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ノエル 2-3
しおりを挟む「そこで俺は言ってやったわけよ、本当にお前にあの人が護れるのか、ってさ」
カランと鳴った氷の音が心地良い。
ライエルの声は大分上機嫌で、頬を酒で紅く染めたまま更に酒を煽る。それをぼんやりと眺めながら、ノエルはそうかぁ、なんて間の抜けた相槌を打った。もう随分と飲んだせいか、思考すらも酒に浸されて論理的な思考は持てそうにない。それでも気にしなくて良い空間の中で、ライエルがまだ口を動かしているのを見ながら、ピアス痛くないのかな、なんて全く場違いなことを思う。
「でもあいつは何の躊躇いもなく、護ってみせるなんて言うんだよ。俺が言えなかったことを簡単に言ってみせるんだ」
あー、なんて言いながら乱暴に頭を掻くライエルの話なんて、きっと頭にこれっぽっちも入ってない。
でも彼の状況には身に覚えがある。
ピリッと焦げ付くような苛立ちに隠された、羨望。
それをノエルはよく知っている。
「俺よりあとに入ってきたくせにさぁ、あっという間に俺より先を走ってんだよあいつはさぁ」
もうやってられないぜ、と肩をすくめた彼の背を、優しく叩いてやる。
「それは災難だなぁ」
「だろ? 俺の身にもなってくれよって感じなんだわ」
その言い分にはノエルにも心当たりがある。
自分よりもあとに入ってきた、自分よりも優秀な後輩。
ノエルにとってしてみれば、ジークがまさにそうだった。
何をするにも自分よりも先を見据えていて、ノエルができなかったことを簡単にやって見せる。勝手に前を走って、知らず知らずのうちに翻弄されて。
ライエルの言うとおり、こっちの身にもなってほしい。
そんな生き方ができたら、とノエルが考えていることを、ジークはいとも簡単にやってのける。
あれこれと口を出されることに腹が立つのは何故か、知っているのだ。ノエルはジークが羨ましくてたまらない。自分よりも大きく頑丈に見える体も、男ではなく女を惑わせるような端正な容姿も、頭の回転の速さも、腕っぷしの強さも、自分のようにカッとならないところも全部。余裕があるように見えて、いつだって余裕がないのはノエルの方だった。
どんなふうに生きたら、そんなふうに生きられるのか知りたいくらいだった。
でも、と考えるたびに思う。
きっと自分はジークのようには生きられない。
最低な恋人に出会ったせいじゃない。それはただの結果だ。元恋人に復讐したいのだって、突き詰めればきっと家族のためではない。穢された自分の矜持を、同じように穢してやりたいだけだ。自分が落ちた深い闇よりも深く、絶望渦巻く奈落の底に落としてやりたいだけ。
見も心も汚いところを持った自分が、ジークのようになれるわけがない。
心のつくりがまず違う。
そこにあるものをあるがままに受け取るジークと、そこにあるものを完璧なものに見せようとする自分は、違いすぎる。
ふいに視界が滲んで、カウンターに置いていた手の甲にぽつりと雫が落ちる。
「ノエル、お前……」
ライエルにかけられた声に視線を向ければ、クリアになった視界の中で少し目を見開いている彼と目が合う。ズッと鼻を啜って、また落ちそうになった雫を乱暴に服の裾で拭う。
なんでもない、と言った声は滲んでいた。
説得力がないと自分でもわかるが、これはライエルにどうにかできる問題じゃないのだ。涙なんて余程のことがない限り出ることなんてなかったのに。そう思ってもぽろぽろと落ちる雫はまだ止まりそうにない。
ライエルは深く聞かなかった。その代わりに、肩をそっと撫でてくれる。無理な慰めでもいやらしさでもない、ただ労うようなその温かさが今は有り難かった。
「本当にジークのやつ、何様のつもりだってんだ」
構うなと言っても構ってくるジークが、憎たらしいのに憎めない。
突き放してしまえばいいと思うのに、そうできない。
これもまた自分の心の問題なのだろう。八つ当たりだと自分でもわかる。それでも、やめられない。やめられない自分がまた馬鹿らしくて仕方がない。
「あいつみたいに、心のままに生きられたら、いいのに」
ぽつりと落ちた声が、ライエルに届いたかどうかも分からないまま、机に突っ伏した。
肩を撫でる手は、相変わらず温かで優しかった。
***
「それじゃあ、あとはよろしく頼むわ」
わずかに浮上した意識の中で、そんなライエルの声が聞こえる。いつの間に眠ってしまったのか。酒の飲み過ぎで寝落ちてしまったことはどうにかわかる。瞼を持ち上げようと試みるのに、どうにも重たくてできない。耳だけを澄ませていると、大きな溜め息が聞こえる。
この溜め息の吐き方は。
「ノエルさんは俺が預かりますけど、……あんた何者ですか?」
ジークだ。初対面の人間に敵意を剥き出しにするな、と何度も言ったはずなのに、後輩には少しも伝わっていないらしい。低い声で威嚇している彼に、呆れ半分ジークらしくて笑ってしまう。
「ノエルにとって浅くも深くもない仲だが、それをお前に言う必要があるか?」
応戦するような挑発的な物言い。
顔が見えなくても、今ライエルがどんな顔をしているのかは容易に想像できる。
棘のある人間には同じような棘で返すライエルと、何でもかんでも直球すぎるジークは少々相性が悪いのかもしれない。
もしかしてこのまま取っ組み合いとかしちゃうのか? なんて思考が緩くなった頭で思っていたのに、少しの沈黙のあと、ないですね、と平坦な声が聞こえた。
「いきなり食いついてすみませんでした。知らせてくれてありがとうございます」
「ああ、俺も困ってたところだったから助かった」
なんだよ、喧嘩の一つでもここでやって見せてくれればもっと面白かったのに。
そんなことを思っていたら腕が持ち上げられて、ふわりと嗅ぎなれた香水が鼻腔をくすぐった。未だにぬかるんだままの頭を僅かに持ち上げて、見えた視界はぼやけているものの、誰がいるかは判別出来る。
ひらひらとライエルに向かって手を振れば、フッと小さく笑われる。
「ノエルもあんま無理すんなよ。人は気付かないうちに頑張りすぎてて、突然倒れる事もあるからな」
くしゃくしゃと髪を掻き混ぜたその手が何か小さな紙を持っていることに気付いたのは、Tシャツについた胸ポケットにその紙を入れられた時だ。何これ、と問おうとしても声は出ず、僅かに首を傾げる。
「酔いが醒めたら見たら良い。それから、」
不意に視線をジークへと向けたライエルが、彼の耳元で何かを囁いている。読唇術も使えないように手の甲で隠された口元。僅かにジークの肩が揺れた事だけはぼんやりと見えた。
「じゃあな、お二人さん」
ひらりと手を振ったライエルは、そう言って二人分の代金をカウンターに置いて、此処にはもう用はないと言いたげに店から出て行ってしまった。
ノエルの身体を支えるジークの手に僅かに力が入ったのをぼんやりと感じる。
珍しい事もあるもんだな、とまた緩み始めた思考に逆らうことなく、ノエルはまた意識を落としたのだった。
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