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第4章 ナターシャ
4-5 夜空
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モンジと遊んでいたらいつの間にか日が暮れ始め、程なくしてドドと先生が帰ってきた。
「おかえりなさい。え、それ、猪!?」
ドドは猪を担いでいた。
「そうだ。途中で襲ってきてな。今晩はシシ鍋だ」
ドドはそう言ってその猪を厨房へと運ぶ。囲炉裏がある間のすぐ隣は仕切りがなく、土間の厨房になっている。
「ただいま。お留守番ありがとう。ちょっと下処理してくるから待っててな」
先生は荷物を下ろし、その中から取ってきた山菜やキノコを取り出し整理する。そして、囲炉裏の火を蝋燭に灯し、部屋の四隅にある他の蝋燭に灯していった。
「猪の肉なんて初めてだよ。どんな味なんだろ」
僕がそう言うと、隣にいたモンジがワンワンと鳴いた。
「はっはっは、すっかりモンジと仲良しだね。ちょっと時間かかるから待ってておくれよ」
先生はそう言って、土間で猪の肉を捌き始めた。その間、ドドは土間にある竈に火を付けていた。自分の家であるかのように、ここでの暮らしに慣れているようだった。
この家のすぐ裏には小川が流れており、竈に火を付けたドドはそこから水を桶に入れて運んで来た。
外は次第に暗くなってきたが、蝋燭の灯りは照明としての機能を充分に担っており、電気と違ってほんのりとした温かい明るさが居間を包んでいる。
「すっかり、甘えちゃってるけどいいのかなぁ」
僕が呟くと、隣で伏せていたモンジが顔を上げ、座椅子に座っている僕の伸ばした脚を枕にし出した。動かず休んでいろと言う事なのかもしれない。
「怪我人を働かすわけにはいかないさ。百々丸がいるから充分さね」
と、僕の小さい呟きにも敏感に反応した先生の声が調理場から聞こえてきた。今はそうさせてもらうしかないようだ。
それから1時間程経った頃だろうか。ここでは時間を忘れてしまうため、その感覚はすっかり麻痺してしまっているが、厨房からすごくいい匂いがしてきた。
そして、ドドが大きな鍋を運んで来て、それを囲炉裏の上から伸びる自在鉤に吊るした。続いて調理場から釜を持ってくる。中にはほかほかの米飯が詰まっていた。
「お待ち遠さん。それじゃあ、頂くとしようかね」
先生は僕に茶碗と箸を渡してくれた。そして、手を合わせたので僕もそれに習って手を合わせる。
「いただきます」
そう言って、目の前の米を食べてみた。普通の白米よりもよく火が通っていて、麦や玄米も入っておりとても美味しい。
「ほれ、これが猪肉だ。美味いぞー?」
ドドがシシ鍋の具材を装ったお椀を渡してくれた。野菜と、うどん、そして薄切りにした猪肉が入っている。恐る恐る口にしてみたが、思ってたより脂こくない。臭みもなく、それでいて濃厚な味わい。鍋の味噌の味も染み込んでいる。
猪肉だけでなく、うどんも美味しい。自家製なのだろうか? コシがあって、つるつるしている。
「美味しい……美味しい! すごく美味しいです」
僕は何度もそう言ってしまう。その様子を見た先生は嬉しそうに笑っている。
「栄養もたっぷりあるからね。たんとお食べなさい」
「はい。ありがとうございます。遠慮なく頂きます」
僕はそう言って、米と鍋の具を交互に食べていく。隣のモンジには専用のご飯が用意されていた。猪肉を細かく刻んで米と混ぜた物だったようで、それを零さずに綺麗に食べている。
「先生は、いつも山に入って食材を調達してるんですか?」
僕は気になって問い掛けた。
「天気がいい日はね。山に行って、山と話をするのさね。この猪も山からの賜り物だ。だから、有難く頂戴してきたよ」
そうなんだ。この猪肉も数時間前までは命だった。それを食べる。それが生きるという事。山からの恵みを貰って先生は何年もここで生きているのだろう。
「僕も今度一緒に行きたいです。身体の怪我が良くなったら」
「カッハッハッ! 若くていいね。そうだね、身体が良くなったら一緒に行こうか」
傍にいたモンジが僕の代わりに、ワンと小さく鳴いて返事をした。
「ははっ、モンジも行きたいんだよな? いつもは一緒に行ってるんだが、今日は想の面倒見てもらってたからな」
ドドはそう言ってモンジの頭を撫でた。
「ドドは先生とどうやって知り合ったの?」
僕はドドに聞く。辺境の地に暮らす先生との接点などそうないはずだ。
「あぁ、昔俺の母がな、病院に行った時にすごい先生がいたって教えてくれたんだ。母がたまたま病院に行った時に、気が触れて刃物を持って暴れ出した患者がいたそうだ。しかし、そこに1人の医師が駆けつけてその患者を鎮めたと。それが若い頃の先生だったんだよな。俺はその話を聞いていろんな病院を回って聞いて行ったんだ。そして、高校1年の夏休みにこの山を訪れたんだ」
ドドはどこか少し恥ずかしそうにそう語った。
「懐かしいねー。あの日、いきなりひょろっひょろの男の子が訪ねてきてねぇ。喧嘩強くなりたいだの、修行させてくれだの言ってきてね。何度断っても帰らないし、夜になっても庭先で座り込んだままだったねー。流石にこっちも根負けしてね。それからというもの、長い休みになると、必ずここで泊まりに来るようになった。根性はあったからねぇ。きつい事でもなんでもやっちまってたねぇ」
先生は僕のお椀に鍋の具を装ってくれながら話してくれた。ドドにもそんな頃があったんだなと、僕はちらりとドドを見てしまう。
「ガキの頃は本当無鉄砲だったっつーか、無神経だったよな」
そう言って苦笑いしている。
「おや? 今でも無神経じゃないのかえ?」
「これでもちったぁ大人になったんだぜ!? 常識は流石に弁えてるっつーの!」
先生に言われてドドは反論し、2人で笑い出し、釣られて僕も笑ってしまう。
食事が終わると、2人は片付けをてきぱきと始める。それが終わると、ドドは調理場の隣にある風呂場へ行き、湯を沸かし始めた。
「想は確か風呂あんま好きじゃないんだったよな? じゃあお湯浴びるだけでいいか? ここの風呂けっこー熱いからな」
熱いのか。想像しただけでのぼせそうだ。
「うん。まだ傷もあるし、浴びるだけでいいよ」
一番風呂は先生という決まりらしく、その後にドド、最後に僕が行く事になった。
身体の包帯を解き風呂場に入る。これは、五右衛門風呂というやつだ。外から薪を燃やして沸かしているようだ。風呂桶で湯をすくって触れてみたが、相当熱い。僕は少しずつ手に取って身体を洗ったためだいぶ時間が掛かってしまった。
湯浴みから戻ると、先生が包帯と薬を用意してくれており、先程のように丁寧に薬を塗って新しい包帯を巻いてくれた。
「医者の時に医療道具はたくさん貰ったからねー。包帯はまだまだたくさんあるよ」
先生はそう言ってくれた。何から何までお世話になりっぱなしだ。今日出会ったばかりだというのに。
そして、先生はまた飲み薬とお茶をくれた。僕はそれを有難く頂く。シクスが淹れる紅茶よりも熱いが、このお茶は渋みが効いていて、香ばしくて美味しい。
「ちょっと屋根の上にでも登ってみるかえ? 星が綺麗だよ」
しばらく休んでくつろいだ後、先生はそう言い、細長い棒を居間の天井に刺し、それを引き下ろす。すると、天井から階段が下りてくる。
僕はぼーっと見蕩れてしまったが、先生とドドはそんな僕を気にも留めずに階段を上って行くので、僕も慌ててついて行く。すると、後ろからモンジもついてきた。階段も平気で上ってしまう。
階段を上った先には、絶景の星空が広がっていた。昨夜見た星空はまだ周りに樹があったので視界良好とまでは言えなかったが、この屋根の上から見る満天の星は、広大に広がっており、まるで自分が星に包まれているようだった。
「気をつけて座りなさいね。落ちたりでもしたら大変だ」
先生は右の方に座っていた。屋根は瓦の屋根だった。緩やかな斜面なので落ちる心配はなく、僕は無事腰を下ろす。隣にはモンジが座って尻尾を振っている。
「もし落ちたりしたら俺が受け止めるから大丈夫だ。安心しろ」
と、先生の隣に座るドドはいつの間にか日本酒を持ってきたようで、それを飲んでいる。
「医者をやめた頃に少し飲んで、ここ数年はずっと飲んでなかったがね。せっかくだ、少しだけ頂くとするかね」
そう言って、ドドからお猪口に日本酒を注いでもらっていた。
「すごい。こんなに星がいっぱい。これ、全部星なんだ。夜なのに、明るく感じる」
僕は改めて頭上を見上げ、息を漏らす。月はちょうど半月だったが、その月も明るい。まるで、月と星が僕達を見ているような錯覚にさえ陥ってしまう。
「星の光は、何万年前、下手したら何億年も前の光なんだよ。地球よりも大きい星だってあるだろう。それがこうして光を届けてくれるんだ。それからしたら、人間なんてちっぽけなもんさ」
先生は夜空を見上げながら語った。僕も再び夜空の星々に視線を戻す。そして、先生は言葉を繋げる。
「星の中にはもう既に死滅してしまっているものもあると言う。それでも、何万年もの月日をかけて地球にこうして光を届ける。私はね、医者の時にたくさんの人の死を看取った。仕事をしていると生死の感覚が麻痺してしまう事もあった。それでもね、最後まで生きた患者さんの笑顔が、今でもたまに思い浮かんでしまうんだ。あの笑顔が忘れられなくてねー。いなくなってしまった人はね、いつまでも輝きを届けてくれるのさ。星のように」
先生は少しお酒が回っているのか、饒舌にそう語った。
「はい、その通りだと思います。僕らは、生き残った者は、その輝きを見て、安らぎを感じたり、明日もがんばろうとか、そう思って生きる存在なんじゃないかなって」
先生の言葉を聞いて感じた事を僕は口に出した。先生はただ無言で頷いた。もしかしたら、先生はドドから亡くなった一颯さんの事を聞いたのかもしれない。
一颯さんの事を思い出すのは今でもつらい。最後の笑顔を思い出してしまう。それでも、彼女が僕にくれた物はたくさんある。そして、何年か経ってからまた気付く物もあるのかもしれない。
あの時一颯さんが言っていたのはこういう事だったのかと。その一つ一つを大事に抱えていきたい。
しばらくは3人と1匹で夜空を眺めていた。みんなそれぞれの想いを胸に。少し肌寒くなってきたので、そろそろ戻ろうかと居間に下りた。
戸締りをし、廊下の向こう側にある寝室に布団を敷き、おやすみと言って3人とモンジも一緒に床に就いたのだった。
「おかえりなさい。え、それ、猪!?」
ドドは猪を担いでいた。
「そうだ。途中で襲ってきてな。今晩はシシ鍋だ」
ドドはそう言ってその猪を厨房へと運ぶ。囲炉裏がある間のすぐ隣は仕切りがなく、土間の厨房になっている。
「ただいま。お留守番ありがとう。ちょっと下処理してくるから待っててな」
先生は荷物を下ろし、その中から取ってきた山菜やキノコを取り出し整理する。そして、囲炉裏の火を蝋燭に灯し、部屋の四隅にある他の蝋燭に灯していった。
「猪の肉なんて初めてだよ。どんな味なんだろ」
僕がそう言うと、隣にいたモンジがワンワンと鳴いた。
「はっはっは、すっかりモンジと仲良しだね。ちょっと時間かかるから待ってておくれよ」
先生はそう言って、土間で猪の肉を捌き始めた。その間、ドドは土間にある竈に火を付けていた。自分の家であるかのように、ここでの暮らしに慣れているようだった。
この家のすぐ裏には小川が流れており、竈に火を付けたドドはそこから水を桶に入れて運んで来た。
外は次第に暗くなってきたが、蝋燭の灯りは照明としての機能を充分に担っており、電気と違ってほんのりとした温かい明るさが居間を包んでいる。
「すっかり、甘えちゃってるけどいいのかなぁ」
僕が呟くと、隣で伏せていたモンジが顔を上げ、座椅子に座っている僕の伸ばした脚を枕にし出した。動かず休んでいろと言う事なのかもしれない。
「怪我人を働かすわけにはいかないさ。百々丸がいるから充分さね」
と、僕の小さい呟きにも敏感に反応した先生の声が調理場から聞こえてきた。今はそうさせてもらうしかないようだ。
それから1時間程経った頃だろうか。ここでは時間を忘れてしまうため、その感覚はすっかり麻痺してしまっているが、厨房からすごくいい匂いがしてきた。
そして、ドドが大きな鍋を運んで来て、それを囲炉裏の上から伸びる自在鉤に吊るした。続いて調理場から釜を持ってくる。中にはほかほかの米飯が詰まっていた。
「お待ち遠さん。それじゃあ、頂くとしようかね」
先生は僕に茶碗と箸を渡してくれた。そして、手を合わせたので僕もそれに習って手を合わせる。
「いただきます」
そう言って、目の前の米を食べてみた。普通の白米よりもよく火が通っていて、麦や玄米も入っておりとても美味しい。
「ほれ、これが猪肉だ。美味いぞー?」
ドドがシシ鍋の具材を装ったお椀を渡してくれた。野菜と、うどん、そして薄切りにした猪肉が入っている。恐る恐る口にしてみたが、思ってたより脂こくない。臭みもなく、それでいて濃厚な味わい。鍋の味噌の味も染み込んでいる。
猪肉だけでなく、うどんも美味しい。自家製なのだろうか? コシがあって、つるつるしている。
「美味しい……美味しい! すごく美味しいです」
僕は何度もそう言ってしまう。その様子を見た先生は嬉しそうに笑っている。
「栄養もたっぷりあるからね。たんとお食べなさい」
「はい。ありがとうございます。遠慮なく頂きます」
僕はそう言って、米と鍋の具を交互に食べていく。隣のモンジには専用のご飯が用意されていた。猪肉を細かく刻んで米と混ぜた物だったようで、それを零さずに綺麗に食べている。
「先生は、いつも山に入って食材を調達してるんですか?」
僕は気になって問い掛けた。
「天気がいい日はね。山に行って、山と話をするのさね。この猪も山からの賜り物だ。だから、有難く頂戴してきたよ」
そうなんだ。この猪肉も数時間前までは命だった。それを食べる。それが生きるという事。山からの恵みを貰って先生は何年もここで生きているのだろう。
「僕も今度一緒に行きたいです。身体の怪我が良くなったら」
「カッハッハッ! 若くていいね。そうだね、身体が良くなったら一緒に行こうか」
傍にいたモンジが僕の代わりに、ワンと小さく鳴いて返事をした。
「ははっ、モンジも行きたいんだよな? いつもは一緒に行ってるんだが、今日は想の面倒見てもらってたからな」
ドドはそう言ってモンジの頭を撫でた。
「ドドは先生とどうやって知り合ったの?」
僕はドドに聞く。辺境の地に暮らす先生との接点などそうないはずだ。
「あぁ、昔俺の母がな、病院に行った時にすごい先生がいたって教えてくれたんだ。母がたまたま病院に行った時に、気が触れて刃物を持って暴れ出した患者がいたそうだ。しかし、そこに1人の医師が駆けつけてその患者を鎮めたと。それが若い頃の先生だったんだよな。俺はその話を聞いていろんな病院を回って聞いて行ったんだ。そして、高校1年の夏休みにこの山を訪れたんだ」
ドドはどこか少し恥ずかしそうにそう語った。
「懐かしいねー。あの日、いきなりひょろっひょろの男の子が訪ねてきてねぇ。喧嘩強くなりたいだの、修行させてくれだの言ってきてね。何度断っても帰らないし、夜になっても庭先で座り込んだままだったねー。流石にこっちも根負けしてね。それからというもの、長い休みになると、必ずここで泊まりに来るようになった。根性はあったからねぇ。きつい事でもなんでもやっちまってたねぇ」
先生は僕のお椀に鍋の具を装ってくれながら話してくれた。ドドにもそんな頃があったんだなと、僕はちらりとドドを見てしまう。
「ガキの頃は本当無鉄砲だったっつーか、無神経だったよな」
そう言って苦笑いしている。
「おや? 今でも無神経じゃないのかえ?」
「これでもちったぁ大人になったんだぜ!? 常識は流石に弁えてるっつーの!」
先生に言われてドドは反論し、2人で笑い出し、釣られて僕も笑ってしまう。
食事が終わると、2人は片付けをてきぱきと始める。それが終わると、ドドは調理場の隣にある風呂場へ行き、湯を沸かし始めた。
「想は確か風呂あんま好きじゃないんだったよな? じゃあお湯浴びるだけでいいか? ここの風呂けっこー熱いからな」
熱いのか。想像しただけでのぼせそうだ。
「うん。まだ傷もあるし、浴びるだけでいいよ」
一番風呂は先生という決まりらしく、その後にドド、最後に僕が行く事になった。
身体の包帯を解き風呂場に入る。これは、五右衛門風呂というやつだ。外から薪を燃やして沸かしているようだ。風呂桶で湯をすくって触れてみたが、相当熱い。僕は少しずつ手に取って身体を洗ったためだいぶ時間が掛かってしまった。
湯浴みから戻ると、先生が包帯と薬を用意してくれており、先程のように丁寧に薬を塗って新しい包帯を巻いてくれた。
「医者の時に医療道具はたくさん貰ったからねー。包帯はまだまだたくさんあるよ」
先生はそう言ってくれた。何から何までお世話になりっぱなしだ。今日出会ったばかりだというのに。
そして、先生はまた飲み薬とお茶をくれた。僕はそれを有難く頂く。シクスが淹れる紅茶よりも熱いが、このお茶は渋みが効いていて、香ばしくて美味しい。
「ちょっと屋根の上にでも登ってみるかえ? 星が綺麗だよ」
しばらく休んでくつろいだ後、先生はそう言い、細長い棒を居間の天井に刺し、それを引き下ろす。すると、天井から階段が下りてくる。
僕はぼーっと見蕩れてしまったが、先生とドドはそんな僕を気にも留めずに階段を上って行くので、僕も慌ててついて行く。すると、後ろからモンジもついてきた。階段も平気で上ってしまう。
階段を上った先には、絶景の星空が広がっていた。昨夜見た星空はまだ周りに樹があったので視界良好とまでは言えなかったが、この屋根の上から見る満天の星は、広大に広がっており、まるで自分が星に包まれているようだった。
「気をつけて座りなさいね。落ちたりでもしたら大変だ」
先生は右の方に座っていた。屋根は瓦の屋根だった。緩やかな斜面なので落ちる心配はなく、僕は無事腰を下ろす。隣にはモンジが座って尻尾を振っている。
「もし落ちたりしたら俺が受け止めるから大丈夫だ。安心しろ」
と、先生の隣に座るドドはいつの間にか日本酒を持ってきたようで、それを飲んでいる。
「医者をやめた頃に少し飲んで、ここ数年はずっと飲んでなかったがね。せっかくだ、少しだけ頂くとするかね」
そう言って、ドドからお猪口に日本酒を注いでもらっていた。
「すごい。こんなに星がいっぱい。これ、全部星なんだ。夜なのに、明るく感じる」
僕は改めて頭上を見上げ、息を漏らす。月はちょうど半月だったが、その月も明るい。まるで、月と星が僕達を見ているような錯覚にさえ陥ってしまう。
「星の光は、何万年前、下手したら何億年も前の光なんだよ。地球よりも大きい星だってあるだろう。それがこうして光を届けてくれるんだ。それからしたら、人間なんてちっぽけなもんさ」
先生は夜空を見上げながら語った。僕も再び夜空の星々に視線を戻す。そして、先生は言葉を繋げる。
「星の中にはもう既に死滅してしまっているものもあると言う。それでも、何万年もの月日をかけて地球にこうして光を届ける。私はね、医者の時にたくさんの人の死を看取った。仕事をしていると生死の感覚が麻痺してしまう事もあった。それでもね、最後まで生きた患者さんの笑顔が、今でもたまに思い浮かんでしまうんだ。あの笑顔が忘れられなくてねー。いなくなってしまった人はね、いつまでも輝きを届けてくれるのさ。星のように」
先生は少しお酒が回っているのか、饒舌にそう語った。
「はい、その通りだと思います。僕らは、生き残った者は、その輝きを見て、安らぎを感じたり、明日もがんばろうとか、そう思って生きる存在なんじゃないかなって」
先生の言葉を聞いて感じた事を僕は口に出した。先生はただ無言で頷いた。もしかしたら、先生はドドから亡くなった一颯さんの事を聞いたのかもしれない。
一颯さんの事を思い出すのは今でもつらい。最後の笑顔を思い出してしまう。それでも、彼女が僕にくれた物はたくさんある。そして、何年か経ってからまた気付く物もあるのかもしれない。
あの時一颯さんが言っていたのはこういう事だったのかと。その一つ一つを大事に抱えていきたい。
しばらくは3人と1匹で夜空を眺めていた。みんなそれぞれの想いを胸に。少し肌寒くなってきたので、そろそろ戻ろうかと居間に下りた。
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