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村での三日目

第70話

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 僕はバタバタと準備を整え道場の外へ飛び出しました。
 ゆっくりと歩いていくガンプさんに追いつき、昨日の広場へと向かう。
 若衆組の三人衆と毎日午前の稽古を続ける約束をしていたのです。
 稽古場に着くと三人衆はもう来ていました。
 あれ? もう一人いる。

「先生、アレン君。紹介します」
 リュービさんがそのもう一人を前に押し出す。
「若衆組の最年少、スッカー君です」
 スッカー君がペコリと頭を下げる。
 頭頂部に集めた髪を雑に結んでタワシを乗せたみたいになってる変な髪型。
 顔は起伏に乏しくのっぺりとしていますが目がやたら血走って赤い。
 自分で木を不器用に削ったらしき木刀を握りしめた、小柄だけど鍛えた体を持つ少年。
 そうだ、昨日の若衆組の演習にも参加していた子だ。

「いくつぜよ?」
 ガンプさんが聞く。
「じゅじゅっ、十三です」
 緊張した様子で答えるスッカー君。
「何で連れてきたがや?」
 ガンプさんはリュービさんに鋭い視線を投げかけ、強い口調で問いました。
「この子の兄は去年のワタリ熊との戦いで死にました。仇を討たせてあげたいのです。だから、先生の指導で鍛練」
「アホウが!! 仇なんぞ討てんぞな!」
 突然大声を張り上げるガンプさん。
 僕もビクリとしましたが、村の四人はもっと驚いた様子。目を丸くしています。
「先生、その言い方はねぇよ! こいつの気持ちを考えてやってくれねぇか」
 チョーヒさんが抗議しました。
「気持ちを考えて熊に向かわせて死なせてやればええがか?」
 ガンプさんは毅然と言う。
「命のやり取りなんぞ高揚した気分だけで何とかなるもんやなか」
「けれどスッカーはこの一年、コツコツと剣の腕を磨き続けておりましてな。道場にも頼らず、たった一人で。俺達はそれをずっと見守っていた」
 カンウさんは納得しません。
「隙だらけぜよ。話んならん」
 スッカー君を見て言い放つガンプさんの言葉は厳しい。
 道場の子らにはこんな風に言わなかったから、やっぱりカヤネ達はレベルは高いんだ。
「おまんらもじゃ」
 三人組にも辛辣な言葉が向かう。
「昨日クラッツが言うた言葉は正しいちや。わしゃおまんらを熊と正面から戦わせるつもりはないがや」
「そいつぁあんまりだぜ、先生!」
 叫ぶチョーヒさん。
「前線で戦うつもりやったがか?」
「当然です!」とカンウさん。
「後方を固めるんでええがや。毎年何人もが戦いで死んどるんじゃろうが? 正面でやり合うのは専門のわしらに任せとけばよか」
「でっ、ですが……」
「わしゃあな、少しでも腕ば磨いとけば己や周りの人間の危機を回避する確率が上がるやろ思うて技ば教えちょるんじゃ」
「俺ぁ熊の首とって婚儀の席に飾りてぇんだ」
 食い下がるチョーヒさんは顔を真っ赤にしています。
「素人が英雄になろうと思うな! 仇を取ろうと考えるな!」
「やーーーーーっ!!」
 突然スッカー君が木刀を振り上げガンプさんに打ちかかっていきました。

 視認できなかった。
 あっ、と思った時にはもうスッカー君は遠くに転がされ、彼の木刀はガンプさんが持っている。
 ガンプさんは黙って木刀をスッカー君の方へ放り投げる。
 歯ぎしりしそうな表情で立ち上がったスッカー君は、木刀を拾うとガンプさんを睨みつけ叫びました。
「お前になんか頼らねぇよ! あんちゃんの無念は自力で晴らしてやらぁ」
 身を翻し、少しびっこを引きながら駆け去るスッカー君。
 ガンプさんは何だか哀しそうな顔で見送っています。

「おまんらは?」
 改めて三人組に問うガンプさん。
 三人は下を向いて黙りこくってしまう。
 ガンプさんも黙って答えを待つ。
 ようやくリュービさんが顔を上げる。
「私はとにかく稽古を続けます」
「ほうか。わしの方針に納得したがやな?」
「考えて結論を出してから動くより、動きながら考えて結論を出します。時間が惜しい」
「……なるほどの。とりあえずそれでよか」
 残りの二人もリュービさんに続く。
 僕も木刀を取る。
 気まずい空気の中、稽古は始まりました。


 途中ヤンマが立ち寄って稽古の様子を熱心に見学。
 また、若衆組の人も何人か来ました。
 彼らは直前のいざこざを知らないので気楽に盛り上がっています。

「あんちゃん、童貞やろ? 分かるぞ」
 休憩時に、女性若衆のコエンラさんにいきなり聞かれてたじろぐ僕。
「万が一、童貞のまま死んでしもたら悔いが残るやろ? おらが相手しちゃろう」
 そう言ってコエンラさんはケラケラと笑う。
 野良仕事中に土をいじった手で顔に触れてそのままにしてしまうのか、笑顔の頬や額には泥がついています。でも、素朴な雰囲気の美人さんです。
「若衆組にはコエンラに筆下ろしさせてもらったもんが多いんだぞ。な、パーク」
 高齢若衆のバンナイさんが隣りの男性をからかうように見つめて言いました。
「パークは入れる前に出しちゃったからまだやね」
 あっけらかんとコエンラさんが言うと、こわもてのパークさんは赤くなって下を向く。
「筆おろし? って何ですか?」
 聞き慣れない言葉。僕は質問しました。
「は? 素で言ってんのかい。簡単に言えば、男が生まれて初めて性交をすることだ」
 バンナイさんが説明してくれる。
「ああ……なるほど。男性器の形状を筆に見立ててるんですね。知的な言い回しです」
「そうかい? とにかくな、やりたきゃ遠慮のうコエンラに頼めばええってことよ」
 バンナイさんはちょっとした手伝いの依頼か何かのように軽く言います。
 僕は当惑。

 性交に関しては慎重であれという教育を僕は幼少時から受けてきました。
 王家の子種を安易にばらまいたために庶子が生まれ、後に王位継承を巡る争いが生じた事例が歴史上いくつもあるからです。
 もっとも今の僕は王族でも何でもないのですが……。

「え、いえ、あの、僕は戦死する気はないので大丈夫です……」
 そう答えると、バンナイさんはコエンラさんを見やりました。
「なら俺が代わりにやろう」
「バンナイさんはもう駄目ぞ」
「……俺のエア・コエンラの動きが最近すっかりマンネリ化しとるんだがのう……」

 ところでこんな話をしている間も、リュービさん達三人は休憩を取らずに黙々と木刀を振るっています。
 何だか申し訳ない気持ちになる。


 剣術稽古の見物人は若衆組だけではありません。子供達や村人達が何人も入れ替わり立ち替わりやって来ます。大勢の人が訪れる広場ですし、目立つことをやっているわけですから仕方がありません。
 稽古が終わると若衆組の三人は静かに礼を述べて帰っていきました。
 僕とガンプさんは集まった村の人達と談笑。みんな素朴で善良な方々ばかり。
 飲み物やオヤツの差し入れもありました。

 謎の虫の佃煮を大量に持ってきてくれたおばさん。
 見た目はグロテスクでしたが、目をつぶって食べるととても美味しかった。
「歯ごたえのある甘辛い味わいの中、わずかに感じる苦味がとても良いアクセントになってますね」
「でしょお? それ虫のお腹の中に残る糞なのよ」
 そうですか。言わないで欲しかった。

「わひゃ若い頃にゃ異民族との戦いに何度も従軍しとるにゃ。その経験から言わしぇてもらうと……」
 一方的に指導してくれるおじいさんもいます。

「お兄ちゃんの仮面かっこ悪いよ?」
 ズバリ言ってくる小さな女の子。ピエタちゃんを思い出します。
 どうも僕のこの仮面は小さな女の子には評判が悪いようです。……いいけど。

「お武芸様、この子が強い子に育つようお腹をなでてもらえませんか?」
 妊婦さんが大きなお腹を指してガンプさんに頼んできました。
 素人目にもガンプさんの太刀筋の凄さは分かったようです。
 照れながらお腹をなでてあげるガンプさん。
 その様子を見ている僕に妊婦さんは気づく。
「あ、仮面のお武芸様もお願いします」
 そんな気を遣わなくていいのに……。


 お年寄り達は昔の出来事を話してくれます。
 他の町村から離れているおかげで八年前の大疫禍での犠牲がほとんどなかったことも聞きました。
 そうした話の流れで一人のおばあさんが前国王、つまり僕の父がロイヤル・タッチの巡幸で村を訪れた時の思い出話を始めました。
 ドラマチックなエピソードがあるわけではありません。
 ただ慕われる父の様子がありありと語られる。
 自然と胸が熱くなりました。

 おばあさんは話の終わりにこう付け加えました。
「最後の巡幸の時には王様は小さな王子様を連れていらしてねぇ」
 僕は固まる。
「……えっ!」
「王子様は犬と一緒に田んぼの中を駆け回ってね、お付きの方に叱られてしゅんとする姿は微笑ましかったよ。あの方はどうしておられるかねぇ」

 ああ!

 僕はこの村に来たことがあったんだ。
 何かが、こみあげてくる。
 幸せだった僕の姿。おばあさんの記憶の中に生きている。
 仮面に隠れ、僕は涙を流しました。




 突発的な親睦会もやがて解散。
 その後の僕はただ一人で村をぶらぶら。
 トリアさん達はもう交流会に行っているでしょう。
 さて、どうしよう。
 もう一度釜虫を探してみようかな。
 考えながら歩いていると、道の先に誰かがぽつねんと立っているのに気づく。
 ニトロだ。

「ニトロ」
 声を掛けるとニトロは俯いていた顔を上げ、こっちを見る。
 手にした綺麗な赤い花を見ていたようですが、表情は暗い。
「あれっ。素敵だね、その花……」
 近づこうとするとニトロは僕の足元を見て、つい、と片腕を上げました。
 僕に向かって真っすぐ手の平を向ける。
「……動かないで」
 ま、また?
「…………」
 僕の前の地面を指差すニトロ。
 見ると蟻が行列を作って道を横切り、せっせと食べ物を運んでいます。
「あっ、踏んでしまうところだったの? ごめんごめん」
 僕はその場にしゃがみ込み、蟻に視線を落としました。
 ニトロがソロソロとやって来ます。
「あそこからこの蟻に気づくなんてすごいね」
「……すごくない…………ちょっと前まで……見てたから……」
「そっか」
 ニトロは僕の前にしゃがんで蟻を見つめる。
「ニトロも優しいんだね」
「……優しくない」
 僕達はしばらく一緒に蟻の行列を観察していました。
「この行列いつまで続くんだろうね」
「……知らない」
「もしかしたら永遠に続くのかも」
「……続かない」
「だってほら、行列は地球をぐるりと一周して繋がっているかもしれないよ?」
 ニトロが僕の顔を見る。
「それでぐるぐるぐるぐる、自分達がどこへ向かっていたかもとっくに忘れてしまって永遠に食べ物を運び続けるんだ」
「……バカみたい」
「うん。そうかも」
 ニトロが微かにくすりと笑う。
「……もっと変な話して」
「いいよ。海知ってる?」
「……知ってる。先生と旅した時見た」
「そっか。じゃ、空の青い色と海の青い色が全く同じ色になったら境目はどうなると思う?」
「……どうなるの?」
 そうして僕達は話し込む。
 いや、ほとんど僕が話してるんですけど。
 次に何を話そうかと考えて僕の言葉が途切れた時、ニトロが言いました。
「お願い……ある」
「んっ、何?」
「……この先にツブラがいる……はず」
「うん?」
「ニトロが……謝ってたって…………伝えて」
「いいけど、喧嘩でもしたの?」
「……お気に入りの花を……見てたの」
「ニトロが?」
 うなずく。
「もう少しで……満開だなって……楽しみにしてた」
「うん」
「そしたらツブラが来て……目の前で……摘んだ」
「えっ」
「そしてニトロの頭に挿して……綺麗だって笑った」
「そう……」
「……ニトロは……まだ満開じゃないのにって……怒った…………すごく怒った……花が……かわいそうだったし」
「うん、気持ち分かるよ。そして、ツブラも悪気はなかったんだ」
 うなずくニトロ。
「その花?」
 またうなずく。ニトロがずっと大事そうに持ってる花。
「ツブラ……泣いてたから……」
「分かった。すぐに行ってくるよ」


 キョロキョロしながら歩いていき、ツブラを見つけました。
 マンドレッドさんと一緒にいる。
 ツブラは泣きじゃくっているようです。
 その鼻をマンドレッドさんがしきりに拭っています。
「マンドレッドさん」
 僕は呼びかけ、駆けていきました。
「ああ、君。ツブラが泣きやまぬのだ」
「はい、そのようですね」
「鼻水も止まらぬ。腕が疲れてしまった」
「あっ、僕が代わります」
「どうしたのか聞いても泣きながら支離滅裂に話すのでわけも分からぬ」
「え、あっ、それは」
「もしやあのブローレンス氏に悪戯でもされたかと案ずる。この子はすぐに前をはだけるから……。そうであれば拙者、彼に決闘を申し込む所存」
「ああっ、ちっ、違いますっ」
 僕は事情を説明しました。

「なるほど、そうでござったか。安心し申した」
 マンドレッドさんはホッと溜め息をつく。
 僕はツブラに語りかけます。
「だから、ね? ニトロを許してあげて? 彼女は悔やんでいるから仲直りしよう?」
「えうっ……えうっ…………」
 ツブラの泣き声がだんだん治まってきました。
 マンドレッドさんの大きな手がツブラの頭を撫でる。
「よかったの、ツブラ」
 泣きやんだツブラが、こっくりとうなずきます。
「では拙者は行くが……」
「僕がツブラをニトロのところに連れて行きます」
「そうかね。よろしくお頼み申す」

 立ち去っていくマンドレッドさん。
「マンドレッドさんは、まるでもうツブラのお父さんみたいだね」
 僕はつぶやきました。
「お父ちゃん?」
「うん」
「お父ちゃんってあんな感じなんらか?」
 ツブラはお父さんの記憶もないくらい早くに死に別れたんだ……。
「そうだなぁ、色々なお父さんがいると思うけど、僕の父は」
「おしっこ」
「え?」
 ツブラは僕の目の前でしゃがんで尻を出し、放尿し始めました。
「わあっ!」
 僕の叫びを聞いてマンドレッドさんが気づき、飛んで戻ってくる。
「こっ、これっ! ツブラっ!」
「お父ちゃん」
「人前でおしっこするものではない」
「あい」
「ああっ! そのまま立つんじゃないっ。とりあえず出し切りなさい」
「あい」

 傭兵探しのツブラの挑戦を受けて縁を持ったマンドレッドさん。
 まだ短い関わりの中で色々あったのでしょう。
 何かにつけだらしのないツブラの世話を焼くうち、深く情が移ってしまったみたいです。

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