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ノエル 1-3
しおりを挟む「どうしてこんな所に? クロエさん」
行く手を阻んでいるジークの腕を叩き落として問う。上司の方を見ることもなく不満げなジークは無視だ。真っ赤なルージュが引かれた唇をつつ、と持ち上げられる。もしもの時に全力疾走出来るのだろうか、と心配になるような高いヒールで地面を小気味良く叩きながら、クロエは言った。
「言ったでしょ? 貴方達が全然来ないから迎えに来たって」
「……招集の時間まであと三〇分はありますよね?」
「細かいことは良いのよ、ジーク。だいだいギリギリに来るつもりなんてレディを待たせる魂胆なの?」
二人の傍まで来て頬を膨らませるクロエに顔を覗き込まれて、すみません、ととりあえず謝っておく。素直な子は好きよ、と笑みを深くする彼女に口で勝てた事はない。組織イチの口の巧さと評判の彼女は、ノエルとジークの所属する部門である諜報のエキスパートである。組織の中でも一番情報を持っていると言って良い。言葉巧みに、時には色仕掛けも使いながら相手の口を割らせるのだから、口で敵うわけがない。
「クロエさん近いです、先輩から離れて下さい」
ぐいと肩を引かれたと思ったら、ジークが割って入ってくる。クロエの肩を引かないだけ良かったのかもしれないが、仮にも上司に、離れて下さい、はないだろう。クロエさんじゃなかったら拳の一つでもすまないぞ、と呆れつつ彼女へと目を向ける。案の定クロエは気を害したわけでもなく、むしろ楽しそうに首を傾げて笑った。
「あらやだ嫉妬? 嫉妬深い男はモテないわよ」
「別にモテなくて良いです」
「お前、クロエさんに失礼だろうが」
「痛ッ」
口答えをしているジークの頭を拳でポカリと叩く。クロエは怒ることはないだろうが、こんな態度を取ってくるなんて後輩の教育どうなってるの、なんて咎められても可笑しくない。痛みで頭を抱えているジークに睨まれても知ったことじゃない。クロエに向かって、ぺこりと頭を下げて、すみません、と謝っておく。
「こいつホント礼儀がなってなくて」
「ふふ、別に構わないわ。任務をしっかり熟せているわけだし。ただ、先輩想いすぎるのも問題だけど」
ルージュと同じ真っ赤なネイルが、ジークの頬をつつく。至極不本意そうな顔をしているけれど、それ以上反抗する気はないらしい。はあ、と息を落とす。
「もっと言っても良いんですよ、クロエさん。こいつ時々度が過ぎることするので」
「まだミスはしてないから、私から言う事はないわ」
「俺としては言ってくれる方が嬉しいんですけど」
「そう? じゃあ、ジーク。罰として、三人分の飲み物、何か買ってきて」
ぐぐ、と眉を中央に寄せたジークの口元が歪む。素直すぎるのも問題じゃないか、と思うけれど流石に、嫌だ、とは言わないらしい。数十秒の沈黙のあと、わかりました、と渋々言ったジークがくるりと踵を返して大通りへと足向けた。その背が見えなくなるまで見送ってから、もう一度大きく息を吐く。建物の壁に背中を預けて待ちの姿勢をとるノエルの耳を、くすくすと笑う声が突いた。
「随分お疲れみたいね」
「クロエさんも見たでしょ? アイツ、過保護すぎるんですよ」
ジークは仕事が出来るくせに、こういうところがある。
特にノエルのこととなると後先考えずに行動することも多いのだ。この前だってターゲットから情報を仕入れようと色仕掛けを使おうとしたのを止められたし、営業妨害といっても過言ではないくらいだ。止めろ、と言うのに止めようとしない。体を使った方が楽だろうが、と言っても、貴方がそんなことする必要ないでしょ、と言ってくる。五月蠅い俺の勝手だ、と突っぱねても邪魔してくるのだから、苦労が絶えない。
「そうね、でも無理する貴方には丁度良いと思うけれど」
「そんなふうに見えますか?」
「見える、というよりもボスからも言われてるのよ、貴方に無理させるなって」
「……だからといって俺の下にわざわざ付けなくても。ジークは俺の下に就く必要のないくらい、優秀だと想うんですけど」
「でも、心配されるのはなかなか良いものでしょう?」
真っ赤なルージュが弧を描く。この人のこういう見透かしたような笑みが、少しだけ苦手だ。
確かに彼女の言うとおり、心配されるのは純粋に嬉しい。
もうノエルの事を心配するような人間なんていないから、余計にだ。しかしそれと同時に、胸の奥に刺さったままの棘を深くに刺される心地がする。そんなぬるま湯に浸かっていて良いのか、と何処かの自分が囁いてくる。温かさを感じる資格などないのだと、言わんばかりに。
「良い事ばかりではないですよ。俺にとっては」
小さな呟きは、昼下がりの温かな風が攫っていく。目の端でクロエにじっと見られている事に気付いても、そちらを向くことは出来なかった。向いてしまったらまた腹の底に蓋をして隠したモノを見透かされてしまいそうだったから。
「私が言っても説得力はないけれど」
不意に聞こえた声は、いつも以上に固い音をしていた。ゆっくりと向けた視線。ノエルと同じように壁に背を預けたクロエは、笑ってはいなかった。視線は何処か遠くを見るようで、しかし確かな光を帯びていた。
「自分に一番優しく出来るのは自分だけよ。自分を一番虐めることが出来るのも自分。体だけじゃなくて心にもね。過去は変えられない。でも縋り付く必要はない。そろそろ自分の事を許して、“今”を見つめても罰は当たらないんじゃないかしら」
道を通り抜けていく風が二人分の髪を揺らす。その所為で、クロエの瞳を覗く事は出来なかった。
自分の事を許す、なんて。出来るはずもない。
「そうですね、クロエさんの言うことは正しいと思います。でも、」
胸の奥で、あの日の自分が叫び続けているのだ。
アイツを許すな。俺自身を許すな。
甘い蜜なんて必要ない。誰かに愛される心も必要ない。
復讐を果たすその時まで。
絶対に、許すな。
そう、叫び続けている。その声が止むまで、きっと許すことは出来ない。
「けじめが付くまでは、無理そうです」
諦めの笑いと共に放った声は、存外弱々しかった。その一言でクロエにも伝わったのだろう。そう、と言った彼女の声も少しだけ落胆の色を滲ませていた。
見上げた空は青い。
ノエルの心内など知らんぷりして、青々とした心地の良い空を、黒い鳥が駆けていった。
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