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第1章 ディキャピテーション
1-4 一颯・ミモザ・ルヴィエ
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「弖寅衣くん? 大丈夫ですか!? 生きてますか!?」
誰かが僕の体を揺さぶっている。
ゆっくり目を開ける。そこには同僚の一颯さんがいた。まだ背中のあたりがズキズキする。
「ここは……倉庫……そうか、僕は脚立から落ちたのか」
横にはあの脚立が倒れており、上から落ちてきたダンボール箱が、その中身を撒き散らしていた。
「さっきすごい音がしたのでちょっと心配で見に来てみたんですけど、そしたら弖寅衣くん倒れてて、私びっくりしちゃって」
一颯さんは少し怯えたような表情をしていたが、僕の様子を見て段々と安心しつつあるようだった。
栗色の綺麗な髪の色をしており、肩口あたりまで伸びてるボブヘアーはふんわりとパーマがかかっている。そして、透き通るような白い肌がとても綺麗だ。確かハーフなんだよな。
「僕、ここでどのくらい寝てましたか?」
体を起こしながら真っ先に浮かんだ疑問を口にしてみる。ずいぶん長い間夢を見ていた気がする。
「音がしてから私すぐに駆けつけたので、1分も経っていないと思います。身体、大丈夫ですか?」
「あ、はい。平気です。心配してくれてありがとうございます」
頭は打ってなさそうだし、いつも通りに立ち上がることもできた。一颯さんと言葉を交わすのもなんだか久しぶりな気がする。
散乱した荷物を片付けなければならなかったが、もう棚の上に置く気にはなれなかったので、ダンボールの中身を元に戻してその場に置くことにした。一颯さんも手伝ってくれたおかげで作業はすぐに終わり、2人で倉庫を後にした。
職場に戻ると、塩見さんが僕を見るやいなや、
「弖寅衣さん、脚立から落ちたとかですか? しっかりしてくださいよもうー。ホント抜けてるとこあるんだもんなー」
と、嫌味を言ってきた。気にしたら負けだ。すみませんと言いながら自分のデスクに戻る。
一颯さんは、「お水です飲んでください」と気を利かせて持ってきてくれた。水を喉に流したからか、先ほどより頭が冴え渡り、脚立から落ちる前のことなども思い出してきた。
そうだ、思い出した。姉さんと夢の中で会ったんだ。そして前髪さんとも。いろんなことを話したけど、やはりあれは夢だったんだろうな。
しかし、口の中に微かに紅茶の香りが残っているような錯覚に陥る。それは本当に錯覚でしかない。それでも、その錯覚で、あれは夢であって現実だったんだと思えるくらいに、夢の内容はとても鮮明で、日頃見る夢とは一線を画していた。
ならば、姉と交わした約束、それを肝に銘じておかなければならない。自分の周りに潜む世界の危機、それに対抗すべく力をつけねばならない。今日は帰ったら筋トレだと決意を固めたのであった。
夢の内容を反芻していたらあっという間に終業時刻になっていた。なんだかまだまだボーッとしていて、周りが帰り支度をいそいそと始めてるのにも拘わらず、僕はまだ端末の電源を切り始めたところだった。
「弖寅衣くん、本当に大丈夫ですか? もしよければ今から病院に行きましょう。私が付き添いますから」
唐突に声をかけられ我に返る。すぐ隣には帰り支度を済ませた一颯さんが立っていた。周りはもう我先にと職場を後にしている。
「え? あ、いや、大丈夫ですよ? 本当に身体もぴんぴんしてますので」
ただボーッとしていただけに過ぎないのに、彼女にこんなに心配をかけてしまい、申し訳ない気持ちになってしまった。
「いえ、何かあったら困りますし、行きましょう! さぁ、荷物をまとめてください」
いつになく真剣で頑ななので、怒っているのかとも思ってしまったのだが、一颯さんは少し微笑んでくれたので安心し、ここは彼女の提案を呑むことにした。
支度を済ませ、会社から出ると蒸し暑い空気が出迎えた。もう夏も終わるというのにまだまだ残暑が終わらない。
一颯さんと2人きりで病院に行くというのはなんだか気まずくて、彼女の後ろをついてく形になってしまった。すると、すぐに気付かれて、
「どうしたんですか? ほら、行きましょう!」
と、僕の隣にきて歩調を合わせてくれた。幸いなことにもう周りに社内の人達はいない。誰かに見られでもしたらとんでもないことになる。我が社のアイドルと言ってもいい存在だからな。
「弖寅衣くん、ごめんなさい! 病院に連れて行くというのは嘘です! 本当は一緒にカフェに行きたいだけなんです。ついて来てもらえますか?」
え? あの一颯さんが? そういうこともあるのか。いきなり本音をさらけ出して自分の要望を突き付けるのは、なんとも潔くて図々しくもあるかもしれないが、そこが彼女の魅力の一つなのであろう。
「弖寅衣くんの身体が大丈夫そうなのは、実はわかってました。いつも見てますから。口実で病院へ行くなんて言ってごめんなさい」
そう言って彼女はいたずらっぽく微笑んだ。斜向かいの席に座ってるのだから毎日見てるのは当然か。それでも僕の健康状態まで見抜いてしまうなんて、それはある種の才能なのだろうか。
「でも、僕なんかでいいんですか?」
彼氏とかいるんじゃないんですかと続けようとしたが、それを聞くのは流石に失礼かと思い、飲み込んだ。
「もちろんですよ。ずっと誘いたかったんですけど、弖寅衣くんいつもすぐ帰っちゃいますし、真面目だから嫌かなと思って、なかなか声かけられなくて。ああでもしないと行ってくれないかなって」
少し恥ずかしそうにしながらそう言った。意外だ。交友関係も広そうな印象があるので、他の人ともよく行くのかもしれない。
「わかりました、お供しますよ」
そう言うと、彼女の顔は明るくなり、右手で小さなガッツポーズをしていた。
フリルがついた水色のカットソーに、白のスカートを合わせている彼女のその仕草はまさに純粋な乙女そのものだった。
「実は、ずっと前から行きたかったカフェがあったのでそこに行きますね!」
さっきよりも口調が弾んでいる気がする。口調が弾めば、歩調も弾む。彼女は先ほどより歩くペースが速まり、僕も慌てて後を追う。
駅構内を通過し、会社とは真反対に位置するショッピング街の方に向かうようだ。こちら側はこの時間も帰宅ラッシュで人が多いのだが、平日昼間でも賑わっており、喧騒を嫌う僕はあまり足を運ばない。そうか、今日はちょうど金曜日だった。行き交う人々もどこか皆足速である。
目的地であるカフェに到着した。新しく出来た店なのか、綺麗な内装の店内ではすでに多くの人が談笑している。幸いなことに僅かに空席が残っていたため、僕らも腰を落ち着けることができた。
木目を意識したテーブルや壁、そして所々に観葉植物を配置した店内はとても涼しく、まさに都会のオアシスと言える。僕らのように仕事帰りの人もいれば、若い女子高生、大学生も多く見受けられる。それだけ人気のスポットなんだろな。
カフェなんて何年ぶりだろう。恐らく高校生のころに姉さんに連れて来られて以来だろうな。
「私はもう決めてあるんですけど、弖寅衣くんは決まりましたか?」
初めてのお店に来ると大抵悩んでしまうのだが、彼女を待たせるわけにもいかないので、潔くアイスキャラメルラテに決めた。一颯さんはパンケーキとタピオカミルクティーを注文したようだ。いかにも女性らしいチョイスだ。
「同じ年に入社してもう何年か経ちますけど、初めてですよね。弖寅衣くんとこうやってゆっくり話せるの」
その通りなのだが、2年以上も近くで仕事をしていたなんて自覚は全く湧かない。入社したのも昨日のことのようだ。
「一颯さんは確かハーフでしたよね? どちらのお国でしたっけ?」
せっかくなので僕も聞いてみたかった質問をぶつけてみる。
「はい。私は日本人の父とフランス人の母の間に生まれたハーフです。今はダブルとかミックスって言い方もするみたいですね」
彼女自身はハーフの呼び方をそれ程気にしてない様子だったので、失礼なことを言わなくてよかったと安心した。
「さて、問題。私のフルネームはなんでしょう?」
突然の問題。いや、一颯さんは一颯さんなんだ。すみません、覚えてないです。何も答えることはできず彼女からの回答を待つしかなかった。
「やっぱり覚えてないですよね。一颯・ミモザ・ルヴィエですよ? ちゃんと覚えてくださいね?」
ふふふと彼女は髪を揺らしながら笑った。
「『一颯』が父方の姓で『ルヴィエ』が母方の姓なんです。なので日本で言う下の名前は『ミモザ』です」
彼女は丁寧にそう説明してくれた。僕は自分の記憶力のなさに呆れた。そして同時に、女性の名前を覚えることができない不甲斐ない自分を心の中で叱咤した。
「ミモザさん。素敵な名前です。でも、やっぱり覚えにくい名前だ……今まで通り一颯さんは一颯さんです」
「えー、弖寅衣くんがそれ言いますー? お互い苦労する名前ですよね」
彼女はそう言いながら笑っていた。いつも会社で見る笑顔とは違って、もっと自然に笑っているように見えて、それはすごく魅力的で、世の男性を引きつけるのだろう。
そこへ、注文していた品が届いた。彼女が注文したパンケーキは、ふわっふわでぷるぷるした生地の上に、ふんだんに生クリームとブルーベリーとラズベリーがあしらわれている。
ちょうど彼女が両耳にしているピアスがラズベリーのような紅色をしている。一颯さんは目をキラキラ輝かせながらそのパンケーキを見つめている。
「本日もお仕事お疲れ様でしたー」
と、彼女と乾杯をした。暑い街中を歩き、緊張もあったせいか、喉はからからなので早速キャラメルラテを頂いた。甘くておいしい。
彼女もタピオカミルクティーを飲み始めた。小さくて桃色の綺麗な唇をしている。
「私ね、実は何年も前に家出をしてきたんです」
その突然の告白に、思わずキャラメルラテを吹き出しそうになってしまい、僕はただただ動揺を隠せないのであった。
誰かが僕の体を揺さぶっている。
ゆっくり目を開ける。そこには同僚の一颯さんがいた。まだ背中のあたりがズキズキする。
「ここは……倉庫……そうか、僕は脚立から落ちたのか」
横にはあの脚立が倒れており、上から落ちてきたダンボール箱が、その中身を撒き散らしていた。
「さっきすごい音がしたのでちょっと心配で見に来てみたんですけど、そしたら弖寅衣くん倒れてて、私びっくりしちゃって」
一颯さんは少し怯えたような表情をしていたが、僕の様子を見て段々と安心しつつあるようだった。
栗色の綺麗な髪の色をしており、肩口あたりまで伸びてるボブヘアーはふんわりとパーマがかかっている。そして、透き通るような白い肌がとても綺麗だ。確かハーフなんだよな。
「僕、ここでどのくらい寝てましたか?」
体を起こしながら真っ先に浮かんだ疑問を口にしてみる。ずいぶん長い間夢を見ていた気がする。
「音がしてから私すぐに駆けつけたので、1分も経っていないと思います。身体、大丈夫ですか?」
「あ、はい。平気です。心配してくれてありがとうございます」
頭は打ってなさそうだし、いつも通りに立ち上がることもできた。一颯さんと言葉を交わすのもなんだか久しぶりな気がする。
散乱した荷物を片付けなければならなかったが、もう棚の上に置く気にはなれなかったので、ダンボールの中身を元に戻してその場に置くことにした。一颯さんも手伝ってくれたおかげで作業はすぐに終わり、2人で倉庫を後にした。
職場に戻ると、塩見さんが僕を見るやいなや、
「弖寅衣さん、脚立から落ちたとかですか? しっかりしてくださいよもうー。ホント抜けてるとこあるんだもんなー」
と、嫌味を言ってきた。気にしたら負けだ。すみませんと言いながら自分のデスクに戻る。
一颯さんは、「お水です飲んでください」と気を利かせて持ってきてくれた。水を喉に流したからか、先ほどより頭が冴え渡り、脚立から落ちる前のことなども思い出してきた。
そうだ、思い出した。姉さんと夢の中で会ったんだ。そして前髪さんとも。いろんなことを話したけど、やはりあれは夢だったんだろうな。
しかし、口の中に微かに紅茶の香りが残っているような錯覚に陥る。それは本当に錯覚でしかない。それでも、その錯覚で、あれは夢であって現実だったんだと思えるくらいに、夢の内容はとても鮮明で、日頃見る夢とは一線を画していた。
ならば、姉と交わした約束、それを肝に銘じておかなければならない。自分の周りに潜む世界の危機、それに対抗すべく力をつけねばならない。今日は帰ったら筋トレだと決意を固めたのであった。
夢の内容を反芻していたらあっという間に終業時刻になっていた。なんだかまだまだボーッとしていて、周りが帰り支度をいそいそと始めてるのにも拘わらず、僕はまだ端末の電源を切り始めたところだった。
「弖寅衣くん、本当に大丈夫ですか? もしよければ今から病院に行きましょう。私が付き添いますから」
唐突に声をかけられ我に返る。すぐ隣には帰り支度を済ませた一颯さんが立っていた。周りはもう我先にと職場を後にしている。
「え? あ、いや、大丈夫ですよ? 本当に身体もぴんぴんしてますので」
ただボーッとしていただけに過ぎないのに、彼女にこんなに心配をかけてしまい、申し訳ない気持ちになってしまった。
「いえ、何かあったら困りますし、行きましょう! さぁ、荷物をまとめてください」
いつになく真剣で頑ななので、怒っているのかとも思ってしまったのだが、一颯さんは少し微笑んでくれたので安心し、ここは彼女の提案を呑むことにした。
支度を済ませ、会社から出ると蒸し暑い空気が出迎えた。もう夏も終わるというのにまだまだ残暑が終わらない。
一颯さんと2人きりで病院に行くというのはなんだか気まずくて、彼女の後ろをついてく形になってしまった。すると、すぐに気付かれて、
「どうしたんですか? ほら、行きましょう!」
と、僕の隣にきて歩調を合わせてくれた。幸いなことにもう周りに社内の人達はいない。誰かに見られでもしたらとんでもないことになる。我が社のアイドルと言ってもいい存在だからな。
「弖寅衣くん、ごめんなさい! 病院に連れて行くというのは嘘です! 本当は一緒にカフェに行きたいだけなんです。ついて来てもらえますか?」
え? あの一颯さんが? そういうこともあるのか。いきなり本音をさらけ出して自分の要望を突き付けるのは、なんとも潔くて図々しくもあるかもしれないが、そこが彼女の魅力の一つなのであろう。
「弖寅衣くんの身体が大丈夫そうなのは、実はわかってました。いつも見てますから。口実で病院へ行くなんて言ってごめんなさい」
そう言って彼女はいたずらっぽく微笑んだ。斜向かいの席に座ってるのだから毎日見てるのは当然か。それでも僕の健康状態まで見抜いてしまうなんて、それはある種の才能なのだろうか。
「でも、僕なんかでいいんですか?」
彼氏とかいるんじゃないんですかと続けようとしたが、それを聞くのは流石に失礼かと思い、飲み込んだ。
「もちろんですよ。ずっと誘いたかったんですけど、弖寅衣くんいつもすぐ帰っちゃいますし、真面目だから嫌かなと思って、なかなか声かけられなくて。ああでもしないと行ってくれないかなって」
少し恥ずかしそうにしながらそう言った。意外だ。交友関係も広そうな印象があるので、他の人ともよく行くのかもしれない。
「わかりました、お供しますよ」
そう言うと、彼女の顔は明るくなり、右手で小さなガッツポーズをしていた。
フリルがついた水色のカットソーに、白のスカートを合わせている彼女のその仕草はまさに純粋な乙女そのものだった。
「実は、ずっと前から行きたかったカフェがあったのでそこに行きますね!」
さっきよりも口調が弾んでいる気がする。口調が弾めば、歩調も弾む。彼女は先ほどより歩くペースが速まり、僕も慌てて後を追う。
駅構内を通過し、会社とは真反対に位置するショッピング街の方に向かうようだ。こちら側はこの時間も帰宅ラッシュで人が多いのだが、平日昼間でも賑わっており、喧騒を嫌う僕はあまり足を運ばない。そうか、今日はちょうど金曜日だった。行き交う人々もどこか皆足速である。
目的地であるカフェに到着した。新しく出来た店なのか、綺麗な内装の店内ではすでに多くの人が談笑している。幸いなことに僅かに空席が残っていたため、僕らも腰を落ち着けることができた。
木目を意識したテーブルや壁、そして所々に観葉植物を配置した店内はとても涼しく、まさに都会のオアシスと言える。僕らのように仕事帰りの人もいれば、若い女子高生、大学生も多く見受けられる。それだけ人気のスポットなんだろな。
カフェなんて何年ぶりだろう。恐らく高校生のころに姉さんに連れて来られて以来だろうな。
「私はもう決めてあるんですけど、弖寅衣くんは決まりましたか?」
初めてのお店に来ると大抵悩んでしまうのだが、彼女を待たせるわけにもいかないので、潔くアイスキャラメルラテに決めた。一颯さんはパンケーキとタピオカミルクティーを注文したようだ。いかにも女性らしいチョイスだ。
「同じ年に入社してもう何年か経ちますけど、初めてですよね。弖寅衣くんとこうやってゆっくり話せるの」
その通りなのだが、2年以上も近くで仕事をしていたなんて自覚は全く湧かない。入社したのも昨日のことのようだ。
「一颯さんは確かハーフでしたよね? どちらのお国でしたっけ?」
せっかくなので僕も聞いてみたかった質問をぶつけてみる。
「はい。私は日本人の父とフランス人の母の間に生まれたハーフです。今はダブルとかミックスって言い方もするみたいですね」
彼女自身はハーフの呼び方をそれ程気にしてない様子だったので、失礼なことを言わなくてよかったと安心した。
「さて、問題。私のフルネームはなんでしょう?」
突然の問題。いや、一颯さんは一颯さんなんだ。すみません、覚えてないです。何も答えることはできず彼女からの回答を待つしかなかった。
「やっぱり覚えてないですよね。一颯・ミモザ・ルヴィエですよ? ちゃんと覚えてくださいね?」
ふふふと彼女は髪を揺らしながら笑った。
「『一颯』が父方の姓で『ルヴィエ』が母方の姓なんです。なので日本で言う下の名前は『ミモザ』です」
彼女は丁寧にそう説明してくれた。僕は自分の記憶力のなさに呆れた。そして同時に、女性の名前を覚えることができない不甲斐ない自分を心の中で叱咤した。
「ミモザさん。素敵な名前です。でも、やっぱり覚えにくい名前だ……今まで通り一颯さんは一颯さんです」
「えー、弖寅衣くんがそれ言いますー? お互い苦労する名前ですよね」
彼女はそう言いながら笑っていた。いつも会社で見る笑顔とは違って、もっと自然に笑っているように見えて、それはすごく魅力的で、世の男性を引きつけるのだろう。
そこへ、注文していた品が届いた。彼女が注文したパンケーキは、ふわっふわでぷるぷるした生地の上に、ふんだんに生クリームとブルーベリーとラズベリーがあしらわれている。
ちょうど彼女が両耳にしているピアスがラズベリーのような紅色をしている。一颯さんは目をキラキラ輝かせながらそのパンケーキを見つめている。
「本日もお仕事お疲れ様でしたー」
と、彼女と乾杯をした。暑い街中を歩き、緊張もあったせいか、喉はからからなので早速キャラメルラテを頂いた。甘くておいしい。
彼女もタピオカミルクティーを飲み始めた。小さくて桃色の綺麗な唇をしている。
「私ね、実は何年も前に家出をしてきたんです」
その突然の告白に、思わずキャラメルラテを吹き出しそうになってしまい、僕はただただ動揺を隠せないのであった。
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