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第2章 カーネイジ
2-7 温泉
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僕らは温泉で有名な街へとやってきた。シルベーヌさんはいつの間にか宿泊する宿を予約していたらしい。用意周到だ。
「綺麗な所ですねー。お庭も素敵」
一颯さんは両手を合わせて喜んでいた。ロビーからも見える庭園は、手入れの行き届いた樹木が青々と茂っており、池の水面にもその樹木が映し出されていた。そこへチェックインを済ませたシルベーヌさんがやってきた。
「でしょ? いい所よね! 部屋に行って少し休んだら早速温泉にいきましょ!」
女性2人はすっかり温泉を楽しみにしている。昨晩宿泊したホテルと同じように、男性組と女性組で1つずつの部屋に割り当てられる。
「想はあまり温泉好きじゃないのか?」
部屋に着くと、堂島さんが聞いてきた。やはりばれていたかな。
「好きじゃないわけじゃないんですけど、あまり興味無いっていうか。ドドさん先に行ってきていいですよ? 僕は休んでます」
「そっかそっか。まぁ、想らしいな! じゃあ、せっかくだし行ってくるかな」
いってらっしゃいと堂島さんを見届けると、僕は部屋にある座椅子にもたれ掛かり、意識を自分の奥底へと向ける。
「なぜそんな格好を?」
クアルトに着くなり、僕の口からはすぐにその言葉が出た。それも当然だ。部屋にいた姉はバスタオルを身体に巻いていた。それだけしか身につけていなかった。
「なんでって? 一緒に旅行してるんだから、せめて形だけでもと思ってさ」
姉は恥ずかしがる素振りも、悪びれる素振りも見せなかった。風呂に入るわけじゃないのだから意味もないだろうに。僕はため息と共にソファに腰を下ろす。
「そーくん温泉苦手なんだっけ? 気持ちいいよー?」
姉からも言われてしまった。
「熱いお湯、苦手なんだってばー」
僕が口ごもりながらもそう言うと、姉は手を叩きながら笑った。
「あははは、そうだったねー! 一緒にお風呂入る時もお湯が熱いと全然入れないでいたもんね!」
やっぱり調子に乗った。だから言いたくなかったんだ。
「小学生の時の話だよね!? そんな昔の事ほじくり返さないでよ」
僕は苦し紛れに反論する。昔のことを意外と覚えてるから、何を言われるかわかったもんじゃない。姉はそんな僕を見ながら面白そうにしている。一体何を考えているんだ。
「温泉ですか。私は入った事がないので、少し興味はありますが、熱いの、私も苦手なんです」
前髪さんが紅茶を淹れてくれていた。そう言えば、前髪さんの紅茶は熱過ぎず、ぬる過ぎずでちょうどいい温度なんだよなぁ。
「あれ? いつもと味違います? こっちもまた美味しい」
いつもの紅茶はストレートで、それでいて深みがあるというか。でも、今日の紅茶は少し癖がある。柑橘類だろうか? 鼻の奥を抜ける香り、そしてまろやかさすら感じる。あぁ、美味しい。
「はい、秋を意識して違う味にしました。気付いてもらえたようで、私としても嬉しいです」
前髪さんはすごいな。料理も得意なのだろうか。
姉も紅茶を味わっている。ただバスタオルのみという姿は滑稽で残念だ。風邪を引かないと以前言っていたし、寒くはないんだろうな。
「シルベーヌさんは、今頃ミモザちゃんと温泉かなぁ? いいなぁ。あたしも入りたーい」
どんなにわがままを言おうが幽霊なんだから無理に決まっている。
「そう言えば、シルベーヌさんサイドテールだったね。昨日の姉さんとお揃いだったじゃん。やっぱ仲良かったんだねー」
僕がそう言うと、姉はどこからかシュシュを取り出し、すぐにサイドテールを作った。ピンク髪のサイドテールに対して、こちらは白銀髪のサイドテールか。
「そりゃそうだよー。あたしら大親友だからね。彼女のサイドテール姿は初めて見たけどすごく似合ってた」
姉は上機嫌だった。僕はさっきからあのバスタオルが肌蹴たらどうしようと、気が気でない。頼むから変な動きをしないでほしい。ソファの上で、あの筋肉質で靱やかな脚を組み替える度にヒヤヒヤしてしまう。
「あのアイレッスルドベアって人はどう思う? すごい強そうに見えたんだけど」
僕はこの部屋に来た本来の目的を思い出し、姉に意見を求める。
「確かに強いけど、シルベーヌさんの敵じゃないね。ドドくんは修行やり直しだな」
姉は手厳しい評価を述べた。可哀想な堂島さん。僕としては彼を応援したい。
「恐らくあの女は主犯格じゃないでしょう。あの能力だけでは今回の一連の公害を発生できない」
ティーカップの中の紅茶を見つめながら前髪さんも意見を述べた。となると、他にも仲間がいるのか。
「そうだ、昨日街中で変な男を見かけたんだ。坊主頭の。金髪だったかな?」
気になる事と言えば、あの場に居合わせていたあの男の正体もずっと気になっていた。と、壁面にその男の顔が映し出される。改めて見てみると不気味だ。
「こいつかー。うん、敵っぽいよね! もう生まれつきの悪人顔だろうね!」
「なんか結構適当に言ってない!?」
僕は思わず身を乗り出してしまった。
「あたしの勘はいつも当たるんだよ? 知ってるでしょそれくらい? そーくん達が峡峰に着いた時から見張っていた可能性があるね。偶然居合わせたにしちゃ出来すぎてる」
そうなんだよな。グラインドを知っている以上は能力者か、或いはシルベーヌさんのように危ない世界の住人ということになる。敵である可能性は充分に高い。
アイレッスルドベアと謎の男、少なくとも2人の敵がいるとして、シルベーヌさんと堂島さんと僕で立ち向かわなくてはならないのか。前回の工場の時よりも厳しい戦いになりそうだな。
「不安ですか? 怖いですか? でも、想くんのその感情はとても大切な物です。忘れてはいけないと、私は思うんです。奴らは恐怖を捨ててきている。でも、恐怖を忘れないからこそ見える物もあると思うんです」
前髪さんの言葉に僕は固まった。今まで僕は恐怖を忘れるように、打ち消すように戦ってきた。それを、恐怖を忘れる必要なんてないのか。そう思うと、少し気が軽くなった。
「前髪さんは3日に1回くらいの割合でいいことを言う」
と、姉は変な口振りで言い出した。
「煉美、それはまさかとは思いますが、私の真似ですか? 喧嘩を売っているのですか?」
「あぁ!? いつかあたしを馬鹿にした仕返しだし!」
そう言うと、2人は掴み合いの喧嘩を目の前で始めた。やれやれだ。
「2人は付き合ってんの?」
僕は冗談混じりにずっと気になっていた事を口にしたのだが、その途端2人の動きがピタッと止まり、掴み合った体勢のまま顔だけ僕に向ける。姉は目を細め、口をだらしなく開けていた。バスタオル姿で。
そして、2人同時に、ないないと首を横に振る。声のトーンが先程よりだいぶ落ちている。
「ふふふ、仲いいんだね」
僕は笑いが止まらなくなってしまった。
「そーくん! 本当に前髪さんとは何も無いからね!? 勘違いしないでよ!?」
姉は慌て出したので、余計におかしくなってしまい、僕はわかってるわかってると言いながらも腹を抱えて笑う。
「あぁ……、想くんに変な誤解を与えてしまった……」
前髪さんはソファに座り込み、頭を抱えていた。どうやら本気で落ち込んでいるらしい。
「大丈夫ですよ、誤解してないですって。姉さんは昔から彼氏作るタイプじゃないですから」
そう言うと前髪さんは安心したのか、胸を撫で下ろし、紅茶を飲んだ。意外と単純なんだよな。
「話を戻すよ! 今回の敵はまだまだ未知数だ。だが、幸いな事にそーくん達にはシルベーヌさんが付いている。もし万が一危険な状況に陥ったら、彼女に助けを求めるのも全然アリだとあたしは思う」
あぁ、そうかその話をしていたんだったな。アイレッスルドベアは確かに強い。そして、厄介な事は、あの能力で複数の熊を操ってきたとしたら、僕のグラインドでも対処しきれない可能性が高い。無理せずシルベーヌさんを頼れと姉は言いたいのだろう。
「そうですね。今回の件では無理に敵を倒す必要もありません。ある程度の調査が進めば、全員で逃げる事も視野に入れて行動していいと私は思います」
前髪さんの意見も最もだ。無理せず生き残る事も大事だし、何より2人は僕の身を案じてくれているのだろう。
「うん、ありがとう。でも、この力で出来る限りの事はやってみたい。駄目そうだったら身を引くようにするよ」
そう言うと姉さんは少し困ったように笑ったが、僕の方に来ると顔を近付け、
「必ず生きて帰るんだよ? 世界の敵と戦えとは言ったけど、すぐに倒す必要はない。着実に経験を積む事も大事だ」
そう言って僕の頭を撫でた。そうなんだよな、きっと。でも、堂島さんとシルベーヌさんは僕達の為にあんなにも真剣になって戦ってくれた。だから、僕も自分が出来る事をしたい。
「うん、ありがとう。前髪さん、今日もトレーニング付き合ってください」
そう言って、前髪さんといつものトレーニングを始めた。あれから1週間、毎日こうして前髪さんと向かい合っている。そのせいか、彼の動きの癖もだいぶ把握してきた。そうだ、人には動きの癖がある。それはあのアイレッスルドベアも同じだ。きっと何かあるはず。
だが悲しい事に、前髪さんの動きがわかった所で彼に勝てるわけではない。殴られ、投げられ、そして彼は隙あらば紅茶を飲んで余裕を見せつけてくる。
僕が前髪さんとトレーニングしている間、姉さんはというと、初めは読書をしていた。しかし途中で飽きたのか、自分もうずうずしてきたのか、腕立てをしたり身体を動かし始めた。
かと思えば、前髪さんの背後に立ち、僕に向かってバスタオルをちらちらさせて太腿を見せつけてきた。さすがに注意を逸らされ、僕は顔面から前髪さんのパンチを食らった。
「あららー? そーくん心を乱しちゃダメだよー」
「姉さんこそ僕の心を乱さないでくれ」
僕は顔を押さえながら反論した。もちろん殴られた顔は痛くないのだが、反射的に押さえてしまう。
「煉美はかまってほしいようですね。今日のトレーニングはこれくらいにしておきましょうか?」
前髪さんの言葉に僕は頷き、再びソファに座り休んだ。そんなに退屈なら姉さんがたまには相手してくれればいいのにと言おうとしたが、さすがにあのバスタオル姿でなんて不利過ぎる。
「姉さんと前髪さんで戦ったらどっちが強いの?」
2人で対決した事はあるのかは解らなかったが、僕がいない間はずっと2人きりでこの部屋にいるのだから、暇つぶしがてらにしていても可笑しくない。
「そりゃー、もちろんあたしだよ。前髪さんは一度もあたしに勝ったことはない。むしろ、前髪さんに格闘の基礎を教えたのはあたしだからね」
そうだったのか。確認も兼ねて前髪さんを見る。
「はい、残念な事に私は一度も勝てていないです。基礎は確かに教わりましたが、あとは本で学びました」
なるほど。つまり僕は姉さんの弟子の弟子になるのか。本で学ぶということは、この部屋にある本であり、つまりあの本棚にある本からか。本棚は一般家庭にもよくあるサイズのもので、見立てでは100冊程までしか収納できないだろう。
「ひょっとして、あの本棚、世界中の本が詰まってるとか?」
僕の疑問に、姉はにやりと笑った。
「そうだよ。すごいでしょ? まさに知識の宝庫さ。欲しい本を思い浮かべればそれが出てくるんだ。便利だろ? そーくんも今度暇な時見に来ればいい」
そ、それはすごい。退屈しないだろうな。今度読ませてもらおう。
しかし、姉さんは幽霊だとして、前髪さんはやはりこの部屋の主なんだろうか。時々気にはなっていたけど、考えないようにしていた。
姉さんの恋人という可能性はさっき打ち消されたし、結局前髪さんは何者なんだろう?
「綺麗な所ですねー。お庭も素敵」
一颯さんは両手を合わせて喜んでいた。ロビーからも見える庭園は、手入れの行き届いた樹木が青々と茂っており、池の水面にもその樹木が映し出されていた。そこへチェックインを済ませたシルベーヌさんがやってきた。
「でしょ? いい所よね! 部屋に行って少し休んだら早速温泉にいきましょ!」
女性2人はすっかり温泉を楽しみにしている。昨晩宿泊したホテルと同じように、男性組と女性組で1つずつの部屋に割り当てられる。
「想はあまり温泉好きじゃないのか?」
部屋に着くと、堂島さんが聞いてきた。やはりばれていたかな。
「好きじゃないわけじゃないんですけど、あまり興味無いっていうか。ドドさん先に行ってきていいですよ? 僕は休んでます」
「そっかそっか。まぁ、想らしいな! じゃあ、せっかくだし行ってくるかな」
いってらっしゃいと堂島さんを見届けると、僕は部屋にある座椅子にもたれ掛かり、意識を自分の奥底へと向ける。
「なぜそんな格好を?」
クアルトに着くなり、僕の口からはすぐにその言葉が出た。それも当然だ。部屋にいた姉はバスタオルを身体に巻いていた。それだけしか身につけていなかった。
「なんでって? 一緒に旅行してるんだから、せめて形だけでもと思ってさ」
姉は恥ずかしがる素振りも、悪びれる素振りも見せなかった。風呂に入るわけじゃないのだから意味もないだろうに。僕はため息と共にソファに腰を下ろす。
「そーくん温泉苦手なんだっけ? 気持ちいいよー?」
姉からも言われてしまった。
「熱いお湯、苦手なんだってばー」
僕が口ごもりながらもそう言うと、姉は手を叩きながら笑った。
「あははは、そうだったねー! 一緒にお風呂入る時もお湯が熱いと全然入れないでいたもんね!」
やっぱり調子に乗った。だから言いたくなかったんだ。
「小学生の時の話だよね!? そんな昔の事ほじくり返さないでよ」
僕は苦し紛れに反論する。昔のことを意外と覚えてるから、何を言われるかわかったもんじゃない。姉はそんな僕を見ながら面白そうにしている。一体何を考えているんだ。
「温泉ですか。私は入った事がないので、少し興味はありますが、熱いの、私も苦手なんです」
前髪さんが紅茶を淹れてくれていた。そう言えば、前髪さんの紅茶は熱過ぎず、ぬる過ぎずでちょうどいい温度なんだよなぁ。
「あれ? いつもと味違います? こっちもまた美味しい」
いつもの紅茶はストレートで、それでいて深みがあるというか。でも、今日の紅茶は少し癖がある。柑橘類だろうか? 鼻の奥を抜ける香り、そしてまろやかさすら感じる。あぁ、美味しい。
「はい、秋を意識して違う味にしました。気付いてもらえたようで、私としても嬉しいです」
前髪さんはすごいな。料理も得意なのだろうか。
姉も紅茶を味わっている。ただバスタオルのみという姿は滑稽で残念だ。風邪を引かないと以前言っていたし、寒くはないんだろうな。
「シルベーヌさんは、今頃ミモザちゃんと温泉かなぁ? いいなぁ。あたしも入りたーい」
どんなにわがままを言おうが幽霊なんだから無理に決まっている。
「そう言えば、シルベーヌさんサイドテールだったね。昨日の姉さんとお揃いだったじゃん。やっぱ仲良かったんだねー」
僕がそう言うと、姉はどこからかシュシュを取り出し、すぐにサイドテールを作った。ピンク髪のサイドテールに対して、こちらは白銀髪のサイドテールか。
「そりゃそうだよー。あたしら大親友だからね。彼女のサイドテール姿は初めて見たけどすごく似合ってた」
姉は上機嫌だった。僕はさっきからあのバスタオルが肌蹴たらどうしようと、気が気でない。頼むから変な動きをしないでほしい。ソファの上で、あの筋肉質で靱やかな脚を組み替える度にヒヤヒヤしてしまう。
「あのアイレッスルドベアって人はどう思う? すごい強そうに見えたんだけど」
僕はこの部屋に来た本来の目的を思い出し、姉に意見を求める。
「確かに強いけど、シルベーヌさんの敵じゃないね。ドドくんは修行やり直しだな」
姉は手厳しい評価を述べた。可哀想な堂島さん。僕としては彼を応援したい。
「恐らくあの女は主犯格じゃないでしょう。あの能力だけでは今回の一連の公害を発生できない」
ティーカップの中の紅茶を見つめながら前髪さんも意見を述べた。となると、他にも仲間がいるのか。
「そうだ、昨日街中で変な男を見かけたんだ。坊主頭の。金髪だったかな?」
気になる事と言えば、あの場に居合わせていたあの男の正体もずっと気になっていた。と、壁面にその男の顔が映し出される。改めて見てみると不気味だ。
「こいつかー。うん、敵っぽいよね! もう生まれつきの悪人顔だろうね!」
「なんか結構適当に言ってない!?」
僕は思わず身を乗り出してしまった。
「あたしの勘はいつも当たるんだよ? 知ってるでしょそれくらい? そーくん達が峡峰に着いた時から見張っていた可能性があるね。偶然居合わせたにしちゃ出来すぎてる」
そうなんだよな。グラインドを知っている以上は能力者か、或いはシルベーヌさんのように危ない世界の住人ということになる。敵である可能性は充分に高い。
アイレッスルドベアと謎の男、少なくとも2人の敵がいるとして、シルベーヌさんと堂島さんと僕で立ち向かわなくてはならないのか。前回の工場の時よりも厳しい戦いになりそうだな。
「不安ですか? 怖いですか? でも、想くんのその感情はとても大切な物です。忘れてはいけないと、私は思うんです。奴らは恐怖を捨ててきている。でも、恐怖を忘れないからこそ見える物もあると思うんです」
前髪さんの言葉に僕は固まった。今まで僕は恐怖を忘れるように、打ち消すように戦ってきた。それを、恐怖を忘れる必要なんてないのか。そう思うと、少し気が軽くなった。
「前髪さんは3日に1回くらいの割合でいいことを言う」
と、姉は変な口振りで言い出した。
「煉美、それはまさかとは思いますが、私の真似ですか? 喧嘩を売っているのですか?」
「あぁ!? いつかあたしを馬鹿にした仕返しだし!」
そう言うと、2人は掴み合いの喧嘩を目の前で始めた。やれやれだ。
「2人は付き合ってんの?」
僕は冗談混じりにずっと気になっていた事を口にしたのだが、その途端2人の動きがピタッと止まり、掴み合った体勢のまま顔だけ僕に向ける。姉は目を細め、口をだらしなく開けていた。バスタオル姿で。
そして、2人同時に、ないないと首を横に振る。声のトーンが先程よりだいぶ落ちている。
「ふふふ、仲いいんだね」
僕は笑いが止まらなくなってしまった。
「そーくん! 本当に前髪さんとは何も無いからね!? 勘違いしないでよ!?」
姉は慌て出したので、余計におかしくなってしまい、僕はわかってるわかってると言いながらも腹を抱えて笑う。
「あぁ……、想くんに変な誤解を与えてしまった……」
前髪さんはソファに座り込み、頭を抱えていた。どうやら本気で落ち込んでいるらしい。
「大丈夫ですよ、誤解してないですって。姉さんは昔から彼氏作るタイプじゃないですから」
そう言うと前髪さんは安心したのか、胸を撫で下ろし、紅茶を飲んだ。意外と単純なんだよな。
「話を戻すよ! 今回の敵はまだまだ未知数だ。だが、幸いな事にそーくん達にはシルベーヌさんが付いている。もし万が一危険な状況に陥ったら、彼女に助けを求めるのも全然アリだとあたしは思う」
あぁ、そうかその話をしていたんだったな。アイレッスルドベアは確かに強い。そして、厄介な事は、あの能力で複数の熊を操ってきたとしたら、僕のグラインドでも対処しきれない可能性が高い。無理せずシルベーヌさんを頼れと姉は言いたいのだろう。
「そうですね。今回の件では無理に敵を倒す必要もありません。ある程度の調査が進めば、全員で逃げる事も視野に入れて行動していいと私は思います」
前髪さんの意見も最もだ。無理せず生き残る事も大事だし、何より2人は僕の身を案じてくれているのだろう。
「うん、ありがとう。でも、この力で出来る限りの事はやってみたい。駄目そうだったら身を引くようにするよ」
そう言うと姉さんは少し困ったように笑ったが、僕の方に来ると顔を近付け、
「必ず生きて帰るんだよ? 世界の敵と戦えとは言ったけど、すぐに倒す必要はない。着実に経験を積む事も大事だ」
そう言って僕の頭を撫でた。そうなんだよな、きっと。でも、堂島さんとシルベーヌさんは僕達の為にあんなにも真剣になって戦ってくれた。だから、僕も自分が出来る事をしたい。
「うん、ありがとう。前髪さん、今日もトレーニング付き合ってください」
そう言って、前髪さんといつものトレーニングを始めた。あれから1週間、毎日こうして前髪さんと向かい合っている。そのせいか、彼の動きの癖もだいぶ把握してきた。そうだ、人には動きの癖がある。それはあのアイレッスルドベアも同じだ。きっと何かあるはず。
だが悲しい事に、前髪さんの動きがわかった所で彼に勝てるわけではない。殴られ、投げられ、そして彼は隙あらば紅茶を飲んで余裕を見せつけてくる。
僕が前髪さんとトレーニングしている間、姉さんはというと、初めは読書をしていた。しかし途中で飽きたのか、自分もうずうずしてきたのか、腕立てをしたり身体を動かし始めた。
かと思えば、前髪さんの背後に立ち、僕に向かってバスタオルをちらちらさせて太腿を見せつけてきた。さすがに注意を逸らされ、僕は顔面から前髪さんのパンチを食らった。
「あららー? そーくん心を乱しちゃダメだよー」
「姉さんこそ僕の心を乱さないでくれ」
僕は顔を押さえながら反論した。もちろん殴られた顔は痛くないのだが、反射的に押さえてしまう。
「煉美はかまってほしいようですね。今日のトレーニングはこれくらいにしておきましょうか?」
前髪さんの言葉に僕は頷き、再びソファに座り休んだ。そんなに退屈なら姉さんがたまには相手してくれればいいのにと言おうとしたが、さすがにあのバスタオル姿でなんて不利過ぎる。
「姉さんと前髪さんで戦ったらどっちが強いの?」
2人で対決した事はあるのかは解らなかったが、僕がいない間はずっと2人きりでこの部屋にいるのだから、暇つぶしがてらにしていても可笑しくない。
「そりゃー、もちろんあたしだよ。前髪さんは一度もあたしに勝ったことはない。むしろ、前髪さんに格闘の基礎を教えたのはあたしだからね」
そうだったのか。確認も兼ねて前髪さんを見る。
「はい、残念な事に私は一度も勝てていないです。基礎は確かに教わりましたが、あとは本で学びました」
なるほど。つまり僕は姉さんの弟子の弟子になるのか。本で学ぶということは、この部屋にある本であり、つまりあの本棚にある本からか。本棚は一般家庭にもよくあるサイズのもので、見立てでは100冊程までしか収納できないだろう。
「ひょっとして、あの本棚、世界中の本が詰まってるとか?」
僕の疑問に、姉はにやりと笑った。
「そうだよ。すごいでしょ? まさに知識の宝庫さ。欲しい本を思い浮かべればそれが出てくるんだ。便利だろ? そーくんも今度暇な時見に来ればいい」
そ、それはすごい。退屈しないだろうな。今度読ませてもらおう。
しかし、姉さんは幽霊だとして、前髪さんはやはりこの部屋の主なんだろうか。時々気にはなっていたけど、考えないようにしていた。
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