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しおりを挟むトビアスに惚れ薬を飲ませて一月が過ぎた、とある日の午後。
カティはトビアスと向かい合う形でソファに座り、話を切り出した。
「トビアス様、私と離婚して下さい」
「っえ……?」
トビアスの大きく見開かれた瞳に、微笑むカティが映っていた。
彼は信じられないものを見るような目をカティに向ける。
「な、と、突然、なにを……なんで急にそんな……」
愕然とするトビアスとは反対に、カティは穏やかな微笑を浮かべる。
「急に、ではありません。私はずっと前から考えていました」
「っ、ずっと、前……?」
カティの言葉にショックを受け、トビアスの顔は蒼白になっていく。けれどカティは笑顔を絶やさない。
「ええ。トビアス様、自分のしたことをお忘れですか? 私以外の女性と関係を持っていたでしょう?」
「っ……」
「それに結婚してからも、娼館へ行ってましたよね? 私にはキスもしてくださらなかったのに」
「そ、それはっ、違うんだ……俺は君を妹のように思っていて……君への気持ちは家族に対するものと同じだと、そう思っていた。でも今は違うっ、君を一人の女性として、心から愛しているんだ……っ」
それはそうだろう。惚れ薬を飲んでいるのだから。
トビアスは必死に言い募るが、カティはそれが彼の本心ではないと知っている。だから、今さらなにを言われようと迷ったりはしない。
「私は、もう貴方を愛してはいないのです」
「っ……」
「今になって愛を囁かれても、もう遅いのです。私はとっくに、貴方に愛されることを諦めてしまったんですから」
「ま、待ってくれ、カティ……っ」
トビアスの懇願を無視して、カティは用意していた紙をテーブルに広げる。離婚届だ。既にカティの署名はされている。
それを見て、トビアスの双眸に絶望が滲む。
「嫌だっ、嫌だ、カティ、俺は君と別れたくないっ……愛しているんだ、カティっ、お願いだから、考え直してくれ……っ」
「いいえ、トビアス様。私を本当に愛していると仰るなら、私の望みを叶えて下さい」
「っ、待って、待ってくれ、カティ!」
追い縋るトビアスに構わずカティは立ち上がり、準備していた荷物を手に取った。
「私はこのままここを去ります。決して私を追いかけないで下さい」
「カティ! 許してくれ、頼むっ、俺は、君がいなくては……っ」
「どうか、幸せに。さようなら、トビアス様」
追いかけたくても、トビアスはカティの意思を蔑ろにはできない。優しい人だから、愛する人を無理やり縛り付けることなどしない。
深い悲しみに顔を歪めるトビアスを置いて、カティは部屋を後にした。
愛する人に捨てられ、彼の心は酷く傷ついたことだろう。
だが、それも今だけだ。
別れを切り出す前に、カティは惚れ薬の効果を消す薬を彼に飲ませた。薬の効果は二、三日であらわれる。三日も過ぎれば、彼の悲しみなど消えてなくなるのだ。だって彼はカティを愛してはいないのだから。
離婚なんて今時珍しくもなく、それが彼の汚点になることもない。カティと離婚を成立させれば、彼は気兼ねなく娼館へ通うなり新しい妻を娶るなり、自由にできる。カティに縛られることなく、これからは好きに生きていくことだろう。別れを切り出したのはカティの方なのだから、彼が気に病むこともない。
カティはただ、愛する人に愛されない悲しみをトビアスに知ってほしかっただけだ。ほんの少しでいいから、思い知らせたかったのだ。
この先一生、苦しみ続けてほしいとまでは思わない。だから惚れ薬の効果は最初から消すつもりだった。
カティは今でもトビアスを愛している。いっそ嫌いになれたら悲しむこともなかったのだが、カティの彼を思う気持ちは今も変わらない。だからこそ、これ以上彼の傍にいるのは辛かった。傍にいられるだけで幸せだなんて思えなかった。
彼に愛されることを心から望んでいる。でもそれは叶わないから、別れることを決意した。
溜め込んだお小遣いを使って遠くの街へ向かった。そこで運良く心優しい老夫婦と出会い、彼らの屋敷の掃除婦として住み込みで雇ってもらえることになった。
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