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第2章 カーネイジ
2-10 渓谷
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目が覚めた。と言ってもまだ朝ではなく、辺りは真っ暗だった。時間を確認すべく、近くに置いてあった携帯端末を見る。まだ3時だ。
と、先程から妙な感触がする。なんだか柔らかい。温かい。まさかと思い、そっと携帯端末の光を向ける。
シルベーヌさんかと思っていたが、なんと一颯さんだった。一颯さんが僕の布団に侵入してきていた。この事態は流石に予想外であった。
どうするか。周りにバレたらまずい。彼女を押し戻すべきか、僕自身が空いた布団に移動すべきか。
後者だと判断し、そおっと動き出そうとした瞬間――、彼女の、一颯さんの腕が僕の背後に回り、抱き締められる形になってしまった。まずい、まずい、まずい、まずい。
胸の高鳴りが止まず、混乱していると、
「みる……」
彼女の口から言葉が洩れた。確かに「みる」と言った。「見る」という事なのか? 判断は出来ないが、寝言なんだしいいかと深く考えなかった。そして、彼女は安心したような笑みを浮かべていた。それを見て僕はそっと一颯さんの頭を撫でた。
それから何分経っただろうか、10分か30分か時間の感覚は薄れていたが、一颯さんの腕の力が緩んだタイミングを見計らい、そおっと布団を抜け出し、本来一颯さんが寝るはずだった布団へ移り、再び就寝したのだった。
再び目が覚める。今度は少し外が明るみ始めていた。朝か。あまり寝れなかったな。と、目を開くと、斜め上の位置に寝ていた一颯さんがじーっとこちらを見ていた。
「おはようございます。あの、私、もしかして……」
一颯さんが小声で挨拶をしてきた。他の2人はまだ熟睡中だった。僕は苦笑しながら頷いた。一颯さんも恥ずかしそうにしていたが、僕だって恥ずかしかった。
「顔洗ってから散歩でもしますか?」
僕も小声になり、一颯さんを誘った。一颯さんは少し眠そうに返事をし、支度をしに部屋へと戻った。僕は着替えを済ませ、念の為書き置きを残しておく。朝は少し寒かったので長袖のシャツを着て、部屋を出た。
一颯さんの部屋の前で待っていると、程なくして一颯さんが出てきた。また眼鏡をしている。パーカーを着てスカートの下にはタイツを履いている。
「ちょっと涼しいですよね。じゃあ、行きましょうか」
一颯さんはまだ恥ずかしそうにしながらも、はにかみながら返事をし、2人で旅館を後にし、朝の街へと出た。時刻は朝の6時。街には僕らと同じように散歩をする人々が目についた。
「あの……やっぱり、私、弖寅衣くんの布団に入ってましたよね? 私、何か失礼な事しちゃいました?」
一颯さんはずっと気になっていたらしく、その事を聞いてきた。
「はい。夜中に目が覚めてびっくりしちゃいました。何事もなかったんで安心してください。昨夜の事は覚えてないんですか?」
少しだけ嘘をついた。まだ目覚めて数十分という事もあり、僕も一颯さんも声が寝起きのそれだ。
「昨夜……、弖寅衣くんと、手を繋いでた事は覚えてます」
彼女は恥ずかしそうに俯きながらも答えた。僕は少し笑ってしまった。
「そうですね、繋いでました。アイス食べて、その後シルベーヌさんと寝るまでお話してたんですよ?」
僕がそう言うと、あぁーと何度も言いながら自分の記憶を確認していたようだった。よく考えてみれば、一颯さんは幼少期に両親に甘えた事など一度もなかったのだろう。本当は甘えたりもしたかっただろうに、それを押し殺して今日まできて、彼女の中にある子供の心が甘えたくなってしまったのかもしれない。
と、前方に見覚えのある人影が目に入った。その人物はちょうどコンビニから出てくる所だった。僕は咄嗟に一颯さんの手を引き、建物の影に隠れる。
「ど、どうしました弖寅衣くん!?」
「しっ!」
僕は彼女の問いかけを、指を立てて制する。間違いない、あれは1日目の金曜日の夜に泊まったホテルの近くで見た、あの坊主頭の怪しい男だ。今はスナップバックの帽子を被っているが、間違いないなくあいつだ。やはり日本人ではない。あの街から確かにこの温泉街は近いし、いてもおかしくはない。
コンビニで朝飯等を買いに来たのか、大きめのビニール袋を手に持ち店から出ていった男は、そのまま僕らがいる方とは逆の駅の方へと歩いて行った。
どうする? このまま追うべきか? しかし、一颯さんと2人だし、ここは深追いせずに見送るべきだろう。本来、この街にはアイレッスルドベアワンスを追ってきたのだが、その結果あの男にたどり着くとなると、やはりアイレッスルドベアワンスと仲間の可能性が高い。シルベーヌさんの読みは正しかったのか。
「あ、あの……弖寅衣くん?」
一颯さんが小声で呟いていた。思わず一颯さんの手を握ってしまったままだった。慌てて離す。
「あ、ごめんなさい。もう大丈夫です。怪しいヤツがいたので」
そう言って、建物の影から出る。
「そうだったんですね。守ってくれてありがとうございます」
再び2人で歩き出す。そしてすぐに、今度は一颯さんの方から手を握ってきた。
「帰るまでですからね?」
僕が念を押すと、はいと元気のいい返事が返ってきた。
「怪しい男って、あの時あの街にいた人ですか?」
一颯さんも見ていたのか。
「そうです。恐らく敵だと思います。シルベーヌさんも一緒じゃないし、今は様子を見た方がいいかなと思って見送りました」
一颯さんもどこか緊張した面持ちだった。栗色のふわりとした髪が朝日を受けて輝いている。とても綺麗なその横顔に見蕩れていると、視線に気付いた彼女と目が合ってしまう。彼女は少し頬を染めていたようにも見えたが、僕も恥ずかしくて慌てて目を逸らす。
思えば、ずっと職場で必要最低限の挨拶しかしてなかった間柄だったのに、今こうして手を繋いで歩いている状況はとても不思議だった。
旅館に到着して、手を離そうとしたのだが、
「部屋に着くまではダメですよ?」
少し怒ったように言われて、唖然としたが、はいと了承すると、よろしいと返されてしまった。少しシルベーヌさんに似てきてないかな?
部屋に着き、中を覗くとまだ2人は寝ているようだった。僕ら2人は静かに窓際の椅子に腰掛けると、途中で買ってきたコーヒーを2人で飲んだ。
「ふぁーあ、おはよう。そーちゃん達もう起きてたの?」
数分後にシルベーヌさんが起きた。寝起きには弱いのか、昨晩ワインを飲んだからなのか、シルベーヌさんは少しぼーっとしていた。
「はい、起きてました。おはようございます」
その声を聞いたのか、堂島さんも起き始めた。シルベーヌさんと同じく、彼も起きてからしばらくはぼーっとしていて、2人とも二度寝をしだしたり、すぐに思い出したように起き上がったりしていて、他人の寝起きを眺めるのは面白くて、一颯さんと2人で笑っていた。
2人が完全に覚醒してから4人で朝食のバイキングを食べに行った。昨夜の夕飯にはなかったメニューも多々あり、朝の食欲を充分に掻き立てた。そして当然の事ながら、一颯さんの食欲は朝でも平常営業で、プレートに山盛りに食物を装ってはすぐに平らげてしまっていた。
「今日は確か山に行くんだっけか? 俺はいつも通りの服でいいかなー」
食事を終え、部屋で朝の筋トレをしながら堂島さんが聞いてきた。僕はさっきから着てるこのデニムシャツでいいかな。女性の2人は既に部屋に戻り支度をしていた。まだまだ時間もありそうだし、僕も腕立てをし出す。
「山かぁー。寒くないといいんですけどねー」
独り言のように僕は呟く。そして堂島さんと2人で身体を伸ばすストレッチなどした。朝食後にこうやって身体の筋肉を揉みほぐす事は、とても清々しく、気分も良くなっていく。
そんな有意義な時間を過ごしていると、女性陣の準備も出来たとの事で出発する。旅館にはもう1泊するため荷物を置き、4人でまたタクシー2台を使い、目的地へと着いた。
「時期的にはまだ早いのよね。来月になれば紅葉がすごく綺麗なのよ」
シルベーヌさんはタクシーから降りると、僕達に向かって語った。シーズン前にも拘わらず、駐車場には多くの観光客が集まっていた。
「でも、向こうに見える岩山とかもすごいですよね! 緑も綺麗」
一颯さんは伸びをしながら周りを見渡していた。スカートとタイツは朝と同じだが、上半身には白いブラウスの上にグレーのニットカーディガンを羽織っている。昨日と同じキャスケットも似合っている。
シルベーヌさんは紫のナイロンパーカー、そして珍しくスキニーのジーンズで露出度が少なく大変好ましい。髪はまた上の一部の毛をポニーテールにしているが、今日は髪を少し巻いたらしく、ふわりとしている髪型だ。一颯さんもシルベーヌさんも今日はスニーカーだ。
対して、僕ら男2人はちょっと薄手すぎたか? 堂島さんに至っては結局いつもの全身黒コーデだが、唯一靴はスニーカーではなく頑丈そうな黒いブーツだ。
「ここは、渓谷ってやつですか? 下には川も流れてるみたいですね」
水が流れる音が聞こえる。僕の言葉にシルベーヌさんも頷き、出発を促した。川に沿うように遊歩道があり、そこを4人で歩いて進む。景色がとてもいい。
周りに高い岩壁がそびえ立ち、それを覆うような樹木の緑、下には川が流れ、自然の雄大さを目の前に感じる。上流からは涼しい風も川と共に流れてくるため、とても堂島さんのように半袖ではいられないな。
「弖寅衣くん、すごいですね! あ、トンボも飛んでます」
隣を歩く一颯さんは今日もはしゃいでいる。今はコンタクトレンズをしているから眼鏡はかけていないが、やはりこっちの一颯さんの方が見慣れているせいか、僕にとってはいつもの一颯さんという感じだ。
そして、前方には橋が見えた。あれを渡るらしい。
「あ、今バッタがいましたね。イナゴですかね?」
一颯さんの言葉に僕らも辺りを見ると確かにイナゴが跳んでいる。そうか、もうそんな時期か。秋なんだな。
いや、おかしい。少し時期的に早いというのもあるが、イナゴの数があまりにも多い。どんどん増えているようにも見える。
「おい、なんかおかしいぞ! あそこ見ろ!」
堂島さんは橋の中央辺りにいる観光客集団を指さした。見ると、大量のイナゴが飛び交い、なんと人を襲っている。現場は騒然として、半ばパニック状態に陥っていた。これは、どうなっているんだ?
「シルベーヌさん、もしかしてこれも一連の公害の1つですか!?」
僕は慌てて彼女に問いかけた。シルベーヌさんの顔にも既に緊張感が走っていた。
「どうやらそのようね。作物が不作だと言われていたけど、それがこのイナゴの仕業だとしたら……」
そうか、あのアイレッスルドベアワンスもその作物を荒らしていたのかもしれない。そして、僕は周囲へと必死に視線を走らす。
――――いた。
崖下の川辺の岩場に、3人の人間が立っていた。そして奴らの視線は、確実に僕らを捉えている。
3人の内、1人はアイレッスルドベアワンス、もう1人はスナップバックのつばを後ろ側に回したあの坊主頭。そして、もう1人知らない奴がいる。長髪で、鼻から上は覆面に覆われているが、不敵に笑う口元は隠さず露わにしている。男のようだった。
「あいつらか……!」
僕は思わず口に出してしまった。恐怖と驚愕が入り交じってそれでも警戒心を持つ。「恐怖を忘れる必要はない」という前髪さんの言葉が脳裏に過ぎっていた。
と、先程から妙な感触がする。なんだか柔らかい。温かい。まさかと思い、そっと携帯端末の光を向ける。
シルベーヌさんかと思っていたが、なんと一颯さんだった。一颯さんが僕の布団に侵入してきていた。この事態は流石に予想外であった。
どうするか。周りにバレたらまずい。彼女を押し戻すべきか、僕自身が空いた布団に移動すべきか。
後者だと判断し、そおっと動き出そうとした瞬間――、彼女の、一颯さんの腕が僕の背後に回り、抱き締められる形になってしまった。まずい、まずい、まずい、まずい。
胸の高鳴りが止まず、混乱していると、
「みる……」
彼女の口から言葉が洩れた。確かに「みる」と言った。「見る」という事なのか? 判断は出来ないが、寝言なんだしいいかと深く考えなかった。そして、彼女は安心したような笑みを浮かべていた。それを見て僕はそっと一颯さんの頭を撫でた。
それから何分経っただろうか、10分か30分か時間の感覚は薄れていたが、一颯さんの腕の力が緩んだタイミングを見計らい、そおっと布団を抜け出し、本来一颯さんが寝るはずだった布団へ移り、再び就寝したのだった。
再び目が覚める。今度は少し外が明るみ始めていた。朝か。あまり寝れなかったな。と、目を開くと、斜め上の位置に寝ていた一颯さんがじーっとこちらを見ていた。
「おはようございます。あの、私、もしかして……」
一颯さんが小声で挨拶をしてきた。他の2人はまだ熟睡中だった。僕は苦笑しながら頷いた。一颯さんも恥ずかしそうにしていたが、僕だって恥ずかしかった。
「顔洗ってから散歩でもしますか?」
僕も小声になり、一颯さんを誘った。一颯さんは少し眠そうに返事をし、支度をしに部屋へと戻った。僕は着替えを済ませ、念の為書き置きを残しておく。朝は少し寒かったので長袖のシャツを着て、部屋を出た。
一颯さんの部屋の前で待っていると、程なくして一颯さんが出てきた。また眼鏡をしている。パーカーを着てスカートの下にはタイツを履いている。
「ちょっと涼しいですよね。じゃあ、行きましょうか」
一颯さんはまだ恥ずかしそうにしながらも、はにかみながら返事をし、2人で旅館を後にし、朝の街へと出た。時刻は朝の6時。街には僕らと同じように散歩をする人々が目についた。
「あの……やっぱり、私、弖寅衣くんの布団に入ってましたよね? 私、何か失礼な事しちゃいました?」
一颯さんはずっと気になっていたらしく、その事を聞いてきた。
「はい。夜中に目が覚めてびっくりしちゃいました。何事もなかったんで安心してください。昨夜の事は覚えてないんですか?」
少しだけ嘘をついた。まだ目覚めて数十分という事もあり、僕も一颯さんも声が寝起きのそれだ。
「昨夜……、弖寅衣くんと、手を繋いでた事は覚えてます」
彼女は恥ずかしそうに俯きながらも答えた。僕は少し笑ってしまった。
「そうですね、繋いでました。アイス食べて、その後シルベーヌさんと寝るまでお話してたんですよ?」
僕がそう言うと、あぁーと何度も言いながら自分の記憶を確認していたようだった。よく考えてみれば、一颯さんは幼少期に両親に甘えた事など一度もなかったのだろう。本当は甘えたりもしたかっただろうに、それを押し殺して今日まできて、彼女の中にある子供の心が甘えたくなってしまったのかもしれない。
と、前方に見覚えのある人影が目に入った。その人物はちょうどコンビニから出てくる所だった。僕は咄嗟に一颯さんの手を引き、建物の影に隠れる。
「ど、どうしました弖寅衣くん!?」
「しっ!」
僕は彼女の問いかけを、指を立てて制する。間違いない、あれは1日目の金曜日の夜に泊まったホテルの近くで見た、あの坊主頭の怪しい男だ。今はスナップバックの帽子を被っているが、間違いないなくあいつだ。やはり日本人ではない。あの街から確かにこの温泉街は近いし、いてもおかしくはない。
コンビニで朝飯等を買いに来たのか、大きめのビニール袋を手に持ち店から出ていった男は、そのまま僕らがいる方とは逆の駅の方へと歩いて行った。
どうする? このまま追うべきか? しかし、一颯さんと2人だし、ここは深追いせずに見送るべきだろう。本来、この街にはアイレッスルドベアワンスを追ってきたのだが、その結果あの男にたどり着くとなると、やはりアイレッスルドベアワンスと仲間の可能性が高い。シルベーヌさんの読みは正しかったのか。
「あ、あの……弖寅衣くん?」
一颯さんが小声で呟いていた。思わず一颯さんの手を握ってしまったままだった。慌てて離す。
「あ、ごめんなさい。もう大丈夫です。怪しいヤツがいたので」
そう言って、建物の影から出る。
「そうだったんですね。守ってくれてありがとうございます」
再び2人で歩き出す。そしてすぐに、今度は一颯さんの方から手を握ってきた。
「帰るまでですからね?」
僕が念を押すと、はいと元気のいい返事が返ってきた。
「怪しい男って、あの時あの街にいた人ですか?」
一颯さんも見ていたのか。
「そうです。恐らく敵だと思います。シルベーヌさんも一緒じゃないし、今は様子を見た方がいいかなと思って見送りました」
一颯さんもどこか緊張した面持ちだった。栗色のふわりとした髪が朝日を受けて輝いている。とても綺麗なその横顔に見蕩れていると、視線に気付いた彼女と目が合ってしまう。彼女は少し頬を染めていたようにも見えたが、僕も恥ずかしくて慌てて目を逸らす。
思えば、ずっと職場で必要最低限の挨拶しかしてなかった間柄だったのに、今こうして手を繋いで歩いている状況はとても不思議だった。
旅館に到着して、手を離そうとしたのだが、
「部屋に着くまではダメですよ?」
少し怒ったように言われて、唖然としたが、はいと了承すると、よろしいと返されてしまった。少しシルベーヌさんに似てきてないかな?
部屋に着き、中を覗くとまだ2人は寝ているようだった。僕ら2人は静かに窓際の椅子に腰掛けると、途中で買ってきたコーヒーを2人で飲んだ。
「ふぁーあ、おはよう。そーちゃん達もう起きてたの?」
数分後にシルベーヌさんが起きた。寝起きには弱いのか、昨晩ワインを飲んだからなのか、シルベーヌさんは少しぼーっとしていた。
「はい、起きてました。おはようございます」
その声を聞いたのか、堂島さんも起き始めた。シルベーヌさんと同じく、彼も起きてからしばらくはぼーっとしていて、2人とも二度寝をしだしたり、すぐに思い出したように起き上がったりしていて、他人の寝起きを眺めるのは面白くて、一颯さんと2人で笑っていた。
2人が完全に覚醒してから4人で朝食のバイキングを食べに行った。昨夜の夕飯にはなかったメニューも多々あり、朝の食欲を充分に掻き立てた。そして当然の事ながら、一颯さんの食欲は朝でも平常営業で、プレートに山盛りに食物を装ってはすぐに平らげてしまっていた。
「今日は確か山に行くんだっけか? 俺はいつも通りの服でいいかなー」
食事を終え、部屋で朝の筋トレをしながら堂島さんが聞いてきた。僕はさっきから着てるこのデニムシャツでいいかな。女性の2人は既に部屋に戻り支度をしていた。まだまだ時間もありそうだし、僕も腕立てをし出す。
「山かぁー。寒くないといいんですけどねー」
独り言のように僕は呟く。そして堂島さんと2人で身体を伸ばすストレッチなどした。朝食後にこうやって身体の筋肉を揉みほぐす事は、とても清々しく、気分も良くなっていく。
そんな有意義な時間を過ごしていると、女性陣の準備も出来たとの事で出発する。旅館にはもう1泊するため荷物を置き、4人でまたタクシー2台を使い、目的地へと着いた。
「時期的にはまだ早いのよね。来月になれば紅葉がすごく綺麗なのよ」
シルベーヌさんはタクシーから降りると、僕達に向かって語った。シーズン前にも拘わらず、駐車場には多くの観光客が集まっていた。
「でも、向こうに見える岩山とかもすごいですよね! 緑も綺麗」
一颯さんは伸びをしながら周りを見渡していた。スカートとタイツは朝と同じだが、上半身には白いブラウスの上にグレーのニットカーディガンを羽織っている。昨日と同じキャスケットも似合っている。
シルベーヌさんは紫のナイロンパーカー、そして珍しくスキニーのジーンズで露出度が少なく大変好ましい。髪はまた上の一部の毛をポニーテールにしているが、今日は髪を少し巻いたらしく、ふわりとしている髪型だ。一颯さんもシルベーヌさんも今日はスニーカーだ。
対して、僕ら男2人はちょっと薄手すぎたか? 堂島さんに至っては結局いつもの全身黒コーデだが、唯一靴はスニーカーではなく頑丈そうな黒いブーツだ。
「ここは、渓谷ってやつですか? 下には川も流れてるみたいですね」
水が流れる音が聞こえる。僕の言葉にシルベーヌさんも頷き、出発を促した。川に沿うように遊歩道があり、そこを4人で歩いて進む。景色がとてもいい。
周りに高い岩壁がそびえ立ち、それを覆うような樹木の緑、下には川が流れ、自然の雄大さを目の前に感じる。上流からは涼しい風も川と共に流れてくるため、とても堂島さんのように半袖ではいられないな。
「弖寅衣くん、すごいですね! あ、トンボも飛んでます」
隣を歩く一颯さんは今日もはしゃいでいる。今はコンタクトレンズをしているから眼鏡はかけていないが、やはりこっちの一颯さんの方が見慣れているせいか、僕にとってはいつもの一颯さんという感じだ。
そして、前方には橋が見えた。あれを渡るらしい。
「あ、今バッタがいましたね。イナゴですかね?」
一颯さんの言葉に僕らも辺りを見ると確かにイナゴが跳んでいる。そうか、もうそんな時期か。秋なんだな。
いや、おかしい。少し時期的に早いというのもあるが、イナゴの数があまりにも多い。どんどん増えているようにも見える。
「おい、なんかおかしいぞ! あそこ見ろ!」
堂島さんは橋の中央辺りにいる観光客集団を指さした。見ると、大量のイナゴが飛び交い、なんと人を襲っている。現場は騒然として、半ばパニック状態に陥っていた。これは、どうなっているんだ?
「シルベーヌさん、もしかしてこれも一連の公害の1つですか!?」
僕は慌てて彼女に問いかけた。シルベーヌさんの顔にも既に緊張感が走っていた。
「どうやらそのようね。作物が不作だと言われていたけど、それがこのイナゴの仕業だとしたら……」
そうか、あのアイレッスルドベアワンスもその作物を荒らしていたのかもしれない。そして、僕は周囲へと必死に視線を走らす。
――――いた。
崖下の川辺の岩場に、3人の人間が立っていた。そして奴らの視線は、確実に僕らを捉えている。
3人の内、1人はアイレッスルドベアワンス、もう1人はスナップバックのつばを後ろ側に回したあの坊主頭。そして、もう1人知らない奴がいる。長髪で、鼻から上は覆面に覆われているが、不敵に笑う口元は隠さず露わにしている。男のようだった。
「あいつらか……!」
僕は思わず口に出してしまった。恐怖と驚愕が入り交じってそれでも警戒心を持つ。「恐怖を忘れる必要はない」という前髪さんの言葉が脳裏に過ぎっていた。
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