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拉致

第23話

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 ゆっくりと茂みを抜けてきたのは女の人。
 髪が長い。
 そして服を、着ていない。

「どうされました?」
 僕は声を掛けました。
 ルナシーの元にも早く行きたい。
 焦燥感。
 でも、この人もルナシーと一緒に攫われてきた被害者かもしれません。

 裸の彼女は静かに僕の方へ駆け寄ってきました。
「あっ?!」
 驚きの声が出ます。
 だって、ランタンの光の中にはっきりと浮かび上がったその顔。
 それは僕の見知った人の顔。

「ベレッタさん? どうしてここに?」
 そう、それは酒場にいた痩身の美女、ベレッタさんだったのです。
 彼女が街を去ってから、もうかなりの日数が過ぎています。
 そのベレッタさんも事件に巻き込まれていた?


「アレン! だめ! 逃げてぇ!」
 その声に驚き振り向くと、倒れていたルナシーが顔を上げて僕の方を見ていました。

 ルナシーッ!!!
 生きてる!!
 暗くて表情までは分からないけど、生きてるんだ!
 気を失っていただけだったんだね。
 喜びに胸が膨らんだ瞬間、ベレッタさんが僕に覆い被さってきました。

「べ、ベレッタさん? どうしたんですか?」
 僕は戸惑い叫びました。
「馬鹿ぁ! 違ぁう! ドルーカよ!」
 ルナシーは涙声で叫ぶ。
 えっ、それ、ベレッタさんのこと? ドルーカ? そんなにギクシャクした動きしてないよ。こんな時に何の冗談?

「噛み付かれる!」
 ルナシーに言われ、混乱する僕の頭は表情のない顔で大口を開いて歯を剥き出しにしたベレッタさんを認識しました。
 間近で見るその顔の表面には蟻が這い回り、肌は少しヒビ割れている。眼の色も変です。
 その衝撃的な光景。僕の胸にじわりと恐怖が広がります。
 ランタンを落とす。
 ドルーカなんだ。ベレッタさん、ドルーカなんだ。
 なぜ? なぜ?

 僕の首筋を狙って頭を振り下ろしてくる刹那、僕はベレッタさんの両肩を掴んで引き離しました。
 そのまま押さえて動きを止めようとしましたが、ベレッタさんは再び顔を近づけてきます。
 ジリジリとまた距離は縮まってきました。物凄い力なのです。
 本当のドルーカは人同然に動き、とんでもない力を持つことを僕は知りました。

「ルナシー! いるのか? 生きているのかっ!!」
 ドムさんの声。
 抑えきれない喜びと状況への戸惑いが入り混じった複雑な響き。
 刺草が密生する一帯で手間取ったようですが、ようやく来てくれました。
 この場所は準備なしでは出入りが容易ではないので、サバラス達は攫ってきた女性を凌辱する絶好のスポットにしていたのでしょう。いったんここに連れて来られたら簡単には逃げ出せません。

「おいっ! ドルーカに襲われてるのか!?」
 今度はダモンさんの声。
「は、はい」
 ベレッタさんとの力比べに精一杯で、振り向くこともできません。
 僕の方へ首を伸ばし、無表情なままガチガチと空を噛むベレッタさん。
「おい、まさか。……ベレッタか?」
「そうだよぉ、父ちゃん! サバラス達、ベレッタさんをこの祠の裏に埋めてやがったんだよぉ! 私が抵抗したら、脅して、笑いながらそう言った!」
 ルナシーの言葉に僕は衝撃を受けました。


 何ということでしょう。
 ベレッタさんは姿を消したあの当時、サバラス達に攫われ、弄ばれて苦しみのうちに命を断たれたんだ。
 殺したのは、暴行をドムさんに知られたら面倒なことになるから?
 彼らサバラスグループはキメラチームが街に戻ってくるまでただ大人しくしていたわけじゃなかった。裏では密かにそんなとんでもない事をやっていた。

 深い恨みを抱いて亡くなった人の遺骨の周りに念の染み込んだ土が集まり覆って生前の姿を現わす怪物、ドルーカ。
 伝説通りなら、土の下で骨となったベレッタさんはやがてドルーカと化して起き上がり、森を出ることもなくずっとこの辺りをさまよい続けていたのでしょう。

 ドルーカは人の負の思いだけを内に秘めて動くという。
 ベレッタさんの魂は、救いのない苦悶の檻の中に閉じ込められてしまったも同然です。それは、何も悪くないのに永遠に続く理不尽な罰を受けているようなもの。
 そして今夜、そんなこと思ってもいなかったサバラス達が、またルナシーを攫ってここにやって来た。
 

「私ね、森の中で隙をみていったん逃げ出せたんだけど、出口が分からなくなって迷って、また捕まって」
 ルナシーが興奮してまくし立てます。
「それでここに連れて来られて、もうダメかと思ったけど、そしたらベレッタさんが出てきて……私、気を失って」

 ルナシーがよろりと立ち上がるのを目の端で捉えました。血の汚れは殺された若者の血を浴びたものだったのでしょう。大きな怪我はなさそうで良かった。
 失神したおかげで、逃げ惑う若者達を襲っていたベレッタさんの視界からうまく逃れられたのかもしれません。

「気がついたらアレンが! アレンを助けてぇ!!」
 ルナシーは絶叫しました。
「ドルーカの動きを止めるには首を切り落とすしかねぇ。鎌を取りに走らせてるが……」
 ダモンさんが呟く声。
「父ちゃん!」
「ああ、分かってる。何とかする……」

 ドムさんはベレッタさんの後ろに回り込んでいきました。ランタンを地面に置き、両手を構えます。
 どうやら彼女を羽交い締めにして僕から引き離すつもりのようなのです。
 でも、それは危ない。想像以上にベレッタさんには力がある。
 振り払われて喉笛に噛み付かれたら……。

「ドムさん! 来ないで下さい!」
「そんなこと言ったってお前」
「鎌が届くまで何とか持ちこたえるんだ!」
 ダモンさんがそう叫んで、ドムさんの方へ駆けて行きました。
「二人でこいつを押さえてるからよ。お前は逃げろ」
 ダモンさんはそう指示します。けれど、僕は首を振る。
「嫌です。ベレッタさんの首を切ったりもしないで下さい」
「何言ってんだ! お前!」
 ダモンさんが怒声を上げるのはもっともだとは思います。でも……。

 涙が溢れてくる。
「ベレッタさん、落ち着いて。サバラスさんには罪を償ってもらいます。だから、もうやめて」
 僕はベレッタさんに語りかけました。
「お前な! ドルーカに思考なんかない! 目につきゃ自分の親だろうが子だろうが食い殺す怪物だ!」
 怒鳴るダモンさん。
「残念だがそうだぞ、アレン」
 ドムさんが沈痛な面持ちで頷きます。
 分かってますよ。でも、でも。

 この人はベレッタさんの顔をしている。
 僕のことを弟みたいだと言ってくれたベレッタさん。
 僕にお菓子をくれて、食べるのを静かに見守るあのベレッタさんの微笑みが、目の前の表情のない顔に重なる。
 つらい。彼女をこの悪魔の束縛から解放してあげたい。

「あああああん!!」
 号泣するルナシー。
 ルナシー、命があって本当に良かった。
 ベレッタさんも……うまく逃れることができてたらどんなに良かったか。
 その時のベレッタさんの気持ちを思うと、悲しい。とても悲しい。

 苦しかったね、ベレッタさん。
 僕はベレッタさんの肩を押さえる右手を離しました。
 そして、ベレッタさんの頬にそっと添える。
 想いを込めて撫でました。
 ただ悲しくて、考えもなしにそうしてしまった。

 ああ、何だろう。ベレッタさんの魂の悲鳴のようなものを感じます。

「ばっ、馬鹿っ!」
 ドムさんが悲痛な声を張り上げる。
「食いつかれる! 間に合わねぇ!!」
 ダモンさんの声が続く。

 でも、なぜでしょう、ベレッタさんは襲ってきません。
 動きを止めたのです。
 彼女の右肩に置いた僕の左手は、ベレッタさんの力が急速に緩んだことを伝えてきます。
 しばらくは時が止まったかのようでした。

 ポロリ。

 突然でした。
 ベレッタさんの額から肉片がひとかけら、剥がれ落ちました。
 いえ、違う。それは土。
 それを皮切りにぐずぐずとベレッタさんを形作る土は崩れてゆき、ボロボロと落下する。
 そして、ベレッタさんの足元の地面にゆっくりと積み上がっていきます。

 ボロリ、ボロリ、ボロリ。

 僕を初め、誰も言葉を発しません。
 思いもよらなかった光景を、ただ息を呑んで見つめるばかり。
 何が起こっているのか想像もつかない。

 やがてベレッタさんの顔の土は全て剥がれ落ち、頭骨があらわになりました。
 同時に体の方も骨が剥き出しになっていきます。
 そうしてすっかり土が落ちきり、一体の骨格だけになると……。
 一瞬の間を置き、骨はガシャンと崩れ落ちたのです。


 僕はその場から動けず、ベレッタさんの骨を黙って呆然と見下ろすばかりでした。
 込み上げてくるものがあります。
 そうだ。
 顔から土が落ち始めた時、ベレッタさんはちょっぴり微笑んだように見えた。
 それは頭蓋骨に貼りついた土が、緩んで僅かに動き、たまたまそう見えただけなのかもしれませんが……。


「お前……何をした?」
 ダモンさんに問われました。
 放心したような声。
「こんなの見たことがねぇ……」
 
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