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しおりを挟む両親が事故で亡くなったのは、マリナが五歳のときだった。そしてマリナは親戚の侯爵家に引き取られることになった。
その家には、息子のユリウスがいた。
マリナはユリウスを一目見た瞬間、恋に落ちた。
恋に落ちると同時に、どっと記憶が蘇った。
脳内を駆け巡る記憶をどうにかこうにか整理して、自分の立場を理解する。
そして、この恋が叶う日は来ないのだと悟った。
マリナはとある乙女ゲームに登場するヒロインのライバルだ。
攻略対象者のユリウスの義妹。マリナは義兄を心から愛していた。可愛く摩り寄り、甘えて媚びて、ユリウスにべったりだった。
ユリウスはそんなマリナを大層可愛がってくれた。甘えれば、甘やかしてくれた。だから余計にマリナは義兄に依存していった。
義父と義母に愛されなかったのも原因だ。きちんと貴族の令嬢として育ててはもらえたが、実の子供のように、とはほど遠い扱いだった。
幼くして実の両親を亡くし、新しい両親には愛してもらえなかった。だから自分を愛してくれる義兄にどんどん執着していった。
義兄を愛する気持ちは深くなるにつれ、歪んでいった。
義兄はあくまでマリナを妹としか見ていなかったが、マリナは義兄を一人の男として愛していた。
義兄を独占し、彼の愛を自分のものだけにしたいと願った。自分だけを見てほしかった。
だから、義兄がヒロインと出会い、親しくなり、惹かれていくのが許せなかった。ヒロインを妬み、心の底から憎悪した。
見た目は可憐でか弱い少女だが、義理の両親に愛されず義兄を愛するあまりマリナは腹黒い陰湿な性格へと歪んでしまった。
義兄の前では可愛い子ぶりながら、彼の見ていないところでヒロインを詰り、嫌がらせを繰り返し、義兄から引き離そうとした。無邪気な振りをして、徹底的に二人の邪魔をした。
しかし、最後にはマリナがヒロインをいじめていることが義兄にバレて、往生際悪く泣いて縋るけれど、ヒロインを愛している義兄の心は、もう義妹の涙では揺るがなかった。
唯一心から可愛がってくれていた義兄に突き放され、マリナは絶望しながら修道院へと送られることとなる。
義兄を愛し、けれどその愛が決して報われることはない、マリナ。それが自分なのだと知って、マリナは深くショックを受けた。
どうしてマリナに転生してしまったのだろう。ヒロインに転生できていたら、ユリウスと結ばれることができたのに。
マリナはユリウス推しだった。だからゲームに登場するマリナを好きにはなれなかった。
わがまま三昧でユリウスに甘えまくり、陰ではヒロインをいじめまくる。義兄の前では天使のような顔をして、ヒロインの前では完全に悪魔だった。
マリナがユリウスと結ばれ幸せになれる未来はない。
一目で恋に落ち、しかしそれは失恋したわけでもないのに諦めざるを得ない恋だった。
恋を成就させたいなんて望んではいけない。
ゲームの中のマリナのようにはなりたくなかった。
だから、マリナはユリウスに懐かなかった。わざとそっけない態度をとり、彼に嫌われるように仕向けた。
甘えれば、彼は優しく甘やかしてくれる。
優しく微笑み、頭を撫で、抱き締めてくれる。
そんな風にされれば、この気持ちはどんどん大きくなってしまう。
彼を愛し、同じように愛してほしいと願ってしまうだろう。
そうしたら、マリナはゲームの中のマリナと同じ道を辿ってしまうかもしれない。
彼の幸せを祝福することができず、ヒロインを憎んでしまうかもしれない。
それが怖かった。
だから、マリナはユリウスと親しくならないよう必要以上に彼に近づかなかった。
この家に引き取られた当初、ユリウスはこちらを気遣って優しく声をかけてくれた。だがマリナはそんな彼を冷たい言葉で突き放した。
胸は痛んだけれど、頑なに心を開かず、彼を突っぱね続けた。
やがて、ユリウスもマリナに近づかなくなった。
新しい両親も、義兄も、マリナに関わらない。
孤独だったが、それがマリナの選んだ道だ。
だからマリナは決して心を折られることなく、自分の意志を貫き通した。
そしてユリウスとヒロインが出会う運命の日がやって来た。
社交界デビューを果たしたマリナと、ヒロインであるシルヴィエはとあるパーティーに参加する。
貧乏貴族であるシルヴィエは、他の令嬢から馬鹿にされていた。見下され嘲笑され、耐えきれなくなったシルヴィエは人のいない中庭のベンチでひっそりと一人で涙を流す。そこに同じくパーティーに参加していたユリウスが偶然やって来て、泣いている彼女を慰めるのだ。そこから二人は親しくなっていく。
ゲームの流れと同じく、中傷されたシルヴィエがパーティー会場を抜け出すのをマリナは離れた場所から確認していた。
ユリウスへ顔を向けると、彼は友人達と談笑している。
耳飾りを片方外し、マリナはユリウスへ近づいた。
「お義兄さま」
「っ……マリナ?」
普段、マリナから彼に声をかけることはない。突然のことにユリウスは驚き目を見開く。
マリナはにこりともせずにユリウスに言った。
「少しよろしいですか、お義兄さま」
「あ、ああ……」
ユリウスは友人達から離れ、奇妙なものを見るような目をマリナに向ける。
「一体どうしたんだ?」
「耳飾りを片方、中庭に落としてしまったようなのです。お義兄さま、探してきてもらえませんか?」
「僕が? 自分で行けばいいんじゃないか?」
「外は暗いから怖いのです」
「怖いのに、中庭に出たのか?」
「ほんの少し、外の空気を吸いに出たのです。でも怖くてすぐに戻ってきました。そうしたら、耳飾りが片方なくなっていることに気づいて……」
ユリウスは小さく息を吐いた。
「わかったよ。僕が探してくる」
彼が断らないだろうことはわかっていた。彼は基本的にお人好しで優しいのだ。こちらが冷たい態度を崩さないから彼もマリナには関わらないようにしているが、義妹の頼みを断るような冷酷さは持ち合わせていない。
「お願いします」
「ああ」
一つ頷いて、彼は会場を出ていった。
その姿を見送り、少し時間を置いてから、マリナも中庭に出た。
音を立てないよう、木の陰からそっとシルヴィエがいるはずのベンチの様子を窺う。
シルヴィエの隣には、ユリウスが座っていた。
会話は聞こえないが、彼は彼女を慰めているようだ。やがてシルヴィエは小さく微笑み、ユリウスも顔を綻ばせた。
二人は出会った。これでユリウスルートに入ったはずだ。
照れたように微笑み合う二人を、遠くから見つめる。
ズキズキする胸の痛みを無視して、その場から離れた。
ユリウスを残し、マリナは一人で家に帰った。
翌日。
「マリナ、昨日はどうしてなにも言わずに先に帰ってしまったんだ?」
とっとと一人で帰り、ユリウスが帰ってくる頃にはベッドに入っていたマリナを責めるように彼は言った。耳飾りを探させておいて、勝手に帰ったのだ。当然の反応だろう。
しかしマリナは悪びれることなく平然とした態度で言葉を返す。
「人に酔って具合が悪くなってしまったんです」
「でも、一言くらい……」
「私がいなくなったところで、お義兄さまは気にもなさらないだろうと思って」
「急に姿が見えなくなれば、心配くらいするよ。義妹なんだから」
「そうでしたか。それと、耳飾りですが、中庭ではなく会場内に落ちていました」
「えっ……」
「私の勘違いで、お義兄さまにお手数おかけして申し訳なく思っております」
「……まあ、見つかったのなら、よかったよ」
謝罪の言葉を口にしながらも、マリナの顔には申し訳なさなど微塵も浮かんでいなかった。
しかしユリウスは仕方なさそうに苦笑するだけだ。その瞳は優しかった。
きっと彼は今、マリナなど見ていないのだ。シルヴィエのことを考えているのだろう。彼女との出会いを思い出し、彼女のことで頭がいっぱいだから、マリナの不遜な態度など気にも留めない。
痛む胸をそっと押さえる。
これでいいのだと、自分に言い聞かせた。
自分で望んだことだ。
ユリウスが幸せになってくれれば、それでいい。
シルヴィエと結ばれ、心から幸せに微笑むユリウスをマリナは知っている。前世の記憶に刻まれている。
いつまで経っても消えることのないユリウスへの恋心を押し殺し、ただその未来が訪れることを願った。
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