カンテノ

よんそん

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第2章 カーネイジ

2-14 葛藤

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「なーるほどねー。厄介な事になったねー」

  姉は真剣な面持ちでテーブルを見つめていた。今日の姉は部屋着スタイルだった。タンクトップにショートパンツ、髪は縛っていない。
  あの後、ひとまず今日はゆっくり休もうという事になり、女性達は温泉に入浴しに行き、堂島さんは散歩に出かけた。1人残った僕はちょうどよかったので、自身の深層心理の世界、夢意識の部屋、クアルトへと来た。

「これは罠である可能性も充分に高いよね? そんな場所には行かない方がいいのかな?」

  僕自身もすごく迷っていた。ゼブルムの行いは決して見過ごせるものではない。しかし、樹海はあまりにも広すぎる。そんな場所で奴を、サターンズ・リングを見つける事ができるのか? 見つけた先で満足に戦う事ができるのか?

「樹海ですか。嫌なイメージばかりありますね。まず、磁気を帯びた溶岩石が多いため磁石が効かなくなるそうです。ただ、これも場所によるらしいので一概には言えませんね」

  紅茶を飲みながら前髪さんが話した。以前、本で読んで知ったそうだ。相変わらず見聞が広く、物知りだ。

「そうそう。迷って出れなくなって死んじゃう人が昔から後を絶たなかったらしい。そして、自殺の名所としても有名だね」

  姉はそこで一呼吸置いた。

「出るよ?」

  そう言って手をだらんとし、怖い顔をしてみせた。

「やめてよそういうのは!」

  僕はつい声を張り上げてしまった。出るものはもう今目の前にいる。

「ははは、そーくんは昔から意外とそういうの苦手だよね。あたしだって幽霊なのに。まぁ行くかどうかはそーくんが決めればいいさ。シルベーヌさんもそーくんが決めた事ならついて来てくれる」

  その決断に悩んでいるのだからこうして来たわけだけど、やはり自分で決めるしかないか。それでも、僕はずっと迷っている。

「仮に行くとなった場合、一颯いぶきさんをどうします? 旅館に置いていくか、現地に連れて行くべきか?」

  前髪さんが言ったその事も悩みの1つであった。彼女は付いて行くと言いそうだし。でも、あんな危険な場所に彼女を連れて行く訳にはいかないという考えがどうしても頭から離れない。

「あのサターンとかいう奴は、そーくんの名前も知っていたよね? という事は旅館の場所がバレていてもおかしくない。現に、朝あの街で見かけているしね。他にも仲間がいて、1人になった彼女を人質に取るなんて事態は避けたいよね」

  姉の冷静で的確な意見は最もだ。

「うん、そうなんだ。だから、行くとしたら、一颯さんも連れていかなくちゃならないんだ」

  前回の事件の時のように、一颯さんがまた人質になって、彼女に再び怖い思いをさせたくない。その上、彼女にもしもの事があったらと思うと気が気でない。なら、やはり彼女を守りながら行くしかない。

「幸い、今回はシルベーヌさんと、ドドくんがいる。攻撃は2人に任せて、そーくんがミモザちゃんの守りに専念すればいい。それが一番確実なフォーメーションだ」

  うん。姉の言う通りだ。あの2人はこの上なく頼りになる。特にシルベーヌさんなら何人敵が来ようと全員倒してしまえるだろう。あの渓谷での戦いを見た後の今でならそう言える。まだ行くと決めたわけではないが。

「シルベーヌさん、強かったですね。あの剣戟は私でも目で追うのが精一杯でした」

  シルベーヌさんを評価した前髪さんの言葉に姉も頷いた。

「そうだろー? すごいだろー? 速さは昔以上だったね。あ、ドドくんもやればできるじゃないかー! ちゃんと考えてたんだねー」

  と、姉は感心していた。よかったな、堂島さん、修行やり直しにならなくて。

「前髪さんは、シルベーヌさんのあの動きが見えたの? あのすごい技の」

  僕がそう聞くと、隣の姉が、あたしだって見えてたしと見栄を張っていた。

「はい。『デストロイ・ジ・オポジション』という技でしたね」

  と、僕と姉の間にある壁面にあの時の映像が映し出され、スロー再生される。それを前髪さんが解説してくれた。

「まず、1太刀目の振り下ろしでイナゴの束を5本切り落としています。次に跳躍しながら回転しつつ、2本を落とします。フィギュアスケートのようですね。そのあと一度イナゴの大群を足場にして、また跳びます。跳び上がる直前に足場にしたイナゴの束を1本、回転し始めた時にもう1本、半回転したあたりでもう1本、これでイナゴの束は全滅です。そこからさらに3回転し勢いをつけてローカストの首を切り落としています」

  す、すごい。前髪さんがそこまで見えていた事も、わかりやすく解説してくれた事もすごいが、シルベーヌさんはここまでの神業をあの一瞬でやっていたのか。まさにフィギュアスケートのように華麗に舞っていたわけだ。

「この技はあたしも過去に見た事がある。その時はもちろんこんな状況じゃないけどね。驚異的な瞬発力と、回転による遠心力を利用した剣技といったところかな。怖いよねー、敵だったらやばいよ?」

  姉の言葉に僕も固唾を飲み込みながら頷く。いや、本当に味方でよかった。生身の人間が、人知を超えた能力者相手に、ここまで出来てしまうなんて、人間の限界の可能性を目の当たりにした気分だ。これが「剣精」と言われる所以か。

「シルベーヌさん、怒ると怖いでしょ? 昔からそうなんだよ? 変わってないよ、本当。そーくんが傷つけられた時に、あんなに怒ってくれて、あたし嬉しかったよ」

  僕も、嬉しかったんだ。以前会った事があるのかもしれないが、僕からしたらまだ会って2日なんだ。それなのにあんなに必死になってくれて。まるで僕が死んでしまったみたいに怒ってくれて。
  壁面にはまだその時のシルベーヌさんが映し出されている。凛々しく、勇ましく、それでいて美しい。

「友達っていいだろ?」

  映像のシルベーヌさんに見蕩れていた僕に、姉がにっこりと笑いかける。うん、その通りだと僕は心の中で答えた。シルベーヌさんは元々姉の友達、もとい大親友なのだが、今となっては僕の友達でもある。

「たーだーし! この混浴は解せんな! 何抜け駆けしてんだコイツ?」

  壁面の映像が昨夜の温泉のシーンに切り替わり、僕は思わず笑い、そしてすぐに恥ずかしくなる。なんでこれを映すんだ!?

「ちょっと! ここは映さないでよ!」

  僕は必死に壁面の映像を隠そうとする。その僕を振り払おうと、姉は僕の手をどかし、ソファに押し戻そうとする。それでも負けじと姉に抵抗する。

煉美れんびはあの後ずっとこのシーンばかり何度も見てたんですよ?」

  前髪さんが呆れたように溜め息をついた。なんだと? 弟の裸を見ているなんてただの変態じゃないか。

「あんた! またそうやっていらん事をチクりおったな!」

  姉が今度は前髪さんに掴みかかる。本当、死んでからも生きてた頃と変わらず元気だよ、この人は。前髪さんも火がついたのか姉に抵抗し、しまいには絨毯の上に2人で転がり出した。
  前髪さんが淹れてくれた紅茶を今日も飲む。美味しい。この紅茶を飲む度にそう思い、そしてざわざわしてる心が少し静まる。不安な心が少し落ち着く。悩んでばかりいた心が少しその悩みを忘れてしまう。

「あともう1つ聞きたかった事があるんだ。あのサターンズ・リングの環はやっぱり氷なのかな?」

  僕が真面目な質問をすると、掴み合いになっていた2人は何事もなかったようにソファに戻る。髪は乱れているが。

「えぇ、そうです。本来の土星の環も水や氷の粒子でできた物です。サターンのグラインドも同じように水と氷の粒子で出来ていると思われます。そしてそれを固めて氷にする事もできるようですね」

  前髪さんがまた解説をしてくれた。そこに姉さんも付け足すように口を挟む。

「シルベーヌさんの気迫にビビってたけど、なかなか手強い攻撃だ。環の回転で斬撃を生んで、氷で打撃、冷却も発生するからね。戦う時は慎重に行くべきだね」

  さっきまで巫山戯ていたのが嘘のように真面目になっている。それでも、やはり姉の意見は参考になる。

「うん、わかった。気をつけるよ。2人とも今日もありがとう。そろそろ行こうかな」

  僕がそう言ってソファから立ち上がると、前髪さんも立ち上がる。

「想くん、君がどんな決断を下しても私たちが君を見守っている。だから、何を選んでも後悔する必要はない」

  前髪さんは少し力強くそう言った。姉はそんな前髪さんを見て微笑み、そして僕に向けても微笑み、無言で頷いた。
  2人とも、いつもありがとう。


  現実世界に戻り、僕はそそくさと入浴を済ませた。シルベーヌさんに捕まらないためにも。
  その数分後にはまた僕らの部屋に4人で集まり、夕食をとった。今晩はしゃぶしゃぶと寿司だった。4人でこうして囲う食事はより一層美味しい。

「ミモザちゃんは今日もよく食べるわねー。もういっそ清々しいくらいだわー」

  シルベーヌさんは一颯さんを今も微笑ましく見ている。一颯さんはやはり和食が好きなんだろうな。寿司の、主にサーモンばかり食べている。

「お寿司久しぶりなんです! 美味しいです!」

  目を細めながら食べている。僕も寿司は久しぶりだった。ネタも大きくて本当に美味しい。

「今日はいっぱい動いたし、昼メシも食えなかったからなー! 俺もまだまだ食えるな」

  堂島さんはビール片手にマグロを頬張っていた。また一番先に寝るんだろうな。

「そーちゃんはお寿司何が好きなの?」

「あ、僕は、貝が好きです。ホタテとか赤貝とか」

  僕がそう言うと、3人とも意外そうに驚いていた。

「貝が好きなんて、弖寅衣てとらいくんちょっとマニアックですね!」

  一颯さんがそう言った。

「マニアックではないでしょ!?」

  ついついツッコミを入れてしまった。いつものように和気あいあいと、僕らは食事を楽しむひと時を過ごす。

  食事が終わると、堂島さんはまだビールを、シルベーヌさんはワインを飲みながら、食後の余韻に浸っていた。
  僕は一颯さんと窓から星を眺めていた。都会で見る夜空と違い、星の輝きがはっきりとしていた。

「私、いつか、あの綺麗な星になりたいな」

  一颯さんは独り言のようにそう語った。

「一颯さんは今でも星のようにキラキラ輝いてると思います」

  僕はそんな恥ずかしい事を言ってしまった。一颯さんも照れ笑いしていた。

「みんな。聞いて欲しい事があります」

  僕は、堂島さんとシルベーヌさんにも向けて話し始める。

「明日、樹海に行こうと思う。でも、正直言うと、怖いんだ。すごく。だから、付いてきてほしいんです。一颯さん1人を旅館に残すわけにもいかないから、一颯さんも連れて行く事になってしまうけど」

  言葉の最後の方では俯きながらも、僕は胸のうちの決心を明かした。大切な人達を危険な目に合わす事になる。つらい思いをさせる事になってしまう。

  しかし、見上げると、一颯さんも、堂島さんも、シルベーヌさんも、3人とも無言でただただ微笑んでいた。
  それが賛同を示すものであると同時に、僕の背中を押してくれているものだと、この時そう確信した。
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