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間章 街道を旅すること

それぞれの再会

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「ロー!」

 セトが大声で呼ばわると、御者台の男は弾かれたように手綱を引く。乱暴な扱いに馬達が非難がましく嘶いた。振り向き、兄弟の姿を認めるや、男は濡れるのも構わずフードをむしり取る。

「セト! シャルカ!」

 それは確かにローだったのだ。
 ローは幌の中へ一言二言何かを告げると、血相変えて台から飛び降りる。

「セト! セト! アイツはッ?」
「奥の部屋だ。シャルカ、」

 再会の喜びもそこそこに、シャルカは兄に言われるままノンナを呼びに走った。
 ひさしの下へ駆けてくると、ローは濡れた外套マントをもどかしそうに外し、感極まってセトを抱きしめる。

「あぁ、ノンナはホントに無事なんだな! ここに居るんだな! 良かった、本当に良かった……!」

 セトは苦笑してその肩を叩く。

「抱きつく相手を間違ってるぞ」

 言われてローは抱擁を解き、代わりにセトの腕をしっかりと掴んだ。鳶色の大きな瞳が、親しみと敬慕の念を込め振り仰ぐ。

「セト、オマエはホンットに何てヤツだよ。おれを助けてくれたばかりかノンナまで……郷に戻ってすぐ文を受け取った時にゃ、驚きすぎて信じられなかったくれぇだ」
「いや、ノンナを見つけられたのは偶然だ。俺達が探し出せたわけじゃない」

 セトの腕に前にはなかった傷が穿たれているのに気付き、ローは表情を険しくさせる。

「雲糸郷で一体何があった? ここへ来る途中、隊商のヤツからあの郷は壊滅状態だって聞いたぞ。それに何だって郷の連中はノンナを……」

 矢継ぎ早に問いかける真摯な視線を受け止めあぐね、セトは目を伏せた。

 文はシャルカの手によるものだった。
 それが書かれたのは雲糸郷を発った翌日、ノンナの身支度を整えるため立ち寄った郷でのことである。セト自身は、何をするにも離れようとしないノンナに付き添ってやらねばならず、シャルカに書くよう頼んだのだった。
 経緯はどうあれ、自ら筆をとらずに良くなったことは、セトの気を少なからず安らげた。文字に起こすため、己が手で招いた惨状の記憶と向き合うには、一日という時間はあまりにも短かった。
 請け負ったシャルカは、家族に心配をかけたくないというノンナの意向を受け、訳あって雲糸郷で囚われていたノンナを保護したこと、これから街道ルートでそちらへ向かうことだけを記した。兄と違い気の回る弟は、ノンナ自身に一筆添えてもらうことも忘れなかった。
 そのため、ロー達家族はノンナの無事だけは確認できたものの、一切の事情を知らぬままだったのである。

 あの顛末をどう話したものかと黙り込んでしまったセトだったが、ローは褐色の腕に増えた傷から何がしか察したのか、沈黙に対し気遣わしげに頷いて見せる。

「……ま、こんなところで立ち話するようなことでもねぇやな。郷に戻って、腰落ち着けてからじっくり聞かせてくれよ」

 その言葉にセトは思わず首を捻る。

「郷でって……俺達も行くのか?」

 ローは何言ってんだとその胸を小突き、

「こんな大恩人をほっぽって帰るわけねぇだろっ! 古森の民は『恩には恩を三倍返し』、もう忘れっちまったのか? それに、」

次いで、傷の残るセトの左頬を抓った。

「こんな浅ぇ傷がまだ治ってねぇじゃねぇか! ……シャルカに加えて、ノンナのことまで面倒見なくちゃならなくなって、色々無理してくれたんだろ?」
「そんなことは、」
「いくら原野の男がタフだっつっても、ちゃんと身体休ませてやらなきゃダメだ。しばらくうちの郷でゆっくりしてけ、その間のことは何も心配要らねぇから」

 手荒い所作とは裏腹に、セトの身を案ずるローの顔は真剣そのものだ。
 しばらく世話になるかはともかくとして、いずれ訪ねると約束もしていたことだ。セトが首肯したその時、

コン・ローロー兄さん?」

背後からか細い声がかかる。
 ふたりして振り向けば、そこにはシャルカに付き添われ、頼りなげに佇むノンナがいた。途端、ローの顔がくしゃり歪んだ。

「ノンナ……! おぉい皆、ノンナだ! 本当に無事で良かった、心配したんだぞ!」

 ローは喜びのあまり上ずった声を馬車へ投げ、腕を広げてノンナに駆け寄ろうとした。
 嬉しい驚きに頬を染めていたノンナだったが、自分よりも大きな兄が覆いかぶさるようにして抱きしめてこようとするや、たちまち青ざめシャルカの後ろに身を隠してしまう。

「……ノンナ?」

 思ってもみなかったろう妹の態度に、ローはショックを受けた様子で足を止め、懸命に語りかける。

「どうした、おれだノンナ! 親父や母さんも皆一緒だ、オマエを迎えに来たんだ!」

 ノンナの方も、自らが咄嗟にとってしまった行動に愕然としているようだった。唇を戦慄かせ、小刻みに首を揺らす。

「……コン・ロー違うの、とっても嬉しいの、嬉しいのよ本当に。もう二度と会えないものとずっと思ってたんだもの……本当にごめんなさい、でも……!」

 訴える声音からは確かに喜びが感じられるものの、痩せた身体は憐れなほどガタガタと震えていた。
 見かねたセトはローの肩に手を置き、言葉を選び耳打ちする。

「ロー。ノンナは、その……男達に囚われていたんだ」

 勘のいいローはそれだけで事態を把握したようだった。それ以上言ってくれるなとばかりにセトの腕を軽く叩き、哀しみと憎悪に染まったおもてを伏せる。そしてそれらの感情を追い払うよう頭を振ると、詫び続けるノンナへ歯を見せて笑った。

「気にすんなぃ。オマエが生きて戻ってきてくれただけで、兄ちゃんすっげぇ嬉しいんだからよ」
「コン・ロー……」

 彼女の涙が堰切ったように溢れ出した時、幌馬車の中から次々に家族の者がまろび出てきた。

「ノンナ! 本当にノンナなのね!」

 最初に降りてきた母、そしてふたりの姉が駆けてくると、ノンナは彼女達の抱擁を今度こそしっかり受け止めた。互いに泣きじゃくり、幻でないことを確かめるよう背や頬をさすり合う。
 その光景を一歩退いた場所で眺めていたローは、あとから降りてきた父と弟達に目配せした。察しがいいのは血筋なのか、それとも若い娘が攫われた時点で覚悟はしていたのか、男達はローと同じように距離を取り、ノンナの無事を寿いだ。
 家族の再会の邪魔にならぬよう、その場を離れたシャルカが戻ってくると、兄弟は顔を見合わせホッと頷き合う。
 けれどもノンナの視線が離れた今、ローはその顔を再び曇らせていた。眉根を寄せ、痛々しく呟く。

「……こういう時、兄貴ってのは寄り添ってやることすらできねぇんだな。不甲斐ねぇ」

 もどかしさに歯噛みするローに、同じ兄であるセトは理解と共感を示し、労わるようにその肩へ手を置いた。
 と、セトの肩もまた誰かに叩かれた。振り返った彼へ、宿の亭主が手のひらを突き出してくる。

「お代を、」
「は? 酒代なら女に払ったが」

 人を変態扱いした次は飲み逃げ扱いかと憤慨するセトを、亭主は黙って酒場へ促す。

「おいおいセトよぅ、オマエ何したんだよ?」

 気を持ち直したローが一足先に酒場へ足を踏み入れる。釈然としないながらも、シャルカに宥められつつ中へ戻ったセトは、亭主が指した先を見て低く唸った。
 先程着いていた卓の表に亀裂が走っている。ダトックとの勝負の際にこさえたものらしかった。ローは呆れ顔でひびを指でなぞる。

「うっわ、堅木の卓がこんなに……で、オマエ何したんだよ?」

 揶揄するように尋ねるロー、弁償を迫る亭主、そして何とも形容しがたい顔で見つめてくる弟に、セトは慌てて首を振る。

「いや、これは……と言うかおかしいだろう、元はと言えばあいつが難癖つけて絡んできたんだ。それに俺は勝ったんだぞ? あいつに払わせるのが妥当だろうが!」

 言ってからセトは額を押さえた。ダトックならとっくに自分が追っ払ってしまったじゃないかと。奴が素直に立ち去った理由が腑に落ちたところで、今更である。
 ふたりの前でこれ以上醜態を曝すわけにもいかず、セトは道々毛皮と引き換えてきた裸石ルースの入った皮袋を、ぞんざいに亭主へ放った。



「いやぁ、まっさか酒場で傭兵と喧嘩すっとはなぁ」

 勇ましくも美しいネール馬達の手綱を取りながら、ローは無遠慮に笑い飛ばす。その隣でセトはぶすっと口を引き結ぶ。

「前に会った時は、あまりの世間知らずっぷりに気を揉んじまったけどよ。セトよぅ、オマエも随分旅慣れてきたモンだなぁ!」

 そんな兄の膝の上では、シャルカが口を尖らせていた。

「笑いごとじゃないですよ、もう……それも初めてじゃないんですよ? あに様はもうひとりで酒場に行っちゃだめです、特に宿場の酒場には」
「え、」
「行くならぼくも一緒に行きます」
「それはもっとだめだ」
「だめって言ってもだめです」

 取りつく島もない弟に、兄は弱った顔でローを見やる。けれど彼は苦笑して肩を竦めただけだった。

 宿場をあとにした原野の兄弟は、ローとともに幌馬車の御者台にいた。
 一家から一通りの礼を述べられたあと、馬車の中へと勧められた兄弟だったが、それを丁重に固辞していた。いかに鈍感なセトでも、ようやく再会を果たした家族の輪に邪魔できるほど、面の皮は厚くない。シャルカは尚のことだ。
 けれど普通の馬ではネール馬について来られないと言うので、乗ってきた馬をローの弟達に任せ、御者台に落ち着いたのだった。
 実際銀灰色の馬達は素晴らしく早く、ぬかるんで黄泥と化した街道を駛走する。ローの弟達の姿は、宿場を出ていくらもせぬ内に後方へ遠ざかり、見えなくなってしまった。
 馬を用いた道行きでも、鞍の上にあるのと車輪の上にあるのとでは、その安楽さは段違い。これで雨さえなければさぞ快適な旅であったろう。
 苦笑いの兄達をよそに、シャルカはまだぶつぶつ零していた。けれど慣れぬ鞍で臀部と腿を痛めていたため、過保護な兄の膝の上、外套マントの懐にすっぽりと包まれて、その頬はゆるり緩んでいる。
 兄は小さなふたりに苦労させぬよう努めていたが、シャルカはシャルカで、ノンナを無事に家族と引き合わせられるようにと気を配っていたのだ。シャルカにしては珍しく、人前で兄を窘めたのもそのためだった。
 やっとその役目を果たすことができ、張り詰めていた糸が切れたのだろう。ほどなくしてシャルカは寝息をたて始めた。
 セトがその身体を外套でくるみ直してやると、それを横目で確認してから、ローは小さく息を吐く。笑みが消え、雨にけぶる行く手を見据え口を閉ざした。ローもローで、幼いシャルカの手前、気落ちした姿を見せぬよう軽口を飛ばしていたらしい。
 けれど、同じ歳で打ち解けたセトの前では、体面を保てぬほどに参っているのだろう。心身ともに傷ついた妹の今とこれからを思えば、憂い嘆くのも無理からぬことだった。
 セトもしばらく沈黙に付き合い、外套を叩く雨音を聞いていたが、やがてフードに隠れた横顔へ告げる。

「ノンナに初めて会った時にな、俺達が前日までお前と一緒にいたことを話したんだ。そうなった経緯も」
「げっ。オマエおれが賊にやられかけてたこと話したのかよ! カッコつかねぇじゃねぇか」

 冗談交じりに応じたローだったが、その声に彼らしい快活さはない。

「そしたらノンナ、何て言ったと思う」
「さぁな。だらしのねぇ兄貴だと罵ったか? それとも、」

 捨て鉢気味な自嘲を、「馬鹿言え」とセトはきっぱり遮った。

「俺はてっきりお前の名を呼んで、助けを求め泣くものかと思った。でも違った。ノンナは、お前が賊を誘き出すため独りで荷を牽いているのを知って、お前の身を案じて泣いたんだ」

 雨音の向こうで、ローが息を飲む気配がした。

「大した娘だな、お前の妹は」

 だから大丈夫。きっとノンナは立ち直ってくれる。
 言外に思いを込めて言うと、セトは顔を背け傍らの森へ視線を投げた。男が泣き顔を見られたくないのは、恐らくどこの民でも同じだろう。

 疲れを知らぬネール馬達は、雨粒の中を飛ぶように駆けていく。悪天候で往来の絶えた街道は、さながら彼らの独擅場。高山に棲む彼らには平坦な道などまるで苦にならぬようだ。
 そうして陽が落ちる頃には、エレウス山の麓の森へと足を踏み入れたのだった。


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