ブラックバードジャーニー

晴なつ暎ふゆ

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ノエル 2-2

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「あれ、珍しい奴がいるじゃん」
 カランと手元のウイスキーに浮かぶ氷が音を立てたのと、背に声が掛かったのはほぼ同時だった。

 ノエルが結局足を運んだのは、昼間からやっている酒場だ。
 ならず者たちが多く集まるものの暴動が起きるわけでもなく、他人に不干渉なこの酒場に来るのは余程の考え事をするときだけで、最近は殆ど足を運んでいなかった。だが、今日ばかりは酒でも飲んでいないとやっていられなかったのだ。
 カウンターで一人酒を決め込んでいたノエルには、誰かが騒いだ声も意識の外に追いやられていたのに、背中に掛かった低音だけは妙に耳に通った。
 くるりと振り返った先。
「よお、ノエル。久しぶりだな」
 スーツを身に纏っていると言うのに、ネクタイも第一ボタンも止められていない。両耳には所狭しとピアスが並び、耳たぶからはぶらりと銀色の細長い三角形がぶら下がる。楽しそうに跳ねる明るい茶髪に、軽薄そうな笑み。明らかにチャラそうなその男は、ノエルと目が合うとその笑みを一層深くした。
「……ライエル? 何でお前が此処に?」
 グッと眉を寄せてしまったのは、彼が余程の有事がないと此処にいる筈がない人間だからだ。といっても、頻繁に来なくなったのは五年ほど前からなのだが。
 
 ライエルは、この街の人間ではない。
 この街よりももっと奥地にある閉鎖的な街の人間だ。ノエルはその街に足を運んだことはないのだが、あそこは悪の巣窟だ、と同業者が身体を震わせる街らしい。抗争が激しく弱者は生き残れない。悪い噂もよく聞いた。一強の組織が悪政を敷いているとも。ノエルがこの世界に入ったときは、よく噂を聞いていたものだけれど、そういえばここ二、三年くらいは聞いていない。
 元々優秀な情報屋だったライエルが、あの街の組織に身を置くことにした、とベッドの上で言った日のことをよく覚えている。五年以上前だ。軽薄な笑みは当時、今よりももっと薄っぺらいもののように感じていたけれど。組織に入った後時たま会う度に、前よりもずっと顔に感情が乗るようになっていった。その変化に少しだけ寂しさを覚えたのは、彼には一生秘密だ。

 というか、ピアス増えてやがる。
 白い目で見ていたノエルに構わず、何を当たり前の事を、と言わんばかりにライエルは喉で笑う。
「何でって、俺がすることと言えば一つだろ?」
「ハッ、そういうところ変わんないな。情報収集か?」
「正解。……マスター、コイツと同じのを一つ」
 カウンターの向こう側にいる無口で恰幅の良いマスターにそう告げてから、ライエルは当然のように隣に腰を下ろした。肘を付いて薄ら笑いを浮かべたままこちらをじっと見てくるライエルを、何だよ、と睨み付けてやった。
「いんや、随分暗い顔してんな、って思ってよ」
「俺だってたまにはそういうこともある」
「まあ人間だからな」
「じゃあ何で言ったんだよ」
「珍しいなって思ったから」
 コトリと置かれた琥珀色が注がれた同じグラス。さんきゅ、とマスタ―へと声を掛けたライエルはグラスを片手にまた、ノエルへと向き直った。
「俺でよかったら聞くけど」
 笑みと同じような軽さの言葉に、じとりと半目を向ける。
「とかいって俺から情報をタダで抜き取る気だろ」
「しねーよ。ていうか、お前から聞かなくても大抵の情報は筒抜けだから」
「はあ? ウチが脇甘いみたいな言い方すんな」
「してねーし、したらお前のとこのお偉いさんに殺されるだろ」
 くくく、と喉を鳴らしてどこ吹く風のライエルに結局ノエルが黙るしかなかった。
 こんな軽口も叩くようになったのか。否、もともとこういう奴だったけれど、俺への気遣いなんて見せるようになったなんて驚きだな。
 前までの彼は必要以上に相手に踏み込まないような、風のような人間だった。情報を手に入れたらそれで終わり。のらりくらりと人と人とを渡り歩きながら、淡々と情報を収集する彼の手際の良さを分けて欲しいくらいだったのに。
 頬杖を付きながら顎を上げて、フンと鼻で笑ってやる。
「じゃあ俺の為を思って聞いてくれてるってわけか?」
「まあそうとも言うかもな。知らねー仲じゃないし」
「利害関係が一致したただのセフレだったくせにかよ」
「ふはっ、その生意気な口は健在か」
「五月蠅いな、ほっとけ」
「年上に向かって五月蠅いはねーだろ」
「一つしか変わらないだろ」
「一つだけでもそれなりに人生経験はしてると思ってるけどな」
 カラリと氷がグラスにぶつかる音がする。怒った素振りもなく酒を煽るライエルを目の端に捉えながら、ノエルもまた小さく酒を煽った。
 嗚呼嫌だ、と思う。
 昨日からずっと自分の小ささばかりが目に付く。組織に入ったのはノエルの方が早いのに、ライエルは悩みなんて殆どないと言いたげに清々しい顔をしている。悩みはないのか、なんて聞いても絶対、ないよ、なんて笑って言うんだろう。
「お前が話さないなら、俺の話聞いてくれよ、ノエル」
「はあ? 何の話だよ」
「愚痴っていうか、不満、みたいな?」
 だというのに、視線を宙に投げたままライエルが思ってもみなかったことを言って来るから、ノエルは大きく目を見開く。それに気付いたライエルが首を傾げた。
「なんだよその顔」
「え、いや、お前にも悩み? 愚痴? があるのかって」
「そんなに俺って脳天気に見えんの? 心外だな」
 ライエルは、はああ、とわざとらしく息を吐いて頭を下げている。
 別にライエルのことを脳天気だと思った事は一度もない。でも、随分と頭がよくて出来ないことは何もないような万能人間だと思っていた。現についさっきまで悩みのない人間なのかと思っていたところだったから余計にだ。
「そうじゃない。だって、その、お前は清々しい顔してるし、お前のこと万能人間だと思ってたから」
「万能人間ってマジかよ」
「マジだよ」
「へえ? 俺にとったらお前の方が余程そういうふうに見えるけど」
 俺は料理とか絶対出来ねーし、と可笑しそうに笑われる。そんなの俺も出来ないし、と言っても笑いを止める気はないらしい。ひとしきり肩を揺らした後、手に持っていたグラスを揺らしながら、ライエルは言った。
「誰にだって何かしら出来ないことはある。みんな見えないところで必死に出来るようにするだけで、最初はみんな出来ねーもんさ。まれに天性ってやつを持ち合わせてる奴もいるけど、そいつらだって磨かなきゃ腐るだけだ」
 何処か遠くを眺めながら紡がれた言葉には、心当たりがあった。ノエルに出来ないことがあるように、横にいるライエルにも出来ないことがある。
 出来なかったことが出来るようになったこともある。元々得意な事を磨き続けている内に自分の武器になったこともある。
 お前だけが出来ないわけじゃない、と言われた気がした。胸の奥にずっと居座り続けていた邪魔な石が崩れて、胸が軽くなっていくような感覚すらある。
 ふっと漏れた笑いは、今日一番の温度をしていた。
「まさかライエルから、そんな賢人みたいな言葉聞くとは思ってなかったな」
「俺の人生観、って言えたら格好良かったけど、これはある人の受け売りなんだよな」
「バーカ。何で言うんだよ、言わなきゃバレなかったのに」
「俺にとっても大事な言葉だから嘘は言いたくねーの」
「へえ? そんなに大事なのか」
「まあな」
 ウイスキーを飲み干したライエルは、もう一杯、とマスターに要求していた。そんな彼の口元には、そんな顔をする奴だったか、と聞きたくなるほど柔らかな笑みが乗っていた。
「仕方ないから、愚痴、聞いてやるよ」
 気付けばそんなことを口にしていて、目を僅かに見開いたライエルがニッと歯を見せて、じゃあ遠慮なく、と笑った。



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