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 ツバキの暮らしていた村は、お狐様に守られている。ずっと昔からお狐様は村の守り神だ。
 村から離れた森の奥に住んでいるお狐様は、村の娘を一人娶る。
 数百年に一度、お狐様は代替わりする。代替わりすると、また新しい娘を娶るのだ。
 数年前、お狐様は今のお狐様へと代替わりした。そして今のお狐様の嫁にと選ばれたのがツバキだった。
 選ばれたと言っても、お狐様が選ぶわけではない。嫁がせる娘を選ぶのは村人だ。
 両親に捨てられ村人から疎まれていたツバキは、追い出される形でお狐様に嫁ぐこととなった。
 そしてお狐様の住まうこの御屋敷にやってきて数日が過ぎた。
 広い部屋。美しい着物。美味しいご飯。寝心地のいい布団。
 ここでの暮らしは快適だ。
 だからこそ、ツバキは居心地が悪かった。
 お狐様の嫁としてここへ来たのに、旦那となったハクは一度もツバキの前へ姿を現さないのだ。
 神であるお方だ。姿は見せずとも、ツバキの事はどこかから見ているに違いない。
 そして、きっとがっかりされたのだろう。
 ツバキのような凡庸な娘が嫁いできた事に。
 子供の頃から、同い年の男の子や女の子によくブスだと詰られてきた。だからツバキは自分の容姿が人よりも劣っているのだと自覚している。
 守り神様に嫁ぐのだから、本当は見目の麗しい女性が嫁ぐのが相応しいのだろう。きっとハクもそう思っていたに違いない。
 それなのに、実際に嫁いできたのはみすぼらしい少女でさぞがっかりされたことだろう。
 ツバキの前に姿を現さないのは、きっとそういうことだ。ツバキとは顔も合わせたくないのだ。

「お嫁様、お食事をお持ちしました」

 襖を開け、フクが食事を運んでくる。
「お嫁様」、という呼び方もツバキは気後れしてしまう。嫁だと認められていないのに烏滸がましいと感じてしまう。

「あの、差し支えなければ、私のことはツバキと呼んで頂けませんか?」
「お嫁様がそう望むのなら、今度からはツバキ様と呼ばせて頂きますね」
「はい、お願いします」

 すんなりと承諾してもらえた事にほっとする。
 食事を置いたらフクは部屋を出ていった。
 手を合わせてから、ツバキは一人ぼっちの食事をはじめる。
 料理は確かに美味しいのに、心から美味しいと感じられない。
 一人での食事は慣れている。子供の頃に両親に捨てられてからは、ずっと一人だったのだから。
 でも、少し期待していたのだ。
 お狐様と夫婦になれば。家族ならば、一緒に食事をするのではないかと。食事を共にしたり、同じ景色を見たり、他愛もない会話をしたり。そんな風に一緒に時間を過ごせるのではないかと。
 ほんの少しだけ、そんな夢を見た。
 でも、これが現実だ。
 村人達と馬が合わなかった両親は、しょっちゅうちょっとした事で村の人と言い合いになっていた。子供の頃から、父も母も村の中で浮いた存在だったらしい。だから、ツバキ達親子は村人から煙たがられていた。
 何かに縛られたり抑制されたりするのを嫌う両親にとっては、ツバキの存在も煩わしいものだった。親に可愛がられた記憶はなく、ツバキは誰からも愛されず育った。
 十歳の頃、遂に村での暮らしに嫌気がさした両親はツバキを置いてどこかへ行ってしまった。
 村の中で異質だった二人がいなくなり、村人達は喜んだ。
 そして一人残されたツバキを引き取ろうという者などおらず、ツバキはそれからずっと一人だった。
 両親に捨てられ、村人から疎まれ、誰からも必要とされていないツバキ。
 そんな少女を嫁として勝手に宛がわれ、お狐様も迷惑だろう。
 村人達に言われるままにのこのこと来てしまった事を申し訳なく思った。
 かといって、断る事もできなかっただろうが。村人達は誰も自分の娘をお狐様に嫁がせたくないのだ。お狐様の嫁となれば、もう会う事ができなくなる。数百年という長い時間をお狐様と共に生きる事になるのだ。だからお狐様に嫁ぎたいという娘もおらず、そうなると自動的に爪弾きにされているツバキへと白羽の矢が立つ。
 村で厄介者扱いされていたが、ここでも同じようだ。
 ツバキの居場所はないのだ。
 求められていないのに嫁としてここに居座っている自分が恥ずかしい。
 広い部屋も美しい庭の景色も綺麗な着物も美味しい食事も、与えられるもの何もかも、ツバキの為のものではないというのに。
 しかし村人達にお狐様の嫁として選ばれここへ来てしまった以上、もうそれを覆す事もできない。
 せめて少しでも役に立ちたくて掃除などの手伝いをフクに申し出てみたが、「お嫁様がそんな事をする必要はありませんよ」とやんわり断られてしまった。
 する事がないツバキは縁側に座り庭を眺めるのが日課となっていた。
 様々な花で満たされた庭は、見ているだけでツバキの心を癒してくれる。柔らかい花の香りを吸い込み、目を閉じた。
 ぼんやりと過ごしていると、カサリと草を踏む音が耳に入る。
 パチリと目を開ければ、庭に狐がいた。まだ子供なのだろう。その体は小さかった。
 子狐はツバキを見ている。短い足でちょこちょこと近づきてきた。
 その愛らしさにツバキは自然と笑顔になる。
 人に慣れているのか、足元まで寄ってきた。
 思わず手を伸ばそうとして、しかしふと頭の中を同年代の子供達に言われた言葉が過る。

『ブスが触るなよ』
『そーだ、そーだ! 近寄るな、不幸が移る』

 落とし物を拾おうとすれば拒まれ、顔を見ただけで悪口を吐き捨てられた。
 ツバキは子狐に触れようとした手を引っ込める。 自分が触れば嫌がられたり怖がらせてしまうかもしれない。
 そう思って手を出さずにいたら、子狐の方がぴょんとツバキの膝に飛び乗ってきた。

「わっ……あ、ぅ……」

 動物と触れ合った事のないツバキは戸惑う。すると子狐がすりすりと身を寄せてきた。

「あ、あの……触らせて、くれるんですか……?」

 言葉が通じているとは思わないが、子狐は返事をするように小さく鳴いた。
 怖がらせないよう恐る恐る、背中を撫でた。ふわりと柔らかい毛の感触に、ツバキは胸を高鳴らせる。

「ふ、わっ……や、柔らかいっ……すごい、気持ちいい……っ」

 子狐の愛らしさとふわふわの毛にツバキは感動した。
 微睡むように目を細める子狐の背中を優しく撫で続ける。

「ふふ……可愛い……。撫でさせてくれて、ありがとうございます」

 こんな幸せな気持ちになったのははじめてかもしれない。
 ツバキはうっとりと微笑み、飽きる事なく小さな背中を撫でた。





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