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しおりを挟む着いたのは、カポックと呼ばれる街だった。
レンガ造りの建物が、整然と立ち並んでいる。道行く人々は店の前で足を止め、思い思いに買い物を楽しんでいた。安穏とした雰囲気の漂う、豊かな街だ。
瑞樹と榊は道沿いの店に視線を向けながら、街の中へと足を進める。
「飲食店は色々あるようですね。どこにしますか?」
「オレが選んでいいのか?」
「ええ。もうお昼は過ぎていますし、この時間帯ならどの店も空いていると思いますよ」
「そうだな……」
選んでいいと言われ、瑞樹は早速店を探す。
どうせなら、安い食堂ではなくそれなりの店でたらふく食ってやろうと考えていた。
「あっ、あそこがいい!」
瑞樹が指を差したのは、道の角にある店だった。外観がお洒落で、清潔感溢れている。高級過ぎないので瑞樹も気軽に入れるが、料理の値段はそこそこに高そうな雰囲気の店だ。奢りでなければ、瑞樹は絶対に選ばなかった。
「じゃあ、入りましょう」
榊は文句も言わず、店のドアを開けた。彼に促され、瑞樹は先に中に足を踏み入れる。
店内は、可愛らしい雰囲気に包まれていた。白いレースのテーブルクロスがかけられたテーブルが並び、鮮やかな花が壁に飾られている。
他に客はいなかった。
「あらぁ、いらっしゃぁい」
そう言ってカウンターから出てきたのは、フリフリの純白エプロンを身につけた逞しい体格の大男だった。どうやら彼がこの店の店主のようだ。鍛えられた肉体とレースとリボンがふんだんに散りばめられたエプロンは誰が見ても違和感しかなかったが、瑞樹も榊もそのことについて一言も触れなかった。
二人は窓際のテーブル席に着く。店主が近づいてきて、水の入ったグラスをテーブルの上に置いた。
「あらあらあら」
店主は榊を見つめ、頬を染めて身をくねらせる。
「やだぁ。なんてステキな神父サマなのぉ。アタシ、すっごく好みだわぁ」
「ありがとうございます」
にこりと穏やかに微笑む榊を、瑞樹はメニュー越しに、呆れたような感心したような眼差しで見つめた。
フリフリエプロンを身につけたゴツい男に言い寄られて少しも笑顔を崩さないなんて、さすが神父と言うべきなのか。
「で、ご注文は?」
尋ねられ、榊は店主から瑞樹へと顔を向ける。
「どうしますか?」
「なに頼んでもいいのか?」
「構いませんよ」
榊が頷くのを確認し、瑞樹はメニューを見ながら軽く息を吸い込んだ。
「んじゃ、クリームきのこのパスタにトマトのドリア、魚のホイル焼きとレモンバターのステーキ、それにカボチャのスープと海藻サラダ」
「…………それ、まさかアンタ一人で食べる気?」
「当たり前だろ」
頬をひきつらせる店主に、瑞樹は事も無げに頷いた。
店主が尋ねるように榊に視線を向ければ、彼はにこりと笑顔を浮かべる。
「私はコーヒーをお願いします」
動じることもなく、榊は自分もオーダーを済ませる。
「…………わかったわ。注文されたものを作るのがアタシの仕事ですもの。ただし、残したら承知しないわよっ」
ビシッと指を差してポーズを決めてから、店主は厨房へと姿を消した。この店は彼が一人で切り盛りしているのだろうか。
それから、次々と料理がテーブルに運ばれてきた。大変そうな店主を尻目に、瑞樹は嬉々としてそれらに手をつけていく。
そんな瑞樹を、榊は唇に笑みを乗せて眺めていた。
「瑞樹さんはとても嬉しそうに食事をなさいますね」
「美味いもんを食べてるときが一番幸せだからな」
「そうですか」
「女のくせに、とか思ってんだろ」
ステーキを切りながら、瑞樹は榊に視線を向ける。すると榊は、柔らかく目を細めて微笑んだ。
「そんな風には思いませんよ。楽しそうに食事をする瑞樹さんを見ていると、こちらまで楽しくなります」
そう言う榊の笑顔は本当に綺麗で、瑞樹はドキッとする。
金塊や宝石よりもずっと美しく、清らかだ。
今まで生きてきて、こんなに綺麗な人間を見たことがなかった。
瑞樹を盗賊と知って尚、こんなに優しく微笑みかけてくれる者など一人もいなかった。
(変なヤツ……)
それとも、神父とは皆こうなのだろうか。
他人の物を盗む罪人にも、平等に優しさを振り撒く。それが彼らの仕事なのだろうか。
(哀れんでるってことか?)
もしそうならば不愉快だが、わざわざ口に出して指摘することはしなかった。せっかくの楽しいランチタイムを台無しにしたくない。だから瑞樹はそれ以上余計なことは考えず、食事に専念することにした。
黙々と食べていると、厨房から人が出てくるのが見えた。
新しい料理が運ばれてくるのかと思ったが、現れたのはゴツい店主ではなく栗毛の少女だった。歳は十五歳くらいだろう。
「それじゃあ、私はこれで失礼します」
少女は厨房の奥に向かってペコリと頭を下げる。店主に言っているのだろう。彼女はこの店の従業員のようだ。店主一人で営業しているわけではないらしい。
振り返った少女の顔はひどくやつれていた。憔悴しきった様子で、覇気がない。
少女は顔を上げ、瑞樹達の姿を目に映す。すると、少女の双眸がハッとしたように大きく見開かれた。
「神父様!?」
少女は叫び、こちらに駆け寄ってくる。
「神父様、私、霞・ディルフィスと申します。どうか、どうかお祈りをお願いしますっ」
胸の前で両手を組み、少女は榊に懇願する。彼女はとても思い詰めた表情をしていた。
榊は少女を安心させるように、大きく頷く。
「もちろん構いませんよ」
「ありがとうございますっ」
霞は涙を浮かべ、大仰に頭を下げる。
「とりあえず場所を移動しましょう。ここでは無理なので」
「はい。私の家へご案内します」
榊は立ち上がり、瑞樹の方を振り返る。
「すみません、一人にしてしまうことになりますが……」
「いいから、さっさと行ってこいよ。オレは別に、金さえ払ってもらえればそれでいいし。たぶん、お祈りが終わってもここで食べてると思うから」
「そうですか」
瑞樹が気にするな、というように手を振れば、榊はほっと頬を緩めた。
そこへ、霞が遠慮がちに口を挟んでくる。
「あの、神父様、こちらの方は……?」
怪訝そうに、チラリと瑞樹へ視線を向ける。どうやら、カツアゲでもされているのかと心配しているようだ。
「私の命の恩人なんです」
榊はさらりと言う。
「は、あ……」
冗談とも本気ともつかない答えに、霞は曖昧に首を傾げた。
瑞樹は敢えて口を挟まず、ただひたすらに食事を続ける。
「そうだ、瑞樹さん」
「んあ?」
「これをあなたに預けておきます」
そう言って、榊は首に提げていた十字架を瑞樹に渡す。
「私がここへ戻ってくる証明に」
「別に疑ってねーよ」
他の人間ならばその可能性は充分に考えられるが、教会に属する榊が人を騙すような真似をするとは思えない。
返そうとするが、榊がそれを遮った。
「一応、預かっていてもらえませんか? その方が、私が安心できるので」
「…………まあ、そう言うなら」
別に預かるくらい大したことではないので、瑞樹は受け取った十字架をポケットに押し込んだ。
「お待たせしてすみません。行きましょう」
「は、はい」
榊は霞を促し、連れ立って店をあとにした。
「霞ちゃんも、可哀想にねぇ……」
いつの間に近づいてきたのか、傍らに立つ店主が頬に片手を当ててほう……と溜め息を零した。もう片方の手に持っていたスープの皿を、テーブルに置く。
「なんかあったのか?」
パスタを啜りながら、瑞樹は何気なく尋ねた。
「霞ちゃんのお姉さん、行方不明になっちゃったのよ」
「行方不明?」
「そう。用事があって出ていったっきり、帰ってこないんですって。どこにいるのか、手掛かりもなにも見つからないのよ。それで霞ちゃん、すっかり元気なくしちゃって……」
「ふーん……」
だから、あんなに切羽詰まっていたのだ。霞の様子を思い出し、瑞樹は納得した。
今、彼女は正に、神に縋る思いなのだ。
「見てて本当に可哀想で……。アタシに力になれることがあればいいんだけど……」
店主はエプロンのポケットからレースのハンカチを取り出し、目尻に浮かぶ涙を拭う。
「やだわ。アタシってば、お客様の前で……。顔洗ってこなくちゃ」
奥へ引っ込もうとする店主を、瑞樹は引き止めた。
「あっ、待っておっちゃん。チーズハンバーグ追加で」
次の瞬間、可愛らしい店内に似つかわしくない野太い怒声が店中に響き渡った。
「おっちゃんって呼ぶんじゃねぇっ!!」
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