EDEN ―孕ませ―

豆たん

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休日

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 ――三月。外はまだ寒さが残るが、少しずつ春の気配がし始める頃。
『準備』後に髪を乾かされながら、優輝は小さな溜息を落とす。このところ真柴の顔も姿も見ていない。何故か酷く寂しかった。いつもの孤独感や侘しさとは違う。何もかもが飛び、気が紛れる筈の性交中にも、ふとした瞬間にそれを感じるのだ。きゅっと胸を締め付けるような感覚は、彼が初めて味わうものだった。

「――少し元気がないみたいだな。もっといい顔してないと、お客様がガッカリするぜ」

 雄に言われて我に返る。それほど顔に出ていたのだろうかと、正面でドライヤーを使う彼を見上げた。その目をじっと見詰める。

「…ん? どうした?」

 何か言いたげな優輝の視線に気付く雄。促され、おずおずと訊いてみた。

「……真柴さんは…忙しいんですか…?」

「社長か? ああ、確かに、今の時期は一年中で一番忙殺されてるな。年度末だし、今月は特に飯食う暇もないって感じだ」

 それを聴いた優輝の表情が沈む。雄はドライヤーを止め、俯いた彼の面を覗き込んだ。

「なんだ、社長に会えなくて意気消沈してたのか? まぁ、あんたはあの人のお気に入りだからな。接する機会も多かったし、刷り込み状態になっててもおかしくはないか」

 ポンと優輝の頭に手を置いた雄が薄く笑う。


「――じゃぁ、いいことを教えてやろう。今月の末日――31日は、あんた達男子の休日だ」

「……え?」


『休日』。考えもしなかった言葉に一瞬思考が止まった。

「年度替りで客も自分達の業務に追われるから、この日は予約が入らない。つまり、男子にとっては、『性活』が休みになる1年に一度だけの休日ってわけだ。他社とは逆に、うちの社長はその日時間が出来るからな。ひょっとしたらあんたに会いに来てくれるかも知れないぜ」

 優輝の顔色がパッと明るくなる。いつだったか支給された卓上のカレンダーに目を遣って、あと何日なのかを確かめた。頭上の彼がくっくと堪え笑いを漏らす。

「そんなに嬉しいのか。だったら、それまでの『性活』はしっかり頑張らないと。社長にいっぱい褒めて貰えるようにな」

 赤い紐を取り出す雄の手元を見つつ、優輝は小さく頷いて両腕を差し出した。





 突然のサプライズ情報から三週間が経った。今日は3月31日、待ちに待った休日だ。あの雄の言った通り、早朝の出産を終えた後は入浴をさせられただけで、『フォロー』も『準備』も実施されなかった。朝食は当番の雄が持ってきてくれたが、本当にそれのみが目的であり、性的な接触は一切無く。飲み終わるのを見届けて退室していく彼を、ベッドに腰掛けて見送る優輝。何か不思議な心持ちがした。

 こんなふうに放っておかれると、いつもなら刺激に飢え快感を求めて疼き出す卑しい身体が、何故か今日は鳴りを潜め火照ることも無い。入浴時間も、拉致されて以来初めて浴槽に浸かり、雄の目や手伝いはあったもののゆっくりと身体を温め解すことが出来た。心の芯からリラックスして過ごせるのは実に九ヶ月近く振りだ。洗い立てのシーツの上に寝転んで、優輝は天井を仰ぐ。降って湧いた自由な時間に何となく落ち着かない気もするが、今はただ心身を静かに休ませたい。そして何より、真柴に会えたら――何故かは分からないけれど、そうしたらもっと深く安らげる気がする。
 ここでの生活リズムに身体が馴染んでいる為、こんな中途半端な時刻では眠気も起きない。だが、こうして穏やかに過ごしながらの人の訪れを待てるなら、それはとても幸福な時間なのではないかと思えた。どうかこの願いが叶いますように――。優輝は目を閉じて、それまで意識したことなどほとんど無かった天上の存在に祈った。



 緩やかにだが、時は着実に経過していく。昼を過ぎ夕方になっても、彼が姿を見せる気配は無かった。肩を落として優輝は嘆息する。暇が出来るとはいえ、その空いた時間にわざわざ彼が自分の部屋へ来てくれる保証はどこにも無いのだ。雄達は口々に自分のことを『社長のお気に入り』だと言っていた。しかし実際のところはどうなのだろう。妊娠能力が高いから贔屓目ひいきめに見てくれているだけで、彼にとって自分は、その他大勢の男子達同様、大事な商品の一つに過ぎないのかも知れない。


 間もなく午後8時になろうかという時計の文字盤を見遣って、机で読んでいた差し入れの童話本を閉じる。本日何度目になるのか分からない溜息を落すその背後で、出入口のドアが突然ノックされた。ハッとして振り向く優輝の前に、待ち兼ねた相手のかおが現れる。


「優輝くん、夕食を持ってきたよ」


 ワイシャツにネクタイ姿でニッコリと笑った彼の手には、夕食のプラコップがあった。椅子に座ったままのこちらへ歩み寄り、それを渡される。何種類ものフレーバーが用意されている中、今回はホットココア風味のようだった。

「……どうして、真柴さんが……」

 受け取ったコップを見詰めながら、優輝はぎこちなく尋ねる。

「ああ。忙しくて、最近全然様子を見に来れなかったからね。夕食当番の雄くんに頼んで代わって貰ったんだ。会いたかったよ、優輝くん。――君はどうだった? 僕に会えなくて、寂しいって思ったりはしてくれなかったの?」

 冗談とも本気ともつかないセリフに優輝の頭がピクリと揺れる。湯気の立つドリンクの液面に目を落し、消え入るように呟いた。

「……僕も…寂しかった……」

「本当に?」と確かめられてコクリと頷く。嬉しそうに微笑んだ彼がするりと頬を撫で、優輝は小さく肩を震わせた。優しく髪を梳いてから「冷めないうちに」と促され、手にしたコップを持ち上げる。何度か息を吹き掛けてからそっと口を付けた。

「――突然の休日でびっくりしたろう? 年度末の今日だけ、君達にもお休みをあげられるんだ。今回は何をしていいか分からなかったかも知れないけど、来年はどう過ごそうかって考えておくのも楽しいと思うよ」

 そう言う声音の方が楽しげに聴こえる。ドリンクを半分ほど飲んだ優輝は、真柴の顔を見上げた。開き掛けた唇を暫し躊躇わせた後、微かな声を絞り出す。

「…あ、あの…、訊きたいことが、あって……」

「ん? 何だい? 遠慮しないで言ってごらん」

 彼の笑顔に少しだけ緊張が解ける。思い切って、以前からずっと気になっていたことを訊いてみた。

「……貴方は…どうして、こんな仕事を始めようと……」

 真柴の目が軽く見開かれる。想定外の質問だったらしくちょっと驚いた様子だったが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。

「――そうか、僕のことが知りたいんだね。いいよ。こんな機会は滅多にないし、詳しく教えてあげよう。だけど、話が長くなりそうだから、まずは食事を済ませてしまおうね」

 彼が「教える」と言ってくれたことに、意外さを感じつつも胸を高鳴らせる。急いで残りの飲み物を喉へ流し込もうとして噎せ、クスクスと笑う真柴に背を摩られた。

「大丈夫かい? 君は結構慌てん坊なんだね。焦らなくても、僕はどこにも行かないよ。今夜の予定は全部クリアにして来ているから、ひと晩中でもここにいてあげる」

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