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しおりを挟む声が聞こえた方に目を向ければ、向かい側に座っている男がニンマリと口角を釣り上げていた。
白く長い前髪を真ん中で分け、向かって左側だけ垂らしている。肘をついた手を口の前で組んでいるというのに、その向こう側で笑っているのがわかる。まるで蛇のような男である。
「私たちも興味本位で探していたんだが、なかなか手がかりがつかめなくてね。そうしたら、ノクス。君のところにいるときた。全く、私たちを揶揄うのが得意だね」
レオが今まで会ってきた人間の誰とも違う部類だ。
言葉尻に含むものがありすぎて、怪しさが増している。だというのに敵意を感じない。隙だらけに見えるのに、その隙に手を出すのは危険だと思わせる。ノクスとはまた違った掴みどころのない人間だった。あまり関りを持たない方がいい、と直感的に思った。といっても、この場での発言をレオは認められていない。
口を噤んだまま、ノクスの出方を伺うしかない。
ゆっくりと席から立ちあがったノクスは、いたっていつも通りに口を開いた。
「僕は、貴方がいち早く情報を仕入れていたと聞いたけれどね」
「くくっ、情報が入っていたとしても真実かどうか確かめるのは骨が折れたということさ」
それよりも、と目の前の男が、ちらりと視線を逸らす。その視線の先にいるのは、さっきから静観したまま座しているモルテの頭目だ。何も言わずに静観しているのを見てから、もう一度ノクスへと目を向けた男は変わらない笑みで言った。
「彼の息子が君のところにいるということは、二人は手でも組んだのかな?」
「それを答える義務が僕にあるか?」
少しでも情報を聞き出したいエテミータの頭目の手に、もちろん乗るノクスではない。少しも臆した様子がないノクスに、エテミータの頭目は大げさに肩を竦めた。
「いいや、ないね。賢明な判断だ。――でも果たして、彼を自分の手元に置いておくことは正解かな?」
含みのある言葉と共に、男の笑みはさらに深くなる。早く切り捨てた方が身のためだと警告するようでもあったし、そのまま手元に置いておくと酷い目に遭わせる、というようでもあった。真意が全く読めない。
それでもノクスは彼を見下ろしたまま言った。
「それを判断するのは少なくとも、貴方じゃない」
ノクスはそのまま歩き出す。それに倣って歩き出したライエルの後に続いて、レオもその場を後にする。
異様な息苦しさを感じるその場から少しでも早く、去ってしまいたかった。
車の助手席に乗り込んで、勢いよく車の扉を閉めたところで、やっと息を吐き出すことができた。
運転席に乗り込んだライエルも、大きなため息を吐いているから、もしかしたら彼も緊張でもしていたのかもしれない。
「全く、ノクスさん。ヒヤヒヤさせないでくださいよ」
と思ったのだが、彼の溜息は緊張からくるものではないと彼の言葉が如実に示していた。
後ろに乗り込んでいるノクスが喉で笑う。
「ヒヤヒヤさせるつもりはなかったんだけどね」
「あの男は口が上手いから、一番注意してくださいって前も言ったでしょ」
「注意はもちろんしたさ」
「俺が言いたいのは挑発するなってことです」
大きな大きな溜息を吐いてから、ライエルは車を発進させる。
穏やかな運転とは裏腹にチクチクと小言続けるライエルと、適当に流しているノクス。その二人のやり取りを聞き流しながら、やっとレオは息が吸えた気がした。
やっぱりギャングなんてクソだ。
あの空間は苦痛そのものだった。”あの男”が仕切っている会合に誰が好き好んでいきたいというのだろう。異様な緊張感と、相手の腹の探り合いが飛び交うあの空間を思い出すと、吐き気がしそうだった。
ギャングというものは、あれが普通だ。
だから、ノクスが率いるテミスが特異なのが、今回身に染みて分かった。
ついでにあの場に集うそれぞれから、テミスがあまりいい感情を持たれていないことも。
「あれでもしエテミータが俺たちに牙をむいてきたらどうするんですか」
「その時はその時だよ。彼の沸点は謎だからね」
「だからッ! 俺は! その沸点を刺激しないようにって! 言ったじゃないですか!」
こんなやり取りができるのも、テミスである所以、というか、ノクスが頭目であるが故だろう。
もしも他の組織で頭目にこんな口の利き方をしたのなら、一発で首が飛ぶ。今日見ただけでもそれがわかる組織がほぼ多数だった。エテミータやモルテなどは当然のこと、テミスよりも下座にいた態度がデカい頭目の組織も、そうに決まっている。
そう考えれば考えるほど、自分は幸運だったと思い知らされる。
ノクスが呼んでくれた医者の言葉を思い出して、ふっ、と漏れた笑い。
レオの笑いに気づいたらしいライエルが、肘で突いてきた。
「レオ、お前も言ってやれよ、ノクスさんに。軽率じゃ困るって」
「別に普通だろう? どこがどう軽率だっていうんだ」
きっと此処以外の何処にも、自分にこんなふうに接してくれる連中はいない。
この街を恐怖で支配する組織の頭目の息子に、他の誰が仲間のように接してくれるというのだろう。親のことを意に介さず接してくれる人間が彼ら以外にいるのなら、この街のことを知りもしない土地の人間だけだ。否、そんな人間にすら裏切られたことがある。だから、きっと。
「やっぱりアンタたちって、変な人たちだな」
「はあ? なんでそうなる。そんな話してなかっただろ」
「またそれか。若者の間で流行ってるのか、それ」
各々の反応を見せる二人に笑って、レオは窓の外を眺めることにした。
闇に覆われた街の上空には、満天の星が輝いている。
***
「ボス、あのままでよろしいので?」
誰もいなくなった地下の城で、虚空を眺め続けるモルテの頭目に、後ろに控えていた部下がそう声をかけた。
目元をピクリと動かすこともなく、モルテの頭目はゆっくりと口を開く。
「良いわけがあるか?」
地響きのような低さを持った冷たい声がその場に落ちる。いいえ、と部下は冷静に返した。
「しかし手出しはしにくいかと」
不機嫌そうな大きな溜息がその場に落ちた。モルテの頭目が僅かに振り返って、部下を見据える。その血色の瞳は、部下を射抜いてゆっくりと細くなる。
「テミスに攻撃を仕掛けますか?」
「………、いや、今は泳がせておけばいい」
「今は、ですか?」
「何度も同じことを言わせるな」
「失礼いたしました。御意に従います」
声を震わせることもなく、そういって部下は下がっていく。
一人取り残されたその城で、モルテの頭目はもう一度深い息を落とした。
誤算だった。まさか逃げ出すなんて思ってもいなかったのだ。
生意気なところはあっても、それを実行する度胸はないと高を括っていたのが、裏目に出た。血の繋がりというのはなんと面倒なことだろうか。綻びが出ないように己の城という名の牢獄から、出さないようにしていたというのに。まさか飼い犬に手を噛まれる思いをするとは。何なら、別の組織の人間に殺された方がまだよかったかもしれない。
考えるだけで腸が煮えくりかえりそうだ。
「こんなことなら、さっさと始末しておくべきだったか」
ぽつりと呟かれた声は誰にも聞かれることなく消えていく。
いや、まて、と思う。
考えようによっては悪いことばかりではない。少なくともあのラグーナの手に堕ちるよりはマシだっただろう。ガーマンは何かと目敏く、面倒な男だった。それを潰してくれたのだ。感謝するべきかもしれない。
それに、いい口実と手駒になる可能性だってある。まさか『あの男』の下につくとは思っていなかったが。
しかしそれもよく考えてみたら、むしろ幸運ともいえるかもしれなかった。
あのノクス率いる組織が台頭してきてから、ずっと目障りだと思っていた。何をしようにもちらつく鬱陶しい存在はいるものだ。人生という視界にいる羽虫のように気だけ散らしていく小さな存在。それが己にとってのノクスである。
知らず知らずのうちに口角が吊り上がる。
いざとなれば一掃してしまえばいい。
そうすれば目障りな存在がほぼすべて消え去ることになる。
ほかの組織同士がつぶし合うならそれもよし。もしもテミスが仕掛けてくるようであれば、全力で潰してやればいい。どちらにしろ、利点は多い。
搾り取れるだけ搾り取って、あとは捨てればいいのだ。
今までもそうしてきた。ずっと変わらない。そしてこの街はもっと闇に染まるのだ。
自分の身が滅びようともどうでも良いことだ。何かを残す必要もない。
ただただ闇に堕ち悪に生きる。それが己の目的なのだから。
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