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殿田
②
しおりを挟む「確かに僕は此処に来て日が浅いです。でも、鍵を作っている人は、毎日真摯に一つの鍵と向き合っています。渡された鍵が悪いのではない、という可能性だってあるはずでしょう? その可能性も試さずに、丹精込めて作られたその鍵をガラクタなんて言葉で片付けないで頂きたいです」
だって、可怪しいじゃないか。
あんなに一所懸命作られた鍵が使えないなんて。
夢で見たことが事実とは限らないが、金庫は相当古いようにも見えた。詳しくはわからないけれど、あの金庫はダイアル式の鍵が開けられた状態で、鍵穴の鍵を使わなければいけない筈だ。経年劣化するダイアル式は、少しでも場所がズレると開かない可能性だってある。
それを全部試してその文句だったら、まだ分かる。
でも、デンダはそうはしていないような気がするのだ。
渡された鍵のせいだと決めつけて、此処に、コーリに、八つ当たりしているようにどうしても見えてしまうのだ。
静かに伝えた言葉は、ハッ、と鼻で笑い飛ばされた。
「キミは随分と若いようだから教えてあげるがね、どんなに一つのことに真摯に向き合ったところで、結局結果がでなければ意味がないんだよ。特にこういう商売はね、客を満足させなければ意味がないんだ。真摯に向き合っている? だからなんだ。ワタシが受け取った鍵は金庫すらまともに開けられなかった。鍵本来の役割を果たせないモノを、ガラクタ、と呼んで何が悪いんだい?」
「っ、だから、それはッ」
「だいたい可怪しいと思ったんだ。鍵を作ってくれ、と言ってからすぐにその鍵は出てきた。本当に丹精込めて作ったのが、そんな数秒で出てくるのか? そんな鍵を渡した上に、使えないなんて。呆れた話だ。それなのに、キミはワタシが悪いと言うのか? 鍵が原因じゃないかもしれない? そんなわけないだろう。これさえ合えば、他の錠はもう開いてるんだから、金庫が開かないはずないんだ」
ユージローが声をあげる隙も与えないくらい、デンダが舌を回す。
彼の口から飛ばされた唾が、カウンターにシミを作っていつまでも消えないままだった。
手のひらに爪が食い込むほど、拳を強く握りしめる。
確かに、デンダの言う通りなのかもしれない。
結果が出なければ意味がない、という言葉にも一理ある。
どれほど長い時間をかけようが、どれだけ努力を積み重ねようが、結局客に納得してもらわなければ、商売は成り立たない。相手に満足してもらえなければ、切り捨てられて終わる。こういう実際に物証がある商売ならば、なおさらだ。
でも、コーリが合わない鍵を作るなんて、どうしても考えられなかった。
その日の浅さで何を言うんだ、と言われても、ユージローの目に焼き付いているコーリは、相手が満足できないモノを創り上げるようには到底思えない。他に原因が在るんじゃないのか、と思ってしまうのだ。
「それとも、何か?」
デンダの勝ち誇ったような声が聞こえる。
デンダが飛ばした唾のシミから、視線をあげることは出来なかった。
「キミも客であるワタシを疑っているのかね?」
何も答えられない。
図星だったからだ。
鍵を正確に使っていないのではないか、と考えている時点で彼を疑っているのはユージロー自身にも解っていた。しかも、自分が見た夢でみたことがまるで現実かのように思い込んで、言葉を発した自覚もある。それを感情に任せてデンダに言ってしまった。こういう相手には、それが逆効果かもしれない、なんて考えもせずに。
はああ、と何処か嬉々の滲む大きな溜め息が吐かれて、店内に満ちていった。
「何ということだ。全く嘆かわしい。客に責任を押し付けるとは」
大げさに大きく首を振って腕を組んだデンダは、少しだけ興奮したように身振り手振りを交えて、さらにユージローへと投げかける。
「店として失格じゃないのかね? この責任はどうやって取ってもらおうかね。そうだな、キミが土下座の一つでもしてくれたら、多少は気が済むんだがなぁ」
土下座。
胃が持ち上がるような、嫌な感覚が体中を駆け巡る。
絶対に嫌だ。なんでそんなことをデンダのためにしなければならないのか、少しも理解できない。好機と見るや相手に際限なくマウントを取るような人間に、誰が土下座なんてしたいと思うだろうか。
でも、と思う。
デンダが今後この店の悪評を流したら。
この店にヒトが寄り付かなくなったら。
この店の中にある、一本一本コーリに時間を掛けて大切に作られた鍵たちが、使われることなく廃棄されたら。
そう考えると恐ろしくてたまらなかった。
また此処でも迷惑をかけるのか、と誰かが囁いた気がした。
今のうちに土下座をすれば、許してくれるのならしたほうが良いんじゃないか。
吐きそうになるほど嫌なことなのに、この店やコーリ、ヤマセのことを考えれば、こんな奴に土下座するなんて嫌だという想いは、黒く塗りつぶされていく。
脳内でスーツ姿の自分が土下座をしているのが、何故か浮かんた。
それは一瞬のことで、意識をした瞬間にかき消えていく。
これ以上面倒なことになる前に、土下座してしまえ。
また、誰かが囁いた。
「そんなことをする必要はないよ、ユージロー」
突然、肩をぽん、と叩かれる。
耳元で囁いていた黒い影が、一気に霧散したような気がした。
勢いよく声の聞こえたほうに顔を向ける。そこに立っていたのは、柔らかな笑みを浮かべたヤマセだった。
なっ、と驚いたようなデンダの声が聞こえる。
ヤマセさん、と彼を呼んだ声は掠れていて聞くに耐えなかった。
「ユージロー、下がってなさい」
「で、でもっ」
「いいからいいから。此処はボクに任せて」
無理矢理に両肩を掴まれて、くるりと体の向きを変えられる。
背中を押されてしまえば、自然と足は歩き出した。コーリがいつも作業している座卓を通り過ぎて、ダイニングがある扉の前まで来ると足はピタリと止まった。
「さてと。デンダさん、でしたっけ?」
穏やかなヤマセの声が聞こえる。
多分ヤマセは、ダイニングルームまで行け、という意味で、下がれ、と言ったのだろう。でも、どうしても二人が気になってその場でしゃがみこむ。
二人に見えないように、そっとしゃがんだ姿勢で、コーリの座卓の横を通り過ぎて、カウンターの後ろにある背の高い棚の影に身をひそめた。
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