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32.ティン様の過去

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「十一年前!九歳の時に、実の兄に殺されかけたんでしょう?それを助けられたから恩に感じてるだけでしょ!?」

…殺されかけた?
実の兄に?
ティン様の優しかった瞳に射抜くような冷たさが宿り、マルチダ様を射抜くが、マルチダ様は怯むことなく尚も続ける。

「それが間違いなの!本来助けるのはあたしだった筈なのに!ジャスティンが好きになるのも!生き残り、迎えに行く為に戦うのも!王妃や第一皇子を廃して皇帝になるのも!全部あたしのためだった筈なのよ!」
「俺はお前に会った事などない」
「それがそもそも間違いなのよ!その女が邪魔したのよ!」

何を言っているのだろう。
起こった過去は変えられないし、それは自分が行いたかったという願望からの妄想だろうか。
思わずティン様の服を握り締めると、ティン様も私を抱きしめる力を強めた。
そんな私達の様子など見えていないのだろう、マルチダ様は喚き続ける。
私は知っているのだと。

確かに街の人達は言っていた。
当時の皇太子と王妃が排され、皇帝が退き、第二皇子であるティン様が皇帝になったと。
皇族の我儘な生活で民の生活が脅かされていたと。
マルチダ様の話では、脅かされていたのは民だけではなく、ティン様もだった——…

前皇帝と側室の間に生まれた第一皇子その数年後に正妃である王妃との間に生まれた第二皇子であるティン様。
産後の肥立ちが悪く、ティン様の母である王妃は亡くなられ、側室が王妃に繰り上がる。
それから王妃は自身の息子を玉座に付けようとするが、第一皇子は学びもせず遊び惚けているのに対し、ティン様は優秀で次期皇太子の座は確実とまで言われていた。
覆す事が難しいと思った王妃はティン様を隣国で抹殺しようと試みる。
命からがら逃げ出したティン様だが、その傷では放っておいても死ぬだろうと王妃は思い、それから第一皇子と共に贅沢三昧して遊んでいたそうだ。

ティン様はそのまま死ぬところだったのを本来ならばマルチダ様が助ける筈だったと喚く。
母はおらず、優秀に成長していくと共に王妃に睨まれるのが怖い侍女達はティン様に対して寄り付く事すらしなくなり、一人孤独に耐え生きてきて、暗殺されそうになる。
心身共に疲れ果てたティン様を本来癒すべきは自分で、ロザリア如きには癒しきれていないと言い放っている。

「民のため、自分が生き残るためとはいえ、義母と兄を追いやり父に責任を取らせ、皇帝になった重圧は大変なものでしょう?そんな偽物に癒し支えられるはずがないわ!偽物の約束にしか過ぎないのよ!」

どうしてマルチダ様はこんなに詳しいのだろう。
ティン様は私の背を撫でながらも、マルチダ様の言い分に対し横から口を挟む事をしない為、マルチダ様の言っている事が事実なのか妄言なのか判断しにくいところもある……が
壮絶な過去があったとしても、ティン様が今生きてここに居てくれている事をありがたく思ってしまい、ティン様を掴む腕に少しだけ力が入りながらも嬉しくて微笑みすら溢れてしまう。
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