アンデッドエンドゲーム

晴なつ暎ふゆ

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<“Behavior is the mirror in which everyone shows their image.“>


「レオを追ってる組織、『ラグーナ』で間違いないです」
 鈍色の空から落ちてくる大雨が、フロントガラスを叩いている。
 忙しなく動くワイパーの音がやけに、耳につく。
 静かに息を吸って、運転席に座るライエルへと視線を向けた。
「それは、確かなのか」
  ハンドルを手にかけたままのライエルは、ええ、と平坦な声で言った。
「数日前にラグーナのボスに呼ばれた女に話を聞きました」
「その女の話がデコイの可能性は?」
「可能性はありますが、低いと思います。賢い女ですし、テミス俺たちを敵に回す方がハイリスクだと少し考えれば簡単にわかります。ただ金が好きなので、大金を積まれたら分かりません。それだとしても長期的に見れば、デメリットの方が大きいと俺は思いますけど」
「お前から見たその女はどっちだと思う?」
「女が俺に伝えてきた事は、向こうのボスが女に伝えた事そのものだと思います」
「でも懸念材料があるんだな?」
 問いかけると、ライエルは頷いてフロントガラスを叩く雨粒を見ながら言った。
「”向こうのボスが女に話をした”という事実は、間違いないと思いますが、ラグーナ側が嘘を織り交ぜて話していたら、」
「僕達を誘い出す餌として使ってる可能性もあるというわけか」
「ええ。向こうのボスがそんなに頭の回るヤツかは解らないので、五分五分ってところですが」
 なるほど、と頷いて思考を回転させる。
 どんな奴がレオを追いかけているのかと思ったら、まさか街の中で三番目に大きな勢力の組織だとは。
 ラグーナ。テミスよりもずっと古くに出来た組織だ。
 一時は今一強を誇る『モルテ』とも張り合っていた悪い噂の絶えない組織である。質が悪く、追いかけ始めたものは、ハイエナのようにどこまでも追いかけてくる。そして、手段を選ばない。殺しも抗争も厭わない。勝てる自信があるからだ、と聞いている。だとするなら、仕掛けてくる時も姑息な手を使ってくるかもしれない。ますますレオを一人にするわけにはいかない。
「ノクスさん」
 思考の海に沈めていた意識を戻して、視線を投げる。眉を顰めるライエルと目が合ったが、どうしてそんな顔をしているのかわからない。どうした、と聞けば躊躇うように数度唇が開閉する。
「まだ確信があるわけじゃないですけど、アイツは早めに切り捨てたほうが良いと思います」
「……どういう意味だ?」
「アイツの存在が俺たちにとって爆弾の可能性が高いって意味です」
 じっとこちらを見るライエルは、今ここでノクスが、切り捨てよう、と言うのを待っているのだろう。
 ライエルがレオの事を、爆弾だ、と称する理由として思いつくのは、そう多くはない。
 ただの怨恨であれば、ここまで追いはしないだろう。あれだけの傷だった。死んだ、もしは再起不能であれば良いのであれば、死体を見つける必要はない。それなのに、まだ追いかけている。しかも、生きたままをご所望らしい。血眼になって探しているというから、レオにそれだけの価値があると見るのが正しい。
 手に入れたことによってメリットが大いにあるからこそ、水面下で探り、追いかけている。レオ自身を『金の卵』と称しているのなら、金に繋がる何かであり、益々可能性は絞られてくる。
「ライエルは既に、レオの正体を掴んでるのか?」
「確信ではないですが、材料はあります」
 ノクスを射抜く瞳の光は、だから此処で切り捨ててくれ、と懇願するようだった。その瞳から視線を外して、ドアハンドルに手を掛けながら口を動かす。
「じゃあ、調べた素性に間違いが無いと分かった時に、もう一度話し合おう」
「ノクスさん、」
 逆の腕を掴まれた。振り返った先で咎めるような色を浮かべた瞳が、ノクスを見ていた。
「俺たちの手に余る存在です。関わらない方が良い」
「それはもう既にレオの正体が分かってる、っていう意味であってるか?」
「ノクスさん」
「分かってるよ。お前が心配してくれてるって事は、十分分かってる。だとしても僕は、ラグーナの連中に追われていると分かっているレオを、このまま放り出して知らん顔は出来ない」
「どうしてですか。何故、アイツにそんなにも肩入れを?」
 ドアハンドルに掛けていた手をゆっくりと離して、頭の中でライエルの言葉を繰り返す。
 どうして。どうしてだろう。そういえば、考えたことがなかった。情が移ってしまったから、が的確な気もしたが、多分それだけではない。
 死にそうなところを自分が助けたから? 否。
 自分に弟がいたらこんな感じかと思ったから? 否。
 では、どうして。
 
――帰る場所なんて無い。

 そう呟いて拳を握り締めたレオが不意に頭に過ぎる。それがだんだんと自分の幼いときの顔に重なって、嗚呼、と納得がいった。
「恩返しをしたいからかもしれないな」
「恩返し?」
 ぽつりと言ったノクスに、怪訝そうな声が飛んでくる。ライエルにとっては意味が分からないだろう。レオ自身から貰った恩ではないから当然だ。
 体をシートに戻して、ふうと息を吐いて吸った。
「ライエルには言ったことがあったな。僕はある人がいなかったら死んでいたって」
「ノクスさんの師匠の話ですね?」
「ああ」
 もう十数年も前のことだ。
 だというのに、その時の事は今でも容易く脳裏に描くことが出来る。


 ノクスの父はこの街の唯一の牧師だった。
 まだ一強の組織モルテが、闇で覆い尽くす前の街に存在した父の教会。それなりの穏やかと言って良い街並みが、網膜に蘇る。
 実家と併設された教会と言うには小さい建物は、白を基調とした色で彩られ、大きくもないのに遠くから見ても目立っていた。陽が落ちる夕暮れに、ぽつりと小丘に立つその白い建物が見えると自然と駆け出してしまう程、ノクスを安心させるものだった。
「いいかい、ノクス。自分の人生は、自分の為に生きるんだ。人は死ぬ時を選んで生まれてくる。その日まで、後悔のないように精一杯生きるんだよ」
 それは父の口癖で、耳にタコが出来るくらいに事あるごとに言われたし、母からも同じ事を聞かされて育った。

 だからだろうか。
 目の前に惨状が広がっていても、不思議と心が凪いでいたのは。

 ノクスの両親は、殺された。

 その事実だけが分かる光景を見たのは、学校で課外学習に泊りがけで行ってきた帰りだった。ただいま、という声は天窓から降り注ぐ夕陽にすぐに霧散して、妙に寒々しい橙色が教会に満ちていた。
 充満した乾いた血の臭い。
 教壇の前に倒れ伏した母。
 置かれていた像に、もたれ掛かるように頭を垂れていた父。
 顔だけは妙に綺麗で、ぼろ切れのような服におびただしい血の華が咲いていた。
 小さな教会だ。礼拝は毎日出来るものの、毎日来る熱心な信者なんていなかった。冷えた頭で、とりあえず葬儀屋と警察に連絡しないと、と思考が回っていく。
 ポケットに入れていた携帯端末を取り出して、番号を押す指も少しも震えることはなく、ましてや声が震えることもなかった。

 ノクスが十四歳になる年の、初夏のことだった。

 黒服を身に纏った人々が短い列を成す中で、滞りなく葬儀は執り行われた。
 廃れた、とまではいかないが、手入れをされているとは言い難い墓地に、両親の骸は埋められた。
 ホワイトリリーの強い芳香が、鼻の奥を突いていた。涙は出ることはなくただ、沈黙する墓標を見つめたまま、ノクスはその場に立ち尽くした。誰一人としてその背に声をかける者はおらず、一人また一人と参列者は散っていく。
 気付けば、その場にたった独りになっていた。
 ばさり、という音と白い花の束に顔を上げる。
 いつの間にかノクスの隣には、屈強な背の高い男が黒いコートを身に纏って立っていた。じっと見つめた横顔。自分とは対照的な浅黒い肌に無精髭、鋭い眼光。街にいたら絶対に関わらない、明らかに住む世界が違う人間だと一目で解る、頬に傷跡がある風貌。そんな人がどうして両親の墓前に花を添えたのか全く解らないまま、その人の横顔を見つめた。
 墓石に向いていた視線がノクスへと流れてきて、目が合った。
「ボウズ、何か言いたいことでもあるのか?」
 低い声が鼓膜を揺らす。しかし怖いとは思わなかった。
「どうしておじさんが僕の両親に花を?」
 ざあ、と吹いた風がノクスの髪と、男のコートの裾を揺らした。先に視線を逸らしたのは男の方だ。それでも尚ノクスは男を見つめたまま、じっと答えを待っていた。
「生前に、二人には世話になったからな」
「それは、悪い意味?」
「いいや、良い意味だ。感謝してる」
 意外にも素直に答えを貰った。ノクスの知らないところで、両親はこの男と知り合いだったのだろう、ということは分かったけれど、男が言っているのが真実なのか嘘なのかを見分ける術はなかった。
 そう、と言ってまた墓石を見つめる。
 どれだけ墓石を見つめても両親が帰ってこないことは知っていた。それでも、この場所から離れることも出来なかった。これから先どうしたら良いのか、葬儀に出席した大人達は誰も教えてくれなかった。家には帰りたくなかったし、かといって、何処かに行こうとも思わない。死にたいとは思わない。でも、一体これからどうやって生きていけば良いのか、ノクスには分からなかった。
「ボウズ、帰らないのか」
 ギュッと拳を握り締める。
「帰る場所なんてないよ」
 帰る場所も、行く場所も、これから先何を道しるべにしたら良いのかも、分からなかった。
 何かに縋りたくて、近くにあった男のコートの裾を右手で掴んだ。
 男は何も言わなかった。
「どうしたら良いか分からないんだ」
 両親を喪ってしまった。その事実はもう覆らない。
 でも一人で生きていけるほど大人でもない。言い訳だと言われてしまってもよかった。ノクスには、何をしたら良いのかわからなかった。だから、今傍にいるたった一人の大人を頼るしか、方法がなかった。
「ボウズはどうしたい」
 顔を上げれば、男がこちらを見ていた。淡々とした声が腹の底まで染みていく。頭を回して出した結論は、本当に単純だった。
「生きていきたい」
 もしも自分が死ぬ時を選んで生まれているのだとしたら、両親と共に死ななかった己の死に時は、まだ先だと思うから。
 フッと笑われた。と、思ったら大口を開けて笑い出した男。
 まさか笑われるとは思わなかった。ぽかんとその顔を見つめていたら、笑い終えたらしい男が、すまない、と言って咳払いをした。
「生きていきたい、か。そんな事を言われるとは思わなかった」
「なんて言うと思ったの」
「復讐したい、とかかと思ったよ」
「父さんと母さんを殺した奴を殺して、二人が戻ってくるならそうしてたよ」
「そうだな。奪われた命も奪った命も戻らない。死んじまったらそこで終わりだ」
 踵を返した男を目線で追いかける。数歩先でその男は立ち止まった。
「俺と一緒に来い、ノクス。生きる術を教えてやる」
 差し出された無骨な手に、ノクスはそっと己の手を重ねたのだ。
 その日から、その男が師匠となった。


 生きるための智慧は、全て彼から教えてもらった。
 学校は自然と行かなくなったが、師匠は何も言わなかった。護身術、一般知識、人間の構造と急所、そして金の稼ぎ方も彼が全て教えてくれた事だ。
 師匠が教えてくれた全てが、今のノクスの根幹を作っている。
「師匠に恩を返したいと言った時、あの人はこう言った。”俺に返さなくて良い。俺ではない誰かに返せば良い”ってね」
「それがレオだって言うんですか?」
「成り行き上そうなった、という方が正しいな」
 別にレオはノクスに助けを求めてきたわけではなかった。
 それに、一から十まで教えなければいけない子どもでもない。だとしても、一度手を差し伸べてしまった。命を狙ってくるのであれば、相応の対処もしなければと思っていたが、直接手を出してくる様子はない。ならば、レオが自らの足でテミスを離れるまでは、面倒を見てやりたいと思う。
 師匠がそうだったように。
「情報収集に長けたお前がそう警告してくるってことは、レオがそれだけ危険な存在であることは分かるよ。でも僕は命を狙われている奴を、危険だからと外に放り出すような卑怯な真似はしたくない」
 死ぬかもしれない人間を手放して見逃せるような性格をしていたら、そもそもこの街に留まっていない。
 出来ることは限られていると知っていても、希望を捨てずに今日までこの街で生き残ってきた。それを今此処で曲げてしまったら、何もかもが崩れてしまう気がするのだ。
「それともライエルは、卑怯な真似をする僕を見たいのか?」
 そう聞けば、ライエルがグッと唇を噛んで押し黙った。ハンドルに掛けられた彼の手が、ギリッと音を立てたのが見える。
「レオのせいで、貴方が築いてきた物が全て無駄になってもですか」
 ここまでライエルが食い下がるのも分かる。
 彼とはこの組織テミスが出来たときからの仲だ。彼が執拗にノクスの安全に拘る気持ちも理解できる。理解出来はするが、ただ守られているだけなんて性に合わないとノクスが思っていることも、きっと分かっていてライエルは言い募っているのだろう。
 だとしても。
「ライエル、形ある物はいずれ無くなる。テミスが在り続けることが重要なんじゃない。テミスに集まった彼らの、この街を変えたい、という想いが消えない事の方が、ずっと大事だ」
 ノクスの言葉は変わらない。
 レオが何者であろうと、関係の無いことだ。それに出来ることなら、レオがその心を引き継いでくれたら良いと思う。ギャング嫌いの彼が意志を継いでくれたのなら、この街はもうギャングの拠り所ではなくなる筈だから。

 さっきよりも激しくなった雨音が、二人の間を埋める。

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