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10、バイオレット不在の夜
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「ええっ、今日はお休みなさるんですか?」
若草色のドレスを手にしたメイドが大きな声を上げる。そんなぁ、と肩を落とす姿はこちらが申し訳ないと思ってしまうくらいに残念そうだった。
「今日のドレスの決定権は私だったのに……」
「ご、ごめんなさい……」
「休むなんて珍しいわね。どうしたの?」
ロクサーヌが首を傾げる。
隠していても仕方がないので、リコリスは正直にオーランドとのことを打ち明けた。
「――オーランド様が、レディ・バイオレットにご執心みたいで。……今日、花束を持ってエトランジェにやってくるの」
正確に言えば花束ではなくブーケだが……。
その話を聞いてわっと盛り上がったのはメイドたちだった。
「さすが、わたしたちのバイオレット嬢ですわね」
「えーっ、ちょっとあっさり陥落しすぎじゃありません?」
「やっぱり謎の多い女性って魅力的に映るのかしらね」
彼女たちからすれば、あの悪名高きオーランド・スペンサーが自分たちの作りあげたレディにあっさり夢中になってしまうなんて、まさに「してやったり」だろう。オーランドを弄んでポイ捨てという話も現実味を帯びてくる。
「いいじゃない、別に。受け取ってきたら」
ロクサーヌもおかしそうにそう笑う。
リコリスは首を振った。
「受け取れないわよ。……わ、わたしに花言葉まで聞いて作った花束なのよ!」
「バイオレットは花言葉なんて知らないんだから、深読みしないで『まあ、綺麗。どうもありがとう』で済む話じゃない」
「……済まなかったら、どうするのよ……」
それだけで済みそうにないから言っているのだ。
ここでようやくメイドたちが「おや?」と首を傾げた。
「もしかしてリコリス様も、オーランド様に気持ちが傾きかけてます?」
「全っっっ然!」
こちらの意思を無視して勝手に口付けたり、からかってきたり。手慣れたしぐさは普段から遊び慣れているからだろう。
だからオーランドが花束を持ってこようが宝石を持ってこようが、彼にとっては遊びの延長線かもしれなくて。別に無視したってリコリスの知ったことではないし。罪悪感がないわけではないけど……。
心の中で言い訳を並べ立てて「行かない」と言い張る。
「とにかく、明日は週末だし、実家に戻ります!」
「そう? それなら残念だけど仕方ないわねぇ。さ、あなたたちも片付けなさい」
ロクサーヌはあっさりしたものだ。メイドたちは残念そうだったが、広げたメイク道具やドレスを片付けていく。
もしもロクサーヌに「行くべきだ」と強く言われていたら、バイオレットとしてオーランドと会っていただろうか。
ブーケを持ってエトランジェに向かっているだろうオーランドの顔を想像すると胸が痛んだが、頭を振ってそんな考えを追い払った。
◇
渡す相手のいない花は萎れて可哀想だった。バルコニーで夜風に当たりながら、オーランドは自嘲気味に笑う。
バイオレットはエトランジェに来ていなかった。
彼女は遅い時間にやってくるタイプではない。夜と共に現れ、場の空気があたたまったころにスッと帰っていく。どれだけ待ったところで今夜は彼女に会えないだろう。
「……浮かれていたな」
はじめはただの興味本位で声をかけただけだった。
悪友たちにそそのかされ、自分ならば彼女を落とせるだろうとも思った。しかし、バイオレットが簡単にオーランドに靡いていたら、きっとオーランドが興味を持つことはなかっただろう。
世慣れていそうなのに、仮面の下に隠されているのは存外生真面目な性格のようで。
意外だった。そしてますます興味を持った。
オーランドの見目に惹かれて寄ってくる女はたくさんいるし、潔癖症で内心オーランドを良く思っていない令嬢でも、社交界で会えば表面上は愛想よく微笑まれる。
バイオレットも客相手には愛想が良い。
あんなにもはっきりと嫌いだと拒絶されたのはおそらく自分だけだ。
優雅に微笑む彼女が、オーランド相手には猫のように牙を剥くのが面白くてかわいい。
彼女が嫌がるのであれば、遊びの女性とも全員縁を切ってもいい。それで振り向いてもらえるのなら――なんて。そう思えたくらいには惹かれている。
「よお、色男が台無しだぜ」
道化師のような、泣き顔と笑い顔が半々になった仮面の男が声をかけてきた。
赤毛の男の名はグレッグ。オーランドの悪友の一人だ。
両手に持ったカクテルの一つをオーランドの方に渡されて受け取る。
「グレッグ……。こんなところにいて大丈夫なのか? お前、新婚だろう」
「ヘーキヘーキ。嫁、なんかホームシックらしくてさ、実家に帰ってるんだ。それより聞いたぜ? お前、あのバイオレッドに入れあげてるんだって?」
ケタケタ笑ってオーランドの手にしているブーケに視線を向ける。
スミレの入ったブーケは誰がどう見てもバイオレット宛だと丸わかりだろう。スミレに顔を寄せ、オーランドは口の端を上げてみせる。
「……悪いか?」
「うーわ。顔が良いお前がやると何でもサマになってむかつくわ」
ぐいっとカクテルを流し込みながらグレッグはおかしそうに笑う。
「……落ちない女に振り回されて自棄になってるのかと思ったけど、マジっぽいなー。『オーランド様に決まった相手が出来た』って女たちの間で噂になってるぞ」
「お前たちが俺がバイオレットを落とせるか否かで賭けをしているという噂も俺の耳に入ってきている」
「俺はお前に賭けたぞ、ちゃんと」
そういう問題じゃない。人の恋路を賭けの対象にするな、などと自分らしくもないことを言いそうになってオーランドも笑った。
「たまには真面目に恋をするのも悪くない」
「へー? 心を入れ替えるって?」
「ああ。俺は純愛とやらに目覚めた。……お前もふらふらしていないで、奥方を大切にしろよ」
「…………。……お前がそれ言うー?」
まあ頑張れよ、と肩を叩いたグレッグが帰っていく。
どうやらオーランドの顔を見にきただけらしく、彼は女性に声をかけることなくエトランジェを後にしていた。
若草色のドレスを手にしたメイドが大きな声を上げる。そんなぁ、と肩を落とす姿はこちらが申し訳ないと思ってしまうくらいに残念そうだった。
「今日のドレスの決定権は私だったのに……」
「ご、ごめんなさい……」
「休むなんて珍しいわね。どうしたの?」
ロクサーヌが首を傾げる。
隠していても仕方がないので、リコリスは正直にオーランドとのことを打ち明けた。
「――オーランド様が、レディ・バイオレットにご執心みたいで。……今日、花束を持ってエトランジェにやってくるの」
正確に言えば花束ではなくブーケだが……。
その話を聞いてわっと盛り上がったのはメイドたちだった。
「さすが、わたしたちのバイオレット嬢ですわね」
「えーっ、ちょっとあっさり陥落しすぎじゃありません?」
「やっぱり謎の多い女性って魅力的に映るのかしらね」
彼女たちからすれば、あの悪名高きオーランド・スペンサーが自分たちの作りあげたレディにあっさり夢中になってしまうなんて、まさに「してやったり」だろう。オーランドを弄んでポイ捨てという話も現実味を帯びてくる。
「いいじゃない、別に。受け取ってきたら」
ロクサーヌもおかしそうにそう笑う。
リコリスは首を振った。
「受け取れないわよ。……わ、わたしに花言葉まで聞いて作った花束なのよ!」
「バイオレットは花言葉なんて知らないんだから、深読みしないで『まあ、綺麗。どうもありがとう』で済む話じゃない」
「……済まなかったら、どうするのよ……」
それだけで済みそうにないから言っているのだ。
ここでようやくメイドたちが「おや?」と首を傾げた。
「もしかしてリコリス様も、オーランド様に気持ちが傾きかけてます?」
「全っっっ然!」
こちらの意思を無視して勝手に口付けたり、からかってきたり。手慣れたしぐさは普段から遊び慣れているからだろう。
だからオーランドが花束を持ってこようが宝石を持ってこようが、彼にとっては遊びの延長線かもしれなくて。別に無視したってリコリスの知ったことではないし。罪悪感がないわけではないけど……。
心の中で言い訳を並べ立てて「行かない」と言い張る。
「とにかく、明日は週末だし、実家に戻ります!」
「そう? それなら残念だけど仕方ないわねぇ。さ、あなたたちも片付けなさい」
ロクサーヌはあっさりしたものだ。メイドたちは残念そうだったが、広げたメイク道具やドレスを片付けていく。
もしもロクサーヌに「行くべきだ」と強く言われていたら、バイオレットとしてオーランドと会っていただろうか。
ブーケを持ってエトランジェに向かっているだろうオーランドの顔を想像すると胸が痛んだが、頭を振ってそんな考えを追い払った。
◇
渡す相手のいない花は萎れて可哀想だった。バルコニーで夜風に当たりながら、オーランドは自嘲気味に笑う。
バイオレットはエトランジェに来ていなかった。
彼女は遅い時間にやってくるタイプではない。夜と共に現れ、場の空気があたたまったころにスッと帰っていく。どれだけ待ったところで今夜は彼女に会えないだろう。
「……浮かれていたな」
はじめはただの興味本位で声をかけただけだった。
悪友たちにそそのかされ、自分ならば彼女を落とせるだろうとも思った。しかし、バイオレットが簡単にオーランドに靡いていたら、きっとオーランドが興味を持つことはなかっただろう。
世慣れていそうなのに、仮面の下に隠されているのは存外生真面目な性格のようで。
意外だった。そしてますます興味を持った。
オーランドの見目に惹かれて寄ってくる女はたくさんいるし、潔癖症で内心オーランドを良く思っていない令嬢でも、社交界で会えば表面上は愛想よく微笑まれる。
バイオレットも客相手には愛想が良い。
あんなにもはっきりと嫌いだと拒絶されたのはおそらく自分だけだ。
優雅に微笑む彼女が、オーランド相手には猫のように牙を剥くのが面白くてかわいい。
彼女が嫌がるのであれば、遊びの女性とも全員縁を切ってもいい。それで振り向いてもらえるのなら――なんて。そう思えたくらいには惹かれている。
「よお、色男が台無しだぜ」
道化師のような、泣き顔と笑い顔が半々になった仮面の男が声をかけてきた。
赤毛の男の名はグレッグ。オーランドの悪友の一人だ。
両手に持ったカクテルの一つをオーランドの方に渡されて受け取る。
「グレッグ……。こんなところにいて大丈夫なのか? お前、新婚だろう」
「ヘーキヘーキ。嫁、なんかホームシックらしくてさ、実家に帰ってるんだ。それより聞いたぜ? お前、あのバイオレッドに入れあげてるんだって?」
ケタケタ笑ってオーランドの手にしているブーケに視線を向ける。
スミレの入ったブーケは誰がどう見てもバイオレット宛だと丸わかりだろう。スミレに顔を寄せ、オーランドは口の端を上げてみせる。
「……悪いか?」
「うーわ。顔が良いお前がやると何でもサマになってむかつくわ」
ぐいっとカクテルを流し込みながらグレッグはおかしそうに笑う。
「……落ちない女に振り回されて自棄になってるのかと思ったけど、マジっぽいなー。『オーランド様に決まった相手が出来た』って女たちの間で噂になってるぞ」
「お前たちが俺がバイオレットを落とせるか否かで賭けをしているという噂も俺の耳に入ってきている」
「俺はお前に賭けたぞ、ちゃんと」
そういう問題じゃない。人の恋路を賭けの対象にするな、などと自分らしくもないことを言いそうになってオーランドも笑った。
「たまには真面目に恋をするのも悪くない」
「へー? 心を入れ替えるって?」
「ああ。俺は純愛とやらに目覚めた。……お前もふらふらしていないで、奥方を大切にしろよ」
「…………。……お前がそれ言うー?」
まあ頑張れよ、と肩を叩いたグレッグが帰っていく。
どうやらオーランドの顔を見にきただけらしく、彼は女性に声をかけることなくエトランジェを後にしていた。
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