カンテノ

よんそん

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第2章 カーネイジ

2-13 サターンズ・リング

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 シルベーヌさんの斬撃が止められた。何がどうなっている? ここからは位置的によく見えない。少し前の方まで進もうとする。

弖寅衣てとらいくん、身体はもう大丈夫ですか?」

  一颯いぶきさんがまた心配してくれた。

「少し休んでだいぶよくなりました。シルベーヌさんの事が、少し心配なので進もうと思います。一颯さんはここにいてください」

  そう言うと、一颯さんは一緒に行くと言って聞かなかったので、2人で一緒に安全なルートを見つけながら進んだ。先程よりも高い位置の岩まで登れたおかげでようやくシルベーヌさん達の様子を見ることが出来た。
  サターンズ・リングは先程よりもシルベーヌさんから距離を取っている。そのサターンズ・リングの身体の周りに大きな輪ができている。あれでシルベーヌさんの刀を受け止めていたのか。

「そう。それがあなたのグラインドというわけね」

  シルベーヌさんは冷静に述べていた。いつの間にかサターンズ・リングの顔にはあの野蛮な笑みが戻っている。

「あぁ、そうだ。俺のグラインド、土星の環だ」

  仲間を既に2人失い、不利な状況となったはずの奴がなぜあそこまで余裕を見せているのか? 先程までシルベーヌさんの強さに怯えていたはずなのに。それ程までに自分の能力を信じているという事か。

「俺達を相手に戦えるっつーのか? 想も回復したみてーだし、3対1だぞ?」

  堂島さんが腕を伸ばしながらサターンズ・リングとの距離を詰めていく。僕も一颯さんと少しずつ近づいていく。岩場は滑りやすく、彼女の安全にも注意しなければならない。

「ゼブルムの力を舐めるなよ。俺一人になろうが、計画の邪魔をする者は残らず排除だ」

  サターンズ・リングの瞳には黒く渦巻く何かがある。そこまでして組織のために動くのか。何が奴をここまで突き動かすんだ。

「サターンくんだったかな? あなた達の狙いは何? ゼブルムはこの峡峰で何をするつもりなの?」

  シルベーヌさんはここにきて会話を試みた。それもそうだ。自然破壊をし、この地を荒らす事が目的かとも思っていたが、何故そこまでしたいのか理解出来ない。サターンズ・リングは不気味に笑っている

「お前らにゼブルムの崇高で偉大なる計画は理解出来ねぇよ。いいか? この峡峰で俺達が引き起こした公害、そしてそれに連なる数々の事件はなぁ、全部実験でしかないんだよ」

「なっ、何を言ってるんだ……実験だって? こんな1つの地域を使って大規模な実験をしてたのか?」

  思わず口に出していたのは僕自身だった。自分でも驚く程に。

「そうだ、青緑。水の汚染をして生物を殺す事で、住民達はどれ程恐怖に陥るか? 作物が減る事でどれ程不安になるか? 動物達の生態が不安定になる事でどれ程ストレスを抱え込むのか? それを数値化し測る事がここでの実験だ。データはもう充分すぎる程に得られた」

  奴は先ほどから僕を「青緑」と呼んでいる。髪の色のせいか。サターンは言葉を続ける。

「お前も見ただろ? あの夜、居酒屋で男達が暴れていた。あれは薬を投与してるわけじゃねぇんだぜ? 奴らを取り巻く環境が不安定になる事で、精神的不安定に陥り、やがてそいつらは暴徒と化す。その結果があれだ」

  なんだって? あの時のあの男達は酒に酔っていた所にサターンが薬を与えたのだと、てっきりそう勘違いしていたが、精神不安定によって暴行事件を引き起こしているだなんて。
  奴の言う実験というものは、それを人為的に引き起こせるか、どこまでやれば発生するかとそういう実験だということか。それが今、この峡峰地域の至る所で発生しているというのか。

「つくづく下衆なやり方ね。昔からあなた達組織については良くない噂ばかり耳にしていたけど、ここまでの事をやるだなんてね。この美しい自然を、美しい街を壊すだなんて放っておけないわ」

  シルベーヌさんはその美しい切れ長な目でサターンを見据えている。

「なんとでも言え。ゼブルムは何百年も昔から水面下で世界を動かしているんだ。そして、これからまた歴史を作り上げる。そのために小さな国の小さな街が崩壊しようが、俺達の知ったこっちゃねぇんだよ!」

  サターンは狂ったように叫んだ。本当に狂っている。僕らはこの地にきて、まだ2日程しか経っていないが、それでも4人で美しいものを見て、普段出来ないことを体験して、一緒に感動できて、そんな素晴らしい地域を壊すだと? 世界を動かしてきた? ふざけるな。

「あなた達は絶対に間違っている。この地は、自然の心に溢れている。自然の心で彩られている。小さな街だなんてそんな事は関係ない」

  僕の気持ちを代弁したように言葉を発したのは一颯さんだった。シルベーヌさんも堂島さんもこちらを振り返り驚いていた。

「黙れ! 力もない、何も知らない女が! 語るんじゃねぇ!」

  サターンは激怒すると、手の平から土星の環を出し、それを一颯さんに向けて発射した。人の顔と同じくらいの大きさの環が飛んできたが、それをシルベーヌさんが日本刀で斬った。
  しかし、2つに両断された環はそれぞれが矢の様な形になり、再び一颯さんに向かっていった。氷だ。氷の矢となっていた。

「お前のような人間を、組織を、止めるために今僕はここにいるんだ」

  氷の矢が一颯さんに届く事はなかった。僕が一颯さんの前に立ち、2つの岩を浮かせ防御していた。その岩をサターンに向かって突撃させる。たまらず土星の環で防御を試みたサターンだったが、勢いと重みに耐え切れず、岩の直撃を受け、倒れる。

「クソガキィ! よくもやってくれたなぁ!」

  怒声を発しながらすぐにサターンは起き上がった。

「おい、お前、今ミモザちゃんを狙ったな? 戦う術すら持たない女の子を狙ったな?」

  シルベーヌさんがサターンの眼前に立っていた。また、あの凄まじい殺気を放っていた。サターンは目を丸くして動けずにいる。

「殺してやる」

  シルベーヌさんが日本刀を下から斬り上げ、大気を切り裂くような音が鳴った。しかし、サターンの姿が消えていた。
  シルベーヌさんのあの斬撃を回避して、人間の足では有り得ないスピードで崖の上まで昇っていた。よく見ると、足の裏にあの土星の環がついており、それによって高速移動してるようだった。

「時間稼ぎは終わりだ。あの音が聞こえるか? 上流にあるダムを爆破した!」

  そう言ってサターンは高笑いしていた。水の音がどんどんと大きくなり、前方遠くから大量の水が押し寄せてきていた。

「じゃあな! 生き延びてたら海までこい!」

  そう言葉を残し、サターンは去っていった。

「おいおい、冗談じゃねぇぞ!」

  目の前に迫る水の壁を見上げみんな固まっていた。

「一颯さん、僕に掴まって。2人とも近くの大きい岩に掴まってくれ!」

  僕の言葉を受け、2人はすぐに岩に掴まる。それを確認してその岩をグラインドで高く空中に浮かす。僕は一颯さんと近くの大きな岩に乗り、同じように空中へ浮く。轟音と共に大量の水が渓谷になだれ込んできた。

  だいぶ水を被ってしまったが、なんとか3つの岩を水面上に浮かす事ができた。全員無事でよかった。初めにいた橋へとそのまま戻る。ダムの決壊によって生じた川の氾濫は橋の高さにまで達していたようだったが、なんとか橋は壊れずに健在していた。
  周囲には人がもう居なくなっていたようだったが、大量の水に流されてしまった人もいるかもしれない。

「そーちゃん、ありがとう、本当に助かったわ。それから、もう1つ、あの時ミモザちゃんを守ってくれたのもありがとう」

  陸に上がるなり、シルベーヌさんは僕の手を取りそう言った。皆ずぶ濡れだ。

「あれはしょうがなかったですよ。まさか2つに割っても動くなんて、僕も予想外でした」

  一颯さんが無事で本当によかったと、彼女を見るといつの間にか僕の手を握っていた。怖かったのかもしれない。

「それにしてもミモザちゃんがあん時言ってくれたのはスカッとしたよな。ありがとうよ! 俺は言葉が出なくて、何て反論していいかわからなかった」

  堂島さんが満面の笑みを浮かべ、グータッチの拳を向けた。一颯さんは優しくコツンと当てる。

「私はただ、勝手に言葉が出てきてしまって。ここに来てから皆といて楽しかったので」

  それは僕ら皆同じだろう。一緒にいて楽しいんだ。同じ時間、同じ出来事を共有して、距離が縮まって、僕らはそれぞれがかげかえのない存在となった。それはきっと、僕だけの一方的な思いじゃないだろうと確信している。

「でも、びしょびしょですね。これでタクシーに乗るわけにもいかないですし、かと言ってこのままだと風邪引いちゃいますし。この近くに確かホテルありましたよね? そこで乾かしましょうか?」

  僕はそう提案した。だが、ポケットに入っていた財布の紙幣もびしょ濡れでしばらくは使えそうにない。
  幸いな事に、シルベーヌさんは橋のたもとにある樹の上にバッグを掛けておいたらしく、それが無事だったので僕らは昨日泊まった旅館とは別のホテルまで歩いていき、少し休憩した。
  ホテルの人も驚いていたが、事情を聞くと快く部屋に案内してくれ、僕らは浴衣に着替え服を乾燥機にかけている間少し休んだ。
  服の乾燥が終わり、タクシーで元いた旅館へと戻る。時刻は既に17時前であった。

「今日も疲れちゃったわねー。1回ゆっくり休みましょう」

  そう言ってシルベーヌさんは部屋に座った。なんで僕らの部屋にいるんだと疑問に思ったが、今後の方針を話すためだろうなと気づいた。

「そうだなー、流石にくたくただ。ところで、あいつ最後に妙な事言ってなかったか?  海で会おうとか? あれはあの川で流された先の海って事か?」

  堂島さんがそう聞いたが、それはないだろう。だが、僕もあの言葉は気になっていた。一体どういう意味だったんだろう。

「また湖で会うって事ですか? 昨日の湖以外にも確か湖があるんですよね?」

  一颯さんが考えていた事を口にした。僕もそれくらいしか思い浮かばなかった。しかし、シルベーヌさんは首を振った。

「どちらも違うわ。奴は敢えて『海』と言った。この辺りで海と言えばあそこしかないわ。樹海よ」

  シルベーヌさんの真剣な言葉に僕達3人は息を呑んだ。樹海だと? 今、シルベーヌさんは確かに「樹海」という単語を口にした。

「あそこはあまりにも広く、あまりにも危険よ。あたしとしてもあなた達とそんな場所に行きたくないの」

  そうか。シルベーヌさんも迷っているのか。生きて帰ってこれるか、可能性が極めて低い場所へ、足を踏み入れる事にその場の誰もが躊躇っていた。
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