アンデッドエンドゲーム

晴なつ暎ふゆ

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「どれのことだ?」
「俺の、父親のことだよ」

 モルテの残虐性は、この街で知らない者はいない。
 出来ることなら関わらないで済むように、住む場所を変えようとしても、まるで死体に集る羽虫のように付いて回る。永遠に逃げられないのだと恐怖を植え付ける。それがモルテであり、そのトップに立つのがレオの父である。
 嗚呼、と何でもないようにノクスは反応をした。

「レオの父親がモルテのボスだっていうことか」
「……もしかして知ってたのか?」

 よくよく考えてみれば、あの時のノクスは全くと言って良いほど動揺を見せなかった。ある程度予想していたとしても、驚きはするだろうと思う。だってモルテのボスは、レオの存在をひた隠しにしていた。

――お前は一生此処から出ることなく暮らせば良い。

 感情の乗らない声が蘇る。
 あの男にとって、レオはただただ邪魔者でしかなかった。屋敷の奥に隠して外に情報が漏れることのないようにしたのを、レオは知っている。だから、あの家を飛び出したのは一種の反抗だった。
 思い通りになってたまるか、という反逆の意思。
 そこで運悪く、ガーマン率いるラグーナに見つかってしまったのだ。
 一人息子がいるという噂は立っていたけれど、実際に存在が確認できた時のガーマンは動揺と共に歓喜していた。狂気が滲む声に追いかけ回されてどうにか逃げ延びた。
 普通はそうだろう。
 しかし、ノクスには動揺も歓喜も、驚きすらも見て取れなかった。
 長い間ではなくとも共に過ごしたノクスは、驚く事があれば普通に目を丸くしていたし、無感情な人間ではない。なのに、レオの父親の話題が出たときは、その深い緑の目を丸くすることもなく、淡々とガーマンに言葉を返していた。
 となれば、知っていた、というのが自然の流れだ。

「ああ。知ってたよ」

 返ってきた答えに、思わず足を止めた。
 それに気付いたノクスも、足を止めてレオを見た。

 何で。知っていて、ずっと傍に置いていてくれたのか。
 どうして。何のメリットもないのに。むしろデメリットしかない。追われていると言うのを知っていた上で、それでも尚、自分の傍に置いていてくれたノクスは、一体何を考えていたんだろう。

 何も答えないレオに、またノクスは淡々と言った。

「悪いとは思ったが、ライエルに調べさせた。どんな状況にお前が置かれているのか、僕たちは知る必要があったからね」
「……俺の素性を知って、厄介払いしようとは思わなかったのか?」

 普通ならそうする。
 ノクスが、ガーマンのように強欲ではないことは数週間前に知った。それが口だけでなく行動にも滲み出ているのをすでにレオは知っている。しかしそれと同時に、効率を重視する人間であることも知っている。だとしたら、もう手に終えないと思った時点で、切り捨てる筈だ。
 レオが逆の立場だったらそうする。厄介事に巻き込まれて良い事など一つも無い。
 それにギャングの世界は、少しの綻びが盤面をひっくり返すことにもなりかねない。モルテほどでないにしろ、ノクス率いるテミスだって相応の立場にいるのなら、余計に不安要素は取り除きたいはずだ。

「そう進言はされたね」
「だったら何で」

 どうして今の今まで傍に置いていたのか。
 ノクスを見ても、何一つ解らない。
 ただ深い緑が、レオを見ている。
 それをジッと見つめ返す。静かに息を吸った音が聞こえた。

「命を狙われている奴を外に放り出すなんて卑怯な真似を、僕自身が許せなかったからだよ」

 何の迷いもない透き通った声だった。
 心臓に突き刺さるように真っ直ぐに飛んできた言葉に、何も言えなくなった。喉が締め上げられるような苦しさがあるのに、でも何処か温かくて、ともすれば泣いてしまいそうな喜びが満ちた気がした。

「親の業は、親が背負うべきだ。お前自身が何かをしたわけでもないのに、親の悪名だけで誰かに命を狙われるのは、この街に蔓延る理不尽そのものだろう?」

 ノクスは自身が許せなかったと言ったが『最凶の組織のトップの一人息子』という肩書きを、ずっと重荷に感じてきたレオにとっては、救いの手に違いなかった。生まれの親が全てではない。そう思っているのだと、他でもないノクスの言葉が証明しているから。

「それを見過ごした時点で、僕の行動は全て無駄になる。そう思った。だからだよ。そもそも還る場所がないと言ったお前を放り出す気もなかった。勿論僕の命を狙わない限りだけどね」

 それを何気なく口にしてしまえるノクスの存在が、どれほどレオにとってありがたい事なのか、本人は全く理解していないだろう。
 どうしてコイツは、こんなにも欲しい言葉をくれるのだろう。
 言葉を返せないままレオを置いて、足を動かし始めたノクスの腕を咄嗟に掴んだ。下を向いてしまったせいで、ノクスの顔は見えない。レオ、と名前を呼ぶ声がする。ツンとしたものが鼻を突き刺す。それが涙腺を刺激する前に奥歯を噛み締めた。

「レオ、どうした。何処か痛むのか?」
「…………ぅ」
「うん?」
「ありがとう。アンタが、俺にも自分を生きる自由がある、って言ってくれたこと、一生忘れない」

 ずっと求めていた言葉だった。誰かにずっと言って欲しかった言葉だった。
 自分の好きに生きて良いのだ、と誰かに言って欲しかった。それを言動で示して欲しかった。誰も彼もがレオを『モルテのボスの一人息子』として見る中で、ノクスが、ノクスだけが、レオをただ一人の人間として見てくれた。それがどれほど嬉しかったか。きっとノクスにも解るまい。存在を許されたのだと思った。此処にいて良いのだと、言われたような気がした。生まれてきても良かったのだと。

 ぽん、と頭を撫でられて顔を上げる。
 ノクスは目元を緩ませて、口元に笑みを乗せていた。

「僕は自分が思ったことを言っただけだよ」

 慰める為なのか労うためなのか、何度も頭を撫でられる。
 込み上げた熱いモノの衝動に任せて、掴んでいた腕を自分の方へ引き寄せた。
 抱き締めたその体は、とても温かかい。
 
「本当にどうしたんだ、レオ。今日は随分と懐くな」
「……うるさい、アンタは少し黙ってろ」
「はいはい」

 されるがままのノクスをまた強く抱き締めた。すると何を思ったのか、ノクスは背中を撫でてくれた。ただ一人レオに無償の愛をくれた母が昔やってくれたようなそれ。レオ、と大好きだった母の声が聞こえた気がして、また涙腺が緩んだ。畜生、なんだってんだ。誤魔化すように彼の肩に顔を埋める。

「何というか……、犬みたいだな」
「…………本当に黙ってくれ」

 勝手なことをしている自分の事を棚に上げたレオに、それでも文句は言うことなくノクスは小さく笑っただけだった。


 ***


「っは、ッ、クソッ」

 レンガ造りの高い建物が取り囲む、薄暗い路地裏。
 血塗れになった足を引きずって壁に寄りかかりながら、男は悪態を吐いた。
 ガーマンの部下であり、レオやノクスをガスで眠らせた張本人――アカテスであった。
 こんな筈ではなかった。男は胸の内でまた愚痴を募らせる。
 アカテス自身、ずっと勝ち馬に乗っていると思っていた。現に私腹を肥やすガーマンは、いたくアカテスの事を気に入ってくれていたし、ガーマンに言われればどんなに極悪非道なことでもして見せた。ガーマンの目の前で、裏切り者の首を切り落としたこともあるし、彼が欲しがった人妻を連れてきたことだってある。

 汚れ仕事は何でもやってきた。
 それもこれも全部、自分の為だ。
 下々の人間を見下し、弱い者を痛めつけ、優越感に浸り、手に入れた金で豪勢に暮らす。
 その生活が死ぬまで続くと思っていた。

 それが今日、一瞬にして崩れ去った。
 あのノクス率いるテミスの奴らによって。

 そもそも『ネズミ』が裏切られなければ、こんなことにはならなかった。情報が漏れることもなかった。ボスがあの憎たらしいノクスとかいう男を死ぬまで痛めつけて、アイツの持ってる全てを俺たちのモノに出来るはずだった。もっと沢山の金が、懐に入るはずだった。
 なのに。それなのに。
 あのクソガキのせいで。あのクソガキさえ裏切らなければ。
 寝返ったアイツが悪い。全部全部。アイツが。

 奥歯をギリッと噛み締めて、また一歩足を踏み出す。
 こんなところで死ぬわけにはいかない。死体の山に隠れて、目を盗んでここまで逃げてきた。
 ああクソッ、思うように足が動かない。

「ねえ、キミ」

 ハッとして顔を上げる。声は後ろから聞こえた。気配も何もしなかったのに。
 勢い良く振り返ったアカテスの目に入ったのは、全身黒を身に纏った女だった。赤茶けた色の髪は、肩で綺麗に切りそろえられていて、薄い青の瞳がアカテスを見下ろして、ニンマリと笑っていた。

「キミさ、あのラグーナの幹部だよね?」
「……だったらどうした? 貴様はテミスの一員か? 俺を殺しに来たのか?」

 だとしてもただで殺されてやるつもりなど全く無い。せめてこの女をズタズタにして、テミスの本拠地に投げ入れてやるくらいのことをしないと気がすまない。
 牙を剥いて威嚇したのに、女は面白そうに口元を歪めるだけで少しも怖じ気づく事は無かった。

「助けてあげようか?」

 耳を疑うような言葉が聞こえた。何の利益が彼女にあるというのだろう。そもそも彼女はテミスの一員ではないのか。助けてどんな得があるのか、全く解らない。じろりと睨んだアカテスに笑って、彼女は言った。

「貴様に何の利益がある」
「それはキミが知らなくて良い事だ。キミの答えは、イエスかノーか。まあ勿論ノーだったら此処で殺すけれどね」

 その言葉通り、彼女の懐からはサイレンサー付きの銃が出てきて、アカテスの脳天に狙いを定めた。
 女の真意は全く解らないが、考えようによっては、これはチャンスでもある。言葉通り本当に助けてくれるのであれば、挽回のチャンスだってある。あの憎たらしい奴らを全滅させる術だって何か見つかるのかもしれない。

「……具体的に何をするつもりだ」

 話に乗ったアカテスに、女は口角を鋭利に吊り上げた。銃口を下ろしながら、彼女は驚くべきことを口にした。

「『エテミータ』にキミを紹介してあげるよ」

 思い切り目を見開いた。
 彼女の言う『エテミータ』は、この街の第二の組織だ。闇社会では知らぬ者もいないその名前。しかも組織に入れるかどうかは特別な紹介が無い限り不可能だと言われている。
 驚きを隠せないアカテスに、女は続ける。

「キミが元いたラグーナよりも、良い条件だろう?」
「…………それは本当か?」
「もちろんだよ。こんなところでウソをつく必要がある?」
「……わからんな、どうしてそこまでする?」

 まあそれは尤もな疑問かもね、と女は何でもないように言った。

「理由が欲しいなら、お互いに利益がある、と思ってくれて良いよ。勿論私の利益についてはキミに語るつもりはないけれど」
「断る選択肢はないな」
「でしょう? じゃあ早速行こうか」

 包帯を投げて寄越した女は、くるりと足先の向きを変えた。直ぐさまその包帯で止血して、アカテスも女の後を追う。今にも落ちてきそうな鈍色の雲からは、ポツポツと雨が落ち始めた。

「アンタ、なんて名前だ」

 声を掛けたアカテスに、首だけで振り返った女は笑った。

「ネムだよ。よろしくね、アカテスくん」

 ゾッとするほど綺麗な笑みで笑う女は、すぐに前を向いてしまって、アカテスはそのまま着いていくしかなかった。
 そんな二人を見ていた人間は、一人もいない。
 

 小降りだった雨は次第に強くなって、街をあっという間に白く染めていった。


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