カンテノ

よんそん

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第2章 カーネイジ

2-20 名前〈前編〉

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 私は、壁面に映る映像を正面から、じっと見つめていた。
  その映像で、青年は手足の自由を奪われ、彼の背後から巨大な怪物が襲い掛かろうとしている。
  あまりにも残忍で、凶悪な殺人鬼はもはや「人間」と呼ぶ事すら許されないだろう。
  ぽんっ、と私の肩に手が置かれた。煉美れんびだった。

「行っといで。あの子を、助けたいんだろ?」

  彼女は優しく、それでいて勇ましく微笑んでいる。

  あぁ。行くさ。行ってやるとも。私の大事な、大好きな親友が窮地に立たされているんだ。
  想、今助ける。


  ◆◆◆◆


「前髪さんなんだよね!? なんで!? どうしてここに!?」

  目の前にいるのは確かにあの前髪さんだ。あの部屋でしか、クアルトでしか会えなかった彼が、この現実にいる。

「10分だけ現実世界にいる事ができます。その間にこの怪物を倒します。あ、お湯。クアルトから持ってきました」

  そう言って、前髪さんは僕の凍った手足に熱湯をかけた。あのティーポットで。流石に熱かったが、助かった。これで自由に動ける。

「ちょっとぉ!? そのノッポのイケメンは何者なの!? どこから来たの!?」

  近くまで来ていたシルベーヌさんが、戸惑いの声を上げている。

「あ、大丈夫。前髪さんは僕の親友です。仲間なので、安心してください」

  僕が言った「前髪さん」という名前を不思議に思っていたようだったが、シルベーヌさんはすぐに納得したのか微笑んだ。

  と、その時、シルベーヌさんの後方からバーント・イン・ザ・サンが炎を纏いながら猛突進してきていた。シルベーヌさんが振り向こうとする前に、前髪さんが猛スピードで飛び出していた。
  前髪さんは走りながら、燃える黒い狼に向かってオートマチックタイプの拳銃を何発も撃ち、そしてその拳銃を捨てた。しかし、その捨てられた拳銃は空気に溶け込むように消えていく。
  そして、黒い狼の目前へと迫った前髪さんは拳を振りかぶり、大きく開けられた狼の口の中に向けてその拳を放った。長い腕が肘の辺りまで狼の口に飲み込まれ、鋭い牙が前髪さんの腕へと食い込む。が、血は一切出ない。

「腐り果てた狼よ。ここで朽ち果てろ」

  前髪さんがそう言うと、大きな銃声が4発鳴った。狼の身体から力が抜け、動かなくなった。ついに、あのバーント・イン・ザ・サンが息絶えた。
  狼の口から出した前髪さんの手には先程の拳銃とは違う、ライフルが握られていた。バーント・イン・ザ・サンの内部からあのライフルを撃ったのだ。

「私のグラインドは、武器、主に銃器を自在に出現できる能力です。『デス・オブ・ア・デッド・デイ』、略して『D3』と呼んでいます」

  前髪さんもグラインドを使えるのか。そう言えば、以前前髪さんはクアルトで銃を使った事があったな。
  と、先程前髪さんに銃で撃たれたカーネイジが起き上がろうとしていた。

「銃で撃たれても起き上がるのコイツ!?」

  シルベーヌさんは再び刀を構える。と、前髪さんが一瞬でこちらに戻り、拳銃を撃ちながらカーネイジの横へ回り込もうと動く。スピードならシルベーヌさんよりも速い。

「シルベーヌさん、私が援護します。思いっきり暴れてください」

  前髪さんが自分の名前を知っていた事に驚いていたが、シルベーヌさんはすぐに笑顔になり舌なめずりする。

「じゃあ、お言葉に甘えて遠慮せずいっちゃうわよー!」

  そう言ってシルベーヌさんは駆け出して飛び上がり、カーネイジの右腕を斬りつける。

  前髪さんはカーネイジの左側から回り込んでいたが、奴が左手に持つ斧を振り下ろすと、それをひらりと躱しながら跳躍した。
  その高さは異常だった。シルベーヌさんの跳躍よりも高い。10mに達しているだろう。逆さまの姿勢になりながらも、両手に持った拳銃を撃ち続ける。

  僕は巨人の足元に向けて、岩を滑らすようにぶつけていく。カーネイジは思わず体勢を崩しだし、そこへ透かさずシルベーヌさんが奴の懐へと飛び込み、腹部から胸部に向けて切り上げる。

「てやぁーっ!」

  シルベーヌさんは気合いの声と共に斬りつけながら宙を舞った。

「想! いきましょう!」

  前髪さんの声に僕は頷き駆け出す。それと同時に前髪さんも蹌踉よろめく巨体に向けて走る。僕は近場にあった岩を足場にし、その岩をグラインドの力で跳ね上げ、自身の身体を高く飛ばす。
  前髪さんも逆側から跳躍している。そして、カーネイジの頭部を2人で同時に横から挟むように思いきり蹴る。前髪さんの長く、靱やかな脚から繰り出された蹴りは強烈すぎて、その威力は反対側の僕の足にまで伝わってきた。
  蹌踉めいたカーネイジだったが、すぐにまた斧を振りかぶる。

「前髪さん!」

  僕は前髪さんに声をかけると同時に、彼の背後に岩を浮かす。前髪さんはそれを足場にし、カーネイジの顔面に向けて銃を撃ち、そして跳ぶ。高速で縦に前回転した後、強烈な踵落としを巨人の大きな頭に叩きつける。

  そして、僕のグラインドで大木をカーネイジの腹部へと、ありったけの力を込めてぶつける。それと同時に、奴の顔面に向けて再び前髪さんが蹴りを放ち、あの巨体が吹っ飛んだ。

「何あなた達!? 連携バツグンじゃない!? ちょっと嫉妬しちゃうわ!」

  呆気に取られていたシルベーヌさんが、身体をくねくねしながら言ってきた。前髪さんといつも戦ってきたからか、彼の動きの癖がわかってしまう。そして、前髪さんはいつも以上に強い。

「ありがとうございます。ですが、奴はこの程度じゃ死なないでしょう」

  前髪さんはお礼の言葉と共にシルベーヌさんにお辞儀した。そして、その言葉通りカーネイジは再び起き上がる。

「ぐっふぅーぅうおぉー!」

  雄叫びを上げ、また周囲を冷気で包もうとし始めた。

「何度もそれが通用すると思ってるんですか?」

  前髪さんはそう言うと、大きな機関銃を出し、カーネイジに向けて乱射する。物凄い勢いで。あまりの勢いにカーネイジは血を撒き散らしながら後退していく。
  しかし、そこで奴は踏みとどまり、再び身体中から冷気を放出した。そして、空気を大きく吸い込み、吹雪のような息を吐き出した。前髪さんが機関銃から連射していた銃弾が凍りつき、前髪さんは後ろへと跳ぶ。

  奴は右手に冷気を集め、氷の槍を生成し、それを前髪さんに向けて放った。そこへシルベーヌさんが飛び出し、氷の槍を斬り刻み、次にカーネイジの懐に向けて刀を横に構え飛び込む。しかし、斬撃ではない。刀の柄の先端で思い切りあの巨体を突き飛ばした。

  宙に浮いた巨体に目掛けて、僕はグラインドで大きな岩を投げつけ、さらに奴を突き飛ばす。
  先程まで僕達がいたあの大きな窪みへ、衝撃音を立てて巨体が再び落とされた。

「奴が捕縛された当時の資料を読みました。軍隊は大量の麻酔銃を用いたそうです」

  そう言って、前髪さんは麻酔銃を出し、穴の底にいるカーネイジに向けて撃つ。そしてその麻酔銃を捨て、新たな麻酔銃を出して撃つ。それを何度も繰り返していた。
  流石に僕とシルベーヌさんは呆気にとられ見守るしかなかった。そして、前髪さんは大量の手榴弾をいくつも投げ入れた。

「自分が爆発される気分はどうですか?」

  彼がそんな言葉を呟いた後、大きな爆発が起き、地面が揺れた。僕らも爆風で少し飛ばされてしまう。

「な、何よこれ……あいつの爆発よりも凄いじゃない。流石に、これで終わりね」

  前髪さんも頷き、ほら穴に背を向けて、こちらに歩いてくる。
  だが、断崖の淵にあの手が再びかけられ、あの顔も現れた。そして、勢いよく、カーネイジの巨体が飛び上がり、再び地上に降り立った。爆発の影響か、それとも自身の力によるものか、あの巨体が燃え盛っている。

「こいつ!? あれを食らっても生きているのか」

  シルベーヌさんと僕は驚き、前髪さんは舌打ちをした。

 「あともう少し、一気に畳み掛けてデストロイしましょう」

  前髪さんの言葉に僕とシルベーヌさんは頷いた。前髪さんは、カーネイジに背を向けたまま跳躍し、空中でゆっくり縦回転しながらカーネイジの後頭部を思い切り蹴り、すぐにその背中に向けて拳銃を撃ち続ける。

「ぐふぉっ!」

  カーネイジは呻き声を漏らしたが、自身の身体を燃え上がらせ、周囲に炎を撒き散らし、口からは炎を吐き続けている。だが、前髪さんの麻酔銃が効いてきているのか、奴の動きが鈍くなりつつある。

  僕は岩を飛ばし、そして奴のその口を塞ぎ、さらに大木で奴の左手を殴る。その左手に向けて前髪さんがサブマシンガンで追い討ちをかけ、あの巨大な斧がカーネイジの手から離れる。

  少し離れた所から、シルベーヌさんが死刀フィータスを構える。彼女はまた笑っていた。しかし、それは狂気じみたものではなく、晴天のような爽快感に満ちた笑顔だった。

恒河沙ごうがしゃ一刀流奥義――デストロイ・ジ・オポジション」

  瞬発的な跳躍力で飛び出したシルベーヌさんは上段に構えた日本刀を、カーネイジに向けて勢いよく振り下ろし、その勢いを繋ぐように空中で横に高速回転し、あの巨体を腹部から横に両断した。
  綺麗に斬り離された上半身は穴の底へと落ち、下半身はその場に崩れた。

  倒してしまった。絶対に勝てないと思われた、あの巨人を3人の力で。

「お見事。無事、全て終わりましたね。いいですか? 帰りはあちらに向かって真っ直ぐ進んでください。国道に出たら右に進むと民宿があります。そこでタクシーを呼ぶといいでしょう」

  前髪さんは丁寧に帰り道を教えてくれた。現実世界に来る前に、地図で調べてくれたのかもしれない。

「では、私は帰ります。シルベーヌさん、またどこかで」

  そう言って、彼は僕らに背を向けた。




「シクス!」

  僕の声に、前髪さんの動きがぴたりと止まった。

「前髪さん、君は、シクスなんだろ?」

  そう。姉さんが飼っていたあの猫の名前だ。思い出したんだ。確たる証拠などは何も無い。
  でも、今こうして彼と協力して戦った時、どこか懐かしい物を感じた。もしかしたら以前からも感じていたのかもしれない。
  そして何より、僕の本能が訴えかけている。あの時の黒猫だと。

「やっと、思い出してくれたんですね」

  そう言って前髪さん、いや、シクスはこちらを振り返った。

「忘れててごめん。どうしても、君に聞きたい事があるんだ」

  後でクアルトでも聞けるだろう。でも、そうじゃないんだ。今だから、今こうして君があの猫だとわかったから聞きたいんだ。

「シクス、君が僕達と過ごしていたあの日々、嫌じゃなかった? つらい思いしてなかった? 君から自由を奪ってしまった僕達の事、恨んでる……よね」

  こんな質問をするのはとても野暮なのかもしれない。聞くべきではないのかもしれない。それでも聞かずにはいられなかったんだ。
  シクスを拾った2年後に、彼は不慮の交通事故に逢い、この世を去った。
  僕はあの時、あの子猫を拾うべきではなかったんじゃないだろうか。僕が拾わなければ、彼はもっと長生き出来たんじゃないだろうか。もっと自由に自然の中で生きる事が出来たんじゃないだろうかと、彼の死後ずっと悩み、自分を責めた。だから、謝りたかったんだ。
  シクスは一歩踏み出し、僕の方を向いた。

「2年という短い時間だったかもしれませんが、あの2年間、私は絶対に、確実に、とても幸せでしたよ」

  そう言ったシクスの口元が、その時確かに微笑んでいた。

「私は母親の顔を知りません。兄弟がいたのかも知りません。幼い私は、あの場所が何だったのかも、自分が何者なのかもわからず、ただただ怖かった。でも、そこに想が来てくれて、煉美が来てくれて、あの時私はとても安心したんです」

「シクス、ごめん。本当に。君だと気付かなくて、ごめん。君の名前をすぐに思い出せなくて、ごめん」

「いいんですよ。あなたがいつも私と遊んでくれた事、本当に嬉しかったんです。育ててくれた煉美にも、とても、とても感謝しているんです。そして、あなた達姉弟に恩返しがしたくて、私はこうしてまたこの世に戻って来ました。人間の姿になってしまいましたが。あなたにあのクアルトで再会できた時も、私はとても嬉しかったんです。想、あなたは私にとって、大切な、大好きな、親友です。あの時、私を見つけてくれて、本当にありがとう」

  そう言って、シクスは手を振りながら消えていった。10分経ってしまっていたらしい。僕の目からは、いつの間にか涙が流れていた。

「僕の方こそ、ありがとう」
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