ご要望の鍵はお決まりですか?

晴なつ暎ふゆ

文字の大きさ
上 下
6 / 36
ユージロー

しおりを挟む


 ダイニングルームへと戻ると、コーリがのんびりと湯呑を傾けていた。
 入ってきたユージローと、ひらひらと手を振るヤマセを一瞥してその湯呑を下ろす。

「もういいのか?」
「はい。十分わかりました」

 軽く頷いたコーリは湯呑を調理台へと置いて、席に座ったユージローに体ごと向き直る。その反動で、前に垂れてきた細い三編みの髪。それを慣れたように後ろへとやって、で、と腕を組みながら尋ねてくる。

「大体の説明はしたが、何か質問はあるか?」

 考えるまでもなく、聞きたいことは山程あった。
 どうして此処に来てしまったのか、だとか、自分が誰なのか、だとか。
 でも恐らく、彼らもその答えを持ってはいないのだと思う。自分を見つけた時の彼らの言動は、まるでユージローの登場を予想していなかったような反応だった。その他にも聞きたいことはあるけれど、うまく言葉がまとまらない。
 ぼんやりと見つめたダイニングテーブルの木目は、ただ沈黙を返すだけで欲しい答えをくれるはずもない。
 一体これから先どうすれば良いんだろう。
 漠然とした不安だけが胸の内に広がっている。

「ま、最初のうちは何が分からないかすら分からないと思うから、その都度きいてくれれば良いよ、ユージロー」

 ハッと顔を上げる。柔らかな笑みを浮かべるのはヤマセだ。
 テーブル越しの彼が伸ばしてきた手に、肩をそっと撫でられる。
 その温かさが、今はとても有り難かった。何も覚えていないことに不安はある。でも、彼らが、急がなくて良い、と言ってくれているような、そんな気にさせてくれる。
 はい、という声は僅かに滲んでその場に溶けていく。

「当分の間は、此処で過ごしたら良い」
「……良いんですか?」
「もちろんだとも。管理しているボクが言うんだから。ね、構わないだろう、コーリ?」

 ヤマセの視線を辿るようにコーリを見れば、構わない、と頷かれる。てっきり迷惑そうな顔をされるかもしれないと思っていたのに、全くその様子がなかった。声にも迷惑だ、なんて感情は一切乗っていなかった。

「逆に此処以外でどこで過ごそうとしてたんだ?」
「ちなみにこの店には、あの扉以外の通用口はありませーん!」

 コーリに心底不思議そうに首を傾げられた上に、ヤマセのおどけた声にトドメを差されて、ぐうの音も出ない。
 此処に来た方法が分からない以上、帰る方法が分かるわけもない。その上あの扉から出ることも出来ないのであれば、必然的にユージローが生活できる場所はこの店以外ない。それが解ってしまえば、ユージローが言えることは一つだけだ。

「お世話になります」

 深々と頭を下げて、時間をかけて顔を上げる。
 コーリもヤマセも、少しだけ頬を緩ませて頷いてくれた。

「でもただ居候するのは、ちょっと気持ち的に申し訳ないので。何かお手伝いさせてください」
「えぇ!? いいのかい!? 助かるなァ!」

 いち早く喜んだのはヤマセだ。何やってもらおうかなぁ、なんてウキウキしているヤマセをよそに、コーリはまたまた深い溜め息を吐いていた。

「お前、それをユージローが言い出すの待ってただろ」
「えぇ~? ソンナコトナイヨォ~?」
「お前の声がそうだって言ってんだよ」

 買い言葉に売り言葉。
 そんな二人を見ていたら、なんだか笑えてきた。そのはずだったのに、ふと目頭が熱くなって視界が滲んでいく。止める間もなく落ちていく一つの雫。ズッと鼻を啜ったのが聞こえてしまったのか、戯れの口論をしていた二人の声がピタリと止まる。

「本当にありがとうございます。すいません、僕っ、なんか、安心しちゃって」

 乱暴に服の袖で目元を拭う。
 よくよく見れば、自分はくたびれた白いシャツのようなものを着ていた。履いているのは黒のダボついたズボン。そんなことにすら今まで意識を向けられなかった。自分が置かれた状況を把握するだけで精一杯だった。
 もしも、自分のことを迎えたのが彼らのようなヒトじゃなければ、どうなっていただろう。それを考えると恐ろしくてたまらない。たまたま、彼らが親切だったから良かった。今自分がいる世界にどんなヒトがいるのか、全くわからない。それこそ人間を食べるような存在もいるかも知れない。
 そんな中で、彼らの元に来ることが出来たのは本当に幸運だった。
 不意に、ぽん、と頭に乗った手。
 コーリだった。わしゃわしゃと犬を撫でるように手を動かした彼は、言った。

「時が来たら、お前が何のために此処に来たのか、それも分かるさ。此処は、そういうところだ」

 はい、と返した声はやっぱり滲んでしまったけれど、彼らはバカにすることはなかった。
 こんな温かさに触れたのはいつぶりだろうか。
 そんな疑問がふと浮かんで、シャボン玉が弾けるように消えていく。

 数度同じような柔らかさでユージローの頭を叩いたコーリは、作業に戻る、と言って扉の向こうへと消えていく。パタン、と扉が閉まると、ふふっ、と笑った声が聞こえてヤマセへと目を向ける。

「ボクのセリフ取られちゃったなぁ」
「ははっ、そうなんですか?」
「そうだよ、ああいうのはボクが言うって相場は決まってるんだ」

 わざとらしく肩を竦めて、でも、と言ったヤマセは、セリフが取られた、という割に穏やかな笑みを浮かべていた。彼の瞳で反射するダイニングの明かりが、柔らかく揺れる。

「良かったね、ユージロー。コーリは好き嫌いがはっきりしてるから、嫌な時はいやだって言うんだ。あの子も君なら良いって思ったんだろうね」
「……そうだと良いです」
「そう思われてる自信がない?」
「実は、はい、あまり」
「そっか」

 それ以上ヤマセは深く聞かなかった。
 ただそっと温かいお茶を、冷たくなった湯呑に注いでくれた。

 湯呑のお茶を飲み干すと、じゃあ行こうか、と声を掛けられて訳のわからないまま、店へと戻った。工房ではコーリが既に何かの作業をしている。こちらに目をくれることもなく黙々と作業をしている横顔は、とても真剣だった。声を掛けることもなく、ヤマセは足を進めていく。
 丁度ユージローが最初に居たところで足を止めたヤマセが、何を思ったのか、壁を両手で押した。がちゃりと音を立ててその壁が横へと開く。すると、そこに階段が現れた。
 隠し扉だよ、という言葉に感心しながら、その階段をヤマセに倣って登る。

「のちのち出た疑問は、遠慮せずに聞いてくれたら良い。ただ、今の君に必要なのは休息だ」

 きゅっきゅ、と音を立てる階段。
 二つ飛ばしで隅の方に置かれた灯りが、足元を温かい色で照らしている。

「朝とか夜とかそういう概念は此処にはないから、好きな時に起きて好きな時に寝てくれ。くれぐれも遠慮はしないこと。もちろん、寝ないことも可能だ」
「可能なんですか」
「可能だね。今の君なら」

 キシキシと階段が鳴く。ヤマセは振り返ることなく、階段の通りに登っていく。

「今の君は少し特殊な存在でね。ボクたちと同じように食事も要らない。でも睡眠は別」
「コーリさんは寝なくても平気なんですか?」
「平気じゃないけど、コーリは寝溜めが出来るから。コーリ自身のリズムがあって、作業がある程度終わると、一気に睡眠を取る。だからあの子にも気を使う必要はないよ。でも眠気が来たら、ちゃんと寝ること」
「でも寝ないことも可能なんですよね? どうしてですか?」

 やっと階段を登りきる。
 ぱちりと電気が付いた音がして部屋がはちみつ色に包まれた。
 屋根裏部屋というには広い空間に、二つの大きなベッド。その向かい側に小さなタンスがあった。ベッドの間には、カーテンが引けるようになっていた。窓はないが、木特有の爽やかな香りがその部屋全体に広がっている。

「今のユージローにとっては『睡眠』というよりも『夢』が重要なんだ」
「夢、ですか?」
「うん」

 奥にあったベッドの傍まで歩を進めたヤマセの後ろに続く。
こっちがユージローのベッドね、と言うとユージローをそのままに、今度はタンスから何やら取り出して戻ってくる。

「夢は記憶の整理とも言うだろう? あ、これはお手伝いの時に付けるエプロンね」

 記憶、という言葉に肩をゆらしても、ヤマセは変わらない笑みを浮かべたままだった。
 その反応できっとバレてしまっただろう。ユージローと言う名前が偽りで、記憶がないことが。
 差し出された黒いエプロンを受け取って枕元に置く。その間にユージローがベッドに入り込みやすいように掛け布団がどかされて、ベッドに入るように促された。
 恐る恐る、しかし確信に似た言葉を投げかける。

「……やっぱりヤマセさんには、僕に記憶がないことがバレてるんですね」

 眉を下げて笑われて、そりゃあね、と肯定された。

「見たら分かるよ」
「そんなにわかりやすいですか、僕」
「いいや。君は隠すのがとても上手だよ」

 漏れた笑いを隠さずに靴を脱いで入ったベッド。
 ふかふかとして温かかった。ヤマセが掛けてくれた布団のおかげで、余計にふわふわと包まれる感覚が気持ち良い。全身から力が抜けていく。

「記憶がないと言わなかったこと、怒らないんですか?」
「どうして怒るんだい?」
「だって僕は隠し事をしたから」

 彼らは包み隠さず教えてくれたのに、自分はそれを裏切るような事をしたんじゃないかと思う。しかしヤマセは、柔らかな笑みを崩さなかった。それどころか、困ったような声で言う。

「誰しも隠し事はある。ボクにも、コーリにもね。それに全てを相手に言うことが、正しいこととは限らない」

 そう、なのだろうか。微かな記憶しかないけれど、隠し事はするな、と言われる方が多かったような気がする。

「まあ、そんなことはどうでも良くてね」

 ゆったりとした声色が、ユージローを眠りへと誘う。
 微睡んでいく意識を止めらない。
 閉じかけの瞼のせいで、瞳はもうヤマセの姿を捉えることは出来なかった。

「夢は、一種の扉なんだ。誰もが行くことが出来る、異世界への扉。その扉を開くことが、今の君には大事だからね」

 だから今はゆっくりおやすみ。

 その言葉が耳に届く頃には、ユージローの意識は完全に眠りの海へと沈んでいた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

複雑で単純なこと

すずねこ脚本リスト
ファンタジー
高校の通学中にふと書き留めた物語を手直ししました。 気づいた時からひとりぼっちな男の子。 部屋から出ることを許されず、日の目を見ることも認められなかった。 必死に扉を叩いても、必死に叫び続けても 誰も救い出してはくれない世界。 ここはそういう場所。 誰も彼を見てやしない。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...