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2巻

2-2

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 立ち会い出産の時、旦那が手を握って頑張れ! 頑張れ! って励ましてるの、凄いなぁって思うけど、それ直接的な部分は見ていないよなとも思う。
 女同士だからこその一面を見た気がするのだ。

「ス……スワさん……ありがとうございます?」

 恐る恐るといった感じで感謝の言葉を述べるオトちゃんだが、何故か疑問形だ。多分それは、今の私を見てなのだろうけれど。
 まさしく疲労困憊。こんなのは社畜生活以来の状態だと自覚はしている。
 おめでたいことだし、私だって無事に赤ちゃんが生まれてきてくれて嬉しいんだけど、それとこれとは話が違う。
 意識はあるけれど、目は多分白目を剥きそうなのか、視界が暗くなったりして揺れている。息をするのに口を何とか開いている程度だし、自分で自分を見る事は出来ていないが、なんとなく、とある叫びの絵を想像してしまう。
 癒し……癒しが欲しい!
 そう願って、私はクロの事を思い出した。私は何とか意識を保ちクロが居た方向へ視線を向ければ、シロに浄化をされて、多少息が落ち着いているクロの姿が見えて安心した。
 ナイスファインプレー! シロ!
 そう思い安心した瞬間、眠気のようなものが襲ってきたけれど、私にはもう抵抗する気力はない。むしろ、もうこのまま意識を手放したい。

「もう……無理」
「スワ様!?」

 焦るフェスの声が聞こえたけれど、意識が沈むのを止められるわけもなく、私はそのまま気絶するかのように、フェスの胸へ倒れ込んだ。


 そして、丸一日眠って起きた私に待っていたのは、クロの書き置き……ならぬ、置き言葉?
 ブローチのような形をした魔道具を押すと、その上にクロの姿が立体映像のように映し出され、言葉が残されていたのだ。
 シロに急かされ、起きたばかりの私はそれを起動させた。

『スワ……ごめんね……。僕、やっぱり無理なのかもしれない』

 クロの悲しそうな声から始まった内容に、私はただ唖然とした。

『また瘴気しょうきに、飲み込まれそうになっちゃった』

 クロは過去二回、瘴気しょうきに飲み込まれて正気を失いかけた事がある。それを思い出しているのだろう、映像に映るクロの瞳は涙に潤んでいる。
 魔王や魔物といった類は瘴気しょうきの影響を悪い方向へ受け、呑まれてしまえば自我を失うのだ。
 そもそも瘴気しょうきというのは、魔素に人間の妬みや恨みといった負の感情が流れ込んだものだ。
 そして魔素というのは、この世界で空気のような役割もあるし、魔術を使う為に必要なもの、つまり人間にとってなくてはならないものだ。
 だから瘴気しょうきが増えて魔素が減ると、聖女を誘拐召喚して、国を救えと脅し働かせていたわけだけれど。人間が居る限り……というか、戦争なんてものがあれば爆増するのが瘴気しょうきなのだ。
 うん、クロを泣かせる原因となった奴、出てこい。
 と言っても、心当たりはあるんだけど。

『子どもが無事に産まれて安心したし。……だから僕、一度魔界に帰るね』
「は?」

 映像に言葉を放っても意味はないが、思わず口から出た。
 え? 何を言ってるの?
 理解したくない内容の言葉。もふもふを求める両手の指がワキワキと動いてしまう。

『魔界で、スワの側にいる方法がないか……瘴気しょうきに呑まれない方法はないか、探してみるから!』

 国って大変だよねと、ポツリと続けられた言葉によって、私の怒りは完全に国王へと向いた。
 第一王子という馬鹿極まりない者を育てし、馬鹿親。
 私に対しての対処も遅かった、無意味な存在としてのトップ。
 親としてだけでなく、国王としても無能極まりなく、関わりたくない人間だ。
 今回だって、負の感情というか、オトちゃんの出産で色んな欲望が渦巻いていたのだろう。
 そりゃ父親が誰かってのは気になると思う。
 けれど、止めろよ! 無能が! あんなに分かりやすくするな!

『魔王としての責務も果たせって、側近にも言われちゃった』
「そういえば変な気配がありましたね。魔王の側近が来ていたとは思いませんでしたが」

 一応、ここ王城。そこまで侵入されていて、気が付いているのがシロだけって、どういう事だ。本当に王族が住んでいて良い場所なのだろうかとさえ思う。
 ……これでも警備、一番厳重なんだよね?

『またね』

 クロが涙を一粒流して終わった映像に、胸が締め付けられた。
 私の癒し! オアシス! もふもふ! 私だって泣きたい! クロカムバック!

「この毛玉、次に会った時は覚えてなさいよ」

 シロも寂しいのか、そんな言葉を放った後、ポツリと国王をぶちのめしておけば良かったと零した。うん、私もオトちゃんの出産前に釘を刺しておけば良かったと思うよ。
 まぁ、ぬかな国王なのだろうけれど。今更な事だが、後悔が半端ない。
 けれど、今ここでクロを迎えに行けば、クロの決意を尊重していない事になってしまう。
 ……我慢が……必要か。
 私はふらりと起き上がり、身支度を済ませ、そのまま騎士団の訓練場へと向かった。そう、八つ当たりだ。対戦訓練という名の八つ当たりをかましまくった。
 それこそ、フェスが大好きで仕方がない騎士団長の息子、ワジム・ベロフ侯爵令息が顔面蒼白になって避けたり、ワジムの父親で騎士団長のベロフ侯爵が熱心に入団を勧誘してきた程に。

「スワ様。さすがにそこまでにして下さい。身体を休めるのが優先です」

 誰が呼んだのか、フェスが私を迎えに来た頃には、立っている人はいなかった。
 フェスは私の事を何より優先し、私の事を考えて行動してくれるから、歯向かう気にもなれない。むしろ歯向かうという思考もない。
 しぶしぶ撤退した私は、一ヶ月後に迎える今日この儀式まで、もふもふを我慢し続けたのだ。


「……考えたら、そうだよな……」
「貴族達を止められず、申し訳ございません」

 話を聞き終わった二人は、沈痛な面持ちで顔を伏せた。
 せめて人間達がクロに近づかないよう……というか、こちらが発表するまで待たせれば良かったのだ。本当に今更だけれど。

「クロがいない事には気が付いていましたが……瘴気しょうきに呑まれかけていた事までは気が付けませんでした」

 まぁ、ある意味であの部屋だけの話になってしまうから仕方のない事だ。それだけ、オトちゃんの出産は重大案件だったわけなのだけれど。
 フェスは気が付いていたけれど、何か理由があるのかもしれないと、私が言い出すまであえて聞かなかったそうだ。

「つか、クロの意思を尊重するなら、まだ一ヶ月だぞ?」
「もう一ヶ月なの」

 ルークは、まだそんなに経っていないとでも言いたいのだろう。
 分かる、それは分かる。十分に理解できる。けれど!

「もふもふがないと安眠できない」
「それは大変ですね」
「おま……っ」

 私が無理なのだ。
 フェスは納得してくれたけれど、ルークはどこか呆れている。私に言わせれば、一ヶ月も、よくもったと思って欲しい。


「しかし……迎えに行くという事は、魔界へ行くという事ですか?」
「そうだけど?」

 神妙に言葉を紡いだフェスに即答すれば、フェスとルークが頭を抱えた。

「魔界の場所、分かってんのか?」
「分かりますよ! 地図はありますか?」

 ルークの言葉にシロが即答すれば、即座にルークが机の上に置いた映写機えいしゃきのような魔道具から地図を映し出した。

「ここがアルカシック国ですね」

 シロが綺麗な羽で刺した先にあるのは、小さな国土で、この国がそこまで大国というわけではないのが分かる。

「そして、ここが魔界です」
「ほ?」

 シロが指さしたのは、中心にあるアルカシック国から北へと進んだ所にある場所。
 というか……

「魔界というから、異世界のように別の次元かと……」

 地図というからには、魔界へ行く入り口のような場所を言われるのかと思っていたのに。

「本来であれば魔大陸ですが、歴代聖女様が魔界と言った事から、魔界へと呼び名が変わったのです」

 おい誰だ。そんなややこしい事をした歴代聖女は。
 というか、シロは胸を張るようにウンチクを語ったけれど、その呼び名を浸透させたのは聖女至上主義な聖獣せいじゅうシロに他ならないのではないだろうかと思う。じゃなきゃ全ての国、及び魔王であるクロまでもが魔界と言わないのではないだろうか。

「この距離なら、馬で駆けたとしても……最短で三ヶ月か?」
「それくらいでしょうか? 道という道もありませんしね。人が近づかなくなっていますから」

 なるほど?
 こちらの世界での地図の見方が分からない私は、日本の地図記号だって世界共通ではなかったしなぁ、なんて元の世界を思い出しながら、静かに聞く。
 険しい山があり、大きな川が谷底に流れるため、遠くへ迂回うかいするしかないとか。
 荒野で泊まるのは難しいから、一気に駆け抜ける必要があるとか。
 魔界に近づく程、人が居ない為に村もなく、馬を変える事は勿論、泊まる場所さえないのに魔物や魔獣の数は増えるとか。魔界に最も近い村は魔界から馬で約一ヶ月の所にあるが、今もまだ存在しているかどうか分からないとか。

「過酷な道のりだねぇ」

 聞けば聞く程に、そう思い呟いたのだけれど……それはあくまで、馬で行った場合だよね?
 ジーッとシロを見つめると、私の意図に気が付いただろうシロが羽を広げた。

「任せて下さい! 私がお乗せします! 丸一日で到着してみせましょう! 休憩しなければ行けます!」
「いや、休憩はしよう!」

 自己犠牲精神、よくない! ブラック企業みたいじゃないか!
 目指すは、のんびりまったりゆっくりだ! ビバホワイト企業!

「まぁ、……道中の問題は解決したとして……」
「それ以上に、魔界の中は危険とされているのです。……中の状態は誰にも分かりません」

 眉間に少し皺を寄せて、フェスが言った。
 この世界には魔素が循環じゅんかんするように流れているのだが、一カ所だけ滞る場所があり、そこには魔素ではなく瘴気しょうきが溜まっていくのだと。
 そして、その場所こそが魔界だと。もちろん瘴気しょうきが集まる場所だから人間は住んでおらず、力のある魔物や魔獣の群れが存在しているという。

瘴気しょうきが溜まっているのなら……クロは一体どうしているの?」

 話を聞けば聞く程、一ヶ月も放置していた自分を殴りたくなる位に後悔が押し寄せる。
 クロは今、一体どうしているのだろうか。

「魔物が活性化しているとは聞いた事がありませんが」
「そもそも誰も近寄らない場所だしな」

 私の言葉に、フェスとルークの表情に焦りの色が見えた。魔界の現状なんて全く分からないのだ。

「クロはそこにずっと住んでいたんでしょう?」
「いや……ご飯を求めてさまよってたって……」
「……それでも生まれ育った場所ですから」

 シロが慰めで言ったのだろうけれど、出会った時の事を思えば、いつ魔界から出て来たのかと不安に思う。それでも確かに生まれて育ってきたのであれば、魔界の瘴気しょうきには耐えられていたという事だろうか。

「行くなら念入りに準備が必要ですね! 息がしにくく、魔術も使えません。スワ様の浄化で何とかなるにしても……聖剣を持っていきますか?」

 再度地図を見れば、魔界は大陸のほぼ三分の一を占めている。それだけで広大だと理解できた。

「捜すとなれば時間かかるか……」

 この中のどこにクロがいるのか分かっていないのだ。
 途方もない時間がかかるだろう。

「あ、それなら検討はつきますよ。元々は小さい場所でしたから」

 あっけらかんと言ったシロは、魔界の最北を差した。
 元々の魔界……というか、瘴気しょうきが滞る場所は小さかったとシロは言う。
 しかし年々瘴気しょうきが増えて、大陸を浸食していったらしい。浄化しなければ、それこそ大陸全体が瘴気しょうきに覆われる事となるだろう。
 まぁ、人間による大気汚染レベルの話だから、自業自得感もあるけれど。
 被害者はむしろクロ達のようなものだ。
 そして、そんな広大な土地を浄化しながら歩き続けるという、いわゆるに対しては、いくらスキルの力や料理でパワーアップしたとしても、自信なんて皆無だ。ご遠慮したい。
 というか、やりたくない。
 歴代聖女達が頑張っていても瘴気しょうきが増え続けているのであれば、もはや人間の問題でしかないじゃないか。自分達でどうにかしてくれ。

「聖剣で浄化の力は強まるのか?」
「スワ様が抜いたのですし。剣なんですから言う事を聞かせれば良いのです」

 思考が明後日の方向へ向かっていた私は、ルークとシロのやり取りで思考を戻した……というか、シロの言葉に呆れて、額に手を当てた。
 まぁ、ないよりはマシかもしれない。

「聖剣は今どこにあるの?」
「何故か王家の宝物庫に入れられているので、返せ……というより奪ってくれば良いですね」

 サラっと言ったフェスに色々と突っ込みたい事しかないが、馬鹿国王と話す気は毛頭ないので、賛成だ。関わりたくない近寄りたくない、何より会話したくないのだ。
 しかし、第二王子であるアレス・ヴァン・ダレンシア王太子殿下に報告はしておこうと、フェスは明日にでも時間を貰ってくると言ってくれた。ついでに聖剣も奪ってくると。
 そしてそのまま辺境の村にある城へ帰り支度をする事に決め、今日は解散となり、二人を部屋の外に送ると、そこにはオトちゃんの姿があった。
 立ち聞きをしていたようで、悔しそうな表情をし、俯いている。

「オトちゃん……流石に、はしたない……」
「……あんのクソ国王……」

 表情には気が付かないフリをして呆れながら言えば、低くドスの効いた声がオトちゃんから放たれた。うん、聞かなかった事にしよう。どうせ皆、同じ事を思っているのだろうし。
 フェスとルークが、そのまま立ち去って各々の準備に行けば、オトちゃんは表情を戻して私に手招きをしてきた。つられるように顔を寄せると、オトちゃんは私の耳元へ顔を寄せ、こっそり囁く。

「せっかくの旅行だし、色々進展してきてね! フェスさんと!」
「なんの話!?」

 それだけを言い残して去っていくオトちゃんの後ろ姿を、私は唖然としながら見送った。
 進展……進展とは……
 オトちゃんがフェスとの事を後押ししてくる事で、枯れていた自分の中にある女の部分が思い出されていくようだ。顔が赤くなっていくようで、恥ずかしくて誰にも見られたくない私は、すぐに自室へ引っ込んだ。


 翌日、時間を取ってくれたアレス王太子殿下にだけ、クロを迎えに行く話をした。
 普段側にいるトリプルトラブルメーカーやピーターには、後でタイミングを見てアレス王太子殿下の方から言ってもらえば良いだろう。どこまで聞いていたか分からないけれど、オトちゃんにもアレス王太子殿下から改めて話してもらえば良い。
 誰からどう漏れるか分からないし、あまり大事にしたくないというか、引き留められるのも、聖女として何か務めを言い出されるのも面倒極まりないのだ。
 それに……私の腰にかけられているのは、フェスが黙って持ってきた聖剣。それも事後報告とばかりにアレス王太子殿下へ伝えると、色んな意味で項垂れていた。

「クソ親父……」

 宝物庫から持ってきたと言うと、疲れ切ったアレス王太子殿下の表情からは、らしくないドスの効いた声が漏れ出た気もするが、気のせいだと言い聞かせる。
 まぁ、確かに私が引き抜いたとはいえ、勇者しか使えないような聖剣を王家の宝物庫に入れておいたところで……ねぇ? 宝の持ち腐れどころの話ではない。

「というわけで、しばらく帰りません。瘴気しょうきの浄化に関しては魔界で行いますが、聖女の努めを果たす為でなく、クロを助ける為です。他は食い止めて下さい。生み出すのは人間ですし」

 そもそもが浄化しながらでないと進めないから、わざわざ聖女らしく、そんな事をするわけだけれど。そう、決して国や誰かの為ではない。私がクロを迎えに行く為だ。

「各国とも情報共有を行っていく準備は出来ているよ」

 瘴気しょうきの正体は分かっているのだ。
 人間の感情により増えるのだから、戦争なんて今まで通り起こしていれば、大陸全土が瘴気しょうきに覆われてしまうのも時間の問題だという事は、アレス王太子殿下も理解している。
 そして宰相も、急ぎ各国と連携をとり、民達の生活改善の優先順位を見直す為に、民達への説明も行う準備をしているそうだ。
 まぁ、貧民街などでの盗みや暴力、殺傷沙汰なんかも減らないと意味がないからね。
 流石! 仕事が早い!

「スワ様から国王に説明して欲しいんだけどなぁ……」
「嫌です面倒です会いたくないです」

 だからこそ、全てをアレス王太子殿下に任せる為に報告しているのだ。
 勿論、そこには聖剣の事も含まれる。
 シロに乗って飛び立つ直前まで、アレス王太子殿下はずっと国王にも説明して欲しいと言い続けていたが、全力で却下だ。
 絶対に会いたくない。会うだけで疲れる。そんな人間とは関わりたくない。
 トップがあれだけ無能でも、周囲が優秀だからこそ国が回っているというのがよく分かる構図すぎて、疲れ果てるのだ。ならばこちらも、優秀な方と話すだけで良いと思うし、国王も優秀な周囲と話して、決まった案だけを知っておけと思う。
 まぁ、それも国王に記憶力があるならばの話だが。
 私にとって、あの馬鹿王子の件だけでも国王に対する嫌悪感は止まる事を知らない上に、オトちゃんの一件だ。
 関わりを断絶したいとしか思っていなかった私は、シロに乗って爽快さっそうと飛び立った後に残されたアレス王太子殿下が、苦悩の表情を浮かべて頭を抱えていたのを知らなかった。
 否、知りたくもなかった。


 辺境の村にある私達の住む城へ戻ると、携帯食料を作る為にルークは畑に、フェスは隣接する森へと狩りに行った。
 そもそも与えられていたのは古びた平屋ひらやの家だったのだが、シロとクロが力を合わせて一瞬にして城へと変えたのも懐かしい思い出だ。
 こちらとしては、平屋ひらやは掃除が楽で助かっていたのだけれど……魔法という便利な物がある上に、大きくなったシロとクロのもふもふに囲まれる事が出来る為、今となっては丁度良いのだが……
 オイルとハーブやニンニクを使って作った鳥ハムのようなものに、お茶やハーブ等を使って燻製くんせいのように炙ったもの。そしてハーブを練り込んだパンやクッキー。
 栄養バランスも考えて、野菜のペーストや果物でジャムを作りながら、私はどこか広く感じるキッチンを眺めた。
 ……というか、ただでさえ広いのだけれど。
 私の心境に気が付いたのか、肩に乗っていたシロは私の頬に擦り寄ってくる。

「味見と称して片っ端から食べる人がいないと、こんなに静かなのね」
「クロをキッチンに入れると、私達の食事がなくなる勢いでしたからね!」

 昔話のような懐かしさが漂う。
 クロが居ない、ただそれだけで広く感じるし、静かなのだ。
 王城にいた時はまだしも、帰ってくるとクロが使っていたクッションや皿もあり、一緒に過ごした記憶をあちこちで思い出して、寂しさが込み上げる。

「見つけたら縛り付けてでも連れ帰りましょうね」
「そうだね」

 シロの相変わらずな毒舌具合に吹き出す。

「あ、そうだ」

 のんびりとした空気に変わり、以前シロに頼んで持ってきてもらった調味料の存在を思い出した。戸棚に仕舞ったままだった調味料を取り出すと、私は更に料理を進める事にした。


 大量の荷物はルークの鞄に詰め込んで、大量の食事も同じように詰め込む。
 毎回の如く、身軽な準備でシロに乗る。
 急ぎたい気持ちはあるけれど、やはり休憩は必要だからと、三日かけて移動する事に決めた。
 北へと飛び立ち、アルカシック国を抜け、隣国の領空へ到達する。
 見下ろせば広大な山脈が広がり、そこを抜ければ大きな街もある。途中で食べ歩きみたいな旅行もしたかったけれど、それはクロと一緒に帰る時だと心に決めた。楽しみは後にとっておく。
 湖を見つけては休み、隣国を抜け、更に隣の国にある町で宿を取った。
 二日目、更に北へと飛ぶと、険しい山脈。谷底には幅広い川が、勢いよく流れている。
 人が立ち入っていないのがよく分かる。道と呼べるものはないし、川にかかっている橋も一つあるだけだ。それも結構年季が入っているように見える。

「この辺りで休憩をしておいた方が良さそうですね」

 フェスの言葉で、シロは少し開けた場所へと下降した。


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