アンデッドエンドゲーム

晴なつ暎ふゆ

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<”Self-knowledge comes from knowing other men.”>



「……なに?」

 三段のシャンデリアがぶら下がり、絨毯が敷き詰められ、赤とゴールドを基調とした豪勢な広い部屋。その中に、渋く低い声が大きく響いた。
 声を発したのは、ソファにふんぞり返っている恰幅の良い男。腹や首に脂肪を蓄えて、如何にも良い生活をしていると一目で分かる体格をしている。彼の手にある底の深いワイングラスの中は、どす黒い赤紫で満ちていた。
 男は隣に侍らせていた女達を退かして、背もたれからゆっくりと体を起こす。

「もう一回言ってみろ」

 機嫌が悪そうな男に、報告をした痩せ型の男は動じることなくもう一度口を開いた。

「ですから、未だに見つかっておりません」
「そんな報告をするためにワタシの貴重な時間を邪魔したのか、貴様は」
「ボスが報告を急がれておりましたので」
「ははぁ、……そんなクソみたいな報告を聞きたくて報告を頼んだ覚えはない」

 そう言うやいなや、ローテーブルに乗っていたガラスの灰皿を掴み上げると、痩せ型の男に向かって投げつけた。ガツンと嫌な音がした後、痩せ型の男の頭の端から血が流れ落ち始める。それでも男は顔を歪めることすらしなかった。

「さっさと見つけろ。次に碌でもない報告をしてきたら、切り落とした貴様の頭をボール代わりにして遊んでやる」
「……御意」

 痩せ型の男は返事をすると、血を拭うこともせずに頭を下げてから扉の向こうに消えていく。フン、と鼻を鳴らしたボスに、また女達がしなだれかかる。

「そんなに怒らなくてもいいじゃない。血が出て可哀想だったわ」

 一人の女がそう言った。
 じろりとその女を見たボスが、嘲りを含んだ笑みを零す。

「陰気な奴はあれくらいするのがちょうど良い。お前のことを良からぬ目で見てたしな」
「ふふ、良からぬ目で見てるのは、貴方も一緒でしょう?」
「がははっ、まあそうさな。でもワタシはお前達にちゃーんとその分の金を払ってる」
「おカネで釣るなんてサイテー」
「お前達だって金は好きなくせに」

 女の豊満な胸に指先を伸ばしたボスに、えっち、と女が笑ってやんわりとその手を払う。
 嗚呼、気分が良い。
 そう思いながらボスはワインを煽る。今追っている者が手に入れば、これ以上の金が手に入ると確信している。だからこそ先を越されては困るのだ。
 ”金の卵”は何としても手に入れなければならない。
 手に入れた後のことを考えて、ボスは更にだらしなく口元を歪めた。


 ***



「……何だって?」

 怪訝そうな声と共に、ノクスは目を通していた書類から顔を上げた。
 街中にある十階建ての建物の九階、ワンフロアぶち抜きの大きな部屋。
 そこがノクスの執務室だ。執務室と言っても、来客用の応接セットと執務机、机の上に並ぶモニター付きのパソコン、山積みになった書類だけが置かれた部屋である。
 表向きは単身者用のマンションだが、その中身はノクスを頭にした『テミス』の面々のセーフティーハウス、もしくは住居でもある。重要事項は本拠地である屋敷に幹部を集めて議論されるが、たいていの場合は街中の此処で行われている。いつもいつもあの屋敷に通うのは目立つのだ。
 このマンションにもあの屋敷にも持ち主は、いずれも『テミス』の幹部だ。彼等の厚意に甘えて、使わせて貰っているのだが。

「経年劣化の水漏れだそうです」

 強面のスキンヘッドの男――ガランが、僅かに眉を下げた。
 確かに、ここ数日部下達に会う度にそんな話を聞いていたな、と思い出す。
 ある者はベッドがびしゃびしゃになったと言っていたし、ある者は家電がいきなりダメになった、と言っていた。大変だったな、とその時は済ましていたが、まさか水漏れが原因だったとは。

「みんなが騒いでたのはそういうことか」
「すみません。ウチの管理が甘くて」
「いいや、仕方ないさ。僕よりも年上の建物なんだから、そういうこともある。それで、修理するのにどれくらい掛かる?」
「それがまだ全て見て貰ったわけではないので、なんとも。早くても一週間はかかると思います」
「その間、根無し草になりそうな奴はいるか?」
「殆どは仲間の家に居候するそうで心配ありません。ですが、」

 言い辛そうに口籠もった彼に、首を傾げる。
 口籠もると言う事は多少の問題があるということだろうが、頭の中で組織一覧を開いて見ても心当たりのある顔が出てこない。友好関係が深いとは言い難いが、皆が皆そつなくコミュニケーションをとり、一人か二人は気の合う仲間を見つけている筈だ。時々ライエルにも様子を見て回ってもらっているし、全員問題ないですよ、と前に報告を受けたばかりだというのに。

「誰か、問題がある奴でもいるのか?」
「それが、あの、前にボスが連れてきた、」

 もごもごと歯切れの悪い言葉が耳に入ってきて、やっと理解する。

「嗚呼、レオのことか」

 はい、とガランは気まずそうに頷いた。
 ガラン曰く、此処でもレオは浮いているらしい。折角声を掛けても最低限の会話しかせず、もう部屋に戻って良いか、とすぐに言う始末。交流を図ろうとするメンツの出鼻を挫くのだという。
 想像に容易くて、思わず口元が緩む。あれだけギャング嫌いを豪語している男だ。彼を懐柔するのは、いくら交渉上手だとしてもそう簡単な事ではないだろう。

「アイツは僕が無理矢理此処に連れてきたようなものだからな。仕方ない、僕が引き取ろう」
「えっ」

 驚きの声がガランから上がって、ノクスは首を傾げた。

「なんだ? 何か問題でも?」
「大アリに決まってるじゃないですか」
「何が大アリなんだ。ただの仔犬だよ」
「何者か分かってないんでしょう? 何処かの組織の息が掛かってる奴だったらどうするんですか」

 バン、と机を両手で叩かれた上に強面の眉間に更に皺が寄っている。ガランの勢いに目を丸くしたノクスだったが、ふむ、と口元に手をやった。

「でも外に捨て置くにも気が引けるしな。他の奴が嫌がるなら僕が適任じゃないか? 単身だし」
「ノクスさん。貴方はこの『テミス』のボスなんです。自覚持って下さい」
「ボスっていう事は分かっているつもりさ。でも万が一僕がいなくなったとしても、みんな優秀だから心配はない」
「……それ、ライエルさんの前で言ったら絶対キレるので冗談でも止めて下さい」
「アイツの前では言わないから心配しなくて良いよ」
「じゃあ俺の前でも言わないで下さいよ。貴方以外の人間の下につくのは御免です」

 ははっ、と思わず笑ってしまった。
 ガランもなかなかに古株の方だが、昔はこんなことを言うような人間ではなかった。むしろ好戦的で、ノクスを見たら殴りかかってくるようなじゃじゃ馬だったし、礼儀知らずのただのチンピラだったというのに。それが今では不動産業までやっているのだから、人とは分からないものだな、と思う。
 目を細めてガランを見遣る。鼻ピアスもあるせいで、見た目はギャングそのものだが、仕事ぶりも態度も全うになった。それが嬉しく思う。この街がまだ根までは腐ってないのだと思わせてくれる。

「丸くなったな、お前も」
「ノクスさんのお陰で」
「それは光栄だよ」
「だからこそ、本当にお願いですから、素性の分からない人間を傍に置くのは止めて下さい」
「じゃあ、ガランが代わりにレオを引き取るか?」

 ぐ、と言葉に詰まったガランに笑う。きっと彼もまたレオに声を掛けてくれた一人なのだろう。しかし、華麗に失敗してしまったのだと予想がついた。己が辟易するほどだったのだから、その反応も頷ける。

「やはり僕が適任だよ」
「しかしボス、」
「それとも、」

 食い下がるガランの言葉を遮って、執務机に頬杖を付く。じっと彼を見つめれば、僅かに体を引いたのが見えた。少しだけ持ち上がった口の端。ゆっくりと口を開く。

「お前は僕が簡単に寝首を掻かれると思うのか?」
「ッお、思いませんよ! 思いませんけど! 万が一もあるでしょう!?」
「ははっ、何をムキになっているんだよ」
「俺が言ってるのは、そんな可能性も全部潰して下さいってことですッ!」
「あーうるさい。僕が大丈夫と言ったら大丈夫だよ」
「ボス!」

 片耳に指を突っ込んでもうこれ以上は文句は聞かない、と態度で示す。未だに何かを言っているガランの声は、最早ノクスの耳には入らない。こうだと決めたら誰に何を言われようが変えることはない。

「ライエルさんからも言って貰いますッ!」
「まあ無駄だと思うけどね」

 そう忠告したのに、ガランは携帯端末を取り出してライエルに電話をかけ始めた。数コールで電話は繋がったらしい。二人の話し声をBGMに、途中になっていた書類に目を通していると、目の前にずいと携帯端末が差し出される。

「ライエルさんです」

 小さく息を吐いて、それを受け取る。耳に押し当てて息を吸って電話口に語りかける。

「代わったよ。また小言かな」
『小言言われるって分かってて、どうして貴方はそんなことするんです?』

 心底呆れたような声が返ってくる。まあこう言うだろうな、とは思っていた。この『テミス』の中で、己に口を出せる人物がいるとしたらライエルくらいだ。最後の砦と言って良い。だとしても、今更曲げるつもりはない。

「じゃあ代わりにお前がレオを引き取ってくれるのか?」
『いいですよ。いつからですか?』
「今日からだよ。仕事が山積みのお前には無理だろう?」

 沢山の仕事を振っている自覚がある。この上にさらに面倒極まりない新入りの世話を任せたら、間違いなく支障が出るに決まっている。
 それ故の言葉だったが、ライエルは不満げな声を上げた。

『……もしかして、こうなることを解ってて俺に仕事振ったんですか?』
「まさか。こんな事態、僕だって予想してなかったよ」
『じゃあ今からでも良いので俺の仕事減らして下さい。そしたらアイツは俺が責任持って躾けますから』

 息だけで笑った。それは聞けない相談だ。

「躾なんかよりもずっと大事な仕事を振ってるから無理だな」

 何のためにその仕事をライエルに振っていると思っているのだろう。組織の中でも随一と呼ばれる彼の能力を買っているのだ。そんな躾なんてどうでも良いことは、自分がやれば済む話だ。
 少しの沈黙が落ちた。それを破ったのは、ライエルの大きな大きな溜め息であった。

『ノクスさん、貴方って人は本当に人たらしですね』
「それは褒め言葉か?」
『悪口ですよ、悪口』
「なんだ、残念だ」

 喉で笑ったら、また溜め息が聞こえてきた。止めても無駄だぞ、と釘を刺しておく。

『くれぐれも用心して下さい』
「わかってる。苦労をかける」
『分かってるならその苦労を減らす努力をしてください』
「善処する」

 ホントですかね、と少しの疑いを含んだ声が鼓膜に届く。善処はするが、直すとは言っていない。自分でも分かっている。こういう性格は多分変わらない。これから先もライエルを始めとする『テミス』の幹部達を困らせる。それを少しだけ控える努力はしようと思うっているけれど。
 それより、と話を切り替える。

「何か分かったか?」
『いえ、まだ何も。何者かに追われていることくらいしか』
「今でも探されてるって事か?」
『ええ。俺以外にもアイツについて聞き回ってる奴らがいるみたいです』

 それでは益々外に放り出すわけにもいかない。
 あの陽光を反射する金の髪は兎に角目立つから、昼のシゴトも避けた方が良いのかも知れない。何者に追われているかだけでも分かれば対策のしようもあるが、今はまだ情報が少なすぎる。

「分かった。お前も十分に気を付けて行動してくれ」
『大丈夫ですよ。俺に勝てるのノクスさんくらいですし』
「慢心は、」
『隙を生むから注意しろ、ですよね。了解です。またこっちから連絡します。ノクスさんも、くれぐれも、気を付けて下さいね』

 ぷつ、と通話が途切れて、静かに息を吐く。仕事が出来すぎる部下って言うのも問題だな、なんて思いながらガランに携帯端末を返した。

「ライエルさんは、何と?」
「気を付ければ良いってさ」
「……ボスが言いくるめたんですね」
「だから言っただろう? 無駄だと思うけどな、って」

 肩を大きく落としたガランには悪いが、一応ライエルに口で勝てるのは己だけだと自負がある。
 それに、ギャング嫌いと豪語しているレオが、ギャングの指示で動くとはどうにも考えにくい。ノクスに対してだけであれば引き取ることも止めたが、皆を平等に疎んでいるのなら問題はないだろう。直情型のように見えるし、ライエルのように本心を隠して駆け引きが出来るようにも見えない。
 であれば、危害を加えてくる事は無いだろう。
 ガランを下がらせてから、決済印を捺した書類を片付けて、背もたれに体を預けながら思考を巡らせる。
 レオの視界にはノクス以外の誰かが映っているようだった。ギャング嫌いになったきっかけを作った者がいるのか、はたまた全く関係のない別の人間か。考えたところで解りはしない。だが、相当な恨みを持っているように見えた。その人間がいる限り、ノクスがよほどの事をしなければ、レオの殺意がこちらに向くことはないだろう。
 そうと決まれば。
 立ち上がって、椅子に掛けっぱなしにしていたダークグレーのジャケットを、ベストの上から羽織る。付箋を取り出して、さらさらとペンを走らせてから、机の中央に貼っておく。

”何かあれば端末に連絡を”

 それだけ書いてあれば十分だろう。
 折れ曲がっていた裾を手で払ってから、ノクスはその部屋を後にした。
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