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20、客人の訪問

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 週末。自宅に帰っていたリコリスは、午前中は庭の手入れをし、午後からはチェルシーたちの授業に備えて資料でも探しに行こうかと考えていた。街の古書店か図書館に足を延ばしてみるのも悪くない。

『……好きなんだよ、あんたのことが』

 ふとした折にオーランドの言葉を思い出してかあっと赤くなる。

 とにかく、急いで辞める必要はなくなった。だからといって色ボケした頭で伯爵家に勤めるのもどうかと思う。オーランドに会うために授業をしに行くわけではない。
 目的を逆転させないようにしなきゃと自分を律していると、玄関の呼び鈴が鳴った。

「誰かしら?」

 雇いの家政婦は平日しか頼んでいないため、取次ぎ役としてリコリスが出迎える。客が来るなんて珍しいと思いながら玄関のドアを開けると。

「やあ、リコリスちゃん」

 にこにこ笑ったグレッグがいて、リコリスは唖然としてしまった。

「グ、グレッグ様⁉ どうしてこのようなところに」

 家の前に馬車が横付けされている。

 突然の訪問――それも、自宅まで調べられているとわかって警戒する。

 たとえ、先に男爵家の方に行っていたとしても、突如訪ねてきた男にロクサーヌがリコリスの所在地を喋るはずもない。

「オーランドが怖いから、個人的に誘いにくるっていったでしょ~?」
「あの、グレッグ様。わたしのことを買いかぶっておられるのでは」

 オーランドが執着している相手だと興味を持たれているにしても、花の知識も、女性としての魅力も大したことない自分に。
 押しかけられて戸惑っている、困っているとわかりやすく態度に出してみても、グレッグはどこ吹く風だ。

「あはは。そんなに身構えなくていいよ。雑談がてら花選びに付き合って欲しいだけだから。ねえ、今日は時間あるかな?」

 こちらの都合を無視した発言はいっそすがすがしい。

(この人、既婚者なのよね?)

 新婚だとオーランドが言っていたし、休日に若い女と出かけていたとなれば奥方が怒るのではないか。あらぬ噂が立ったらリコリスだって困る。どうにか言いくるめてお引き取り願いたいところだが……。

「リコリス、お客さんかい?」

 タイミング悪く父が顔を出した。すかさずグレッグは膝を折り、スマートに挨拶をしてみせる。

「お初にお目にかかります、ワイアット教授。私はグレッグ・ラドリーと申します。スペンサー家のオーランドとは友人でして、先日、伯爵家で彼女と知り合ったんです」

 父は一瞬きょとんとしていたが、すぐに表情を引き締めて対応した。

「オーランド様の……。そうですか、これはこれはご丁寧に、あの、娘が世話になっております」
「いえいえ、とんでもない。彼女は草花に大変詳しくて勉強になります。僕の方がリコリスお嬢さんにお世話になっているといっても過言ではありません」

「幼い頃から、草花の話ばかりしていたものですから……お恥ずかしい」
「ワイアット教授のお話がさぞ興味深いから、お嬢さんの知識も豊かなものになったのでしょう。教養深く、草花を愛する心を持った素晴らしいお嬢さんだ」

 突如現れたグレッグを警戒し、謙遜していた父だが、娘を褒められた途端に相好を崩した。
 何簡単に手玉に取られてるのよ、父さま! とリコリスは怒りたくなる。

「ところで、今からお嬢さんをお借りしても? 花のことで知恵を拝借したいことがありまして」
「花の……? 私でよければ伺いましょうか?」
「いえいえ。……実は新婚の妻に贈る花の相談をしていて。女性の意見を参考にしたくて、お嬢さんにお願いしていたんですよ」

 ここでもグレッグの既婚者アピールが効いてしまっている。

 独身の男が娘と出かけようものなら警戒するだろうが、妻帯者、新婚アピールをされれば、間違いは起こりにくいかもと錯覚させられてしまう。

 リコリスはエトランジェでそんな人間を山ほど見てきた。

 なんとなく察せられる仮面の下は、おしどり夫婦と有名な貴族だったり、愛妻家と噂の人物だったりしたのだ。この数か月間でリコリスの人間観察眼は確実に精度を増してきている。

「あー……。リコリス、こうおっしゃっているが、今から出かけるのかい?」

 リコリスの表情が曇っているので父は心配そうだった。

 断れるなら断りたい……。悩んだが、何度も伯爵家や自宅に訪ねられるのも困ってしまう。リコリスはなるべく事務的な対応を心掛けた。

「わかりました。夕食は父と摂るので、遠出は出来ないのですが構いませんか?」
「もちろんだよ。無理を言っているのはこちらだからね。近くのお花屋さんでじゅうぶん」

 グレッグは明るい調子で笑い、近くに待機させていた従者と馬車に移動を命じた。
 家を出て少し歩くと、グレッグがリコリスの髪に触れる。今日はおさげではなく、片側にまとめてゆるく編みこんでいた。

「今日の髪型、かわいいね。伯爵家にもそうして行けばいいのに」
「お仕事ですから。遊びに来ていると思われても困りますし」

「真面目だね~。でも俺は、下ろしている方が好きだな」
「……グレッグ様の奥様はきっと美しい髪なのでしょうね。わたしの髪は傷みやすいので、こうして結って誤魔化しているんですよ」

 馴れ馴れしい態度のグレッグをかわしながら、リコリスたちは街に入る。

 父の勤め先である大学からも程近く、この辺りは学生街としてもにぎわっている。リコリスも利用する古書店は良質な本が揃っているし、若い学生をターゲットに新しく出来たフルーツパーラーはほどよく賑わっていた。

 すぐに花屋に行こうとするリコリスの腕をグレッグが引く。

「せっかくだから入ろうよ。チェリーのパフェ、食べてみたいな」
「でも、わたし、お金そんなに持ってきてませんから」

「やだなあ。女の子にお金を出させるわけないじゃん。付き合ってくれるお礼だと思って、さあさあ」
「グレッグ様、そんな、悪いですから」

 断っているのにグレッグに押し切られて店に入ることになってしまう。

 入店した途端、店内の女性たちの視線がさっとこちらを向いた。

 リコリスのような中流階級くらいの娘や、貴族のおしゃまな女の子。店内は若い女性やカップルばかりだ。貴族の男と一緒に入店してきた地味ななりのリコリスに無遠慮な視線が投げかけられる。

 グレッグはそれすらも楽しんでいるようだった。

 チェリーのパフェを二つ頼み、「いいところだね」と感想を述べる。親しくもない男にパフェをおごられ、リコリスは肩身が狭かった。

「グレッグ様、本当に、こんなことをしていただく訳には」
「いいじゃん! きみにドレスとか宝石とか贈ったら問題かもしれないけどさー、パフェくらいなら大したことじゃないでしょ?」

 形に残らない食べ物なら、というつもりらしい。

「オーランドとはこういうところに来ないの?」
 まさか。
 訊ねられて即答してしまった。

「ありえません」
「何で?」

「何でって……、わたしは雇われているだけの家庭教師ですし、オーランド様と一緒に出掛ける用事もありませんし」
「そうなんだ?」

「グレッグ様。何か勘違いしていらっしゃるかもしれませんが、わたしとオーランド様は特に親しい関係ではありません。一緒に出掛けたこともありませんし、お茶だって飲んだことありません」
「へー」

 グレッグは目を細めた。

「そう。お茶したことも、出かけたこともない、ね。ふうん」

 噛みしめるようにグレッグが呟き、リコリスは妙に含みのある言い方に引っかかってしまった。嘘はついていない――そこへ、チェリーのパフェが運ばれてきた。生クリームたっぷり、シロップ漬けの赤いチェリーが宝石のようにつやつやと輝いている。

「うわー、こりゃすごい! 女の子が好きそう!」

 グレッグは明るい調子で大げさに驚いてみせる。
 そのすべてが芝居がかっているように見えてどこかうすら寒い。甘くておいしいはずのパフェを食べても、なんだか味がしなかった。
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