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38.

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 グレゴリー侯爵は王からの呼び出しで王宮へとやって来ていた。
 内容は「名誉騎士の娘のランク不正疑惑について」であった。
 侯爵は内心飛び上がって喜んだ。
 我が子と同い年という娘、ランクだけは高く、優秀な我が子がとても気にしている相手であり、正直に言って目の上のたんこぶであった。
 男爵家のくせに、靡かない。
 娘が歩み寄っても、歩み寄って来ないというではないか。
 許せなかった。
 貴族の上下関係とは絶対のものである。
 それを壊そうとする者は、滅べばいいとすら思う。
 絡め手で準備をしてはいるが、このような形で好機が訪れるとは。
 最大限に利用しなければ、と侯爵は意気込んでいた。
 応接室に入ると、冒険者ギルドのギルドマスターと、名誉騎士の息子がおり、立ち上がって挨拶をしてくるので鷹揚に返す。
 ソファに腰掛けしばらくして、王太子がやって来た。
 侯爵は一人掛けのソファ、王太子は向かいの一人掛けのソファ、末席にギルドマスターと名誉騎士の息子が座る。
 誰も彼もが難しい顔をして一言も発さず、重苦しい沈黙が落ちていたが、扉が開き、王と名誉騎士が入って来てその空気は霧散する。
「良い、頭を上げて、かけてくれ。さっそく話を始めよう」
 上座に王が座り、名誉騎士は王の背後に立って控えた。
「さてギルドマスターよ。名誉騎士の娘がランクの不正に関わっていると訴えがあった。それはこのグレゴリー侯爵の娘からである。証拠はない。調査は済んだか」
「はい」
 答えて、ギルドマスターは立ち上がった。
「サラ嬢がBランクに昇級したのは二月一日です。四十階のボスを討伐したのも同日であり、同行したメンバーの特定も済んでおります。不正はなかったと断言致します」
 答えて、ギルドマスターは腰掛けた。
 王は頷き、侯爵へと視線を向けた。
「侯爵。不正はなかった。候の娘は何を持ってサラ嬢が不正を働いたと申したのか」
「…畏れながら陛下。サラ嬢は娘と同い年でありながら、すでにBランク。かなりの開きがございます。我が娘はメイドや護衛を多数連れ、十分安全に配慮した上で冒険者活動をしておりますが、サラ嬢は男爵令嬢。今までも一人で活動していることが多く、不特定多数の男と行動を共にしていたと伺っております」
「侯爵。言葉を慎め。不特定多数の男とは具体的に誰を指すのか」
 王太子が口を挟み、侯爵は一瞬詰まる。
「これは異なことを。不特定多数の男とは、冒険者のことでございます。貴族令嬢でありながら、単独で家族以外の男と行動を共にするとは、ふしだらだとは思われませんかな」
「冒険者を不審者扱いとは、大きく出たものだ。それで?何がふしだらだと?」
「ですから、家族以外の男と行動を共にすることです」
「候が雇う護衛や下男は、すべて女性なのか」
 王太子とは思えぬ稚拙な発言に、侯爵は笑いを堪える。
「…いいえ。そういうことではございません、殿下。護衛や下男は我が家の厳しい審査を経て、仕えておるのです。サラ嬢と一緒にしないで頂きたい」
「同じことだ。冒険者を不審者のように扱わないでもらいたい。サラ嬢は侯爵の言う、「不特定多数の男」とやらとのみ行動したことはないようだが?」
「…何故言い切れるのです?」
「知らないのか。サラ嬢は掲示板での募集に応募する形で、パーティーに参加していた。掲示板で募集する時には、冒険者ギルドを通すのだ」
「…それが一体何だというのです」
「冒険者ギルドには募集内容と、受けたメンバーが全て保管されている。サラ嬢が参加したパーティー、全て明らかにしたぞ。筆頭侯爵家の娘が不正だなんだと騒ぐのでな。名誉騎士も、魔術師団顧問も、喜んで疑惑を晴らす為に協力をしてくれた」
 ギルドマスターから受け取った書類を、侯爵の前に放り投げる。
 小さな文字がぎっしりと並んだ十枚程の紙が、テーブルを滑った。
「確認するがいい。サラ嬢は女性もいるパーティーにしか参加したことはないし、他人とパーティーを組む時には日帰りでしか受けていない」
「……」
「不特定多数の男と行動を共にしていた、等という不確定かつ不名誉な発言は取り消してもらおう」
 王太子の言葉は強かった。
 侯爵は書類をめくり、全てが複数人のパーティーであり、女がいることを確認した。
 唇を噛み、侯爵は思考を巡らせる。
「掲示板を通さず、直接パーティーを組んで行動していたかも知れないではありませんか」
 王太子は鼻で笑い飛ばした。
「は、ならばそなたがそれを証明して見せよ」
「…な、何故わたくしがそんなことを」
「疑惑を向けるのならば、疑惑を明らかにするのはそちらであろう。こちらは潔白であると証拠を持ってきた。そなたは口だけでなく、証拠を持って証明せよ。…できぬのならば、薄汚い放言は慎むことだ。陛下の御前である」
「……」
 ぐ、と、侯爵は口を噤む。
 王太子は続けて言った。
「それで?侯爵の言う、「貴族令嬢らしからぬ行動をしているから不正をしている」という妄言の、根拠を示してくれたまえ」
「…も、妄言などと、殿下、わたくしを侮辱なさるのですか」
「サラ嬢を侮辱しているのはそなたと、そなたの娘であるのだがな。その自覚はないと見える。最初からギルドマスターが言っている。不正はなかったと。何故それで納得せぬのか」
「共に戦ったメンバーが、庇っているかもしれないではないですか!」
「ほう?どのように?」
「そんなことは知りませんよ!どうせ金で雇って、入れ替わりでもしたんでしょう!」
「そなたが娘の為に斡旋したようにか?」
「な…なんですと…!?」
 侯爵の一瞬の動揺等意に介さず、王太子はギルドマスターを見た。
「…ギルドマスター、サラ嬢が当日組んでいたパーティーは何人だ?」
「三人です、殿下」
「侯爵、四十階のボスの討伐条件を知っているか」
「知りません」
「Bランクメンバー二名と、対象者一名の三名が定員だ」
「…パーティーメンバー以外に、他の者がいたかもしれないでしょう」
「また妄想か?」
「も、妄想などと…!」
「よほどサラ嬢がBランクであることが気に入らぬと見える。まぁ当然か。侯爵の娘も息子も、揃って不正を働いてCランクを剥奪されたばかりだからな」
「な…!殿下、いくら王族の方と言えど、建国以来の名家である、我が侯爵家へのこれ以上の侮辱は許しませぬぞ…!」
 侯爵が腰を浮かせて激怒するが、王太子は足を組んで涼しげな表情で一蹴した。
「陛下、お聞きになりましたか。グレゴリー侯爵家は王族を脅せる程に偉いらしい」
「グレゴリー侯は太古の時代を生きているのだろうなぁ」
 ははは、と軽く笑い飛ばす王に毒気を抜かれ、侯爵は口を閉ざす。
「不本意ながらも、貴族の機嫌を取らねばならない時代もありましたからね」
 王太子の言には冷気が籠っていた。
「候の娘と息子が建国以来の名家とやらに泥を塗ったわけだが、そこに思うところはないのか」
 王の痛烈な皮肉に、侯爵は顔を顰めて黙り込む。
 そのままソファに沈み込んだ。
「おまけに他家の娘に不正の濡れ衣まで着せようとは。建国以来の名家とは何なのだろうか。王太子よ、どう思う」
「時代の流れは残酷ですね、陛下」
 王太子もまた、軽やかに応じていた。
 侯爵は唇を噛み締める。
 このままでは、終われなかった。
「サラ嬢のBランクの試験を、もう一度するわけには参りますまいか」
 侯爵が辛うじて呟けば、王太子が目を細める。
「まだ言うか」
「パーティーを組んでいた者が、二人で倒したかもしれぬではありませんか。Bランク二名が加わっていたのでしょう。ならばサラ嬢は見ていただけかもしれません。戦闘を見ていた者はいないのですから!」
 改心の反撃だ、と侯爵は思ったが、王太子はまたしても鼻で笑い飛ばした。
「万が一そうだったとしても、討伐条件は満たしているから不正には当たらないのだがな。…まぁいい。クリスよ。聞いたか」
「はい、殿下」
 名誉騎士の息子は怒りを隠そうとして失敗し、憎悪に燃える瞳で侯爵を睨みつけた。
「な、なんだその目は!貴様、私を誰だと思っているのだ!」
「見苦しい、やめよ侯爵。私とクリスは、サラ嬢と共に戦ったメンバーなのだ」
「……、……は…?」
 侯爵の表情が抜け落ちた。
 王太子は、もう一度繰り返す。
「私とクリスが、サラ嬢の試験で共に戦ったメンバーだ。…つまり、そなたが不正を疑う者だ。理解したか?」
「な…、そ、そんなこと、聞いておりません…!」
「…で?それを聞いてなお、不正を疑うと言うのだな?」
「そ、それは、しかし、殿下と名誉騎士殿の子息殿とは親友と聞きます。その妹の試験となれば、手心を加えることも、あるやもしれぬではないですか」
 食い下がる侯爵に、王太子より先に王が口を開いた。
「侯爵の覚悟を汲んでやるがよい、王太子よ」
「か、覚悟…?」
 侯爵の問いは、無視された。
「陛下…ではついに?」
「サラ嬢は不正ではないのだろう?」
「当然です」
 即答する王太子に、王は苦笑しながら頷いた。
「わかったわかった。では望み通り、証明してやるがよい」
「……」
 王太子はちらりとクリスを見た。
 クリスは頷き、王を見る。
 王は鷹揚に発言を許可した。
「良い、思うことを述べよ」
「はい。では陛下。当日は不正だのと不愉快なことを言われる余地を残さず、証明したいと存じます。つきましては、グレゴリー侯爵令嬢とそのご一行に、一時的に三十一階へと転移する許可を頂きたく」
「証人だな」
「はい。証明された暁には、謝罪を要求致します」
「な…!男爵家ふぜいが何を…!」
 侯爵が言い掛けたが、王が手を挙げて発言を止める。
「貴族家を貶めようとした罪は重い。相手が男爵だろうが公爵だろうが罪は罪。そなたの娘は、不正の疑惑が晴れた暁にはサラ嬢に謝罪するように。…クラスメートに謝れないとは言わぬな、侯爵」
「…!」
 納得しがたいものを感じながらも、侯爵は頷いた。
「ならばギルドマスターよ。許可を出すゆえ、良きに計らってくれるか。監視には誰をつけるのがよいか」
 前半はギルドマスターに、後半は王太子へと顔を向け、王は問う。
 王太子は考えることなく、即答した。
「私とクリスは当事者として共に参ります。監視役は、今回グレゴリー侯爵令嬢の監視と情報を持って来てくれたAランク冒険者に、予定を聞いてみたいと思います」
「そうか。それが一番収まりが良いな」
「御意。無理でも相応の冒険者に頼みます」
「うむ。ではそのように。解散して良し」
 王の一声で、侯爵とギルドマスターは退室した。
 王太子とクリス、名誉騎士と王が残ったが、王は再び苦笑した。
「名誉騎士とそなたの息子の殺気が痛い」
「…申し訳ございません」
 謝罪したのは、名誉騎士だった。
「ずっと目を閉じていても、駄目だったか」
「…即殺しそうになるのを抑えるのが精一杯でした」
「気持ちはわかる。わかるが、落ち着け」
「二人の殺気がすごいから、私は冷静になってしまった…全く」
 王太子もまた、苦笑した。
「これに気づかないのだから、あの侯爵は駄目だな…おっと失礼、陛下の重臣でいらっしゃいましたね」
「嫌味はやめよ。…所詮古い貴族なのだ。淘汰されるべき時期が来たのだろう」
「陛下がそのようにお考えならば、こちらとしても問題なく」
「名誉騎士よ。我が息子を見よ、この可愛げのなさ。翻ってそなたの息子は…」
 ため息交じりの王に対し、名誉騎士は僅かに笑みを浮かべた。
「レイノルド殿下は素晴らしい王になられることでしょう。我が息子が可愛いのは当然ですので今更でございます」
「やめ、やめてください父上!」
 赤くなればいいのか、青くなればいいのか混乱した様子で叫ぶクリスに、王と王太子が同時に笑う。
「そなたの息子は良い騎士になろう。我が息子は本当に良い友を得た。…サラ嬢のこと、頼むぞ」
 王の言葉に、王太子とクリスは頷いた。
「テスト期間の最終日に予定を入れます。金曜日だな。そうすれば土日はまた、ダンジョン攻略ができるだろう?」
 クリスに問えば、クリスは頭を下げた。
「ご配慮感謝致します」
「うん。Aランクに上がってもらわないと困るからな。妙なことにいつまでも煩わされるのはごめんだ」
「はい」
「では陛下、これで失礼致します」
「うむ」
 王太子とクリスが立ち上がって礼をして、退室する。
「おまえはすぐ帰るか?」
 廊下を歩きながらの王太子の問いに、クリスは首を傾げた。
「何かありますか?」
「いや、特には。…陛下はあと二十年くらいは現役で頑張ってくれそうだが、そろそろ大掃除が必要だと思わないか」
「思います。我が家もそろそろ大掃除の季節なので」
「お?…そうなのか。それは知らなかったな。助けは必要か?」
「名誉騎士と魔術師団顧問が総力を挙げておりますので、残念ながら出番はないかと」
「なんだ、つまらないな。…あの侯爵周辺は騒がしくなる。関わり合いになるなよ」
「…頼まれてもなりたくありませんよ」
「だよな。私もそうだ」
 大げさなため息をつく王太子に「何かあったんですか?」と問えば、うんざりしたように肩を竦めた。
「この土曜日に王妃主催の茶会があってな」
「…はぁ」
「王妃主催ということは、私の相手探しということなのだ」
「ほう。それはそれは、羨ましいお話で」
 庭園を見ながら呟くクリスを、王太子は睨みつける。
「興味を持て。棒読みになってるぞ。上位貴族の令嬢達を呼ぶのだが、あの娘が参加するのだ」
「ご愁傷様ですと返すべきなのか、おめでとうございますと言うべきなのか」
「他人事だと思って適当なことを言ってるな。あしらっているのだが、通じなくてな。…定期的に開催されるうち、私にその気がないと気づいている他のご令嬢は、もはや義務として参加しているだけなのだが、王妃殿下とあの娘だけは理解できていないらしい」
「はっきり申し上げたらいいのでは?」
「王妃殿下にとってあの茶会は、私への愛情表現なのだそうだ。言い切られてしまっては、いらぬとは言い辛いし、そもそもあの方はそれ以外で私に関わって来ないので、まぁいいかという諦めもある。…無理矢理相手を宛がおうとして来ない所が唯一の妥協点だ」
「…王族の方の家族関係は、私には理解不能です」
「おまえの家は全員本当に仲が良いらしいな。家族団欒の時間だっけ?私もそこに混ざりたい」
「それはちょっと遠慮します」
「私は結婚したら家族団欒を所望するぞ」
「ご立派な決意でいらっしゃいます」
「おまえ本当に適当に言っているな」
 東宮への分岐に出て、王太子はクリスの肩を叩いた。
「サラ嬢が気にしないよう、フォローは頼むぞ」
「かしこまりました」
「完膚なきまでに叩き潰してやれ」
 言えば、クリスはにやりと口角を引き上げた。
「…当然です」
 そこにある怒りの感情は、王太子と共有するものだった。
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