カンテノ

よんそん

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第3章 サフォケイション

3-1 帰路

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 峡峰での旅を終え、僕らは新幹線に乗り、帰路に就く。正直、体はもうくたくたで家に帰って早く休みたい。明日はもう仕事だと思うと、疲れた体は余計に重くなる。

  休息も兼ねて寝始めると共に、自身の意識の奥底に存在する部屋、クアルトへとやってきた。

「前髪さん、あ、いや、シクス。さっきは、本当に改めてありがとう」

  部屋に着くと僕はすぐにシクスにお礼を言った。シクスは照れ臭いのか、斜め下を向きながら頬を指で掻いていたが、すぐに顔を上げた。

「いえ、想の無事が一番ですから。私が協力したとは言え、あの怪物を倒したのはすごい事です。お疲れ様でした。それと、一度現界すると24時間は現実世界には行けないようです」

  いつもと変わらぬシクスで僕は安心した。24時間経てばまたあちらでも会えるという事か。10分だけという制限付きだが。

  そんなやりとりをしていた僕らの間に姉の煉美れんびが割って入る。右腕でシクスの首を、左腕で僕の首を抱きかかえるように引き寄せた。

「よかったよかったー! そーくんがちゃんとシクスの事思い出してくれてさ!」

  姉はやはり知っていたんだな。それでも自分からは言わずに、僕が思い出すのを待っていたという事は、それはきっと姉が僕自身に思い出して欲しかったのかもしれない。そして、僕が自分で思い出した事に意義があるのかもしれない。

  姉に抱きかかえられながらも、僕とシクスは顔を見合わせて笑い合った後、いつものようにソファに座る。ローテーブルの上には、既にワインが用意されていた。
  姉の服装が、白いタンクトップに黒いショートパンツで髪はポニーテールだったため、お酒を飲む気だろうとは予想していたが、今日はお祝いという事で許すか。

「姉さんはやっぱりシルベーヌさんの事も気づいてたんでしょ?」

  僕らの紅茶とワインで乾杯し、一口飲んだ姉に僕は問いかける。

「うん、そりゃあね。まー、静寂しじまくんがそーくんに接触した事には本当驚いたけどね。昔から何考えてるかわかんない所はあったけど、それは自分の気持ちを押し殺してたんだろうね。あたしが死んだ後に、ああやって決心して、自分の気持ちを解放するようになった事、本当に嬉しく思うよ」

  姉はシルベーヌさんの事を初めて「静寂くん」と呼んだ。やはりその呼び方の方が馴染み深いのだろう。ソファにもたれながら手に持ったワイングラスを見つめている。

「私もあの話を聞いた時は驚いてしまいました。しかし、実際すぐ近くで戦っていたあの御方は本当に強かった。猫である私よりも速い」

  シクスはそう断言したが、僕からすれば2人とも同じくらいに速い。

「あたしもJK時代に何度も竹刀やら木刀でぶっ叩かれたからねー。先生達にも気づかれずに殴ってきてさー。ひどいよねー」

「どうせ姉さんの事だからまた授業中に居眠りしてたんだろ?」

  何もないのに、あの真面目そうだったシルベーヌさんが殴るとは思えないから適当に思いついた事を言ってみた。

「そーくんひどーい! 当たってるけど……」

  当たってたんかい。姉さんは口を尖らせている。当時のシルベーヌさんは風紀委員をやっていたのかもしれない。
 
 今日もこの部屋にはシクスが選曲したジャズが流れている。お洒落だ。心地よい音が耳から入り、胸に響いていく。

「この曲はジャコ・パストリアスというベーシストの曲ですね。ジャズの曲もありますが、フュージョンというジャンルになります」

  僕が誰の曲かと尋ねると、シクスはそう説明してくれた。また仕事帰りにショップに寄って見てみたいな。と、何か考え事をしていた姉が口を開く。

「ところでさー、1つ問題が残ってるんだ。あの、サターンズ・リングはどうなったんだ? あの場で野垂れ死んだのかな? 誰も生死を確認してないよね?」

  すっかり忘れていた。あの時、僕らはカーネイジに追われ、あの廃村を離れたきり戻らなかった。巨大な猟奇殺人鬼との戦いに必死で、サターンズ・リングはもう死んだと思い込んでいた。

「あのしぶとい奴があれで死ぬような気がしないんだ。まぁ、あれだけの重症を負ったからしばらくは大人しくしているだろうけどさ」

  うん、姉の言う通りだった。今は大丈夫かもしれないが、いつか復讐心に駆られたあの男が仕掛けてきてもおかしくはないだろう。日頃から警戒しなくちゃいけないな。

「今回の峡峰地方でのゼブルムの行動を軽くおさらいしてみましょうか。まず、水質の変動。作物を荒らし不作状態にする。凶悪な動物と虫の出現によって住民を恐慌状態に陥らせる。それらによって暴動を発生させる。さらに強力な強化薬物を製造しそれによって一般人を兵隊並の戦力へと変える」

  シクスがわかりやすく纏めてくれた。恐らく、今回戦った敵達は皆、薬物で強化されていただろう。以前戦ったディキャピテーションもそうだったのかもしれない。

「そういう事になるよね。じゃあ、その暴徒化した人間にさらにその薬物を投与したらどうなるか。それは、もう街だけじゃなく国が内側から崩壊するんじゃないかな」

  僕は自分で言いながらも恐ろしくなる。

「うん、手段を選ばない奴らが考えていそうな事だね。前にそーくん達は戦争を起こさせるんじゃないかと予想していたけど、それも充分ありえるんだ。でも、国の内部崩壊を起こして自滅を演出しようとしているのだとしたら、これ程恐ろしい事はないね」

  姉も冷静に考えを述べ、僕は姉の言葉を反芻する。実際、僕らは人々に薬物が流通した結果を、僕らの街、璃風りふでも見ている。薬物は驚く程のスピードで街に、暮らしに、人々に浸透していくのだろう。

「あ、なんかせっかくの祝いの場でごめんね。真面目な話しちゃって。ともあれ、今回もそーくんはよく頑張った! 正直あたし自身もびっくりしてるよー! 帰ったらゆっくり休んでね」

  姉はそう言って僕の頭を撫でた。いつまで子供扱いするんだよー。

「いや、姉さんは普段巫山戯てばっかだし、真剣な意見は貴重だからありがたいよ」

「ちょっと、それどういう意味だよー!?」

  姉は少し笑いながら僕の肩を軽く叩いた。

「煉美が真面目になる機会はレアですよね。もっと続けてもよかったんですよ?」

  シクスは真顔でそう言った。それを聞いた姉は、自分が占領している3人掛けソファの右端に座り、シクスに近付く。

「シクスー? あの時、現実世界で何て言ってたっけ? 育ててくれたあたしに感謝してるって言ってなかったっけ? んー? それが育ての親に対して言うことかー? もう1回、ゼロから調教してあげようか?」

  なんて怖い事言うんだ。また喧嘩が始まりそうで怖かったので僕は慌てて宥める。

「まぁまぁ、姉さん。僕らは姉さんの話がいっぱい聞きたいって意味で言ったんだよ? ね?」

  と、僕はシクスにも振る。彼は慌てて頭をぶんぶん無表情で振る。すると、機嫌をよくした姉が僕の方へ飛び込んできた。

「そーくーん! なんていい子なんだ! よしよーし」

「ちょっと、やめてよ、あんまくっつかないでよー」

  今日の姉はやけにべたべたしてくる。

「だって、シルベーヌちゃんともハグしてたじゃないかー! あたしともいいだろ?」

  あぁ、そういうわけか。シルベーヌさんにそんな所で張り合っているのか。大人げないなー本当。
  お酒も入ってたからか、少し甘えたくなってしまったらしく、その後も姉さんの相手をして時間を過ごした。


  現実世界に戻り、新幹線は駅へと到着した。シルベーヌさんはまた海外に旅立つために降りる駅が違う事もあり、そこで別れる事となった。
  僕ら3人はすっかり寂しくなってしまっていたが、それが顔に出てしまったのか、シルベーヌさんはまたオフになったら必ず会いに来ると言ってくれた。

「シルベーヌさんとまたいつか、きっと会えますよね!」

  シルベーヌさんに手を振ってから一颯いぶきさんが口にした。うん、きっと会える。また会える。僕は心の中で自分に言い聞かせるように返事をした。
  そして僕らは歩き出し、改札を抜け、駅構内を進む。

「お、おい! ちょっと待て、なんだあれ!?」

  少し先を歩いていたドドの足が止まった。彼が指さした物は駅構内に設置されたモニターだった。そこに映し出された映像に僕も驚愕した。

【1週間前の璃風都内工場の火災、及び本日の峡峰樹海での火災はいずれも同一犯による犯行】

  映し出されたニュースのテロップにはそう書かれ、そして僕ら3人の顔写真と名前が公開されており、「全国指名手配」と、確かにそう記してあった。

  いや、嘘だ。信じられない。どうなっているんだ。まさか、ゼブルムが手を回したのか? こんな、報道を使って、僕らを徹底的に捕まえるつもりなのか?
  ニュースの映像にはあの樹海一帯が燃え上がる様子が映し出されている。しかし、帰る時はここまで燃えていなかったはずだ。火はほとんど自然に鎮火されつつあったのに、どういう事だ。

「そ、そんな……私たち、何も悪い事してませんよね!?」

  一颯さんは声を抑えながらも悲痛な言葉を発した。そうだ。僕らは、何も間違った事なんかしてない。してない筈なんだ。

「とにかく、ここは人目につく。移動しよう」

  冷静さを取り戻したドドに言われ、僕らは少し足早になりながら駅構内を進む。
  時刻は既に夜22時という事もあり、人はまばらだが、行き交う人々に僕らが全国指名手配犯だと気づかれたらどうしようと、嫌な緊張感が纒わり付いている。
  一颯さんも、同じなのか僕の服の袖を掴んでいた。

  そして、駅を抜け、ロータリーに出た所で信じ難い光景が広がっていた。
  囲まれていた。まるで僕達3人がここから出てくる事がわかっていたかのように。

「なんだこれ、どうなってるんだ……?」

  僕は現実感を失いながら呟いた。軍隊、いや特殊部隊だ。何百人もの武装した隊員がロータリーの外周に沿うように配置されている。
  振り返ると背後の駅構内からも、僕らを警戒しながら隊員たちが少しずつ迫ってきていた。上空にはヘリコプターも飛んでいるようで、そこから照らされるライトが眩しい。

「なんで……なんで……? なんでこんな事に?」

  一颯さんはまた悲痛な声を洩らした。僕は彼女の震える手を握る。こんな事があっていいのか。目の前に広がる絶望的な光景は、僕にとってはこの世の地獄のようだった。
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