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ジーク 1-2
しおりを挟む数メートル先にいるノエルが上手くターゲットと談笑をしているのを見ながら、酒を煽る。柱にもたれ掛るようにしているからなのか、険しい顔をしているからなのか、ジークの周りに人はいない。
飲み過ぎには注意しろよ、とノエルは言うが、そっくりそのまま返してやりたい。それが彼の作戦なのだとしても、格好ばかりが綺麗な男にベタベタ触られるのを見ているのは、良い気分がしなかった。ふらついたノエル。そんなノエルの腰に添えられた手。それが意思を持って撫で上げるのを見た。
ミシ、と持っていたグラスの細い持ち手が悲鳴を上げる。
「調子はどうだい」
不意に後ろから声が聞こえて、僅かに肩が揺れた。振り返る事なく、小さく息を吐く。
「どうしてアンタが此処に?」
その声には聞き覚えがあった。否、ありすぎるほどだ。くすくすと笑う声もよく知っている。
この生き方を選んだあの日、格子の入った大きな窓を背に大きな机で肘を付き手を組んでいた男――ボスである。
彼はこうして時々お忍びで部下の様子を見に来る。面白半分なのか、はたまた単に部下が信用出来ないのか。いつも口元に浮かぶ薄い笑みからでは、全く読み取ることは出来ない。いくつもの偽名を使っているとも聞く。
「たまたまお呼ばれしてね。いつもなら断る所なんだけど、君たちがいるって聞いたから」
「……そんなに俺たちが信用出来ないですか?」
「いいや? 君たちが優秀であることはクロエから良く聞いてるよ」
ホントかウソか解らないような声色は、やはり何も掴ませてはくれない。
そこにあるのに掴めない蜃気楼のような人だと思う。それが一種の気味の悪さを感じさせて、どうしても彼を手放しで信用出来なかった。ノエルは『組織とボスの為に』とよく言うが、ジークにはとてもそうは思えない。使うだけ使っていつか切り捨てるのではないか、と疑念を覚える。そうでなければ、体を売らされていた過去を持つノエルに色仕掛けなんてさせるだろうか。それを選んだのは彼だ、と言われてしまえば何も言えることはない。しかし、人の心があれば多少なり、止めるのではないかと思ってしまうのだ。
「ジーク、君が言いたいことは解るよ」
グラスを持っている手がピクリと震える。
「監視のために来たんじゃないか、と聞きたいんだろう?」
嗚呼だから嫌なんだ、と眉が僅かに歪む。
何も答えないままいるのに、このボスはするりとジークの心の奥底に秘めたものを暴く。
この組織に入りたい、と押しかけたときもそうだった。
ノエルと同じ黒髪でありながら、瞳だけは異なった。血色に染まった瞳はジークと目が合った途端、三日月に歪んで背筋が寒くなったのを良く覚えている。
「君はノエルの為に此処に来た、違うかい?」
そう言ってみせた時の笑みも良く覚えている。ボスを睨み付けても彼は何も言わなかった。笑みを崩さないまま彼は言った。
「何があっても彼から離れない自信は?」
「あります」
例え目の前にいる男が、この街で一番恐ろしい男だったとしても、その言葉だけは即答した。それだけは絶対に変わらないと言える。ジッとジークを見つめた後、ボスは、うん、と頷いて背もたれに体を預けた。
「君の言葉がウソではないことは解った。でもすぐに結論を出すことは出来ない。後日、連絡するよ。それまで、くれぐれも大人しくしているようにね」
釘を刺すようなその言葉は、絶対にするな、という圧が含まれているように感じた。口調も纏う空気も穏やかなのに、言葉だけは真っ直ぐ心臓を突き刺すようだった。まるで、言いつけを守らなかったら息の根を止めるぞ、と言われているような。
あの日から全く変わっていないその印象は、いつだってジークにボスに対する底恐ろしさを覚えさせる。良いよ許してあげる、といったその舌の根も乾かないうちに、息の根を止められてしまいそうな恐ろしさ。それを解ってやっているのかそうでないのかすら、ジークには解らない。
「本当に他意は無いよ。信用出来るか否かは君次第だけどね」
答えを寄越さないままでいたジークに痺れを切らしたのか、ボスはそう笑った。
じゃあ頑張って。言い残して気配は遠ざかっていく。何を頑張れ、と言いたいのかは言われずとも予想は付く。ノエルが丁度、ターゲットに連れられて動き出したところだった。
はあ、と大きく息を吐く。
もしもこのパーティという場でなければ、今持っているグラスを床に叩きつけていたところだ。こちらのことは見透かすのに、彼の事は見透かせてくれない。きっとこの腹の底に燻っている黒い炎のような想いも、気付かれているのだろう。何を抱いてノエルの傍にいるのかも。そして、指先が届く距離にいるのに掴むことを躊躇う理由すら、知られている気がする。
たっぷりとした赤ワインを飲み干すことを止めて、机に置く。
兎に角今は己に与えられた任務を熟すだけだ。ノエルが無理をせずに済むように万全を期す必要がある。上手くやれば腹の底の炎も燃えさかることはないだろう。
もう一度気持ちを落ち着かせるように息を吐いてから、ジークもまたその会場を後にすることにした。
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