極上の君

晴なつちくわ

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第二部

26.散る陽炎*

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 どっぷりとした闇に包まれた街を、クロードは一人家路についている。

 結局、ダンテとは言葉を交わすことはなかった。

 ファヴェーロ秘蔵の愛娘、という事が起因してなのか、パーティは大げさなくらい盛り上がっていた。嫌味の一つでも言ってやろうと思ったのに、組織の人間に囲まれ続けるダンテとイザベラ。
 完全に蚊帳の外だな。
 組織の人間と談笑している二人を見ながら、乾いた心でクロードはそう思った。沸いたはずの感情は、いつの間にかどこかに消え去って、当事者のはずなのに、他人事のようにその様子を見ていた。
 組織に属さないと決めたのは自分だ。決めた時、こういう状況になることもあると分かっていた。組織外の人間には立ち入れない、否、立ち入らせない状況になることだってある。
 それがたまたま今日起こっただけの話。

 ルカは物凄く心配してくれたが、思ったよりもショックは受けなかった。と思う。ダンテがあまりにも普通すぎて、逆に冷静でいられた、というのもあるのかもしれなかった。
 あの場でダンテが少しでも焦った顔を見せたら、或いは、驚いて気まずげにされたら、また違った結果になっていた。のかもしれない。起こっていないことは、クロードにも分かり得ない。
 何にせよ、みっともない姿を晒さずに済んだことは、喜ばしい点ではある。涙も脆さも何一つとして顔には出さなかった。ルカには多分、腹の底の怒りを見抜かれてしまったけれど。

 見上げた夜空は、クロードの胸の内なんてお構いなしに、爛々と星が輝いている。
 いっそ清々しくていいな。
 ハッと漏れた自嘲を空に放って、クロードは足を運ぶスピードを上げた。

 寝床は会場に一番近く、かつダンテの屋敷からもわりと近い場所に決めた。初めて行く場所だが、用意周到の持ち主のことだ、必要なものは全て揃っているだろうし、もしもダンテが何かアクションを起こしてくるのなら、そこが一番効率も良いと思ったから。
 殺しに来るのであればそれもヨシ。
 何かしら話に来るのならそれもヨシ。
 一応通信端末にもいつも使っている暗号を使って、この場所で『待ってる』とメッセージは送った。あとはダンテの出方を伺うしか無い。ダンテがクロードを訪ねてくるのは、早くても明日以降だろう。動けない時間は正直もどかしくて嫌なのだが、パーティの参加者でも思い返しながらダンテの来訪を待つことに決めて、唯一の一軒家の別荘の扉を開けたのだった。



 のどがかわいた。
 そんなことを思いながら体を起こした。ベッドから見える窓は、まだ闇色に染まっている。
 酒を飲んだわけでもないのに、どうしてこんなに喉が渇くんだろ。
 纏まらない思考を垂れ流しながら、クロードは寝間着のまま裸足でベッドから降りて、キッチンに向かった。迷うことなく辿り着いたキッチンの冷蔵庫から、ペットボトルの水を取り出して、蓋を開ける。喉に流し込んだ水はなぜかぬるく感じた。それを疑問にも思わずに、ペットボトルの蓋を閉めた。その時だ。
 後ろから抱き締められた。
 そんなことをする人間は、たった一人だけだ。
 
「やっとお出ましか、ダンテ」

 返事はない。苛、と腹があぶくを立てる。
 ハッと鼻で笑ってから、ペットボトルを冷蔵庫に戻した。両手でその腕を掴む。力を入れる前に、簡単に両腕は外れた。勢いよく振り返った先。
 やはり、いつも通りのだらしない顔をしたダンテが立っている。
 その憎たらしい顔を睨みつけた。

「どういうつもりだ、お前」
「どういうつもりって?」
 
 吠えたクロードに、ダンテは首を傾げて問うてくる。

「とぼけるなよ。あの女はお前の何だ? 何かの作戦か? それとも、やっぱりあの女に鞍替えして、俺が要らなくなって殺しに来たのか? だったら早くしろよ。俺を待たせるな」

 次々に溢れ出す不満は、口から濁流のように流れていく。男よりも女の方が良い、と捨てられるならばそれも良いだろう。良いが、文句くらいは言っても良いはずだ。
 なのに、ダンテは笑みを乗せるだけで何も言わない。すかした態度に、クロードの怒りは募るばかりだ。

「なんとか言ったらどうだ。嗚呼、それとも約束を忘れたのか? 言ったよな? 俺の手を離す時は、お前の手で俺を地獄に送れって。約束を忘れるヤツは最低だ。それと一回言ったことを覆すヤツもな。大体なんでお前は何も俺に言わずに勝手に決めやがるんだ。俺はお前の都合の良い玩具おもちゃか? あぁ?」

 いつもなら絶対に口に出さないはずの言葉も勝手に漏れていく。ダンテの態度のせいだろうか。心に隠した全てを引っ張り出されるように、クロードの口は止まらない。

「そんでいい女が見つかったら、俺はおサラバってか? ハッ、笑える。だったら最初から俺のことなんて放っておけよ。あのままだったら、俺はお前が居なくても生きていけてた」
「――――本当に?」

 手首を掴まれた途端に、クロードの口は止まった。何しやがる、と見たダンテの目が、じっとクロードを見つめていた。見透かすような笑み。ゾワリとして、振り払おうとした手はダンテの馬鹿力を前に叶わない。腕を引かれたと思ったら、背中に腕を固定されたまま壁に押し付けられた。

「おい! 離せ、ダンテ!」
「本当に、僕なしで生きていけた?」

 吐息混じりの低い声が耳から入り込んで、脳が揺さぶられる。たったそれだけなのに、全身に甘い痺れが走っていく。それを振り払うように大声で抵抗する。

「離せ、このバカ! いい加減にしろ!」

 ダンテは鼻だけで笑う。

「本当に離していいの? アンタのココ、もうこんななのに」
「―――ッ!?」

 いつの間にか下着の中に潜り込んでいた手に、陰茎をやわく撫でられた。信じられなかったのは、すでに先走りが漏れていたことだ。
 そんな要素は何処にもなかったはずなのに。ただ耳元で囁かれただけで、俺は。
 羞恥にどうにかなりそうなクロードに追い打ちを掛けるように、ああでも、とダンテは言いながら手を動かす。

「アンタはこっちのほうがイイよね」
「まてっ、や、ッぁ!」

 いとも簡単にナカに潜り込んできた指先が、的確に弱い所を擦るように動く。
 絶対におかしい。準備もしていないのにこんなに簡単に入るはずか無いのに。おかしい。どうしちまったんだ俺の体は。
 ひっきりなしに漏れていく嬌声。粘着質な水音。気持ちよさに染まっている筈なのに、どこか冷静な頭。震える足。何がなんだかわからなくなって混乱し始めているクロードに、ダンテは甘ったる声で聞いてくる。

「ねえ、クロード。本当に、僕なしで生きていけた? 僕以外で満足出来る?」
「ッ、うぁっ、んんっ、てめっ、ンぁ!」

 悪態すら吐かせてもらえない。同じことばかりを聞いて来るばかりで、会話を成り立たせようともしていない。憎たらしくて堪らない。それなのに、ダンテの言う通りなのだ。でも肯定したくない。一度はちゃんとお前が居なきゃもう駄目なんだ、と伝えたけれど、こんなムカつく事があって、肯定できるわけがなかった。
 不意に下着をずり下ろされた。意識を戻したときにはもう遅い。
 勢いよく振り返ったクロードは、目を見開く。すでにダンテの張り詰めた陰茎が、すでに自分のナカに入ってきそうだった。
 目が合ったダンテは、あのパーティで見せたのと同じ笑みを浮かべて、言った。

「ねえ、クロード。世界の何より、アンタが好きだよ」



 バッと体を起こす。はーっ、はーっ、と、荒い呼吸音が辺りに響き渡ったのを耳で聞いてから、クロードは自分の体を勢いよく見下ろした。
 乱れたワイシャツと少し変色した紺のボクサーパンツ。
 つまり。さっきまでのは完全に夢。
 はーっと思い切り息を吐き出しながら、立てた膝を抱き寄せた。ぐちゅりと濡れている感覚が鬱陶しくて仕方なかった。

 なんつー夢を見てんだ俺はッ! 思春期のガキかクソがッ!

 おかしいとは思っていた。
 勝手の知らないはずの家の中で、電気もつけずに迷いなくキッチンまでたどり着けるのも、飲んだはずの水の温さも、簡単に解ける腕も、簡単に暴かれる自分の体も。
 夢は自分の願望を見せると言うが、まさかこんな夢を見るなんて。
 もう一度深く息を吐き出して、脱力する。
 そんなにショックを受けているつもりはなかったが、あれだけの不満が腹の底に溜まっていたのは間違いないのだろう。そうでなければ、こんな自分に都合の良すぎる夢を見たりはしないはずだ。
 顕著なのが、最後のダンテのセリフだ。
 一見彼らしい言葉にも思えるが、きっと自分はこう言ってほしいのだろう、というのが的確に再現されていて、もういっそ笑うしか無かった。
 これが現実だったらどれだけ良かったか。
 顔を上げて、もう一度辺りを見回す。
 窓の外はすでに昇り始めた陽の光が、街を染めている。しかし、誰かが来たような様子はない。左手をすべらせて触れたベッドの隣も、冷たいままだ。扉に挟んだ紙も落ちてない。つまらダンテは来ていない。
 通信端末は、あのパーティからまだ一日経っただけの日付を示している。
 ふーっと何度目か分からない深い息を落として、クロードはベッドから降りてバスルームへと向かった。



 時計はどんどんと時を刻んでいく。
 通信端末に連絡はなく、いつも通りの日常で、ダンテだけが不自然に顔を見せない日々が続いた。

 パーティが開かれた日から丁度一週間経った、ある昼下がりである。

 いつも通りリビングのソファで新聞を読んでいたクロードは、ふいに通信端末を手に取った。見えた時刻は奇しくも、パーティの開始時刻と同じ14時を指している。メッセージは何も入っていない。
 ふっと息をこぼすように笑ってから、新聞を折りたたむ。
 ローテーブルの上に新聞を置いてから、隣においてあった拳銃を手に取った。弾が入っているのを確認してから、セーフティを外して床に通信端末を放る。そのまま銃口を端末に向けて引き金を引いた。派手な銃声。一軒家だから関係ないことだ。バチバチ、と火花が散って煙を立てる端末を一瞥してから、振り上げた足の裏で踏みつける。
 家が燃えようが知ったことではないが、後から金を請求されるのは面倒だ。ちゃんと火種を消してから、足をどかす。よわよわしい煙を足先で払って、寝室へ向かった。

 期限は一週間と決めていた。
 アイツが会いに来る気がないなら、もう待たない。

 ダンテが用意していたスーツもワイシャツもスーツも靴もその場で全て脱ぎ捨てた。与えられたものは何も持っていくつもりはない。
 裸のままクローゼットの前に立つ。
 中にあった小ぶりのボストンバッグを取り出して、ベッドの上で中身をひっくり返した。
 出てきたのは、予め用意していた潜入する時に使う黒一色の衣服一式。その他諸々だ。
 下着にTシャツ、ジャージ、スニーカー。銃ホルダー。全部身に付けて帽子を最後に被ってから、あることに気付いて耳に触れる。
 つけっぱなしだったパパラチアサファイアのピアスを外して、鏡台に置いた。代わりに光沢のない黒のピアスを付けて、ベッドの上に転がっている、ゴムで丸めた数個の札束と小型ナイフ、弾倉を何個かとサプレッサー、そして新しい通信端末をボストンバッグに放り込んだ。

 バッグを持ったままリビングにもう一度戻って、拳銃を手に取ってホルダーに納める。
 息を全て吐き出して、一度部屋を見回した。
 
「じゃあな、ダンテ」

 その一言だけを置いて、クロードは鍵も持たずに玄関から出た。
 陽の光は温かく、眩しいくらいだ。
 ここに帰ってくるつもりはない。というよりは、戻れるかどうかもうわからない、という方が正しい。
 振り返ることなく足を動かしながら、バッグの中かは端末を取り出す。
 頭の中に記憶した番号を入力して、発信ボタンを押した。すぐに通じた電話。頬が緩んだ。

「……、ルカか? うん、クロードだけど。この前の帰り際にお願いしてた件、頼まれてくれるか? …うん、うん。そう。それで、追加で頼みたい事があるんだけど」

 通話をしながら、人波に紛れ込んだクロードの背中はすぐに見えなくなった。
 
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