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しおりを挟むカティは頭を打った衝撃で約五年ほどの記憶を失くしてしまったようだ。カティが覚えているのはトビアスと結婚する前の記憶までで、ある日ふと目覚めたら自分は既に結婚していたという状況だった。
記憶が戻るかどうかはわからない。
不安もありはじめは混乱したけれど、ずっと好きだった人と結婚できていたことがカティは嬉しかった。
トビアスは変わらず優しくて、カティを大切にしてくれる。寧ろ以前よりもずっとカティを気にかけ、入院中も時間の許す限り傍にいてくれた。
退院後もカティを常に気遣い、あれこれと世話を焼いてくれた。
なによりも、カティを見つめる瞳が前と違う。カティに送られる視線は熱が籠っていて、愛おしいという気持ちが伝わってくる。
こんな風に見つめられた記憶は今のカティにはない。
形だけではない、本当に彼の妻になれたのだ。
愛する人と結ばれることができたのだ。
そう実感し、カティは心からそれを喜んだ。
まだ戸惑うこともあるけれど、とても幸せだった。
退院して数日が経ち、カティは用意した夜着に着替えて夫婦の寝室に入った。少し色っぽい夜着だ。
結婚して一年以上が過ぎている。カティは当然トビアスとの初夜は済ませていると思っていた。
退院後、同じベッドで眠るだけだったが、今日は抱いてもらおうと覚悟を決めていた。記憶を失くしたカティにとっては今日が初夜になる。緊張するけれど、愛するトビアスに抱かれたい。
ドキドキして、やって来たトビアスに身を寄せれば、やんわりと体を離された。
「トビアス様……?」
「こういうことは、やめておこう」
はっきりと断られ、カティの胸に鋭い痛みが走る。
思い出した。彼は大人っぽい女性が好きなのだ。彼が抱き締めてキスをするのは、カティよりももっと魅力的な女性だ。
夫婦になれた事実に喜んで、彼に大切にされて、愛されていると思い込んでいた。
けれどそれは違ったのだ。カティの自惚れに過ぎなかった。勝手に思い違いをして、浮かれて、そんな自分が恥ずかしかった。
それを誤魔化すようにカティは笑う。
「ごめんなさい、そうですよね。私相手にそんな気にはなれませんよね。こんな格好、私には似合いませんし……」
「違う! そうじゃないんだ、カティ!!」
トビアスは必死な様子で否定する。
「俺はカティを抱きたいと思ってるよ! その格好だって似合ってる! カティはとても魅力的な女性で、俺にはもったいないくらい素敵で、可愛くて、綺麗で、心から愛する大切な存在なんだ!」
言い募るトビアスの表情は真剣だ。
「だから、こういうことは、カティが心から望んでくれてからしたいんだ……」
「私は、トビアス様を愛してます。トビアス様だからこそ、抱いてほしいと……」
「それは……っ」
それは、君が記憶を失くしているからだ。
言葉に詰まるトビアスがなにを言おうとしたのか、カティにはわからない。
「……それに、まだ退院して数日しか経っていないだろう。もう少し時間を置いた方がいい」
カティは大人しく頷いた。
ここでしつこく言い寄って、彼に嫌われたくはなかった。
「さあ、今日はもう眠ろう」
促されて、ベッドに横になる。目を閉じれば、トビアスが優しく頭を撫でてくれた。
大切にされているはずなのに、不安は消えない。
「もし記憶が戻ったら……記憶を失くした君を抱いたと知れば、カティは傷つくだろう……。でも、結局君を傷つけてしまった……。もう二度と、悲しませたくなんてないのに……」
眠りに落ちたカティには、トビアスの独り言は届かなかった。
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