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35.

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 サラが帰宅し、出迎えてくれた執事に母の居場所を聞くと、仕事部屋に兄と共にいると教えてくれたので、着替えたら向かうと言伝を頼み、自室へと戻る。
 ユナはサラ付きではなくなったので、今はマリアという、今年十八歳になるメイドがサラ付きとなっていた。
「おかえりなさいませ、サラ様。お迎えが出来ず、申し訳ございません」
 すぐにマリアがやって来て、詫びた。
「いいの。予定よりずいぶん早く帰って来ちゃったから。マリアも仕事があったでしょう」
「いえ、執事様がお迎えになっているのに、サラ様付きの私が遅れるなど、許されません。次がないよう、細心の注意を払ってまいります。どうかお許し下さいませ」
 深く頭を下げられ、サラは微笑む。
「その気持ちが嬉しいわ、ありがとう。次はよろしくね。着替えるので、手伝ってもらえますか」
「はい」
 マリアは真面目なメイドだった。
 感情の起伏がわかりにくく、無表情が常態である。
 だが仕事に手抜きはなかったし、気遣いもきちんとできる。
 笑ったりすることはないのだが、嫌な感じはしないので、サラはマリアのやりたいように仕事をしてもらっていた。
 着替えを済ませて、母の部屋へと赴く。
 迎えてくれたのは兄だった。
「おかえり、サラ!サムから聞いて驚いた。早かったね」
「ただいま、お兄様。ちょっとね」
「母上が事情を聞きたがっているよ。入って。…ああ、君は下がっていい」
 後ろについて来ていたマリアに下がるよう兄が言えば、マリアは素直に頭を下げた。
「かしこまりました。サラ様、今日お召しになったドレスと宝飾品を片づけて参ります。ご用がありましたら、お呼び下さいませ」
「ありがとう。お任せするわね」
 丁寧な礼をして、マリアはサラの部屋へと戻っていった。
 サラは母の部屋に入り、帰宅の挨拶をする。
 その間に兄が茶を淹れてくれ、母はにこやかに笑っていた。
「さぁ、どんなことを言われたのか聞かせてちょうだい」
「嫌なこと、言われなかったか?」
「嫌なことというか…妙なことは言われました」
 首を捻りながら思い出している様子のサラに、母と兄は顔を見合わせた。
「妙なこと?」
「うん。夢見る乙女のなんとかを知っているか、とか」
「…夢見る乙女…?」
「あなたもてんせいしゃ?じゃないか、とか」
「てんせいしゃって何だ?」
 兄が首を傾げながら問うが、サラにも答えられなかった。
「さぁ…なんですか?って聞いても教えてくれなかったの」
「意味がわからんな」
「うん…」
「他には?」
「友達にならない?って」
「は!?」
「…断ったよ」
「当然だ!何考えてるんだあの令嬢は!?」
「友達という名の使用人が欲しかったみたい」
「あぁ…それなら納得…できるわけもないが…」
「そうだよね…」
「それで?ご令嬢は怒っていた?」
 母が問い、サラは首を振った。
「やんわりと断ったから…うやむやになった感じ。言質は取らせなかったよ」
「さすがだわ」
 母に褒められ、サラは照れた。
「筆頭侯爵家の自分と、男爵家の私が友達になれば、あなたにもメリットがあるでしょう?と言われたけれど、とても不快だったの」
「当然よ。それって我が家を見下しているってことだもの」
「そうだよね。お互いに尊重できないなら、友達なんてなれないよね」
「ならなくていいわ。…それにしても暢気なものね」
「てっきり弟か、自分の話が出るかと思ったのに」
「それは全くなかったわ」
「そうか…」
「それでクリスは、冒険者ギルドまで行ってきたんでしょう?」
 母が兄に話しかけ、兄は頷いた。
「精霊教会で建国記念の祭事が終わったばかりの殿下を捕まえて、ギルドまで行ってきたよ。まぁ、週明けには結果は明らかになるだろう」
「そう。今回は付き添わないの?」
「しません。殿下もしません。前回は第二王子殿下がいたからであって、侯爵令嬢の為に王太子殿下が出向く理由がありません」
「ご令嬢は喜んだかもしれないのにね」
「…自身が無様を晒すのにですか?」
 驚いたように兄が言い、母は笑う。
「フフ、夢見る乙女は現実が見れていないようだから」
「哀れというか…救いようがないというか…」
「あの人の不正が明らかになったの?」
 サラが問えば、母と兄は揃って頷く。
「…昔から貴族がよく使う手でね、学園の男子生徒はEランクにならなきゃいけないだろう?」
「ええ」
 兄の言葉に頷く。
「皆が皆、冒険者になりたいわけじゃない。この国の貴族の中には、未だに冒険者を認めようとせず、ダンジョン攻略など国庫の無駄遣いだ、なんていう輩も存在している。…そんな輩の息子が、冒険者として活動すると思うかい?」
「登録だけして、誰かに代わりにさせる、ということ?」
「そう。かつてあの侯爵令嬢もやっていたんだろう?護衛に狩らせて、とどめだけ刺す。Eランクは領地の森でも達成できるし、Eランク達成者は数も多いからチェックも甘い。ダンジョン攻略に乗り出すようなレベルにならないと、チェックもしきれないから見逃されているというのが実状だ。ここまではいいか?」
「はい」
「だが中には、トロフィーのようにランクを欲しがる輩がいる。これは騎士団入りや魔術師団入りを狙う子息に多い」
「高ランクであれば、好条件で入りやすいということだね」
「そう。金を積んで傭兵を雇う。侯爵令嬢がやった手だ。通常の階層ならば問題ない。試験のあるボス階でやる輩がいる」
「…どうやって…?」
 不正なんて考えたこともなかった。
 レベルを上げ、自分の力で越えていくべき物だという認識のサラにとっては信じがたい。
「同ランクで、クリアできそうな冒険者を金を積んで雇う。ボスが瀕死になったら、入れ替わってとどめをさしてクリアフラグを取る」
「…そんなの、実力で倒してないじゃない…」
「そう。今まで表沙汰にならなかったのは、互いに利益があったからだ」
「利益って」
「片方は金が入る。片方はランクが手に入る。傭兵側は、ボスを倒してもギルドに昇級手続きをしなければ、何度でも挑戦できる。とはいえギルドに不正がバレれば、ランク剥奪の危機だ。だから傭兵に積む金額はとても高額になるし、契約書を交わす場合もあるようだ。利害が一致しているから、どちらも口を噤む。高額な金を積める貴族となると上位になるし、なおさら口を噤む。…そういうことが今までにもあったらしいが、あくまで噂でしかなかった」
「そう…」
 合意の上で互いに口を噤んでしまえば、外部からはわからない。
 騎士団や魔術師団に入れさえすれば、後はどうとでもなる、という事実があったからなのだろう。
「今回第二王子一行がバレたのは、金も積まず口止めもせず、契約書も交わさずに、合意のないメンバーでやったからだ。第二王子は王族だし、まさか告げ口するまい、と思っていたようだ。連中が馬鹿で助かった」
「……」
「あの令嬢がやったのは、傭兵を雇うやり口だった。だが甘かった。三人パーティーの一人を買収してクリアフラグを得たが、残り二人に話が通っていなかった。関係が壊れ、一人はパーティーを脱退した。メンバーを特定し話を聞いた。脱退した一人にも話を聞いた。内容は一致している為、あの令嬢は試験のやり直しになる」
「そうなんだね…とても自慢げにCランクですのよ、って言ってたのに」
「笑ってしまうが、実力のない者が実力のないランクを名乗るのは、努力して正当に勝ち取った冒険者に対する冒涜だし、許してはいけないことだ」
「うん」
 兄の言葉に全面的に同意した。
 不正がまかり通ってしまえば、冒険者ギルドの信頼に関わるのだ。
「監視はAランク冒険者に頼むことになっているから、大丈夫だ。俺達は、明日のダンジョン攻略のことを考えような」
「…そうだね!さっそく明日の準備をしないと!」
 いつまでも不快な話題を引きずっていても楽しくない。気持ちを切り替え、サラは明日の準備へと思いを馳せた。
「料理長が、最近サラが来てくれないって嘆いてたぞ」
「ストックがあるから、頻繁に煩わせるのは申し訳ないなって思ってたの。…でもそろそろ顔を出そうとは思ってた。今から行っても大丈夫かしら」
「聞いてみればいいよ」
「そうだね」
「俺は久しぶりに書庫で読書でもするかな」
「後で私も行くね」
「ああ」
 兄妹の会話を微笑みながら聞いていた母が、ひと段落付いたところで口を挟んだ。
「ふふ、じゃぁ私はもう少し、お仕事をしようかしら」
「お母様、ご無理をされていませんか?」
「大丈夫よ。今はちょっと忙しいけれど、すぐにまた元に戻るわ」
「なら良かった」
「また夕食でね」
「はい」
 兄妹が部屋を出、入れ替わりにレベッカが入って来てティーカップを片づけながら、母の分には茶を継ぎ足した。
「ありがとう、レベッカ。もうひと頑張りするから、夕食の時間になったら教えてちょうだい」
「かしこまりました、奥様」
 レベッカが茶器を下げるのを見送りながら、アンジェラは呟く。
 
「…転生者の割にはとても愚かで助かるわ」

 夫と子供。
 家族は必ず守り抜く。
 アンジェラ・バートンは心に誓い、書類へと向かうのだった。
 
 
 
 
 
 マーシャは金曜日にサラを招いたが思うような結果が残せず、不満であった。
 転生者ではなさそうだったが、ならば侯爵家の言うことを男爵家なら聞くべきであるのに逆らった。
 生意気だ、と思ったし、メイド達も同意見だった。
 強制しても良かったが、それこそ兄に告げ口をされて悪役令嬢扱いされては本末転倒である為、我慢したのだった。
 ゲームの主人公は誰からも好かれる、素直で可愛い性格であったのに、現実のサラはそっけなく、とっつきにくく、素直じゃない上に可愛くなかった。
 マーシャの前世は高校生で止まっており、現在の年齢とそれほど変わりがない。
 前世、両親は共働きで夜遅くまで帰って来ず、一人で過ごすことが多かった。
 休日といえば父親はごろごろしているか、どこかへ出かけて帰って来ない。
 母親は家事や買い物が終わればどこかへ出かけ、遊びに連れて行ってくれることもなかった。
 友達はおらず、学校から帰れば自分の部屋で、スマホとタブレットを眺めて過ごす。
 文句も言わない娘に両親は金だけ渡し、コミュニケーションを取ろうともしなかった。
 成績は上位だったし、問題行動もなく、幸いなことに虐められたりすることもなかった。
 将来の夢もなく、なんとなく大学に行って、どこかに就職するのだろうと思っていた。
 この世界で転生していると知った時、マーシャは嬉しかった。
 優しく甘やかしてくれる両親。優しく何でもしてくれる使用人。
 勉強を頑張ればとても褒めてくれる。礼儀作法やダンスが出来れば皆が喜ぶ。
 一人じゃない。
 皆がいてくれる。
 わがままを言っても笑って許してくれる。
 誰もマーシャを厭わない。
 大切にしてくれる。
 この世界で生きていられて、マーシャは幸せだった。
 だからこそ、王太子とのハッピーエンドは諦められない。
 王妃になってこそ、自分の人生は完成するのだった。
 ヒロインに言われるまでもなく、茶会や園遊会、公式行事の際には上位貴族が招待される為、王太子と接する機会は多かった。
 そのたびにマーシャは話しかけるのだが、いつも穏やかな微笑みで、二言三言話すと他人に邪魔されてしまうのだった。
 生徒会に入れていれば、と後悔してもしきれない。
 まさかサラが主席で入るだなんて、思ってもいなかった。
 だがヒロインが王太子ルートに入っていないのなら、十分可能性はある。
 他にライバルになりそうな令嬢はもはや数名しかいない。それ以外は昔から排除してきたのだった。
 その数名も、王太子に対して特別な感情を抱いている様子はない為、それほど心配はしていない。
 王太子殿下が気まぐれで誰かを指名でもしない限りは。
 ゲームだと、王太子が婚約を言い出すのはスタンピードが起こる冬頃なのだ。
 それまでに、自分がその相手になればいいのだった。
 他の貴族家の令嬢に、サラにやらせようと思っていたことをやらせるか。
 生徒会にいる貴族令嬢は、王宮侍女長の娘である子爵令嬢である。
 侍女長の夫は穏やかな気質で野心の欠片もなく、花や薬草を手ずから育てて販売するのが趣味という、あまり表に出てこない人物であった。
 特にどこかの派閥であるという噂も聞かない。
 幸い、子爵令嬢はクラスメートである。
 話をする機会はあるだろう。
 そんなことを考えながら馬車に乗り、向かった先は劇場だった。
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