あいこくのうた

晴なつ暎ふゆ

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はじまりとおわり

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【X日】


 こんなはずじゃなかった。

 ある男は、そう思った。
 辺りに鳴り響く、爆発音と銃撃音、大衆の悲鳴。
 どうか夢であってくれ、と思いたい現実が今目の前にあった。

 こんなはずじゃなかった。
 
 ある男はまた、そう思った。




【X日から10年前】


 チカチカと四角い画面にフラッシュが写っている。
 フラッシュの中央で、アイ国の指導者が笑顔で手を振っていた。「アイ国を更に強固で素晴らしい国へ!」と書かれたテロップと、少し興奮したキャスターの声が指導者の就任を讃えていた。
 街の一角にある飲食店のテレビが映すその映像を、ぼんやりと青年エイは眺めていた。
 テレビの中の指導者はこの前の国民選挙で、選ばれた人間だ。
 大勢から選ばれるのってどんな気分なんだろう。
 そんなことをエイは考える。
 笑顔の裏には血の滲むような努力があります、なんて漫画やアニメでよく聞くセリフだ。それは決まって成功者に付随する言葉達で、エイには無縁の言葉だった。
 時々ゲームをやったり、時々彼女がほしいと思ったりする、どこにでもいる普通の学生。
 それがエイだ。今日もダチの授業が終わるのをこうして適当なラーメン屋で過ごす程度の、ごく普通の学生。
「全く、どいつもこいつも頭がおかしい」
 不意にそんな声がカウンターから聞こえてきた。
 少しきつそうなベルトから、ワイシャツが少し出したサラリーマンがラーメンを啜りながら、言ったようだった。
「愛国心だなんて、馬鹿馬鹿しい。こんな奴を国のリーダーに選ぶなんて。そうは思わんか、店主」
 独り言なのかと思ったら、ラーメン屋の店主に話しかけているらしい。
「どうかねぇ。最近物騒だし、多少そういうのもあったら良いんじゃないかね」
「まさか店主もコイツに票を投じたのか?」
 語気を荒げるサラリーマン。まさか、と苦笑している店主を見ながら、エイは内心溜め息を吐く。
 政治の話をするなんて、どれだけ暇なんだあのオッサン。ああいう傍迷惑なオヤジにはなりたくないもんだ。そんな無駄なことを話したところで、決まったことは決まったことなのに。一般市民が口出ししたところで何も変わらないのに、わざわざ口に出すなんて。馬鹿らしいにもほどがある。だいたい投票なんて面倒だし、自分の一票で何かが変わるとも思わない。政治なんて誰がやったって一緒だ。そういうことは専門家に任せておけば良いのだ。政治の話をするくらいだったら、ゲームの話をしていた方がまだ有意義だ。
 やれやれ、と肩を竦めたのと同時に、ポケットの携帯端末が鳴った。
『もうすぐ着く~』
 のんきなメッセージに、了解、と返信をして、またエイはぼんやりとテレビを眺めることにした。
 画面は、コメンテーターやアナウンサーの大げさに見える、新しい指導者への称賛へと既に移っていた。



【X日から9年前】


「エイ~! 久しぶり!」
 エイの姿を見るなり駆け寄ってきたのは、幼馴染であり同じ学校に通っていたシイだ。
 シイはエイと同じ大学校に進学してすぐ、外国への留学を決め、三年という月日を国外で過ごし、今日やっとアイ国に戻ってきたのだった。
「元気だった?」
「お前こそ元気だったか?」
「もちろん!」
 ニコニコと笑う彼女は、もう家族みたいなものだった。外国に旅立ったときから少しも変わっていない様子の彼女に、内心ホッとした。
「外国かぶれしてないみたいで安心した」
「ふふ、なにそれ。とりあえず喉乾いた! どこかカフェに入ろ~」
 そういうとさっさとカフェを探しに行ってしまうところも変わっていない。そんな彼女を追いかけて、彼女が気に入ったカフェに一緒に入った。

 店内にラジオが流れている。
 アイスカフェオレを二つテーブルに並べて向かい合って座る。
「なんか、変わっちゃったね」
 きょろきょろと店内を見回していたシイが言った。一瞬何のことか分からなくて、間抜けな声が出る。
「え?」
「あ、エイが変わったとかじゃなくてね。なんか、アイ国が変わったなぁって」
 目を伏せたシイの表情が少し沈んでいるように見えるのは、多分気のせいではないだろう。しかし、シイが指摘するような『アイ国が変わった』ということにはあまり実感がない。
「どのへんが?」
 純粋に分からなくて聞いたのだが、シイは驚いたように顔を上げた。
「え、どのへんがって。街頭の広告とか、いろんな制度とか変わったし、カフェにだって昔は普通の音楽流てたのに、変なの流てるし」
「そうか? 三年離れてたからそう感じるだけじゃね?」
「え、いやだって、女は絶対結婚して子ども産まなきゃいけないとか、ネットで指導者の批判しちゃいけないとか、ヘンテコな制度増えてるじゃん!」
 シイが声を荒げる。それを聞いても、嗚呼、くらいしか思わない。
「まあ上のヒトが決めたことだから仕方ないんじゃない?」
「仕方ないって……」
「だって、指導者は今更変えられないわけだし。まあそもそも俺は男だから関係ないし、政治のことも頭いいヒトの考えることも、よくわかんないからどうでもいいし」
 そう言えば、シイはあんぐりと口を開けたまま固まった。
 信じられない、と言いたげだが、何が信じられないのかもよくわからない。
「っていうかさ、そんな面白くない話は置いといて、もっと他の話しようぜ。シイが留学してた国のこととかさ」
 へらりと笑った。シイはゆっくりと口を閉じて、頭を下げた。
 カラリとアイスカフェオレの氷が音を立てる。
「エイもこの国も変だよ。どうして、そんな他人事みたいな顔できるの?」
 悲痛な声であることは分かるのに、どうしてそんな声を出したのかは分からなかった。



【X日から5年前】


「隣国がまた国境付近で軍事演習をしました」
 そんな声がテレビから聞こえてくる。
 僅かに顔を上げたが、そんなことにかまっていられるほど暇ではなかった。今は一刻も早く目の前の仕事を終わらせるのが重要だ。さっさと終わらせないと、上司がまた嫌味を言って来るに違いない。
「なあ聞いたか、ジイ」
 隣から声をかけてきたのは、ケイだった。
「喋ってないで手を動かせよ」
 小声で注意したら、ちゃんと手は動かしてるって、と笑ったような声が聞こえてきた。
「今度から、酒が禁止されるらしいぞ」
「は? なんだそれ」
「なんか、テレビで言ってた」
「はあ? 本気で言ってんのか」
「らしい。ついこの前にゲームが禁止されたのにな」
 ケイの言う通り、この国ではゲームが法律によって禁止されている。
 しかしジイには関係のない話だ。確かにまだ働きに出ていない数年前だったら、困るようなことだった。でもいまでは、朝から晩まで勤め先に張り付いている。帰ったら飯を食って寝るだけ。寝て起きたらまた勤め先に行かなければいけない。そんな中でゲームなんてやっている暇がない。
「上の考えることはよくわかんないな」
「ほんとにな。まあ酒飲む時間もないからいいけど」
「俺、帰ってから酒のんで寝るの好きだったんだけどなぁ」
「ケイって酒強かったのか」
「いや? 一缶だけ」
「喋ってないで仕事しろ!」
 上司の鋭い声が飛んできて、二人はすぐさま黙る。
 不意に顔を上げる。窓の外はもう夜の帳が降りている。向かい側にあるビルにも、自分たちのように手を動かしているヒトがいるのが見えた。
 まあ皆同じだしな。仕方ないか。
 そんなふうにジイは思いながら、また手元の作業に戻ることにした。


【X日から三年前】


 がたん、と揺れる電車に合わせて、体が揺れる。
 車体の天井からぶら下がる広告には『アイ国バンザイ!』『アイ指導者バンザイ!』『隣国に屈するな』などと言う文言が並んでいる。
 それを無感情に見てから、周りの人間に寄りかからないように姿勢を直して、端末の画面を覗き込む。
 携帯端末でネットを泳ぐのが、毎朝の日課だ。
 ヴヴ、と振動したと思ったら、ニュース速報のバナーが表示された。
『国家への批判をしていた非国民ら、逮捕』
 またか、と思う。
 今回はクリエイターが捕まったらしい。この前は漫画家が捕まっていた。その前は有名なイラストレーターだったか。有名作家なんかもいた気がする。更にその前は抗議活動をしていた集団が全員捕まっていた。
 そういうニュースは多すぎて、慣れてしまった。
  どうしてそういう無駄な時間を過ごすんだろう。暇で羨ましいな。私達はこんなに毎日毎日働きに行っているのに。
 はあ、と小さく息を吐いて、またネットへ目を向ける。
 ガタン、とまた電車が大きく揺れた。



【X日から一年前】


「国民の皆さん」
 そんな声とともに、その緊急放送は始まった。
「我々アイ国に脅威が迫っています」
 鬼気迫る表情だった。
 アイ国の指導者が、瞳に強い光をともして言った。
「隣国のウイ国が、遂に我々に戦線布告をしてきました」 
 その国営放送を見ることは、全国民に課された義務だった。
 見ない者は死刑に値する、などという御触書すらだされたくらいだった。
「皆さんの力が必要です。力を貸してください。詳細は追って通知いたします。我々もみなさんとともに、アイ国を守り、最後まで戦い、更に発展させていきます!」 
 テレビの中から喝采が聞こえる。その放送を見ていた国民も、一人、また一人と拍手を始める。
 その拍手が聞こえたかのように、指導者は満足げにうなずいた。
「ウイ国という強敵を倒し、我々の平和を勝ち取りましょう! 今こそ正義の鉄槌を、ウイ国に!」
 
 その決定に、反論する者は既にいなかった。



【X日から30年後】


「先生、結局アイ国はどうなってしまったんですか?」
 そんな質問が、生徒から飛んだ。
 その質問に、シイは眉を下げて笑った。
「アイ国は皆さん知っての通り、ウイ国と同盟を結んだワイ国によって粛清されました」
「アイ国の人たちはどうなったんですか?」
 また別の生徒から質問が飛ぶ。
「大半は先の戦争で亡くなりました。生き残った方も散り散りになって、今ではウイ国、もしくはワイ国に亡命しているヒトがほとんどだと言います」
「このウイ国が戦線布告をしたというのは本当ですか?」
 シイは静かに首を横に振った。
「私はアイ国の人間ですが、当時既にウイ国にいました。宣戦布告をしたのはアイ国です。ウイ国の王はアイ国に話し合いを持ちかけましたが、聞く耳を持つことはありませんでした。ある日突然アイ国は何の前触れもなく、ウイ国に侵入し武力を行使しました。止む無くウイ国王は親しかったワイ国に助けを求め、こういう結果になりました。多くの血が流れました」
 一度言葉を切ったシイは、耐えるように下唇を噛んだ。なんとか涙腺から零れ落ちそうになる涙を飲み込んでから、顔を上げる。
「こういうことはあってはいけないと、先生は思います。私達が生きているウイ国も他人事ではありません」
「じゃあ僕達は、どうしたらいいでしょうか?」
 恐る恐る生徒が尋ねる。
 ふいに思い出したのは、おかしいと思わないのか、と聞いてもへらへらと笑っていた幼馴染。
 今彼が生きているのかも、どうなったのかもわからないままだ。
 微笑んで、シイは言った。
「思考を放棄しないこと。自分には関係ないと切り捨てないこと、かなと思います」
 


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