泡になれない人魚姫

円寺える

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第26話

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 今、奈世と言ったか。奈世というのは祖母から聞いた魔女の名前ではないか。まさかこの、Tシャツにジーンズの、ラフな格好をしているこの女性が魔女なのか。
 祖母は魔女っぽい魔女と言っていた。どう見てもこの女性は魔女には見えない。整えていない髪をすべて後ろで束ね、化粧っ気がなく黒縁眼鏡をかけているこの女性は、魔女からかけ離れた外見をしている。漫画家、専業主婦、保育士。連想できるのはそれくらいだ。この人間のどこを見たら魔女らしさがあるのか。

「えっと、奈世さん?」
「えぇ、珍しい名前でしょう」

 まさかこんな展開になるとは想像していなかった。少しくらいは、駄菓子屋の女性が魔女だったりして、と期待をしなかったわけではないが、そんな簡単に魔女は見つからないと、そんな可能性は否定していた。
 どこかで会っているような気がしたから、そのもやもやを解消しに来ただけだった。
 目的に辿り着いてしまい、困惑して何を話せばいいか分からない一華の肩に流星は手を置いた。

「奈世さんっていう名前は、この村に何人いるんですか?」
「わたしだけよ。住民の戸籍をすべて見たわけではないから断言はできないけど、同じ名前の人がいたらすぐに分かるわ」
「じゃあ、甲斐丁村の奈世さんって言えば、お姉さんのことになるんですね」
「そうなるわね。まあ、わたしはこの村の生まれじゃないから、その響きは微妙かもしれないけど」

 この村にもう一人くらい奈世という名前の人間がいてほしい。そんな流星の願いは打ち砕かれた。
 二人は棒のように立ったまま微動だにしない。奈世はそんな二人に、靴を脱いで奥に入るよう促した。
 操り人形のように、何も考えず奈世の言葉に従い、畳の上に座った。
 奈世は台所にある棚からガラスのコップにお茶を入れて二人の前に差し出した。
 何を言えばいいか分からなくなった口に生気を与えるように、飲みなれた味がするお茶を流し込んだ。

「どうかした?」
「いえ、あの、奈世さんって」

 一華はごにょごにょと言葉を濁す。もし魔女だったらどうしよう。魔女を探しに来たのだが、いざ魔女を前にすると途端に口が開かなくなる。
 流星は積極的に話を進める気はなく、一華が言い出すまで何も言うまいと口を閉ざしたままだ。
 流星に助け船を求めるつもりはなかったが、言葉を発さない流星に気付き、自分が言い出したことなのだから自分で進めなければと覚悟を決めて奈世を正面から見つめる。

「奈世さんは、魔女なんですか?」

 もし魔女ではなかった場合、何と言い訳しようか。
 それに、魔女の自覚はないということもある。その場合はまた出直せばいいのだろうか。
 魔女だと断言されたら、次は何を言うべきか。翔真を治してほしいと頼めばいいのだろうか。
 色々なパターンを想像し、それに対する返答をパターンごとに考える。

「えぇ、そうよ」

 世間話をするように、淡々と自分が魔女であることを認めた。
 正体を暴かれ動揺するかと思っていたが、何てことのないようにお茶を飲んでいる。
 流星も一華も、聞いてみたいことはたくさんあった。

「本当に、魔女なんですか」
「そうよ。わたしを探しに来たんじゃないの?人魚ちゃん」

 人魚、と言われ体が強張る。
 丸腰で魔女の元へ来たのは失敗かもしれない。せめて身を守るナイフでも持ってくるべきだったか。そんな物騒なことが咄嗟に頭を過ったが、奈世の表情は変わらず、世間話を楽しむようにテーブルに両腕を乗せている。

「以前会ったことがあるかって、昨日言ってたよね。わたしもそれ思ったよ。だから分かった。あ、この子、人魚の子だって。不思議よね」
「ちょっと、理解が追い付かないんですけど。本当に以前会ったことがあるのかもしれないじゃないですか」
「昔、会ったことがあるの、貴女ではない人魚に。その人と会ったときと同じ感覚だったから、貴女も人魚かなって思っただけ」

 御伽噺に出ていた人魚と魔女は、ただの取引をしただけで、子孫が互いに反応する程の間柄ではないはずだ。
もしかすると、人魚と魔女の関係が他にもあったのかもしれない。御伽噺とは別に、知らない歴史が存在する。
 流星はそんな仮説を立てながら、二人の会話を耳に入れる。

「他に聞きたいことは?」
「えっと、えっと」
「はは、落ち着きなよ、逃げたりしないから。そっちの君は何か聞きたいことがある?」

 緊張が解けないのか混乱しているのか、落ち着きのない一華の横に座っている落ち着いた流星に尋ねた。
 魔女の力は本物なのか、何ができるのか、今まで人にその力を使ったことがあるのか、尽きない疑問を殺す。それは一華が落ち着いてからがいい。
 まずは無難な質問から始めよう。


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