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しおりを挟む町中が寝静まった真夜中に、瑞樹は一人、暗闇の中を足早に進んでいた。
彼女が向かった先は、この街の領主の屋敷だ。
狙いはもちろんお宝。盗賊である瑞樹の仕事はこれからだ。
軽々と塀を乗り越え、屋敷の裏側に足を踏み入れる。手入れの行き届いた庭には目もくれず、まっすぐ屋敷へと近づく。
腰にさげていた長いロープを手に取った。ロープの先には、大きな鉤爪が括りつけられている。
ロープをぐるぐると大きく回し、狙いを定めて高く放り投げた。鉤爪は三階のバルコニーの手摺りに引っ掛かった。
「よっ……と……っ」
ロープをしっかりと掴み、瑞樹はとん、とん、と壁を軽く蹴り、軽やかに上へ上がっていく。慣れたもので、すぐにバルコニーに辿り着いた。
「ふう……」
瑞樹は一度息を吐き、心を落ち着ける。
ここからが本番だ。
ガラスを切って窓の鍵を開け、そっと中に忍び込む。
部屋の中は無人だった。客間のようで、ベッドや調度品は置いてあるが、ここに瑞樹の求める宝石などはない。
素早くそれを判断し、ドアに近づいた。耳を攲てなにも聞こえないことを確認し、ドアを開ける。隙間から廊下を覗き、誰もいないことを確かめてから部屋を出た。
足音を立てないよう忍び足で、けれどできるだけ速く、廊下を突き進む。角に差しかかり、壁に背を当て向こう側を覗き込もうとしたときだ。
「おや、瑞樹さんじゃないですか」
背後からのんびりとした声がかかる。
瑞樹は飛び上がった。驚きのあまり声も出なかった。悲鳴を上げずに済んだのは幸いだった。
ドッドッと早鐘を打つ心臓を鎮めながら振り向くと、暗がりの中に朗らかに微笑む榊が立っていた。
「なっ、ん……っ」
瑞樹はぱくぱくと口を開閉した。
激しく動揺する瑞樹とは反対に、榊は和やかな空気を纏いこちらに近づいてくる。
「奇遇ですね。まさかこんなところであなたと再会できるとは思いませんでした」
「なん、で、あんたがここにいるんだよっ」
瑞樹は小声で怒鳴った。
心臓が飛び出るほど驚かされたことと、こんな状況にも関わらず呑気な彼の態度が腹立たしかったのだ。
大体、いつの間に背後に現れたのだ。瑞樹はきちんと周囲に気を配っていた。神経を尖らせ警戒していたのに、声をかけられなければ存在に気づけなかった。こんなことははじめてで、瑞樹はショックを受ける。
「私は、白露さんに招待されたんです」
「はくろ……?」
「この街の領主、この屋敷の持ち主ですよ」
「で、こんな時間になにしてんだよ」
「霞さんのことで少し気になることがありまして、調べさせていただこうかと」
霞という名前に、個性的な店主の店で働いていた少女の顔を思い出す。
「ああ、姉ちゃんがいなくなったとかってやつか?」
「ええ」
「領主と関係あんのか?」
「勘ですけどね。調べるだけ調べようと思いまして」
彼の意外な言葉に、瑞樹は首を傾げる。
「神父って、そんなことまですんのか? 話聞くだけじゃねーのかよ」
人々の悩みや懺悔を聞き、祈りを捧げて終わりではないのか。それが神父の仕事で、それ以上のことまでする必要などないはずだ。
榊は微苦笑を浮かべる。
「まあ、普通はそうなんですが。でも私は、自分にできることはしたいんです。この手で助けることができるのなら、助けたい」
「……ふーん」
瑞樹はそっけなく相槌を打つ。
本当はもっと別の言葉をかけようとしたのだけれど、どんな言葉をかければいいのかわからなかったのだ。言葉を探している内になんで自分がそんなことで悩まなければならないのだと思い、ふいっと顔を背けた。
今はこんなところでモタモタしている場合ではないのだ。
「瑞樹さんはここでお仕事ですか?」
「ああ、そうだよ」
瑞樹は盗みが目的で屋敷に忍び込んだ。それをわかっていて、榊は咎めようともしない。
瑞樹は開き直り、踵を返して仕事を続行する。
歩き出す瑞樹のあとに、榊がついてくる。
横に並んだ彼を、瑞樹はギロリと睨み付けた。
「ついてくんなよ」
「進む方向が同じなんです。階段が向こうにあるので」
「どこを調べるつもりだよ」
「一階です。なにかを隠すなら、地下だと思うので」
「地下室があるのか?」
「これだけ立派な屋敷なら、地下室の一つや二つあってもおかしくないでしょう」
「それも勘かよ……」
呆れた顔を向ければ、突然榊の腕がこちらに伸ばされた。
「っ……!?」
避ける間もなく後ろから腕を回され、掌で口を塞がれる。
咄嗟に暴れようとする瑞樹の耳元で、榊が囁いた。
「静かに。話し声が聞こえます」
瑞樹の体に緊張が走る。
じっとして耳を澄ませてみるが、瑞樹の耳にはなにも聞こえなかった。
「下からです」
榊の手が外され、瑞樹は解放された。
二人は顔を見合わせてから、廊下の突き当たりの階段を慎重に下りていく。
下りた先にあった部屋のドアが僅かに開いていて、そこから光が漏れていた。声は部屋の中から聞こえてくる。
ドアに近づくと、はっきりと内容が聞き取れた。瑞樹は息を殺し、榊に並んで聞き耳を立てる。
「ええ、はい。それはよかったです」
聞こえてくるのは一人の男の声だけだ。どうやら電話をしているようだ。
「はい。今回は五人揃えましたよ。どの女も見目麗しい生娘です。きっとご満足いただけると思います」
瑞樹は息を呑み、榊を見上げた。彼の表情からは笑顔が消えていた。
視線を交わし、二人はその場を離れた。
一階に下り、瑞樹は改めて榊と向き合う。
「あの声って……」
「領主のものです」
「この街の領主が……」
「恐らく人身売買でしょうね。しかも、今回がはじめてではないようです」
「あの霞って子の姉ちゃんも?」
「可能性は高いですね。話では、この屋敷に行くと言って家を出てそのまま戻らなかったそうですから」
「だったら、最初から怪しいのはここじゃねーか。憲兵に言って、調べてもらえばいいだろ」
瑞樹の言葉に、榊は緩く首を横に振る。
「目撃者がいるそうですよ。彼女のお姉さんが屋敷から出てくるところを見たという人が」
「え……?」
「自分に疑いを向けないように、わざわざ屋敷を出たあとに捕まえたか、その目撃者というが領主の用意した人物で嘘の証言をさせたのか、どちらかでしょう。領主はこの街ではかなりの力を持っていて、憲兵もなんの根拠もなく彼を調べることはできないそうです」
「でも、今の電話を聞く限り完全に黒だろ。会話の内容を憲兵に伝えれば」
「それは確かな証拠にはなりません。電話の相手が誰なのか、はっきりしたことはわかりません。取り引き相手というのは私達の勝手な憶測です。領主の声を録音していたわけでもないですし、簡単に言い逃れできますよ」
「っじゃあ、どうすんだよ?」
「捕らえられている少女達を見つけるんです」
「この屋敷のどっかに監禁されてるのか?」
「そうでしょうね」
それで榊は地下室を探していたのだ。
確かに、この屋敷に地下室が存在するのなら、捕まえた少女達をそこに隠している可能性は限りなく高い。地下が存在するのなら、の話だが。
(この男、勘で動いてんのか確信があって動いてんのかわかんねーな……)
瑞樹は冷静に状況を分析し行動する榊をじっと見つめる。
無害な神父に見えて、実は全く油断ならない相手なのではないだろうか。
「どうかしましたか?」
「……なんでもねーよ」
瑞樹はなんとなく榊から少し距離を置いた。
「そういうわけですので、瑞樹さんは早めにここから出た方がいいですよ。騒ぎになるかもしれません」
「そんなことできるかっ」
瑞樹は小声で榊を怒鳴った。
「え……?」
「こんな状況で、見て見ぬ振りなんてできるわけないだろっ」
ポカンとする榊を、強い眼差しで見据える。
「確かにオレは善人じゃない。人助けなんて趣味じゃねーし、人の物を盗む犯罪者だ。でも、ここで一人で逃げ出すほど落ちぶれてもいないんだよ」
「…………」
榊は無言で瑞樹を見つめ返す。やがて、柔らかく目を細めて微笑んだ。目を瞠るほど、綺麗な笑顔だった。
「ありがとうございます」
なんだか無性に恥ずかしくなり、瑞樹は彼の笑顔から顔を背けた。
「べ、別に、あんたの為でもねーしっ」
「はい。でも、私が言ったことは全て憶測です。本当にこの屋敷に監禁されているかもわからないですし、領主が人身売買を行っているかも確かではありません」
「わかってるよ。いいからとにかく捜そうぜ」
「では、こちらに」
「え?」
「大体の見当はついています。屋敷の中は一通り案内してもらいましたから」
そう言って廊下を進む彼のあとに瑞樹は続いた。
榊は隅にある部屋へ近づき、そっとドアを開ける。
二人で中に入った。大きな本棚が並べられた、書斎と思しき部屋だ。
「ここになにかあるのか?」
「恐らく、地下への入り口が」
榊は床に敷いてある、高級そうなカーペットを捲った。
暴かれた床の一部に、一メートル四方の扉のようなものがある。正しく、彼の言葉通りのものがそこにはあった。
だがもちろん、部屋を一通り案内したと言っても、領主は地下への入り口の存在を隠したはずだ。それなのに、榊はあっさりとそれを見つけ出した。
「なんでわかったんだ?」
「部屋の中を歩いたとき、少し違和感を感じたので」
「こんな分厚いカーペットが敷いてあるのに?」
「私は人より神経質なもので」
「それ、神経質っていうのか?」
瑞樹の胡乱げな視線に、榊はにこにこと笑うだけだった。
「それより、先を急ぎましょう」
納得はできなかったが、確かに今はのんびりと話している場合ではない。
榊は部屋の隅に移動し、そこに置いてある大きな壺を動かした。すると壺の置かれていた床が、長方形にくり抜かれていた。その溝の中に、取っ手のようなものがある。
榊がその取っ手に手をかけるのを、瑞樹は黙って見ていた。
瑞樹の視線に気づいた榊が言う。
「なんとなく、装飾品の壺がここに置かれているのが不自然で、もしかしたらなにかを隠すために置いているのではと思っていたんです」
「別に聞いてねーよ」
もう、いちいち尋ねるのも馬鹿らしくなってきた。疑問に思うだけ無駄な気がする。
榊が取っ手を引くと、ゆっくりと石の床が動いた。ズズッと石の擦れる音を立て、石の扉が持ち上がる。
そこに現れたのは地下へと続く階段だ。どこまで続いているのか、明かりがなければ確認することもできない。奧は闇に包まれている。
階段に、マッチとローソクが用意されていた。榊はローソクに火を灯し、燭台を手に取る。
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読んでくださってありがとうございます。
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