴を済ませた彼女達は居間に集まったらしく、笑い声や話し声が聞こえる。
 上位の貴族令嬢であるので、下品な馬鹿笑いなどはない。
 大声ではしゃぐこともないし、許容範囲であった。
 だがアンナはそうではないようで、ぴくぴくと蟀谷を引きつらせている。
「アンナ、我慢よ」
「お嬢様は寛大でいらっしゃいます…ですがお嬢様の睡眠には害でしかございませんので、こちらを使用致します」
 こちら、と言って取り出したのはランプのような形をした魔道具だった。
「それは?」
「結界の魔道具でございます。お休みの際にこの部屋に使用致しますね」
「まぁ、そんなものを持って来ていたの?アンナは気が利くわね」
「畏れ入ります。お嬢様とわたくしが通れるように設定しておりますので、他の者は入れませんし、音や振動も遮断致しますのでご安心下さいませ」
「ありがとう、アンナ」
 サイドボードの上に置かれた魔道具は、冒険者がよく使っているものなのだという。
 自分のテントの周囲を結界することで、魔獣や夜盗から身を守るのだ。
 普段ダンジョン攻略にも護衛を連れているマーシャには不要のものだと思っていたが、防音効果があるのなら有効である。
 他人を気にせず寝ることができるのだから。
 少し早いがそろそろ寝ようかという時になって、テントの外から悲鳴が聞こえた。
「…何かしら?」
 首を傾げるが、アンナは素早く立ち上がって結界の魔道具を起動させた。
 途端外部の音が遮断され、室内の静寂が痛い程になる。
 テントの中にいるとはいえ、環境音やテント内で他人が動く音など、色々な音が無意識に聞こえていたのだと実感する瞬間だった。
「…外を確認して参ります。お嬢様は気にせず、お休みになって下さいまし。もし緊急事態のようでしたら、アンナが起こしに参ります」
「ええ、よろしくお願いね、アンナ。でももし危険なことがあるようなら、アンナもこの結界の中にすぐ戻って来てちょうだい。ここにいれば安全なのでしょう?」
「ありがとうございます、お嬢様。すぐ戻って参りますね」
「気をつけて」
 礼をして素早くアンナは部屋を出て行き、手持ち無沙汰になったマーシャはベッドに入って横になる。
 睡魔はやって来ず、身体を起こしてベッドヘッドに背中を預けて凭れ掛かる。
 本でも持ってくれば良かったな、と思いながらぼんやりと過ごすが、それほど時間をかけずにアンナは戻って来たのだった。
「アンナ、おかえりなさい」
「ただいま戻りました、お嬢様。魔獣が出たようでございますが、騎士団や魔術師団もおりますので、問題はないかと。この魔道具の中にいらっしゃれば危険もございませんので、どうぞお休み下さいませ」
「まぁ、魔獣が?それは大変ね。でも、そうね。わたくしが出る幕はなさそうね」
「はい」
「じゃぁアンナもここで寝ればいいわ。外に出るのは明日でいいんじゃない?」
「お嬢様と同じ部屋で眠るなんて…」
 恐縮するアンナの手を取り、ベッドサイドに座らせて、浄化魔法をかける。
「入浴は危険かもしれないわ。早く落ち着くといいけれど、時間がかかるようだったら一緒に寝ましょう。わたくしは構わなくてよ。テントのベッドだけれど、二人くらいなら十分眠れるわ」
「お嬢様…」
 感動した様子のアンナに、笑顔を向ける。
「しばらくは様子見かしらね」
「さようでございますね。お嬢様は横になって、お眠り下さいまし。わたくしはここにおりますので」
「ええ」
 アンナは椅子へと移動して、腰掛けた。
「昔、アンナに絵本を読んでもらったわね」
「はい。お嬢様は奥様より、乳母より、わたくしに絵本を読んで欲しいと言って下さったのですよ」
「それは知らなかったわ。子供の頃からアンナに迷惑をかけていたのね…」
「迷惑などと、思ったことはただの一度もございません。アンナはお嬢様に頼りにされて、とても光栄に思っております」
 目を細め、昔を懐かしむようにするアンナの目尻には皺があった。
 アンナの優しさはいつだって変わらないのだ。
 マーシャは自然と微笑む。
「ずっとアンナがそばにいてくれて、わたくし本当に嬉しいの。これからも一緒にいてちょうだいね」
「もちろんでございます。お嬢様にお仕えすることが、アンナの幸せでございます」
「ありがとう」
「こちらこそでございますよ。さぁお嬢様、おやすみなさいまし」
「ええ、おやすみ、アンナ」
 寝室の明かりを手元のランプのみにして、アンナは静かに腰掛けていた。
 安堵し、マーシャは目を閉じるのだった。
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