ご要望の鍵はお決まりですか?

晴なつ暎ふゆ

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清水

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「本当に、どんな鍵でも作れるんでしょうか?」

 おそるおそる問いかけられた。
 それに軽い調子で答えたのはヤマセだ。

「ええ。どんな鍵でも。例えば、鯨の腹の中を開ける鍵とか」
「……それ、一体どんな鍵ですか?」

 口を挟むまいと思っていたのに、どんな鍵なのか気になりすぎて思わず聞いてしまった。
 得意げに言ったヤマセには悪いが、鯨の腹の中を開ける鍵なんて、一体誰が何のために使うのか分からない。使用用途も勿論だが、鯨は人の何倍もの大きさがあるし、鯨自体を易易と手に入れられる時代でもない。鯨の腹の中を開いて一体何を取り出すのだろうか。それとも何かの暗喩だろうか。
 ぶつけた疑問にヤマセは、それはまァ人それぞれだから、なんて言って笑った。

「答えになってないし、それ、ますます怪しくなっちゃいません?」
「やだなぁユージロー、この店が怪しいなんて今に始まったことじゃないだろう?」

 どうやら答える気はないらしい。
 確かに、と思い返す。ユージローが時々呼んでいる資料にも使用用途は書かれていない。欲しい、と言われたものを作るだけで、その詳細を相手に聞く事はしない方針なのかもしれない。
 そんなことを考えていたユージローとは違い、ヤマセは知りたいことと全く違う方向に話を進め始めた。

「ボクもこーんな格好しているし、君みたいな子がボクみたいなやつと一緒にいるのも変だし、コーリなんてもっと変だし」
「自分で言っちゃうんだ……。それに、コーリさんにめちゃくちゃ失礼じゃないですか」
「コーリはこんなこと気にしないさ」

 まあ確かにそんな気もする。
 ヤマセにどう言われようが取るに足らない、と一蹴してしまいそうな空気をコーリは纏っている。他人に何を言われようが自分のやるべきことを全うするだけだ、と真顔で言うコーリが優に想像できてしまって少し笑ってしまった。
 何を笑っているんだい、と飛んできた声に首を横に振って、何でもないです、と返す。
 少しだけ眉を跳ね上げて居たヤマセからシスイへと視線を移すと、彼女は真剣に何やら考えているようだった。余計な口出しはしないほうが良いだろう。彼女の口が再び開かれるのをジッと待つ。

 できれば、彼女がもう悲しまないと良い。
 心無い人達から何かの仕打ちを受けないと良い。
 心穏やかに日々を送れると良い。
 そんな鍵が、彼女に用意されると良い。

「決めました」

 どれだけ時間が経った頃だったか、そんな言葉が聞こえた。
 この店に来た時のような弱々しい声ではなく、少し強さを感じるような声だった。レンズ越しに見える瞳は、ぬばたまの黒ではなく、天井にぶら下がる鍵たちと同じ、柔らかな光を反射している。ごくり、と唾を飲み込んだ。

「私は『明るい性格になる鍵』が欲しいです」

 ヤマセを見上げる。彼はただ微笑んでいた。
 彼の細められた瞳からは、何も読み取ることは出来ない。

「私、いつも思うんです。もっと自分が明るい性格だったら、もっと違うふうに振る舞えるんじゃないかって、もっと皆に気に入ってもらえるような人になれるんじゃないかって、いつもいつも思ってるんです。だから、もしもそんな鍵があるのなら『明るい性格になる鍵』が欲しいんです」

 ふむ、とヤマセは声を上げて顎を撫でた。
 その間に、ユージローは少しの違和感を覚える。でも何が引っかかるのか分からないまま、ただヤマセを見上げた。
 少しの間を使ってから、お嬢さん、とヤマセが柔らかな声を出す。

「本当に、その鍵がいいんですね?」

 僅かに彼女の瞳が泳いだのを、ユージローは見た。
 彼女にとってヤマセの問いかけが予想外だったのかも知れないし、別の理由があったのかもしれない。口を挟むことは出来ないから、真相は分からない。妙な緊張感が二人の間を埋めている。
 ぎゅっと自分自身の手を握り締めたシスイが、静かに口を開いた。

「それでいいです」
「わかりました」

 すんなりと頷いたヤマセが踵を返す。からんころんと軽い調子の下駄の音の後に、コーリお客さんだよ、と声が聞こえて、研磨の音が止む。
 ヤマセと入れ替わるように現れたコーリは、ちらりとシスイを一瞥してから、ユージローに向き直った。

「ユージロー、彼女が欲しい鍵は?」

 まさか自分に話を振ってくるとは思わなくて、へっ!? と声が出る。彼女と直接話すのかと思っていたけれど、そうではないらしい。ぱっと椅子から立ち上がって、コーリが座れるように横にずれる。

「えっと、シスイさんは『明るい性格になる鍵』が欲しいそうです」
「わかった」

 短く返事をして頷いたコーリは、椅子を引き寄せて座るとシスイへと向き直った。
 コーリの少し後ろから、彼とシスイのやりとりをそっと見守る。

「あんたが欲しいのは『明るい性格になる鍵』で間違いないか?」
「は、はい」
「お代のことは聞いたか?」
「い、いえ、まだ……」
「金は取らないから安心していい。あんたが持ってるものと交換という形になる」
「交換、ですか?」
「ああ。鍵を渡す時に、それは伝える。それと、その場でいくつか注意事項を聞いてもらう。それでも良いと思ったら、鍵を渡す代わりにそれを差し出して貰うことになる。それでも構わないか?」
「大丈夫です」
「そうか。あと、申し訳ないが鍵はまだ出来上がってない。また明日、同じ時間にこの店に来てくれ」
「はい、わかりました」

 かなり事務的な話をして、シスイからの了承の言葉をもらったコーリは頷いた。
 俺からの話は以上だ、と言わんばかりに立ち上がると。

「じゃああとは頼む、ユージロー」

 そう一言残して、また店の奥へと戻っていってしまった。
 ぽかんとしたままのシスイと目が合う。二人してフッと吹き出して、しばらく笑いあった。

「必要最低限のことだけ言って行っちゃいましたね」
「ふふ、コーリさんは随分サバサバした方なんですね」
「はい。でも鍵のことになるとすごく真剣で寝食も忘れるくらいずっと鍵の相手をしてるんです」

 飽きるんじゃないかと思うのに、黙々と鍵を作っているコーリの横顔はいつだって真剣そのものだ。嫌な顔なんて一つもしないし、疲れたような顔も見たことがない。ただ、鍵をそのヒトに渡す時だけは、少しだけ微笑んでいるように、ユージローの目には映る。本当に鍵作りが好きなのだろうな、と勝手に思ってしまうくらいには、嬉しそうにも見えるのだ。
 だからこそ、彼女もコーリの作った鍵を使えると良いと思う。
 彼女だけではなく、コーリが作った鍵がきちんと報われると良いと思うのだ。

 そうなんですね、と頷いて笑ったシスイが立ち上がる。

「とりあえず、今日はお暇しようと思います。コーリさんが言った通り、また明日お伺いしますね」
「あ、はい! 出口までお見送りします」
「ふふ、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」

 微笑みとともにペコリと頭を下げた彼女は、立ち上がって真っ黒なマフラーを巻き直してから、横扉を開けた。

「それじゃあ、ユージローさん。また明日」
「はい、またのお越しをお待ちしております」

 言葉とともに腰を折って顔を持ち上げた先で、シスイが柔らかく笑っていた。
 清々しさを伴う笑みは、彼女をこの店に来たときのオバケかと思わせた印象を一切感じさせなかった。

「ありがとう」

 そう言い残して、彼女はパタリとしまった扉の向こうに消えた。
 ほう、と息を吐き出したその時だ。

「―――彼女も難儀だねェ」

 そんな声がヤマセから聞こえた。
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