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第4章 ナターシャ
4-4 先生
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「おやぁ? 誰かと思えば百々丸じゃあないか。君はまた大きくなったねー」
恐らくドドが「先生」と呼んでいる人だろう。その老人はこちらに近付きながら笑いかける。
白髪混じりの頭は頭頂部程まで禿げ上がっている。短髪だがまだ艶がある。肌にも艶があり、健康そうだ。銀縁の眼鏡を掛けており、人当たりがよさそうな印象がある。小柄で、身長は155cm程だろうか。灰色の甚平を着ている。
「先生こそ変わらずお元気そうで安心したよ」
ドドはそう言って先生と向き合っていた。モンジと呼ばれた柴犬はその間をうろうろしながら尻尾を振っている。
「おや? そちらのお兄さんは? ん? 随分傷だらけじゃないかえ。大丈夫かい?」
そう言って、先生はドドの後ろにいた僕へと近寄り、心配そうに見てくれた。
「あぁ、わりぃ。紹介がまだだったな。弖寅衣 想、俺の親友だ。こちら、雪枝垂 冬至先生。俺の師匠だ」
ドドはそう言って紹介してくれた。
「は、初めまして。弖寅衣 想と申します」
僕は少し緊張しながら頭を下げる。
「弖寅衣? はて? 確か、よく君が話していた女性もそんな変わった名前だったよな? もしかして、弟さんかい? そうかそうか。よく見りゃ、百々丸も怪我してるじゃないか。何やら込み入った話になりそうだね。中に入りな。モンジ、お前も来な」
先生は1人で話を進めて、家の中に僕らを誘った。僕はドドの後を追うようにしてその家へと上がらせてもらった。
木造のその家は和式の古い造りをしていたが、とても頑丈そうに作られており、戸はしっかりしていて、内装も綺麗な木材で組み立てられていた。
玄関を上がりすぐ横の部屋へと案内される。そこは囲炉裏だった。畳が敷かれた中央には四角に区切られた炉があり、天井から吊るされた自在鉤に鉄瓶がぶら下がっている。
周りには骨董品を収納した棚、掛け軸、変わった置物で埋め尽くされており、スズメバチの巣の飾り物までぶら下がっている。
「すごい、初めて見た……」
囲炉裏なんて写真でしか見た事がなく、僕はしばらく放心してしまう。
「ちょうど今お茶を飲んでたとこでね。さ、座んな。山道大変だったろう」
そう言って先生は、湯のみに急須からお茶を注いでいる。僕とドドは囲炉裏を囲むように座る。
すると、僕達の間に柴犬のモンジが座り、ハッハッハッハッと舌を出しながら息をしてじっと僕を見つめている。なんだか可愛くなってしまい、頭を撫でる。
「雪枝垂先生は、元医者なんだ。だから、傷の事も見てもらうといい」
お医者さんなのか。そんな人が今はこうして山奥で暮らしているなんて。
「今はもう隠居してる変わりモンさ。傷は後で見てあげよう。で、一体何があったんだい? そんな身体でこんな場所まで来るとは余程の事があったんだろう?」
先生は僕にお茶を渡してくれた。そのお茶を1口飲む。熱かったが、渋くて酸味もあって美味しい。
「ここは俗世間と隔離されてるからな。何も情報は入ってこない。でも、俺ァ先生に隠し事したくねぇからちゃんと話すぞ?」
そう言ってドドは僕を確認するように見る。僕はそれに無言で頷く。
「俺達は、ゼブルムっつー悪の組織と戦ってきたんだ。そいつらは影で犯罪ばかりやっていて、そしていずれは戦争を起こすつもりらしい。薬物や兵器を作っている。そして、奴らに反抗した俺達は、腹いせに濡れ衣の全国指名手配をかけられちまったんだ」
ドドはこれまでの経緯を端的に纏めて説明してくれた。先生はずっと、囲炉裏の炎を見つめながら黙って聞いていた。
「ふむ。なるほどねぇー。とんだ悪党がいるもんだな。まぁ、百々丸が犯罪やるような事はないから、その話は信じるよ」
先生は静かにそう言った。とても冷静な人だと感じた。
「それで、ずっととは言わないが、傷が少しでもよくなるまでここに置いてほしいんだ。頼む!」
ドドは、そう言って手を合わせた。僕も頭を下げる。
「あぁ、いいよ。ゆっくりしてきな。せっかくの客人だ。狭い家だが、しばらくここで暮らすといい」
そう言って先生は僕に向かって微笑んでくれた。
「ありがとうございます。しばらくお世話になります」
僕は再び頭を下げた。
「いいって事よ。想くんと言ったかな? 君は、百々丸が話してた人の弟なんだろ? 聞いてた話じゃ、あの人はまさに正義の味方って人だ。その弟さんじゃ絶対に悪い事はしないよ。いい目をしてる」
そう言って、先生は顔に皺を寄せて微笑みながら何度も頷いていた。
と、隣にいたモンジが僕に抱きつき、頬をぺろぺろ舐めてきた。
「はは、モンジにも気に入られたみたいだな。君と一緒にいれる事になって喜んでるんだよ」
先生はそう言って笑っていた。
「ふふふ、そっか。モンジ、しばらくよろしくね」
そう言って、僕はまたモンジの頭を撫でる。そこへ、先生が医療箱を持ってやってきた。
「さて、それじゃあ傷の具合を見せてもらおうかね。まずは足からだ。この山道で無理させてただろうしね。ズボン脱いでこっちに脚伸ばしてくれるかい?」
僕は少し恥ずかしく思いつつも、ズボンを脱ぎ、脚を伸ばした。先生は慣れた手つきで僕の脚に巻かれた包帯、ガーゼ、そして骨折した脚にあてた添え木も外していく。
「こりゃあひどい。よっぽどの相手と戦ったんだねー」
先生は僕の傷口を消毒していく。そもそも先生はドドの師匠であるわけだから、格闘術にも長けているという事なのだろうか? そんなイメージはまるで無いが、本人には失礼なので聞けない。
「あぁ、やばい戦いだったんだ。奴ら特殊部隊も動員してきてさ。それを率いてた奴は倒したんだけど、それでもまだ倒してない奴もいるし、指名手配は続行だしなー」
ドドはモンジの相手をしながら言った。モンジは僕が治療を受けるのを察したのか、先程からドドの傍にいる。お利口な犬だ。
あの戦いでまだ生き延びている敵。予言者エイシスト、そして科学者フィア・ファクターか。いずれはまた対面する事になるだろう。
先生は消毒した傷口に塗り薬を塗っていく。
「これはね、ここらの薬草で調合した薬だ。すぐに傷口も塞がるよ。包帯も新しく変えておこうかね」
眼鏡越しの先生の目はとても優しそうな瞳をしていた。数分して脚の治療が終わり、次は上半身の番だったため、僕はズボンを履き、上半身の服を脱いだ。
「背中もひどいねー。肋骨に少しヒビも入ってそうだ」
僕はうつ伏せに寝かされ、先程と同じように治療をしてもらう。そして、腕、頭部の傷も見てもらい、包帯を巻いてくれた。
「よし、とりあえず一通り終わったよ。百々丸の傷も見ようか?」
「俺は大丈夫だ! こんくらいはすぐに治る」
ドドが自慢げにそう言うと、そうかいそうかいと先生は笑っていながら、僕に紙に包まれた薬を渡す。
「薬草を調合した飲み薬だ。それを飲めば血行の流れを促進して免疫力を高める。さっきのお茶も健康にいいからね。いっぱい飲みなさい」
紙を開いてみると、茶色い粉末が入っていた。僕は言われるがままに、それをお茶で流し込む。少し苦味があるが、傷を治すためだ。
「先生は、どうしてこんな山奥に暮らしているんですか?」
僕は聞いていいものか迷っていたが、堪らず聞いてしまった。
「都会の暮らしに疲れてしまったと言うより、嫌気がさしてしまってね。あっちは便利すぎるし、他人との関わりも面倒だ。医療の現場なんか特にね。人間の嫌な部分をいっぱい見てきたよ」
笑顔でありながらも、どこか寂しそうにそう語った。
「わかります。いや、僕は医療みたいな緊迫した職場では働いていなかったんですけど、そこでの関わり合いもとても大変でした。でも、ここに来る道中、たくさんの木々に囲まれて、たくさんの自然を感じて、職場だけが世界だと思ってた頃が霞んでしまった気がします」
僕の話を聞きながら先生は目を閉じながら何度も頷いていた。
「うんうん。世の中にはいい人もいるけれど、どうしても悪い人間の方が目立ってしまうんだよね。その点、自然は真っ直ぐだ。そして、堂々としている。だから、安心するんだな」
先生の言葉に僕は頷く。先生のように世捨て人となり、俗世間と隔離された暮らしも1つの生き方なのだろう。
僕とドドに全国指名手配がかけられた今、安住できる場所を探し、隔離されて暮らすしかない。今後のためにも、先生の暮らしは参考になるはずだ。
「想くんは誠実でいい子だ。今はつらい状況かもしれないが、気をしっかり持って前を向きなさい。きっと、いつか自分の道が見つかるよ」
「はい、がんばります」
先生に言われ、僕はまだまだ諦めてはいけないと改めて自分を奮い立たせた。いなくなった人のためにも、その人が守ってくれたこの命を無駄にしないためにも。
「さて、ちょっと洗濯物を取り込んでこようかね。それが終わったらちょっと山に行ってくるよ。百々丸、しっかり働いてもらうよ? あぁ、想くんは休んでいなさい。モンジの相手でもしてくれ」
立ち上がりかけた僕を先生は制し、縁側から外に出て洗濯物を取り込み始めた。ドドもそれを手伝う。
ドドもそうだったが、先生も僕を甘やかしてくれて申し訳なくなってしまう。でも、せっかく治療してもらったし、ここは安静にしているのが一番なのかな。
「じゃあ、ちょっと出かけてくるね。日が沈む前には戻ってくるから、まぁゆっくりお留守番してておくれ」
「はい、いってらっしゃい」
先生とドドを見送り、僕は再び囲炉裏の近くに座る。モンジもすぐ隣に座った。改めて囲炉裏の炎を見る。その炎は焚き火の炎に近いが、とても静かで安心感がある。
縁側というのも実際に見るのは初めてだ。見ていたらじっとしていられず、縁側に腰掛けてみた。すぐにモンジも後を付いてくる。
微風が吹き、開放感がある。陽光も入って来るため、とても気持ちがいい。隣にいるモンジも縁側でごろんと横になったので、お腹を撫でてあげた。
ここでも時の流れがゆっくりに感じる。都会に暮らしていた頃は時間に追われすぎていたんだろうな。誰も彼もが忙しなく動いていたから、それに巻き込まれていくように周りも影響されていたんだ。そういう意味でも、ここは他者の影響を受ける事がない。
「モンジはいつもここで暮らせて羨ましいなー」
会話はできないが、自分の名前を分かっているからか、顔を上げてこちらを向いている。試しにお手をしてみたが、ちゃんと僕の手に前脚を乗せてくれた。お利口さんだ。
モンジは時折、庭先に出て駆け回ったり、縁側に戻って休んだりしていた。そんなモンジの行動を見ているだけで、心がとても癒された。
恐らくドドが「先生」と呼んでいる人だろう。その老人はこちらに近付きながら笑いかける。
白髪混じりの頭は頭頂部程まで禿げ上がっている。短髪だがまだ艶がある。肌にも艶があり、健康そうだ。銀縁の眼鏡を掛けており、人当たりがよさそうな印象がある。小柄で、身長は155cm程だろうか。灰色の甚平を着ている。
「先生こそ変わらずお元気そうで安心したよ」
ドドはそう言って先生と向き合っていた。モンジと呼ばれた柴犬はその間をうろうろしながら尻尾を振っている。
「おや? そちらのお兄さんは? ん? 随分傷だらけじゃないかえ。大丈夫かい?」
そう言って、先生はドドの後ろにいた僕へと近寄り、心配そうに見てくれた。
「あぁ、わりぃ。紹介がまだだったな。弖寅衣 想、俺の親友だ。こちら、雪枝垂 冬至先生。俺の師匠だ」
ドドはそう言って紹介してくれた。
「は、初めまして。弖寅衣 想と申します」
僕は少し緊張しながら頭を下げる。
「弖寅衣? はて? 確か、よく君が話していた女性もそんな変わった名前だったよな? もしかして、弟さんかい? そうかそうか。よく見りゃ、百々丸も怪我してるじゃないか。何やら込み入った話になりそうだね。中に入りな。モンジ、お前も来な」
先生は1人で話を進めて、家の中に僕らを誘った。僕はドドの後を追うようにしてその家へと上がらせてもらった。
木造のその家は和式の古い造りをしていたが、とても頑丈そうに作られており、戸はしっかりしていて、内装も綺麗な木材で組み立てられていた。
玄関を上がりすぐ横の部屋へと案内される。そこは囲炉裏だった。畳が敷かれた中央には四角に区切られた炉があり、天井から吊るされた自在鉤に鉄瓶がぶら下がっている。
周りには骨董品を収納した棚、掛け軸、変わった置物で埋め尽くされており、スズメバチの巣の飾り物までぶら下がっている。
「すごい、初めて見た……」
囲炉裏なんて写真でしか見た事がなく、僕はしばらく放心してしまう。
「ちょうど今お茶を飲んでたとこでね。さ、座んな。山道大変だったろう」
そう言って先生は、湯のみに急須からお茶を注いでいる。僕とドドは囲炉裏を囲むように座る。
すると、僕達の間に柴犬のモンジが座り、ハッハッハッハッと舌を出しながら息をしてじっと僕を見つめている。なんだか可愛くなってしまい、頭を撫でる。
「雪枝垂先生は、元医者なんだ。だから、傷の事も見てもらうといい」
お医者さんなのか。そんな人が今はこうして山奥で暮らしているなんて。
「今はもう隠居してる変わりモンさ。傷は後で見てあげよう。で、一体何があったんだい? そんな身体でこんな場所まで来るとは余程の事があったんだろう?」
先生は僕にお茶を渡してくれた。そのお茶を1口飲む。熱かったが、渋くて酸味もあって美味しい。
「ここは俗世間と隔離されてるからな。何も情報は入ってこない。でも、俺ァ先生に隠し事したくねぇからちゃんと話すぞ?」
そう言ってドドは僕を確認するように見る。僕はそれに無言で頷く。
「俺達は、ゼブルムっつー悪の組織と戦ってきたんだ。そいつらは影で犯罪ばかりやっていて、そしていずれは戦争を起こすつもりらしい。薬物や兵器を作っている。そして、奴らに反抗した俺達は、腹いせに濡れ衣の全国指名手配をかけられちまったんだ」
ドドはこれまでの経緯を端的に纏めて説明してくれた。先生はずっと、囲炉裏の炎を見つめながら黙って聞いていた。
「ふむ。なるほどねぇー。とんだ悪党がいるもんだな。まぁ、百々丸が犯罪やるような事はないから、その話は信じるよ」
先生は静かにそう言った。とても冷静な人だと感じた。
「それで、ずっととは言わないが、傷が少しでもよくなるまでここに置いてほしいんだ。頼む!」
ドドは、そう言って手を合わせた。僕も頭を下げる。
「あぁ、いいよ。ゆっくりしてきな。せっかくの客人だ。狭い家だが、しばらくここで暮らすといい」
そう言って先生は僕に向かって微笑んでくれた。
「ありがとうございます。しばらくお世話になります」
僕は再び頭を下げた。
「いいって事よ。想くんと言ったかな? 君は、百々丸が話してた人の弟なんだろ? 聞いてた話じゃ、あの人はまさに正義の味方って人だ。その弟さんじゃ絶対に悪い事はしないよ。いい目をしてる」
そう言って、先生は顔に皺を寄せて微笑みながら何度も頷いていた。
と、隣にいたモンジが僕に抱きつき、頬をぺろぺろ舐めてきた。
「はは、モンジにも気に入られたみたいだな。君と一緒にいれる事になって喜んでるんだよ」
先生はそう言って笑っていた。
「ふふふ、そっか。モンジ、しばらくよろしくね」
そう言って、僕はまたモンジの頭を撫でる。そこへ、先生が医療箱を持ってやってきた。
「さて、それじゃあ傷の具合を見せてもらおうかね。まずは足からだ。この山道で無理させてただろうしね。ズボン脱いでこっちに脚伸ばしてくれるかい?」
僕は少し恥ずかしく思いつつも、ズボンを脱ぎ、脚を伸ばした。先生は慣れた手つきで僕の脚に巻かれた包帯、ガーゼ、そして骨折した脚にあてた添え木も外していく。
「こりゃあひどい。よっぽどの相手と戦ったんだねー」
先生は僕の傷口を消毒していく。そもそも先生はドドの師匠であるわけだから、格闘術にも長けているという事なのだろうか? そんなイメージはまるで無いが、本人には失礼なので聞けない。
「あぁ、やばい戦いだったんだ。奴ら特殊部隊も動員してきてさ。それを率いてた奴は倒したんだけど、それでもまだ倒してない奴もいるし、指名手配は続行だしなー」
ドドはモンジの相手をしながら言った。モンジは僕が治療を受けるのを察したのか、先程からドドの傍にいる。お利口な犬だ。
あの戦いでまだ生き延びている敵。予言者エイシスト、そして科学者フィア・ファクターか。いずれはまた対面する事になるだろう。
先生は消毒した傷口に塗り薬を塗っていく。
「これはね、ここらの薬草で調合した薬だ。すぐに傷口も塞がるよ。包帯も新しく変えておこうかね」
眼鏡越しの先生の目はとても優しそうな瞳をしていた。数分して脚の治療が終わり、次は上半身の番だったため、僕はズボンを履き、上半身の服を脱いだ。
「背中もひどいねー。肋骨に少しヒビも入ってそうだ」
僕はうつ伏せに寝かされ、先程と同じように治療をしてもらう。そして、腕、頭部の傷も見てもらい、包帯を巻いてくれた。
「よし、とりあえず一通り終わったよ。百々丸の傷も見ようか?」
「俺は大丈夫だ! こんくらいはすぐに治る」
ドドが自慢げにそう言うと、そうかいそうかいと先生は笑っていながら、僕に紙に包まれた薬を渡す。
「薬草を調合した飲み薬だ。それを飲めば血行の流れを促進して免疫力を高める。さっきのお茶も健康にいいからね。いっぱい飲みなさい」
紙を開いてみると、茶色い粉末が入っていた。僕は言われるがままに、それをお茶で流し込む。少し苦味があるが、傷を治すためだ。
「先生は、どうしてこんな山奥に暮らしているんですか?」
僕は聞いていいものか迷っていたが、堪らず聞いてしまった。
「都会の暮らしに疲れてしまったと言うより、嫌気がさしてしまってね。あっちは便利すぎるし、他人との関わりも面倒だ。医療の現場なんか特にね。人間の嫌な部分をいっぱい見てきたよ」
笑顔でありながらも、どこか寂しそうにそう語った。
「わかります。いや、僕は医療みたいな緊迫した職場では働いていなかったんですけど、そこでの関わり合いもとても大変でした。でも、ここに来る道中、たくさんの木々に囲まれて、たくさんの自然を感じて、職場だけが世界だと思ってた頃が霞んでしまった気がします」
僕の話を聞きながら先生は目を閉じながら何度も頷いていた。
「うんうん。世の中にはいい人もいるけれど、どうしても悪い人間の方が目立ってしまうんだよね。その点、自然は真っ直ぐだ。そして、堂々としている。だから、安心するんだな」
先生の言葉に僕は頷く。先生のように世捨て人となり、俗世間と隔離された暮らしも1つの生き方なのだろう。
僕とドドに全国指名手配がかけられた今、安住できる場所を探し、隔離されて暮らすしかない。今後のためにも、先生の暮らしは参考になるはずだ。
「想くんは誠実でいい子だ。今はつらい状況かもしれないが、気をしっかり持って前を向きなさい。きっと、いつか自分の道が見つかるよ」
「はい、がんばります」
先生に言われ、僕はまだまだ諦めてはいけないと改めて自分を奮い立たせた。いなくなった人のためにも、その人が守ってくれたこの命を無駄にしないためにも。
「さて、ちょっと洗濯物を取り込んでこようかね。それが終わったらちょっと山に行ってくるよ。百々丸、しっかり働いてもらうよ? あぁ、想くんは休んでいなさい。モンジの相手でもしてくれ」
立ち上がりかけた僕を先生は制し、縁側から外に出て洗濯物を取り込み始めた。ドドもそれを手伝う。
ドドもそうだったが、先生も僕を甘やかしてくれて申し訳なくなってしまう。でも、せっかく治療してもらったし、ここは安静にしているのが一番なのかな。
「じゃあ、ちょっと出かけてくるね。日が沈む前には戻ってくるから、まぁゆっくりお留守番してておくれ」
「はい、いってらっしゃい」
先生とドドを見送り、僕は再び囲炉裏の近くに座る。モンジもすぐ隣に座った。改めて囲炉裏の炎を見る。その炎は焚き火の炎に近いが、とても静かで安心感がある。
縁側というのも実際に見るのは初めてだ。見ていたらじっとしていられず、縁側に腰掛けてみた。すぐにモンジも後を付いてくる。
微風が吹き、開放感がある。陽光も入って来るため、とても気持ちがいい。隣にいるモンジも縁側でごろんと横になったので、お腹を撫でてあげた。
ここでも時の流れがゆっくりに感じる。都会に暮らしていた頃は時間に追われすぎていたんだろうな。誰も彼もが忙しなく動いていたから、それに巻き込まれていくように周りも影響されていたんだ。そういう意味でも、ここは他者の影響を受ける事がない。
「モンジはいつもここで暮らせて羨ましいなー」
会話はできないが、自分の名前を分かっているからか、顔を上げてこちらを向いている。試しにお手をしてみたが、ちゃんと僕の手に前脚を乗せてくれた。お利口さんだ。
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