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第1章 夢見商店街の若人たち 2
しおりを挟む「全員揃ったようだな。では、これより夢見町商店街、夏の鍛錬会事前ミーティングをはじめたい」
今宵の会場である、公民館の畳敷きの広間に時間ぎりぎりに入ってきた亮太と弥太郎の二人を見、商店街組合の副会長が、おもむろに口を開いてきた。
その広間は、ちょっとした宴会会場ほどの大きさで、脚の短い長机をつなげて四角い形になるように置かれ、今宵の参加人がおのおの座っていた。ただ机の数に対し、座っている人間の数は少ない。ほとんどガラガラである。
といっても、無用に机が置かれたわけでなく、商店街の大人たちが集まり、毎年恒例の暑気払いセールと夏祭りについての話し合いがつい先ほどまで行なわれていたからだ。長机の数多さはそのせいであった。
亮太のところは母親でなく、寄り合い好きの祖父が嬉々として来ていたはずだ。
飲み食いしながら話したのだろう、亮太の対面、奥の壁を背にして座る会長の顔が明らかに赤い。だが、その隣の人物はしゃんと座している。先に挨拶した副会長だ。酔い加減も手伝ってか、普段以上に陽気な会長とは対照的に、銀縁メガネのむこうで気難しい顔をしている。
二人とも六十代はじめぐらいの年かさで、生まれ育ちも夢見町だ。商店街にそれぞれ自分の店を持っている。小太りな大久保会長は、メガネと時計店を兼ねた店を、痩せ型で背も低い渡辺副会長はCDショップだ。
楽観的な性格の会長が何かにつけて大風呂敷を広げないように、堅実な副会長が補佐するといった具合の、上手くバランス取れた商店街の上層部コンビであった。
「先輩、待ってたっすよ」
亮太と弥太郎が公民館の広間に姿を現わすや、つつっとそばに来た人物がいた。
「ついに、僕もこれに参加するんすね、今年から……」
ぼそぼそと小声で言ってくる。
「いっとくが地獄だぞ」
亮太も小声で返すと、「マジっすかぁ?」と、奥平憲之が顔をしかめた。
奥平憲之は、亮太よりひとつ年下だ。商店街で働く親を持つ関係で、子供の頃からの顔見知り。小、中とつづき、今年の春、亮太と同じ高校に入学してきた。
そして当然、この場にいることからして憲之の家も商店街で商いをしている。商店街通りの端に、店を構えた床屋の倅である。
そのせいではなかろうが、長めの髪を茶色に染め、身だしなみにも垢抜けた感じがある憲之は、努力や根性といった言葉が亮太以上に不得意な、今風の十代の風情があった。
“あんたたち、うっさいわよ”
斜向かいの窓際にいる亜美が、コソコソと無駄話する二人を咎めるように見たが、すぐに視線を前方にもどした。わずかな時間さえ惜しむような振る舞いである。理由は明快。亜美のお目当てが、副会長の隣に座しているからだ。
背が高く、均整の取れた体躯。柔和に整った顔にメタルフレームのメガネをかけ、知的な内面を醸し出す彼―酒井敦也は、東京のうんと偏差値の高い大学に一発入学を果たした夢見町商店街一の秀才との誉れたかい、好青年である。
亮太や弥太郎より三つ年上だが、幼い頃から遊んでもらい、敦也は一番年の近い商店街の先輩で、良き兄貴的存在といえた。
顔良く、頭良く、そのうえ性格も優しく実直とあって、いきおい異性にモテないわけがなく、榊原亜美なぞは普段のぞんざいな立居振る舞いを豹変させ、おい、ちょっと待てよ!とツッコミをいれたくなるほど、敦也の前ではみごとなまでに猫をかぶっているである。
あれ?
亮太は、ちょうど対面の位置になる、上座に陣取る会長たちからすこし離れたところに座る、ある人物に気付いてすこし驚いた。
どうして、阿部さんがいるんだ?
初老の男性だ。いつも朗らかな微笑を、柔らかげな白髪の下に浮かべる、商店街とは馴染み深い人だが、この時間帯まで残っている理由がつかみかねた。というのも、会長と副会長がいれば、今宵の会は事足り、ほかの大人たちは一様に公民館を後にしている。
飲み過ぎたのかな……待てよ、戒律でアルコールって禁止だっけ……
亮太があれこれと考えていると、その阿部の隣で、赤ら顔の会長が甲高い声で話しはじめた。
「えー、昨年は郊外に出来た大型スーパーマーケットのため、苦戦しいられることありましたが、今年は客足の落ちこみもなく、また経済もようやく底無し状態を抜け、上向きになって来たと地元の企業主からお話がありました。これはまさに瑞祥であり、今年の夏もセールの実施、または夏祭りに積極的に参加し、夢見町商店街のさらなる発展と繁栄をめざし、わたくし大久保も皆さんのお父さん、お母さんとともに、より一層努力してゆく所存でございます」
会長は赤ら顔を崩して、さらに続ける。
「例をあげれば、やはり、三百円以上お買い上げのお客様には、福引抽選券をお渡しすることを今年も実行して―」
「会長」
副会長の渡辺が言葉をはさんだ。
「商店街の運営のことはまた別の機会にして、子供たちに夏休みの鍛錬会の話を」
「ああ、そうかそうか」
酔眼を隣の渡辺副会長に投げながら、会長はにこにこ笑いながらうなずく。
しこたま、呑みやがったな……と、亮太は呆れた。商店街の人々から酌を進められるままに呑んだに違いない会長は、すっかり禿げあがった頭まで、ゆでタコのような真っ赤にして視点定まらぬ酔顔をさらしている。
「えー、では……、えー」
ツルツル頭をさすりながら、二の句が出てこない会長に、
「会長、僕から話を進めましょう」
酒井先輩が、爽やか、快活な口調で割って入る。
「ああ、えー、では頼むか」
会長はあっさり応えた。と、ついで重く眠気が迫ったか、「わしは、ちょっと向こうの部屋の方で横にさせてもらおうか」と告げて立ちあがった。
「すぐもどる。酒井くん。話を」
千鳥足の会長の介助に、渡辺副会長が立ちあがると、
私も手伝いましょう、と阿部も立ち、二人で会長に肩貸して広間から出ていった。そこで後を任された酒井敦也が、まずは久しぶりの再会の喜びを口にしてきた。
「やあ、みんな、久しぶりだね。春先に帰郷して以来だから、三、四ヶ月ぶりかな。変わらず元気そうで安心したよ」
歯ブラシのCMに使いたいような、真っ白な歯を見せて、話をつづける。
「それで、鍛錬会のことだが、今年から奥平さんのところの憲之も加わり、総勢五名で行なうわけだが、僕も出来るかぎり参加させてもらうよ」
「えー、ウソッー!」
亜美が喜び勇んで頓狂な声をあげた。
「嘘じゃないよ」
敦也がまぶしく微笑む。
「去年は参加しなかったけど、やはり、この夢見町商店街の伝統ある使命を果たすためにも訓練は大切だ。初心にもどったつもりで参加させてもらうから」
「ほんとですかッ! 酒井先輩、わたし嬉しいですッ! どこまでも着いていきます!」
キンキンと耳に響く亜美の黄色い声はとまらない。それを横目に、亮太は毒づいた。
うゎー。酒井先輩とならば地獄の底まで行きそうだな、亜美のアホウは……
「どうした、亮太、ニヤけた顔をして」
敦也が言ってきた。
「いえ、何でもないですよ、酒井先輩」
敦也は、亮太をしばし見つめ、
「亮太の性格はわかっているつもりだが、心配だな」
「……心配って、何がです?」
「いずれ、亮太も奴らと闘うことになる。だから、その―」
「……大丈夫です。足手まといにはなりませんよ。それに―」
「それに?」
「だいたい奴らの退治なんて、そうあるものじゃないでしょう。確か、去年だって一件もなかったはずだし」
「ああ、確かに、去年の出動件数はゼロだと聴いている。しかしだ、奴らが消え去ったわけではない」
「そうよ、亮太くん」
亜美が、特殊なことに君付けで呼んでくれた。
「あいつらはしぶといのよ。何処かに潜んでいるのがまだいるわ」
「うむ。その通りだ」
会長を六畳間の小部屋に置いてもどってきた渡辺が、亮太の背後、襖向こうの廊下に立っていた。
「今年の春先のことだ。九州支部から退治報告があった。ただ狩ったのは、襲われた被害者のなれの果て、灰色の奴だがな」
そう言うと、渡辺副会長は上座にもどってゆき、安部がピシリと襖を閉じて後につづいた。
「ええ、それは僕も聞きました」
敦也が、もどって来た渡辺たちを目で追いながら相槌をうった。
「それに、二年半前、ここ夢見商町店街で片付けたなかにも、真性の、黒吸血鬼はいなかったのですから……」
「つまりはー」里花が後を引き継ぐ。「今後も、私たちの使命はつづくわけですね」
その言葉に場の空気が重くなると、
「だからこそ、若い衆には励んでもらわないとな。我らと闇の眷属との暗闘の終焉はいつとも知れぬゆえ―」
座した副会長渡辺が、一同を見まわして諭すように言った。
亮太はすっかり閉口した。夢見町商店街に生まれた者としての宿命は、一応納得しているが、遠くない未来、あの闇の眷属相手に立ち回りを演じることになる我が身を思えば憂鬱にならざるを得ない。
「ウンザリしている顔だな、亮太」
敦也が言った。
亮太は苦笑いをして、
「そりゃそうですよ。普通、吸血鬼退治なんて、誰が好きこのんでやるんです?」
「……」
敦也はその問いには答えず、隣の弥太郎に視線を移した。
「弥太郎も、嫌なくちか?」
「えっ」弥太郎は困惑げな顔で、ぼそぼそと答える。「……まあ、元を糾さないと終わりがないことですから……大変といえば、大変で―」
「もう! はっきり言いなさいよッ」
弥太郎が大きな体に似合わず小鳥のように話すので、亜美はイラついたが、今は酒井先輩がそばにいると気付いてや、猫立て声に即座に切りかえ、
「ホホホ、やだわ、私としたことがはしたなく大声をあげて。でも、酒井先輩がどうなのって聞いたのだから、ちゃんと答えないといけないわよ。弥太郎くん」
しかし、亜美のその大きな目は、とっとと答えろ、この弥太郎!と射抜いてくる。
憐れな弥太郎は、少し頬を引きつらせながら、
「だから、その、嫌ではないけど、だからといって、喜んでできることではなくて……できることなら、一生闘わずにすんでくれれば、それに越したことはなくー」
「なるほど。わかったよ」
タジタジと答える弥太郎に、敦也はやさしく微笑んで、ついで亜美、里花、弥太郎、亮太、そして憲之を見た。
「さて、憲之は、今年から鍛錬会に参加するわけだけど、どんな気持ちだい?」
「えー、僕っすか。 はっきり言って、うわって感じっすね。ま、強制参加っすから、文句言ってもしかたないっすけどね」
憲之のあっけらからんとした調子に、亮太は思わず吹きこぼした。
身も蓋もない意見だが、正しかった。イヤだイヤだと騒いでも、今年の夏も鍛錬会はやって来る。それが現実なのだ。
憲之の言で、場の空気が和み、見れば、堅物の副会長渡辺さえも苦笑まじりに笑っていた。
ただ、そんななか、里花だけは破顔することもなく、口元を一文字に締めていた。
そういえば、最近、あいつの笑顔見てないな……と亮太は少し眼を細め、冴えざえとした里花の横顔を見つめた。
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