アンデッドエンドゲーム

晴なつ暎ふゆ

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 スラックスのポケットの中で端末が震えている事に気付いて、キーボードを叩いていた手を止める。取り出した端末の画面には、『L』と表示されていた。
 彼女から連絡なんて珍しい。何かあったのか?
 通話ボタンを押して、耳に当てる。
「はい」
『元気~? Lさんは超元気です』
 電話口から聞こえた声は、予想よりも随分と間抜けな声をしていた。どうやら大事ではないらしい。
「元気だよ。そっちも変わりないようで安心した」
『ふふっ。その言い方、さてはアタシがやられたかと思ったでしょ?』
「やられたとは思ってないが、何かあったのかとは思ったよ」
『ほらやっぱし~! アタシってそんなに信用無い?』
 クスクスと笑う声が聞こえる。いいや、と否定を示して肩で端末を挟んで、またキーボードを叩き始める。
 Lと仲間内から呼ばれる彼女は、情報屋だ。
 ライエルとは違い、基本的にテミスの面々の前に現れることなく、自由奔放に飛び回り、街の情勢を報告してくれる。

 ――アタシはテミスの情報屋じゃなくて、ノクスさん専属の情報屋だから。

 そう言ってウインクと共に可愛らしい笑みを浮かべていたのがつい昨日のようだが、かれこれ二年以上の付き合いだ。どうして専属に? と聞いた時、一目惚れ、と茶目っ気たっぷりに笑われたのも懐かしい。
『あ、そういえば! 最近拾いモノしたって聞いたよ』
「ああ、”仔犬”の話か?」
『そうそう。皆が目の色を変えて探し回ってる”仔犬”』
 忙しなく動かしていた指を、ピタリと止める。
 電話越しのLがどんな顔をしているのか想像に容易い。情報を前にすると口角が鋭利に弧を描くのは、情報屋共通なのだろうか。舌舐めずりまでしたんじゃないかと思わせる、甘ったるい飴が溶けるような声が鼓膜に流れ込んでくる。
「キミがそう言うなら、相当なのか」
『どっかが情報操作してるのか、出自の確信には至ってないけどね。その辺はほら、ライエル君が調べるだろうし』
「そうだな、ライエルが調べてくれてる」
『だよね~! でも本当に気を付けて。ホントにいろんな所が探し回ってるから』
「ラグーナが一番躍起になってるって言うのはライエルから聞いたが、他にもいるのか?」
『うん。”高みの見物をしてる梟”もだし、”有象無象”もだし、今回は珍しく”巣食ってる蜘蛛”もだし。この街唯一の”法”にいる”仔犬”ちゃんに、みーんな大注目!』
 おどけた声とは裏腹に、ノクスは片手で顔を覆った。
 つまり、だ。
 レオは、この街のほぼ全部の組織から目を付けられている。

 ”高みの見物をしてる梟”は、この街の二番手の組織の『エテミータ』。
 ”有象無象”は、台頭しきていない組織。
 ”巣食ってる蜘蛛”は、モルテ。

 その全部が注目しているのだから、想像以上に頭の痛い案件だ。三重苦どころじゃない。前世で一体どんなことをしたら、こんな状態になるのか。
 思わず出てしまった深い溜め息に、電話越しのLはケラケラと笑っている。
『でも心配しなくても、居場所を突き止められてるところはまだいないみたいよ』
「所在が掴めてないのか?」
『森の中に上手く隠れてる木だからね。あとはそうだな、上手く撹乱してるんだと思う』
「それはライエルが?」
『それもあるけど、どっかの組織が関わってるかも』
「……、それはライエルが他の組織と手を組んでるって意味か?」
 顔から手を離して問う。
 頭の回転の速いライエルが考えることは、時として想像の斜め上を行く。何が最善かまでの最短ルートを叩き出す結論が、思いも寄らない方法だったりすることもある。リスク回避も出来ているから心配はしていないが、こうも都合が良いと、勘繰ってしまうのは己の立場上やむを得ない。
 つくづく嫌な立場だな、と思う。
 幸いにも今まで離反者はいない。ライエルにだって、貴方は俺たちのことをどれだけでも疑って良いんです、と言われている。それでも仲間を疑うのは、出来ればやりたくないことだ。
『いや、それは無いと思うよ~! なんていうか、うーん、存在を隠したがってる意図があるような印象かな』
「レオが存在していたら困る組織があるって解釈でいいか?」
『ざっくり言えばそうだね。コトを鎮火させて、後で処分するつもりなのか、別の目的があるのかは解らないけど』
 なるほど、と頷く。
 レオ自身があれだけ他人を警戒している理由も、そこに起因しているのだろう。本来であれば、ギャング同士の下らない抗争に巻き込まれるべき人間ではなく、何処かの田舎町でのんびりと暮らすべき人間なのかもしれない。ならば、この街の外に連れ出してやるべきか。
『外に連れ出して安全な場所に置いとくのも一つの手だと思うよ』
 ノクスの考えを見透かしたように、Lはそう言った。
 それは解っている。
 解っているが、そうさせたくない自分がいる。
 帰る場所なんて無い、とレオは言った。あの時のレオがノクスの手を取ったのは、この街にまだやり残したことがあるからだと思う。だったらその目的を達成する為に、せめてコトが収まるまで街の外に置いた方が身の安全の為には良い。それは解る。
 しかしもしも、自分が見ていない間にレオが命を落としたとしたら。
 それは嫌だと思うのだ。
 どうしてだろう。両親を喪った時に重なるからか。
 でも本当に、それだけだろうか?
『でもまあ、手元に置いておくのが一番安心だよね』
 Lの声に、思考に没入しそうになった意識を持ち上げる。いつの間にか膝に乗っていた黒猫が、にゃあ、と可愛らしく鳴いた。目を細めて、空いた手で首元を撫でてやる。
「そうだな。色々心配なところがある」
『ま、見るからに弱そうだもんねぇ、”仔犬”くん』
「フフッ、キミからそう言われるなんて、よっぽどだな」
『ライエル君にトコトン扱いて貰うのが良い』
「ライエルにもそう伝えておくよ」
『うん。また変化があったら連絡するね』
「時々顔を出してくれると嬉しい。レミエルも嘆いてた」
『女誑しの小鳥ちゃんには興味ないんだな~! 彼には一回雷でも落ちたらいいと思う。でもダーリンが待っててくれるなら行こうかな』
「恋人が出来たのか」
『ちょっと! 貴方のことに決まってるでしょ!』
「冗談だ。待ってるよ」
『ッほんっと! そういうところだよ~~!? ……はぁ、でも近いうちに顔出すね』
 じゃあね~、と上機嫌な声と共に電話が切れた。電話を掛けてくるときも切るときも突然だ。
 小さく笑いながら、端末をローテーブルの上に置いて、両手で黒猫を撫でてやる。ぐるぐると気持ち良さそうに喉を鳴らす姿が、可愛くて癒やされる。
「お前も、レオは外に出してやるべきだと思うか?」
 何となく聞いてみる。答えが返らないことは勿論知っているが、少ししか一緒にいないのに黒猫は随分とレオに懐いているようだったから。
 ぶるぶると体を震わせたと思ったら、呑気にノクスの膝の上で丸くなった。全くこちらの気も知らないで自由だ。そこが好きなのだけれど。膝から退かすのは止めて、背もたれに体を預けて力を抜いた。
 見えた時計は、昼の三時を指している。
 そういえば昼食を抜いてしまった。ライエルとレオは、どんな調子だろうか。苛められていないといいが。嗚呼、スラックスに付いた毛を後で取らないとな。追加の銃の手配をレミエルに頼んで置いた方が良いか。あとは、二番手の組織エテミータにも探りを入れて。否、今は軽率に動かない方が良いか。兎に角レオは外回りには出さないように徹底するべきだな。問題は情報がいつ漏れるかだが、こればかりは考えても仕方の無い事か。あとやるべきことは。
 うつらうつらとまとまりのない思考を流す。

 
 カタン、と音がして、意識を浮上させる。
 いつの間にか眠っていたらしい。薄っすらと瞼を持ち上げて見えたのは、真っ赤になったソファの座面と自分の膝。黒猫はすでにいなくなっていた。
 窓から斜陽が差し込んでいるのか。
 そう思いながら、視線を持ち上げる。ノクスを見下ろすレオがいた。その手には拳銃が握られている。銃口が脳天を狙っているのが分かっても、特にどうしようとも思わなかった。
「僕を殺すのか?」
 静かに問うと、レオはこめかみをピクリと動かした。どうしてこんな暴挙に出たのかは解らないが、何か理由があるのは分かる。わずかに震えている口元が、何かを言おうとしているから。
「……んを…したのは、……だろ」
「聞こえない」
 口の中で消えていく言葉は、ノクスまで届かない。素直に言ってやれば、ギリッと歯を噛む音がした。
「母さんを殺したのは、お前だろッ!」
 思い切り額に銃口を押し付けられた。レオの指先が食い込む肩が痛む。片足をソファに乗り上げた彼の形相は、憎悪と怒りに満ちていた。まるで獣みたいだな、なんて他人事のように思いながら、口をまた開く。
「何の話か解らない。誰に聞いた?」
 全くもって覚えがない。そもそもレオに初めて会ったのは、あの雨の日だ。珍しい金の髪を見たのも、蒼天の瞳を見たのもあの日が初めてだった。一体誰にそんな話を吹き込まれたというのだろう。
 レオはノクスの話など聞く気はないのか、そんな話はどうでもいい、と吠えた。
「それを聞いてお前は俺を殺すわけか」
「当然だ。母さんの仇を討つ。それだけのために生きてきたんだ」
 そういうもの、なのだろうか。
 どうも自分は感情が欠落してしまっているのか、彼のようには思えなかった。
 何者かによって両親は殺された。しかし、死んでしまった者は還らない。そこでノクスの思考は止まってしまったが、普通は仇を討つと思うものなのだろうか。
 今にも殺されそうだと言うのに、こんなにも凪いだ思考。
 やはり僕は感情の欠如しているんだろう。死を前にしても、死にたくないとも思わない。どうしたものか。
 レオの指が引き金に掛けられる。
 拳銃を持つ手首をへし折ってしまえば、己の命は助かる。でも、なぜか体に力を入れなかった。されるがまま、ゆっくりと引き金を引いていく指先を見つめていた。
 このまま死ぬのも良いかもしれない、なんて。
 馬鹿げた考えだ。


「おい、ノクス。起きろ」
 肩を揺すられて、ゆるゆると瞼と顔を上げる。その先にいたのは、眉を顰めたレオだ。いつもどおり少し襟元が伸びたTシャツを着て、こちらを見下ろしている。視線をゆっくりとずらせば、彼の足元には黒猫がお行儀よく座っていた。
「…………、じゅうはどうした?」
 さっきまで目の前にいたレオは拳銃を額に突きつけていたのに、彼の両手には何も見当たらない。
「はあ? 何言ってんだ、アンタ」
「さっきまでもってただろ」
「何の話だよ。寝ぼけてんのか?」
 ぐぐ、と中央に寄った眉は不機嫌そのものではあっても、憎悪と怒りは少しもない。レオが溜め息を吐きながら、視界の外へと消えていく。目を何度か瞬いてみれば、蛍光灯の白に照らされたソファとローテーブルがあった。いつも通りのそれらの色。
 赤はない。血色の部屋も、拳銃も、憎悪も怒りも何もない。
「……夢か」
 随分とリアルな夢を見た。肩に食い込む指の感覚も、額に当てられた銃口の冷たさも、全てが現実かと思った。そういう夢を見たのは随分と久しぶりだ。何の因果だろうか。彼の置かれた状況をLから聞いたせいだろうか。それとも予知夢だろうか。
「……、冷蔵庫の中身変わってないんだが」
 思考を遮るように後ろから聞こえた声に、首だけで振り返る。冷蔵庫の前に座り込んでいるさっきよりも眉を中央に寄せたレオと目があって、そうだな、と同意した。
「昼も夜も食べてない」
「はあ!? 正気なのか!?」
「いたって正気だよ」
「なんか食えよ。簡単なやつ作ればいいだろ」
「料理は苦手なんだ」
 他の家事は得意だが、料理だけは不得意なのだ。下手したら火傷する。それに野菜の切り方がそもそも解らない。料理本を買う気にもならないし、自分で作るくらいなら既製品を食べる方が効率が良い。いつもは何かしら買って食べたり、食べて帰ってきたりするから、こういう日は面倒になって抜いてしまうことが多かった。
 呆れたような顔でレオが言う。
「アンタ、今までどうやって生きてきたんだよ」
「既製品を買って食べてたよ」
「……道理でいつもほぼ冷蔵庫が空っぽなわけだ」
 こんなにちっこいし、と不満げな声が飛んでくる。そんなことを言われても、今まで特に不自由に感じたことがない。出来合いのものの方が絶対に美味しいに決まっているし、無いなら別に食べる必要性も感じない。
「お前は食べるの好きなのか?」
「好きっていうか、食べることは生きることだろ」
 食べることは生きること。
 確かにそうだ。確かにそうなのだが、その言葉をレオが言うのがなんだか可笑しくて、吹き出す。
「なっ、何笑ってるんだよ!」
「あはははっ、いや、ふふっ、悪い、ハハッ、妙に可笑しくて」
 笑いの波が収まらない。確かに彼の言うことも一理あるが、当たり前と言われるようなことをこの悪の掃き溜めのような街で聞くことになるとは、思わなかった。
 ひとしきり笑ってから、もう一度レオの言葉を反芻する。
「食べることは生きることか、うん。……良い言葉だな」


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