好きなのは私だけ

よしゆき

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 屋敷に着くと、腕を引かれ寝室に連れてこられた。

「フィデル……? あっ……」

 ベッドに倒され、カリナは戸惑う。
 どうして寝室に。何をするつもりなのか。
 フィデルが何を考えているのかわからず、困惑した。
 いつも柔らかく微笑んでいる事が多いフィデルだが、今は感情が抜け落ちたかのように無表情だ。けれどその瞳には強い憤りを宿している。
 怖かった。もしかして、自分は彼に捨てられるのだろうか。彼の怒りを買い、もう顔も見たくないと思われてしまったのかもしれない。傍にいる事も許されなくなってしまうのか。

「ぁ……フィデル……ごめんなさい、私……」

 デフィリアとの逢瀬を邪魔するつもりはなかった。
 謝ろうとするカリナの首にフィデルの手が伸びてくる。

「黙って」
「っ……!」

 首を絞められるのではないかと身を竦めたが、フィデルが掴んだのは首ではなく項を守るチョーカーだ。

「っあ……!?」

 チョーカーを毟り取られ、首が晒される。カリナは本能的に不安を覚えた。

「フィ、デル……なに……を……?」

 仰向けの体を横臥させられる。肩を掴まれ、項に彼が顔を近づけるのがわかった。

「ダメッ──!!」

 カリナは反射的に拒んでいた。

「だ、めっ、だめ、フィデル……!」
「どうして? 僕達は夫婦だ。番になるのはおかしい事じゃない」
「それは……」

 そうだ。カリナは彼の番になりたいと望んでいる。
 でも、どうして彼が急に項を噛もうとするのか理由がわからない。だって、フィデルはデフィリアが好きなのに。
 そこでハッとした。
 もしかして、彼女に恋人ができたとか、結婚したとか、そういうことだろうか。そのショックで自暴自棄になっているのではないか。
 だとしたら、今項を噛めば彼はきっと後悔する。勢いでカリナと番になってしまえば、後から冷静になった時、後悔の念に苛まれる事になるだろう。
 彼の番にしてほしい。けれど、こんな形で番になりたいわけではない。

「お、落ち着いて、フィデル……。冷静になって……」
「僕は冷静だよ。カリナ、どうして嫌がるの?」
「嫌なわけじゃ、ないわ……。でも、まだ……もっと時間を置いた方がいいと思うの……」

 フィデルは今、デフィリアの事で傷ついている。その傷を癒さずに無理やり埋めようとしているのだ。そんな事をしても、フィデルが苦しむだけだ。
 カリナと番になったって、彼の傷は消えない。カリナではデフィリアの代わりにはなれないのだから。
 彼の心の傷をどうしたら癒せるのかわからなくて悲しくなる。

「どうしてそんな、泣きそうな顔をするの? 泣くほど僕とは番になりたくないの?」
「違っ……違うわ、フィデル……。でも、今は、あなたの番には、なれないの……」

 本当は心から番になりたいと望んでいる。
 彼がデフィリアではなくカリナを選んでくれて、彼女よりもカリナを愛してくれて、番になりたいと言ってくれたのならよかったのに。
 でも、そうじゃない。彼が愛しているのは自分じゃない。

「番は、愛し合う者同士がなるのよ……」

 泣きそうになりながらその言葉を絞り出せば、フィデルの顔が激情に歪む。

「やっぱり……っ。カリナは、あの男が好きなんだ……。あの男を愛してるんだ……っ」
「っ…………え?」

 吐き捨てるように言われた言葉の意味がわからず、カリナは戸惑う。

「あの男……って……?」
「さっき一緒にいただろう! 幼馴染みの……っ。彼と会えて、泣くほど嬉しかったんだろう……!?」
「そ、それは……」
「最初から、思ってたんだ……。カリナには好きな人がいるんじゃないかって……。僕との結婚に全く無関心で、諦めたような顔をしてたから……。他に好きな人がいるけど、その人とは結婚できなかったんだろうって……」
「ぁ……」

 確かに最初はそうだった。どうでもいいと思っていたから、結婚式の段取りも何もかも言われるがまま無気力に受け入れていた。

「カリナは、あの男が好きなんだろう!? だから、僕と番になりたくないんだ!」
「ち、違うの、そうじゃなくて……っ」
「涙を見せるなんて、よっぽど心を許してる証拠だ……! カリナは僕じゃなくて、アイツと結婚したかったんだろう!? 僕と結婚した今も、アイツが好きで……アイツの番になりたいんだろう!?」

 いつも穏やかなフィデルが激昂し問い詰めてくる。見たことのない彼の様子に驚き、狼狽する。やはりデフィリアとの間にショックな事が起きて、感情を抑えられなくなっているのだ。
 どうしてこんなにもウィルフレドとの仲を疑っているのかわからないが、誤解されたくなかった。

「違うわ! 私の話を聞いて、フィデル!」
「っ……」

 大きな声を上げれば、フィデルはハッとしたように口を閉ざした。

「フィデル、確かに私はウィルフレドの事が好きだったわ」
「……っ」
「でも、元々私の片思いで……彼が運命の番と出会ったことで、私は完全に失恋しているの。だからあなたの言う通り、最初は誰と結婚しても同じだと思って……結婚なんてどうでもいいって、投げやりになってた……」
「…………」
「だけどね、今は違うわ。もうウィルフレドに対する気持ちも変わって、彼のことは幼馴染みで、友人としてしか見てないの。彼と結婚したいとか、番になりたいなんて、全く思ってないわ」

 フィデルのお陰で、今では心からウィルフレドの幸せを喜べる。フィデルが傍にいてくれたから、カリナの気持ちはゆっくりと穏やかに変化していった。変化したこの気持ちの行き場がないとしても、この気持ちを大切にしたい。
 フィデルは俄には信じられないようで、困惑気味に瞳を揺らす。

「……だったら、どうして……。僕の、番になってくれないの……?」
「だって……他に、好きな人がいるのは、フィデルの方でしょう……?」
「え……?」

 驚いたように目を瞠るフィデルを、まっすぐに見つめる。

「ごめんなさい……。前に、聞いてしまったの。フィデルには思い合う相手がいたって……。その人はβだから……αのフィデルは結婚できなかったんだって……」
「っ……」
「今日、会った……デフィリアさんのことでしょう……?」

 確信を持って尋ねれば、フィデルは更に目を見開いた。

「フィデルは、彼女のことが今でも好きなのよね……? すごく、素敵な人だもの……思い合っていたなら、すぐに忘れられるわけない……忘れるなんて、できないわよね……」

 気持ちが離れたわけではない。αとβだから。そんな理由で引き離されてしまったのなら、簡単に好きな気持ちを捨てられるわけがない。寧ろ、いつまでも忘れられず心に残り続けるのだろう。

「彼女のことが好きなのに、無理に私と番になろうとしないで……。番になりたくないのなら、ならなくてもいいのよ。フィデルの気持ちを優先して。デフィリアさんへの思いを抱えたまま、勢いで私と番になれば、フィデルはきっと後悔するわ。だから……」
「ま、待って、カリナ……!」

 フィデルは慌てた様子で話を遮る。

「違う、違うんだっ」
「フィデル……?」
「僕とデフィリアはそんな仲じゃないよ!」
「え……で、でも……」
「彼女には絵を教わっていたから、一緒にいる時間が長くて……距離も近かったから……端から見ると恋人に見えたみたいで……そういう仲だと誤解されているような気はしてたけど……」
「誤解……」

 カリナは呆然と呟く。

「誓って、恋人とか、そういう仲ではなかったよ。もちろん人として彼女のことは好きだし、彼女の描く絵に惹かれていた。彼女に対する気持ちは憧れで、恋愛感情はないよ。本当に」

 きっぱりと否定され、カリナは呆然となる。彼はずっと他に好きな人がいるのだと思い込んでいたので、彼の言葉をすんなりと飲み込めない。
 動揺し揺れるカリナの瞳を、フィデルがまっすぐに見つめ返す。

「僕が好きなのはカリナだよ。好きだから、番になりたいんだ」
「っ、え、ぁ……?」
「カリナがあの幼馴染みと二人きりで……しかも泣いてるのを見て、カッとなっちゃって……カリナを僕だけのものにしたくて、我慢できなくて……。ごめん……ちゃんと先に気持ちを伝えるべきだったね」
「そんな……だって、私の片思いだって……そう思ってたのに……」
「え……? 片思いって……」
「あっ……」

 うっかり口を滑らせてしまい、カリナは頬を赤く染める。

「カリナ?」
「あ、あの、それは……」

 気持ちを言ってはいけないと思っていた。他に好きな相手がいるフィデルに思いを伝えても、彼を困らせるだけだと。
 でも、違うのだ。この気持ちは、伝えてもいいのだ。
 いざとなると、なかなか言葉が出てこない。はくはくと、口を何度も開閉する。
 フィデルは期待に瞳を輝かせつつ、穏やかに微笑みながらカリナの言葉を待っている。
 伝えなくては。伝えたい。好きだと言いたい。

「っ…………私、もっ……フィデルが、好きっ……です」

 伝えた途端、フィデルはくしゃりと嬉しそうに顔を綻ばせた。

「カリナ……っ」
「きゃっ……」

 フィデルは子供のようにいきなりぎゅっと抱きついてくる。
 彼の腕に包まれて、カリナは羞恥と緊張と喜びに心臓をバクバクと高鳴らせた。

「嬉しいよ。僕のこと、好きになってくれてありがとう」
「こ、こちらこそっ……私なんかを……」
「『なんか』なんて言っちゃダメだよ。カリナはすごーく可愛い素敵な女性なんだから」
「そ、そんな、ことは……っ」
「ふふっ……耳、真っ赤になってる……。照れてるの? 可愛い」
「言わな、ぃでっ……」
「はははっ、可愛いっ」
「もうっ、からかわないで……!」
「からかってないよ。ほんとに可愛いんだもん」

 好きな人に言われる「可愛い」は心臓に悪いものなのだとカリナは知った。
 するりと頬を撫でられ、自然と顔を彼に向ける。
 至近距離で目が合って、心臓が跳ねた。
 ゆっくりと距離が縮まり、カリナは目を閉じる。
 そっと、唇が重なった。
 胸がドキドキして、頭がふわふわする。顔が熱くてじんじんするし、触れ合う箇所がとろとろになるような感覚だった。
 触れ合う時と同じように、ゆっくりと唇が離れていく。
 フィデルの熱い視線が注がれ、落ち着かない。

「カリナと、番になりたい……」
「っ……」
「項、噛んでもいい……?」

 窺うように尋ねられ、Ωとしての本能が反応する。好きな人の番になりたい。項を噛まれたいと、心と同時に体もそれを強く求める。

「は、はい……っ」

 気持ちが昂りすぎて声が震えた。

「私も、フィデルの番になりたい……」

 素直に求めれば、フィデルは嬉しそうに目を細めた。
 うっそりと微笑むフィデルがカリナの頬にキスをする。
 ピクリと反応するカリナに笑みを深め、フィデルの手が首筋に触れた。
 緊張と歓喜に震えながら、カリナは彼に項を晒す。心臓が飛び出しそうなほどに激しく脈打つ。

「噛むよ、カリナ」

 項に彼の熱い吐息が触れ、ぞくぞくっと肌が粟立つ。

「は、いっ……」

 しっかりと頷いた次の瞬間、がぶりと項に噛みつかれた。





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