25 / 36
清水
⑦
しおりを挟む次にシスイが現れたのは、ユージローが一度二階に眠りに行った後のことだった。
二階から降りてきた時、既にシスイはカウンターの向こう側の椅子に座っていた。あれ、と思ったのは、初めに見た時のシスイと少し違う印象を抱いたからだ。
長かった前髪が、バッサリと切り落とされて綺麗な横線を描いていた。身につけているものは殆ど変わらないのに、前髪だけでだいぶ印象が変わる。店に初めて来た時はずいぶん暗い印象を受けたのに、今はどちらかと言えば仕事が出来そうなOLという印象を抱かせた。
目が合うと、少しだけ目元を緩めてぺこりと頭を下げられて、ユージローも慌てて頭を下げてから、カウンターへ入った。
「ユージローさん、今日はお休みなのかと思ってました」
「いや、あはは」
まさかさっきまで寝てました、とは言えずに、笑って誤魔化す。聞けば、ヤマセが対応してくれたのだという。もうすぐ鍵が出来るから待ってて欲しい、と言われたそうだ。
まだ時間があると分かって、すぐさま自分の中に生まれた言葉を掛けた。
「シスイさん、随分雰囲気が変わりましたね」
「あ、そうみえますか?」
「はい。前髪を切られたせいか、明るく見えます」
その言葉に嘘はない。前の髪型が似合ってなかったわけではないけれど、前髪が目に掛からないだけで、こんな風に明るく見えるのだな、と思った。レンズ越しに見える瞳にいつも光が入って見えるから、余計にそう思うのかも知れない。
彼女はどういう人に見えますか、と今誰かに聞かれたら『爽やかで、とても仕事が出来そうなヒト』と答えるだろう。
少しだけ恥ずかしそうにシスイは、横髪を耳に掛けた。
「昨日帰ってから、バッサリ切っちゃったんです」
「ご自分で、ですか?」
はい、と言ったシスイは、照れたように目元を赤く染めて、首元を撫でた。
「明るい性格の鍵を作って貰うのに、私が陰気な格好してたら何だかチグハグだなって思って。思い切って切っちゃいました。職場の人も驚いてました」
思い出しているのか、ふふふ、と彼女は笑った。その笑みは、やはり陰気さを感じさせない。あんなに人の目を気にしていたのに、悪戯が成功した子どもみたいに可笑しそうにしている。
そんな様子の彼女を見て、ユージローはヤマセの言葉を思い出す。
鍵を作ったことを切欠に、本当に欲しい鍵が解るヒトもいる、とヤマセは言っていた。まさに彼女がそれだった。自分が心配していた事なんて、遠く彼方に霞む様に、既にシスイは変わり始めているのだ。
ぎゅうう、と胸が嬉しさで締め付けられる。
よかった。彼女が変わりたいと思って、もうすでに行動に移せているのなら、彼女が望む通り、きっと彼女は変わることが出来るのだろうと思う。
ユージローが考えているよりもずっと、シスイは前を見て歩けているのかもしれない。
「シスイさん、これは僕のお節介として聞き流して欲しいんですが、」
声をかけると、彼女は少し首を傾げた。
彼女は、きっと鍵を無駄にすることはないだろう。
でも、もしも。
もしも、望み通りの結果が得られなかった時、下を向かずに済む様に。
「もしもの時は、またお越し下さい。此処は、訪れたヒトが望んだ鍵を作る店です。僕たちは此処で、貴女をいつでもお待ちしてます」
シスイが目を瞬く。じっと見つめ返す。もしも迷った時に、此処を思い出して貰えたら良いと思うから。ユージローの視線に応える様に、シスイは小さく笑って頷いた。
「待たせた」
背中に声が掛かって振り返る。コーリが一本の鍵を持って立っていた。
「それが、『明るい性格になる鍵』ですか?」
「そうだ」
ユージローは椅子から立ち上がって、コーリに場所を譲った。カウンターに無造作に置かれた鍵を見つめる。
光を七色に反射するクリスタルに王冠が付いたキーヘッド。錠を開くための鍵山は、針金の様に細いガラスで出来ていた。
とてもうつくしい鍵だった。
「この鍵を渡す前に、注意事項を伝える」
シスイから、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。コーリは構わず、口を動かし始める。
「まず、俺たちは鍵を作ることは出来ても、開ける手伝いは出来ない。要は、鍵穴はアンタが自分で見つけなければいけないってことだ」
「は、はい」
「だからこれを受け取ったとしても、使える保証は出来ない。それが最大の注意点だ」
コーリの言葉をシスイは真剣に聞いていた。鍵を見つめる瞳は、とても真っ直ぐだ。その鍵を疑う様な素振りは、一切感じられなかった。
「その注意点を踏まえて、これを渡す条件として、アンタが今着けている黒のマフラーを貰うことになる」
「これ、ですか?」
「ああ。その条件が呑まないのであれば、この鍵を渡すことは出来ない」
シスイは、ギュッと首元のマフラーを握り締めた。伏せられた瞳からは、少しの寂しさが見て取れた。サロウがあの大切なブローチに向けていた、記憶を思い返すようなそれ。
「どうしても、これじゃなきゃダメですか?」
「ああ。それでなければ鍵は渡せない」
彼女にとって、とても大切な思い出が詰まったマフラーなのだろう。ところどころ端がほつれているのに、それを使い続けているのが証拠だった。
しかし、ユージローにはそれを止める権利はない。
この店から一つの鍵が旅立つ時、その鍵を貰い受けたヒトから別の鍵を作るための材料を受け取る。
それがこの店のキマリなのだ。それを破ったら、余程のことが起きるのだと思う。その内容は、ユージローには分からないけれど。
「このマフラーは、私にとっての御守りだったんです」
ポツリとシスイは言う。それを遮るでもなく、コーリは静かに聞いていた。
「こんな私のことを好きだと言ってくれた元彼から、ずっと前に貰ったものです。結局彼とは別れてしまったけど、このマフラーのお陰で、私は今まで頑張ってこれたと言っても良いくらいなんです」
想像しなくても、彼女がそれをとても頼りにしてきたのはよくわかる。
でも、とユージローは思う。
そのマフラーは言わば、彼女の過去そのものだ。暗い性格だと彼女が言っていた通りの、彼女を象徴するものだ。だからこそ、コーリはそのマフラーを選んだのかもしれない。
でも御守り同然のものが、簡単に手放せないのはユージローにも分かるのだ。自分も昔、ずっとうさぎの小さなぬいぐるみを大切にしていた。
古びた、うさぎのぬいぐるみ。
一瞬よぎった映像に、ハッとした時にはすでにその景色はなかった。
「でも」
うさぎのぬいぐるみ、という言葉だけを反芻していたユージローの思考を遮ったのは、他でもないシスイだ。
「これを差し出しても、私はその鍵が欲しいです。……薄情だと思われるかもしれませんが」
「そんなこと絶対に思いません!」
気付けば声を上げていた。
変わりたいと願うヒトを薄情だなんて思わない。物を手放したとしても記憶が無くなるわけではない。少しずつ薄れてしまっても、過去の彼女が彼を愛していたことは変わりはしないし、そのマフラーが支えだったことも変わりはしない。
「シスイさんが、変わりたいと思ったその心を、シスイさんには大切にしてほしいです。貴女は貴女の心に正直で良いんです」
ぱちぱちと眼鏡の向こう側の瞳が瞬かれる。ゆうるりと弧を描いて、はい、と頷いた彼女はとてもうつくしい笑みを浮かべていた。
「じゃあ、取引成立だな」
マフラーを丁寧に畳んだシスイは、頷いてそれをカウンターの上に置いた。それを受け取ったコーリは、代わりに彼女の目の前にその鍵を差し出す。
「此処は、アンタが望む鍵を出す店だ。また用があったらいつでも来ると良い」
「いつでもお待ちしてます!」
「はい。お二人とも、お世話になりました。ヤマセさんにもよろしくお伝えください」
「僕から伝えておきます」
今日一番の笑みを浮かべたシスイは、お礼を言って扉の向こうに消えていった。
扉が閉まるまで見送って、コーリに視線を向ける。彼もまた扉を見つめていた。
「彼女は、鍵を使うことが出来るでしょうか」
ぽつりと問いかけると、コーリは口元に笑みを浮かべて言った。
「それは、彼女次第だ」
彼らしい言葉だった。そうですね、と笑って返事をすると、コーリは立ち上がってまた工房に戻っていく。開いた椅子に今度はユージローが腰を掛けた。
どうか彼女が彼女の望むものを手に入れられますように。
そう誰ともなく、祈った。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブレイブエイト〜異世界八犬伝伝説〜
蒼月丸
ファンタジー
異世界ハルヴァス。そこは平和なファンタジー世界だったが、新たな魔王であるタマズサが出現した事で大混乱に陥ってしまう。
魔王討伐に赴いた勇者一行も、タマズサによって壊滅してしまい、行方不明一名、死者二名、捕虜二名という結果に。このままだとハルヴァスが滅びるのも時間の問題だ。
それから数日後、地球にある後楽園ホールではプロレス大会が開かれていたが、ここにも魔王軍が攻め込んできて多くの客が殺されてしまう事態が起きた。
当然大会は中止。客の生き残りである東零夜は魔王軍に怒りを顕にし、憧れのレスラーである藍原倫子、彼女のパートナーの有原日和と共に、魔王軍がいるハルヴァスへと向かう事を決断したのだった。
八犬士達の意志を継ぐ選ばれし八人が、魔王タマズサとの戦いに挑む!
地球とハルヴァス、二つの世界を行き来するファンタジー作品、開幕!
Nolaノベル、PageMeku、ネオページ、なろうにも連載しています!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
スライムからパンを作ろう!〜そのパンは全てポーションだけど、絶品!!〜
櫛田こころ
ファンタジー
僕は、諏方賢斗(すわ けんと)十九歳。
パンの製造員を目指す専門学生……だったんだけど。
車に轢かれそうになった猫ちゃんを助けようとしたら、あっさり事故死。でも、その猫ちゃんが神様の御使と言うことで……復活は出来ないけど、僕を異世界に転生させることは可能だと提案されたので、もちろん承諾。
ただ、ひとつ神様にお願いされたのは……その世界の、回復アイテムを開発してほしいとのこと。パンやお菓子以外だと家庭レベルの調理技術しかない僕で、なんとか出来るのだろうか心配になったが……転生した世界で出会ったスライムのお陰で、それは実現出来ることに!!
相棒のスライムは、パン製造の出来るレアスライム!
けど、出来たパンはすべて回復などを実現出来るポーションだった!!
パン職人が夢だった青年の異世界のんびりスローライフが始まる!!
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
複雑で単純なこと
すずねこ脚本リスト
ファンタジー
高校の通学中にふと書き留めた物語を手直ししました。
気づいた時からひとりぼっちな男の子。
部屋から出ることを許されず、日の目を見ることも認められなかった。
必死に扉を叩いても、必死に叫び続けても
誰も救い出してはくれない世界。
ここはそういう場所。
誰も彼を見てやしない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる