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ジーク 1-3
しおりを挟む「おい! ジーク! 聞いてるのか!」
後ろで喚いているノエルを無視して、大股で歩く。
外はすっかり夜の帳が下りていて、大通りを歩く人間もまばらだ。そんな道を大股で歩く。ジークの方が背が高い分、足も長い。パタパタと小走りのような音が聞こえてくるのを余所に、返事もしなければ振り返りもしないまま、先を行く。オイ待てって、と聞こえる声も当然無視だ。
待てるわけがない。今にも爆発してしまいそうな怒りが腹の底でマグマのように湧き上がっているのだから。今ジークを止めようとしている張本人が、別の手で情報を掻き出そうとしてくれたなら、耳を貸す余地もあった。
けど、と思う。いつもそうだ。ノエルさんはいつだって自分を大切にしない。何度言ったって変わらないことを十分に解っているから、余計に苛立つ。自分を大切にしないノエルさんにも、何も出来ない自分自身にも。
「待てって言ってるだろ!」
ぐいと腕を引っ張られて足が止まる。目だけで彼を見れば、僅かに息を切らしている。あれだけきちりと結んであったネクタイは緩み、ベストのボタンは嵌まっていない。そんな格好をして俺を追いかけてきたのかこの人は。また怒りが湧いて出る。
「なんであんなことしたんだよ」
「あんなこと? 何の話ですか」
「惚けるな!」
大きな声を上げたノエルだったが、周りに聞かれるのを警戒したらしい。強く腕を引かれた。されるがまま大通りから外れた路地に連れ込まれて、壁に押しつけられる。下から睨む蒼い瞳が車のヘッドライトを反射した。その眼差しに込められたものは怒りなのは良く解るが、今のジークには全く怖くなかった。それどころか、逆に怒りのボルテージが上がっていく。
「ターゲットから情報を聞き出そうとした途中で、脅すバカがいるか!?」
最小限に抑えられた声。滲み出た怒り。
仕事を取られた、と思っているのかもしれないな、と他人事のように思う。そんなことを考えながら無言で見下ろすジークの胸ぐらが、ぐっと掴まれた。
「情報を聞き出す為に必要なら枕もするって言っただろ。なんであんなことした」
そんなの決まってる、と言ってやりたかった。
ジークだって邪魔をしたいわけではない。いつだって任務を着実に遂行したいに決まっている。
でも、あんな光景をみせられて、黙っていられる筈などなかった。
格好ばかりが小綺麗な男の無骨な指が、ノエルのシャープな顎を掬い上げて。コイツを抱くと意思を持って蠢く手指が、ノエルの体を這って。抵抗空しくベッドに押し倒されたノエルに、伸し掛かった男の下卑た笑みを見て。
黙っていろというのか。そんなこと出来るわけがなかった。少なくともジークには無理だった。
見ていることしか出来なかったあの頃とは違う。
その想いがジークを突き動かした。
「そこまでだ」
忍ばせていた銃を男に突きつけて、妻子にバラされたくなければ情報を寄越せ、と冷ややかに言い放った。殺さないでくれ妻と子には言わないでくれ、と冷や汗をだらだらと掻いていた男とは違い、ノエルは驚いたような顔をしていたのが目の端で見えた。それでも止められなかった。余程バラされるのがイヤだったのか、胆の小さい男は滔々と欲しい情報を喋ってくれた。男が喋る内容を用意していたテープレコーダーに収めて、衣服の乱れたノエルを置き去りに、足早にその場を後にしたのだ。
それが数十分ほど前。そして、ノエルが怒りを露わにしている原因だ。
「じゃあ逆に聞きますけど」
止めておけ、と頭で思うのに口は止まりそうになかった。此処で言わなければいつ言うんだ、と言わんばかりに、回り出した口は理性とは関係なく言葉を紡いでいく。
「枕なんてしなくても、あの男から情報は聞き出せましたよね? 俺たちのシゴトは情報をターゲットから奪うことで、枕をすることじゃない。他に手があるのならそれを使うべきでしょう? 実際に欲しい情報は手に入った。なのに俺に食いつくなんてお門違いだ。違いますか?」
冷静な声で捲し立てるジークに、ノエルはぐっと唇を噛み締めた。
嗚呼、そのまま噛んでたら切れてしまう。
伸ばしかけた指先を、爪が手に食い込む程握り締めることで抑えた。お門違いなのはどちらだ。そんなことは、ジークだって解っていた。ジークが怒りをぶつけるべき相手はあのクソ男でも、ノエルでもない。他でもない自分自身だ。あの光景をみせられて、ノエルを押し倒すのが自分だったら、と一瞬でも夢想した自分自身だ。ノエルの体を思って枕をさせたくないと思っていることが、ただの建前でしかないことをまざまざと見せつけられてしまったから。あのクソ男と同レベルの感情を、ノエルに抱いている自分が。暴れ回りたいほど情けなくて。
「兎に角、俺はクロエさんに報告に行くので。先輩は先に戻って休んでください」
これ以上ノエルの顔を見ていられないと思ったから、そう言い残して消えようとした。そのジークの腕を掴んだのは、他でもないノエルだ。何ですか、と冷たく言い放とうとした口が固まる。ノエルが、目元を赤くしてジークを睨んでいた。
「お前も、俺の事役立たずだって思ってるのか」
震えた声が鼓膜を突く。あおいろが滲んだように見えるのは気のせいではない。しかし、ノエルは涙を落としはしなかった。どうしてそんなことを聞いてくるのか解らない。そんなこと一瞬だって思った事はない。ノエルの仕事はいつも完璧だ。蝶のように近くを飛んでいると思ったら、いつの間にか煙のようにいなくなる。枕なんてしなくても、言葉巧みに相手の心の奥底に秘めたものを引き摺り出す。それに加えて、誰でも一度は振り返ってしまうほどの容姿も持ち合わせている。そんなノエルを、役立たず、なんて思った事は一度だってなかった。
今日は、本当にたまたまだ。どうしても許せなかった。あの黒い噂を持つ男がノエルに触れるという事実に、どうしても耐えられなかった。それだけだ。
「なんですか、それ。誰かに言われたんですか?」
「俺はお前に聞いてる! どうなんだ、答えろ!」
「思った事ありませんよ、そんなこと」
「……じゃあ何で、仕事を横取りするような事するんだよ」
「……、本気で解らないんですか?」
伸ばした手で、その華奢な肩を掴む。グッと力を入れれば折れてしまいそうなのに、眉を顰めただけで睨み付けてくるノエルは、何がだよ、と言った。あくまでシラを切るつもりか。それとも、ジークが深く踏み込めないのを知っていての態度か。訝しげな顔を両手で引き寄せて、呼吸困難になるほどキスしてやれば少しは伝わるだろうか。
ハッ、と漏れた笑い。いいや、もしかしたら当てつけかもしれないな、と思う。あの頃、何も出来なかった自分への。そう思えば、怒りは急速に遠ざかって、肩を掴んでいた手からも力が抜けていく。
「別にそう思いたいならそれでいいです。俺の本心を貴方に言っても、貴方は受け取るつもりはないだろうし」
肩から手を外してから見遣った顔は、バツが悪そうに逸らされた。
ほらやっぱり。受け取るつもりはない、という事だ。
いつもそうだ。目の前に餌をぶら下げて、いいように走らせて、それでお終い。それが解っていても、傍を離れられない。利用されているのかもしれない。でも、それでも良い。それでも良いから、傍にいたい。
余所を向いたままのノエルに構わず、指先で触れたネクタイをしっかりと結んで、ベストのボタンも止めてやる。
「貴方がどう思おうと勝手ですけど。俺は、ノエルさんのことをとても優秀な先輩だと思ってます」
つま先を大通りへと向ける。横目で見たノエルの顔は、長い前髪のせいで見えなかった。何の返事もないまま、歩き出す。
見上げた空には、こちらの気も知らず無数の星が輝いていた。
今はこれでいい。傍にいられるだけで。今は、それで十分だ。
長い息を吐いてから、また大きく足を動かし始める。早く上司に報告して、ねぐらに帰るために。
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