アンデッドエンドゲーム

晴なつ暎ふゆ

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<”If you’ve never eaten while crying you don’t know what life tastes like.”>


「うん、完治だよ」

 馴染みの医者の声が柔らかく空間に染みていく。
 窓際でレースのカーテンが風に揺られている客間にいるのは、馴染みの医師と青年、ノクスだけだ。野次馬のような部下たちは全員に任務を言いつけて下がらせたのが、三〇分ほど前。
 縒れたTシャツを着直した青年の背中を、扉の縦枠に背を預けて腕を組んだまま見ていたノクスは、小さく溜息を落とす。
 完治まで随分長く感じた。やっとだ。
 そう思うと大きな大きな溜息を吐きたくなる。


 青年の完治は約二ヶ月を要した。
 日数だけ見ても多いのに目覚めたあとの青年が、いつまでも警戒心を解かなかった。それが随分とやりにくかったせいで余計に長く感じたのである。
 自分が一度助けてしまったわけだから、とそれなりに世話を焼こうとするのに、この青年ときたら全くもって懐かない。懐かないだけなら特に問題はないが、持ってきた食事もなかなか食べようとしなかった。医者が用意した粥は食べたのに、だ。
 ベッドサイドテーブルで一日経っても消費されていない紙袋の中身を見た時は、流石のノクスも眉根を思い切り中央に寄せた。

「そのまま餓死したいのか?」

 そう聞いても、ツンと余所を向く。
 生意気にも程がある。ぶん殴ってやろうかなと思ったのは両手で数える以上だ。食べたくないのならそれでも良いが、餓死されました、なんてことになったら助けた手前こっちの寝覚めが悪い。
 はあ、と大きな溜息を落として口を開く。

「じゃあ何だったら食べるんだ?」
「ギャングから貰ったものなんか食えるか」
「毒を入れるとでも?」
「毒は入ってなくても、組織で横行してるクスリを入れる可能性はあるだろ」

 ああ言えばこう言う。
 一時は腹の傷の所為か舌足らずだったけれど、ハキハキと可愛げなく拒否されてまた溜息が出る。これも元気になってきた証拠か、とは思うもの、折角の食事を無駄にするのは感心しない。否、そんなことを気にしなければいい話ではあるのだが。しかしやはり目の前で野垂れ死なれては、気分が悪い。出て行ってからどうしようが彼の勝手だが、此処にいる間は間抜けな死に方をされたくなかった。

「じゃあ僕が食べて問題なかったら食べるんだな?」

 返ってきたのは沈黙。
 数秒後に鳴いたのは、青年の腹の虫。
 ぱちぱちと目を瞬いて彼を凝視すれば、気まずそうに目を逸らされた。ほらみろやっぱりお腹を空かせているじゃないか。
 仕方ない、とノクスは紙袋に入っていたパニーノを取り出した。一緒に入れられた保冷剤が功を奏したのか、匂いは問題ない。青年の前で一口囓ってみせる。買ってきたのは自分だから、何も入っていないことは百も承知だ。咀嚼して飲み込んでから、ぽいと青年に向かって投げてやる。焦ったようにキャッチした青年を見れば、好き好んで食べ物を粗末にしようとしたのではないことは知れた。

「危ないだろ! 落ちたらどうするんだよ」
「お前ならキャッチすると思った」
「……俺の事大して知らないくせによく言う」
「まあ知らないけど、医者が出した粥を一粒残らず平らげてるのを見たらそうだろうなと予想はつくよ」

 この街が彼をこんなにも警戒心の強い人間にしてしまったのなら、それは仕方の無い事だ。それに加えて、随分とギャングを恨んでいる所を見れば、ちっとも信用出来ないのは頷ける。殴ってやろうかなと思っていた気持ちも自然と消えた。
 面倒には違いないが、拾ってきたのは自分だ。兎に角完治するまでは根気強く付き合うことにしよう。
 そう思ってはいても、やはりやりにくいったらなかった。
 毎度毎度野犬のようにキャンキャン吼えられれば、いくらノクスでも億劫になる。耐えた自分を少し褒めてやりたいくらいだ。ただ、どうしても用が外せない時はライエルに任せた。少し不思議だったのは、ライエルに行って貰った次の日に、多少青年の態度が改まっていたことだ。
 その日を境に、青年はノクスが持ってきたものをきちんと平らげて、文句も言わずにすぐに寝入っていた。
 といっても、完治の一週間ほど前だったから、ノクスの気苦労には殆ど効果はなかったけれど。



「それにしても、ノクス。よくこの子を拾ってきたね」

 声を掛けられて、馳せていた意識を戻す。
 にこにこと馴染みの医者が笑っている。初老も過ぎた彼は、ノクスが天涯孤独になる前からの付き合いだ。気前の良い彼はこの街では行きにくかったのだろう、己が成人する前に隣街へと住居を移してしまった。それでも、連絡を取ればこうして足を運んでくれるから、本当に頭が下がる。

「たまたまですよ。雨の中一人で震えていたので」

 青年の青い瞳がキッとこちらを向いたのが目の端で見えても、まるきり無視してやった。散々邪険にしてきたのだから、これくらいのお返しは許されるだろう。

「それでも君はあまり拾いものをするようなタイプではなかっただろう?」
「貴方も部下と同じ事を言うんですね」
「ははは、だって本当に珍しいからね。この街でそんなことをするのは君くらいじゃないのかなぁ。この街の人間は普通なら、拾いものをしてもすぐに金に換える質の人が多いから」

 寂しそうに笑った医者は、道具を全て片づけると椅子から立ち上がる。

「君も、助けてくれたのがノクスで本当にラッキーだったね。ノクスは見た目は悪そうな顔しているけど、本当に優しくて良い子なんだ。君も困ったら彼を頼ると良い」
「僕は優しくなんかないですよ、ハドリーさん」
「ふふ、君はそう言うけど僕はちゃんと知ってるから」

 それじゃあまた何かあったら連絡してくれ、と医師がその場を後にする。
 出口まで見送る必要はない。安全にこの街を出られるように部下を手配しているから、後は任せておけばいい。背中を見送ってから、青年に向き直る。

「青年」

 声を掛けたはいいが、そういえば彼の名前を聞いていなかったことに気付く。
 彼の素性を調べさせてはいるものの未だに有力な情報はない、とライエルは言っていた。もしかしたらこの街の出身ではないのかもしれない。まあ関わるのも今日で終わりなのだから、関係のないことだけれど。
 ゆっくりと振り返った青年の蒼天の瞳と視線がかち合う。何度見ても意思の強そうな光を帯びている。この街にいるのに少しも濁っていない輝きは、ノクスには少し眩しい。

「完治だそうだ。よかったな」
「…………、なんで此処までするんだ?」

 その声は少しの戸惑いを孕んでいた。
 揺れる瞳が真意を知ろうと動いているが、生憎真意なんてものはない。

 強いて言うのなら、たまたま。
 その言葉に尽きる。

 ノクスが偶然あの道を通って、偶然路地裏に足を向けてしまって、偶然助けても良いかな、と思ったから。偶然の積み重ねで命を取り留めるなんて、余程運が味方をしているのだろうな、と漠然と思っていた。ノクスはノクスで、一度手を出したら最後まで手を出さないと気が済まない人間だ。助けると決めたのなら、彼が完治するまで面倒を見るのは当然のことで、それ以上でもそれ以下でもない。自分の矜持の為だ。決して彼の為ではない。

「気まぐれさ。特に理由はない」
「……気まぐれで人を助けるなんて聞いたこと無い」
「聞いたことが無くても僕がそうしたいと思った事をやっただけだよ。感謝する必要も負い目を感じる必要も全く無い」

 自分のしたいことを今までもしてきた。これからもその姿勢が変わることはない。それが唯一ノクスがずっと続けてきた事で、己の芯と言っても過言ではないのだ。どう思われようがどんな言葉を吐かれようが関係ないし、自分の意にそぐわないことを懐に入れるつもりもない。

「意味が分からない」

 戸惑いを隠せないように青年は言った。解って貰う必要はない、と言おうとして止める。言葉をすり替えて口を開いた。

「お前が出会ったことのない人種ってことだろう。それだけのことだよ」
「だってギャングは平気で人の畑を荒らす野蛮人だ。人の幸せを壊して高いところで笑ってる。人の不幸を啜って生きてる」
「お前が知っているギャングは、僕が知ってるギャングとは大分違うね」
「それ以外にもいるって言うのか?」
「割合は少ないが、いるよ」
「それがあんただって?」
「まさか。僕の話なわけないだろう」

 確かにギャングには『人間のクズ』と称される輩は山ほどいる。
 ノクス達だって積極的ではないにしろ、人の畑を荒らしている。必要以上に手出しはしないが、売られた喧嘩は買う主義で、喧嘩をふっかけてきた組織に勝利した結果その土地を獲ることもある。そういう意味では青年が言うギャングに分類されるだろう。
 しかしそれが全てではない。
 脳裏に蘇るのは、天涯孤独となったノクスに生きる術を教えてくれた強面の男。師匠とも呼べる人だ。もう彼は既にこの世の人間ではないが、彼もギャングであった。しかしギャングの肩書を持っていても、懐が深くて義理堅い人だったのだ。彼がいなければ自分はきっと野垂れ死んでいたに違いない。
 数は多くなくても、確かに存在している。
 こちらが参ってしまうほど真っ直ぐで、底なしに優しい人は、確かにギャングの中にもいるのだ。

「斜に構えた見方は、視野を狭くする。余計なお節介だろうが、全て否定して生きているのなら身を滅ぼすから改めた方が良い。まあこれはある人の受け売りだけどね」

 師匠の言葉だ。
 それを言われた当時あまりピンとこなかったけれど、確かに周りの人間を見ると、拘りすぎている人や一つのことに囚われて雁字搦めになっている人間がいた。周りを否定するか、自分を否定するかは人それぞれだが、足が付かない深い湖で息苦しそうにしているように見える人間が多かった。止めれば良いのに、と思った事は一度や二度ではない。

「あんたに俺の何が解る」

 牙を剥くように睨み付けられて、小さく肩を落とす。

「何も解らないに決まってるだろう。名前も知らないしな」
「だったら、」
「でもどんな状態かは見えるところもある。そんなお前を見て僕が感じたことを口に出しただけだ。従えとも言ってない。お前がどう生きるかは僕には関係のないことだ」
「……無責任だ」
「僕は、自分以外の誰かの生き方に自分が責任を持つ、なんて言う人間の方がよっぽど無責任だと思うけどな」

 自分に責任を持つだけで精一杯だというのに、他人まで背負うことなど出来るはずもない。逆に出来る人がいるのなら教えて欲しいくらいだった。ノクスはただ見えた事実を言っただけだ。改めたいと思わないならそれでも良い。受け取るかどうかは本人が決めることで、押しつけるつもりもなかった。

「警戒心を持つことと全てを否定することは別物だ。僕にはお前がそれを一緒にしているように見えた。だからああ言っただけだし、僕の言葉を間違ってると思うならそれで構わないさ」

 この話はもう終いだ、と足を動かして風通ししていた窓を閉めていく。

「まあ完治したんだし、此処にいる必要も無くなったわけだから、早くお家に帰ると良い」

 厚めのカーテンを引けば、客間は薄暗さを取り戻していく。また客間の掃除を、得意な部下にお願いしなきゃだな、なんて考えながら青年に振り返る。頭を少し下げている青年の顔は、長い前髪の所為で見えない。首を僅かに傾げて、彼の前に足を進める。

「どうした、青年」

 ぼそぼそと呟かれた何か。
 聞こえない、といえば、少しの沈黙の後、息が吐き出された。如何にも不服ですと言わんばかりのそれ。

「帰る場所なんて無い」

 消え入りそうな小さな声は、それでもノクスの耳にはしっかりと届いた。
 膝の上で震えるほど握られた拳。その言葉と姿には、覚えがある。
 まるで師匠に縋り付いた時の僕を見ているみたいだな。
 懐かしさに小さく漏れてしまった笑いに、勢い良く青年の顔が上がる。少しだけ見開かれた青い瞳に、微かに口角を上げた自分が映っていた。

「じゃあ此処に居れば良いさ」

 眼球がこぼれ落ちるんじゃないか、と思うほど大きく見開かれた目。ぽかりと間抜けに開いた口。また笑いが漏れて、思わずに口元に手をやった。

「ははっ、そんなに驚く事か?」
「いや、だって、俺はあんたにとって素性も知らない人間だろ」
「まあそうだね」
「それなのに、……此処に居て良いって」
「言ったな」
「なんで」
「なんで? 帰る場所がないんだろう?」

 そうだけど、とまごつく青年に手を伸ばして、その肩をぽんと叩く。

「僕はお前の嫌いなギャングで此処はその根城なわけだが、それが我慢できるならいてくれても構わないさ」

 元々この組織はそうやって出来た。
 勝手に動いていたら勝手に人が集まってきて、気付けば人数が増えていて、この街の一端を担う組織になった。ノクスの考えに賛同した輩が、勝手にノクスを頭にのし上げてくれただけである。派手な動きもしていない割りに実力派が多いせいか、無闇に喧嘩をふっかけられることもない。居やすいか居づらいかを除けば、普通のギャングにはあるような掟があるわけでもないし、過干渉するような輩もいないから、過ごしやすくはあるだろう。
 見上げてくる瞳が僅かに揺れている。また真意を測っているのだろうか。

「……無条件で、なのか?」
「慈善事業ってわけではないから、無条件は無理だな。多少の手伝いはしてもらうつもりだよ」
「それなら乗った。逆に無条件の方が胡散臭い」
「ギャングが嫌いなわりによく解ってるじゃないか」

 否、嫌いだからこそか。
 そう思い直してから肩に乗せていた手を離して、彼の目の間に差し出す。
 差し出された手とこちらを交互に見た青年に、片頬を小さく吊り上げて言った。

「僕はノクス。嗚呼、そうだ。青年の名前は?」
「……レオ」
「そうか。じゃあレオ、交渉成立ということで、これからよろしく頼む」

 恐る恐る握られた手。また人数が増えたな、なんてのんびり考えながらノクスは、今後のことについて頭を回す。知らず知らずのうちに口角が上がっていることには、ついぞ気付くことはなかった。

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