好きなのは私だけ

よしゆき

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 結婚して数ヶ月が経ったある日。カリナはフィデルと共にお茶会に招待されていた。
 夫婦としてこういう場に参加するのははじめてだ。緊張していたカリナだが、フィデルが常に隣にいてリードしてくれて、挨拶も問題なく済ませる事ができた。
 大分緊張も和らぎ、フィデルと一緒にお茶を楽しんでいた時だ。

「フィデル?」

 女性の声がフィデルを呼んだ。
 カリナとフィデルは同時にそちらへ顔を向けた。
 目を引くような美女が、フィデルを見て微笑んでいた。

「デフィリア……っ」

 フィデルは目を見開き、彼女の名前を呼んだ。

「久しぶりね」
「ああ、そうだね。まさか、ここで会えるなんて……」
「そちらの方は、あなたの……?」

 デフィリアと呼ばれた女性はカリナに視線を向ける。

「ああ、うん。僕の妻のカリナだよ」
「はじめまして、カリナです」

 カリナは会釈する。

「カリナ、彼女はデフィリア。彼女は画家なんだよ。僕は彼女に色々と絵の事を教わったんだ」
「デフィリアよ、はじめまして」

 デフィリアは微笑み、カリナに手を差し出してくる。カリナはその手を握った。
 彼女の顔を、どこかで見た事がある気がした。
 意志の強そうな瞳。口元のほくろ。色気の醸し出される美しい顔。

「っ……」

 気づいて、声を上げそうになるのを寸でのところでこらえた。
 彼女は、フィデルのスケッチブックに描かれていた女性だ。
 その事実に、カリナは察した。
 彼女こそが、フィデルと思い合う女性なのだと。βだから結ばれる事のできなかった、フィデルの好きな人。
 艶やかな魅力に溢れたこの人が。
 華やかさに欠ける地味なタイプの自分と比べ、カリナは愕然とした。

「フィデル……私、少し庭を見てくるわ……」
「ん? それなら、僕も……」
「いいの、一人で行くわ。フィデルは彼女と話していて。久しぶりに会えたんでしょう?」
「え……あっ……カリナ……?」

 フィデルの返事も聞かず、カリナは彼を残してその場から離れた。早足で庭へと出る。
 一人になり、改めて深く落ち込んだ。
 フィデルは不審に思っただろう。でも、あの場にいたくなかった。フィデルに彼女とカリナを比べられるのが嫌だった。
 あまりにも違いすぎる。
 せめてもう少し雰囲気が似ていたなら、いつかフィデルがカリナを好きになってくれたかもしれない。
 そんな希望など抱けないほどに、カリナとは何もかもが違う。顔立ちも体つきも雰囲気も何もかも。
 華やかで色気のある魅力的な人だった。フィデルが好きになるのだから、外見だけでなく内面も素敵な人なのだろう。
 あんな完璧な人を好きになった後で、カリナを好きになってくれるとは思えない。
 人を描くのは苦手だと言っていたフィデル。それなのに、彼女の絵を描いたのは。
 描きたいと思うほどに彼女に魅力があるからか。
 絵に残したいと思うほどに好きなのか。
 なんにせよ、それほどまでにフィデルの中で彼女の存在は特別なのだ。
 カリナなど、到底及ばない。
 どれだけ時間がかかっても、フィデルの彼女への気持ちより、カリナに向けられる気持ちが上回る事などない。
 妻として傍にいれば、いつか彼はカリナを愛してくれるかもしれない。
 それでもきっと、この先ずっと、カリナは彼の一番にはなれないのだろう。
 彼の心にはずっと彼女が存在し続ける。
 その事実を突きつけられ、涙が込み上げてきた。
 それをぐっとこらえて顔を上に向ける。こんなところで泣くわけにはいかない。
 唇を噛み締め耐えていると、後ろから名前を呼ばれた。

「お前、カリナか……?」
「えっ……あっ、ウィル……!」

 振り返るとウィルフレドがそこにいた。フィデルと結婚してから彼に会うのははじめてだ。
 幼馴染みとの久々の再会に驚き、懐かしさに笑顔が零れる。

「久しぶりね、元気にしてた?」
「ああ。カリナも来てたんだな」
「ええ。……あれ? 奥様は?」
「置いてきた。腹に子供がいるからな。あんまり連れ出したくないんだ」
「まあっ! そうなの、おめでとう……!」

 ウィルフレドは小さく微笑む。相変わらず表情は乏しいが、けれど嬉しそうなのが伝わってくる。

「ふふ……幸せなのね」
「まあな」

 ウィルフレドは素直に頷く。
 本当に幸せなのだ。
 彼が運命の番と出会い結婚した時は、無理やり笑顔を浮かべて「おめでとう」と言った。決して泣かないように悲しみを押し殺していた。
 けれど今は、心から彼の幸せを祝福できる。
 カリナにとって、彼はもう好きな人ではないのだ。彼に抱いていた恋心は、傷つき壊れ、そしてフィデルに癒されたことで消えていった。

「彼女を大切にね。なんて、私が言わなくても過保護なくらい大切にしてたわよね」
「ああ。過保護が過ぎるっていつも言われてる」
「ふふっ……」

 ウィルフレドはカリナをじっと見つめ、言った。

「お前は?」
「え……?」
「お前はどうなんだ?」
「ど、どうって……?」
「結婚したんだろ?」
「え、ええ……」
「幸せなのか?」
「それは……幸せよ。国に決められた相手だけど、すごく、優しい人で……私のこと、大切に、してくれて……」

 それは事実だ。カリナは確かに大切にされている。彼は優しくて、思いやりのある人で。
 好きでもないカリナに、花が綻ぶような笑顔を向けてくれた。
 カリナの描いた下手くそな絵を、好きだと言ってくれた。
 それだけで、充分幸せだ。

「っ……」

 ぽろりと涙が零れて、慌てて拭う。
 ウィルフレドは眉を顰めた。

「お前、まさか……辛い目にあってるのか……?」
「違うっ……違うの、ほんとに、全然っ……すごくよくしてもらってるの、辛いことなんてなにもないわ……」
「じゃあ、なんで泣くことがあるんだよ」
「これは……違うの……私の気持ちの問題で……。結婚生活は、ほんとに上手くいってるのよ。皆優しくしてくれるし……」
「辛いなら、無理に笑うな」
「っ……」

 ウィルフレドの言葉に促されるように、また涙が落ちる。

「カリナ……」
「違っ……本当に、私……っ」

 溢れる涙を何度も拭う。
 その時。

「何してる……!」

 突然怒鳴るような声が聞こえ、ビクッと肩を竦ませる。
 驚きに固まっているカリナの前に現れたのはフィデルだった。
 彼は見たこともない怒りの形相でウィルフレドの胸ぐらを掴む。

「フィデル……!?」
「僕の妻に何をした!?」
「別に、何も」
「だったらどうして泣いてるんだ!」

 泣いているところを見られてしまったようだ。カリナは慌てて彼を止める。

「ま、待ってフィデル! 違うの、彼は私の幼馴染みよ! 何もされてなんかないわ!」
「っ……でも、泣いていただろう……!?」
「久しぶりに会ったから……嬉しくて、ちょっと泣いちゃったの。話をしていただけよ、彼は何もしてないわ……」

 必死に説明するが、フィデルはまだ納得していないような顔でウィルフレドを睨んでいる。
 いつも穏やかな彼がこんなに怒るなんてどうしたのだろう。
 ウィルフレドから手を離した彼は、カリナの腕を掴む。

「帰ろう」
「えっ、で、でも……っ」
「行くよ」

 強引に手首を引かれ、カリナは彼についていくしかない。
 ウィルフレドの方へ顔を向ければ、彼は気にするなと言うように手を振っていた。
 ウィルフレドを気にかけるカリナを咎めるように、手首を引く力が強くなる。

「ま、待って、ねえ、まだ、帰らなくても……」
「泣いたとわかる顔で戻れないだろう」
「だったら、私一人で帰るわ。フィデルはまだ残っていても……」
「僕も帰る。早く乗って」

 有無を言わせず馬車に乗せられる。隣に並んで座るフィデルはカリナの手首から手を離そうとしない。
 馬車は静かに走り出した。
 フィデルはずっと無言で、明らかに怒っていた。カリナもそんな彼に声をかける事はできず口を閉ざしていた。
 車内は空気が重く静まり返っている。
 どうして彼がここまで憤りを露にしているのかわからない。普段怒ることなんてないのではないかと思うほど穏やかな彼が。
 カリナが夫以外のαと話していたからだろうか。人気のない場所で二人きり。もし誰かに見られたら、誤解されかねない状況だった。
 そんなことも考えられない浅はかなカリナに怒っているのだろうか。
 カリナのせいで帰らなければならなくなってしまった。カリナを一人で帰しフィデルだけが残っては外聞も悪い。本当はデフィリアともっと話していたかったのに、できなかった。次にいつ会えるかもわからない。
 好きな人との貴重な時間を邪魔した事に怒っているのかもしれない。
 フィデルが、こんなに怒るなんて。それほどまでに彼にとって彼女の存在は大きいのだ。カリナなど比べられないくらいに。
 カリナがどれほどフィデルを好きになろうと、きっと同じように彼がカリナに思いを寄せてくれる事はない。
 それを改めて突きつけられ、再び涙が込み上げてくる。
 それでも泣くわけにはいかない。泣きたいのは好きな人と引き離されたフィデルの方だろう。
 だからカリナは必死に涙が零れてしまわないよう耐えた。




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