追放王子と出奔魔法使いの一冬の話

ブリリアント・ちむすぶ

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世界最恐の魔法使い

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 月明かりに反射した雪原。
 その身を震わす美しさと寒さに思わず息をもらす。
 まだ動物にも何も踏まれていない平らな雪に足を付けると、砂を踏むよりも柔らかいくぐもった音が足から鳴る。
そのくぐもった音は自分にとってはとても新鮮はもので、どうすればこの音を王宮でも再現出来るのかと考える。

――砂に細かいガラスを混ぜれば同じ音が出るのかな? 水を含ませればもっといいかもしれない。

 そう思いながら、目の端に見えた草に視線を向けた。
 普通、雪が降れば埋もれてしまうものだが、この地域の草は根が強いのか足首はおろか膝下までつかる程の雪であっても真っすぐ生えている。
 もしかして薬草の類だろうか。王宮に持って帰れば同僚に喜ばれるかもしれない。帰りに摘んでおこう。その同僚のはしゃぐ姿が目に浮かび、思わず顔がほころんだ。
 仲間のこと、故郷のこと、この身を震わす寒さを少しでもやり過ごそうと様々な事を考える。
 それでもこの身を凍てつく寒さは体にとって十分なダメージとなっていた。
 防寒したというのに既に足先の感覚はとうに無くなり、寒さを通り越して痛みすらも感じる。
 王宮勤めの自分にとっては限界に近い。
 これでこの地域に住む人間曰く「暖かい」なのだから困る。
 しかも今は雪も降っていない無風状態だが、そろそろ雪が降るらしい。
 寒さに慣れていない自分が吹雪の中を歩いて行けるわけがない。早く行かねばと寒さで固まる関節を無理やり動かした。

――もうすぐだ。そろそろ、言われていたポイントに着く。

 10歩ほど、歩いた時だった。
 そこに足をつけた途端、見えない薄いベールのようなものが体全体に纏わりつく。
 もちろんそんなものあるはずがない。ここは王都でも端にある1年の半分が雪に覆われる未開の地。近くの村はここからどんなに急いでも半日かかる距離だ。
 そんなところにわざわざこんなものを用意する馬鹿は居ない。
 この感触、知ってる。これは――、探知魔法だ。

「ーーッ!」

 無風だったはずの雪原に風が吹いた。
 急に来た風の強さに耐えきれず、反射的に目を閉じる。ついに吹雪が来たのかと思い目を開けると現れたのは、吹雪ではなく人間だった。
 その人間はフードを深く被っており、表情はみえない。
 だが、フードの隙間から見えた髪とその奥にある瞳の色がどちらも黄金であることからこの人物が自分の知っている人物なのだと直感する。
 その人物は浮遊魔法で宙に浮いていた。
 今が無風状態と言えども空間を切り取ったようなブレのない浮遊魔法はそれだけで目の前の人物が自分より実力が遥か上の魔法士であることが分かる。
 正直相手をしたいとは思わない。だが、この道を通らねば目的地につかないし、この人物は目的の人物だ。
 どうにか平和的に話し合えれば、と一縷の望みをかけ寒さで固まった表情筋を動かし、不細工な笑みを作る。
 
「……どうも」
「……」

 無言。これから殺す相手と話す気はないということか。
 話はできないと悟り、なるべく威嚇しないよう、ゆっくりと浮遊魔法を展開する。
 雪に埋まっていた足が抜け、宙に浮いた。
 魔素の節約でここまでは歩いてきた。きっとこれなら走るよりも早く移動ができるはず。 
 そこから、目の前のフードの人物に対して貼り付けた笑みをそのままに――、全速力で黒いフードの人物の横を横切った。

「何ッ!?」

 その人物の慌てた言葉が後ろから聞こえる。
 当たり前だ。逃げるならおろか、そのまま前進されるとは夢にも思わなかっただろう。それで追いかけるのが1秒でも遅れたら僥倖だ。
 振り返る暇はない。必死に風を操り、空を飛ぶ。
 この時のため、浮遊魔法の訓練を半月魔法士兵並みに重ねた。
 だが、急しのぎの訓練など意味をなさないと言うようにフードの人物は常人ではありえないスピードでこちらに迫ってくる。
 猛烈な殺意を背に感じながら、必死で空を飛び逃げまわった。
 その横を魔素の塊である魔法弾が通る。それが地面に当たると同時に周囲の雪が一瞬で消え去り、地面の土がスプーンでえぐり取られたような窪みになったことに本気で顔から血の気が引いた。
 精度も威力も完璧。浮遊魔法を使いながらここまでのものが生成できるとは。
 改めて自分を追う相手がとんでもない実力を持つ魔法士だったのかと思い知らされる。

「ヒ、ッ! は、はやく、早く!」

 ものすごい勢いで正確に放たれる魔法弾をよけながら、空を飛び回る。
 半日歩いたことと今の決死の追いかけっこで体力は底を尽きかけている。が、もうすぐで目的地が見えてくるはず。
 そうすれば、そうすれば、なんとかなる。なんとかならなかったら――、全てがもう終わりだ。

「ハァッ……、ハァァ……!」

 息が上がる。心臓が暴れた。
 目的地が豆粒ほどの大きさだが見え、自分の全ての力を使い切る勢いで風を操った。

「止まれッ!」

 後ろからの叫び声。止まる訳が無い。
 魔法弾が止む。同時に自分の魔素が切れる。
 立ち止まる訳には行かない。目的地の屋敷に向かって走った。
 屋敷の扉の前、その前で中に居るはずの屋敷の主に聞こえるように叫んだ。

「ア、アラン様!」

 権力争いで負け、王子としての身分も輝かしい称号も全て剥奪され、名前だけしか残っていない男の名はいまでも口に出すことすら恐ろしい。
 だが、今はこの固く閉じられた扉の中から出てきて欲しい気持ちでいっぱいだった。 
 
「王宮魔法士のルカと申します! 扉を、扉を開けてください!」

 後ろから巨大な魔法弾の気配がする。死を半ば覚悟しながらも叫ぶ声は止められなかった。

「開けてください!!」

 巨大な魔素の塊が羽織っていた防寒用マントを喰らいかける。ようやくここに来たのに、自分はもうダメなのか。

「し、死ぬ――!」
 
 屋敷の扉が開いた。

「……!」

 後ろから息を飲む声と同時に、魔素の気配が一気に消える。
 フードの人物が魔法弾を消滅させたのだ。
 なんて正確な魔素制御だと感心する前に死の危険から逃げられたことに心の底から安堵する。
 その魔法弾を止めるきっかけになった屋敷の主は杖をつき、薄汚れた自分を黙って見下ろしている。
 言葉を発しようとするが、あまりの美しさに次の言葉が出てこない。
 赤の髪に銀の瞳。
 その人物を肖像画では何度か目にしたことはあるが、想像以上だ。この先どんなに腕の良い肖像画家でもこの屋敷の主の美しさを正確に描ける画家は現れないだろう。
 さすがは追放されたと言えども『元王子』だ。

「……主」

 散々こちらを追いかけ回していたフードの人物が、控えめな声で問いかける。
 後ろを振り向くと、フードの人物は『元王子』に膝をついていた。
 金の髪が金糸の房のように垂れ下がり、黄金の瞳が自分の主人を見つめている。
 王宮にいた頃の手入れされた風貌とはまた違う、野に咲く花のような素朴ながらも目を引く魅力。
 つい先程まで自分を追いかけ回していた恐ろしい姿とは大違いだ。
 ボロボロの自分と後ろの従者を交互に見つめた後、『元王子』は背を向けた。

「入れ」

 追放された王子、アランへの訪問。
 その言葉で、自分――、ルカはこの任務の最難関を突破したのだとようやく実感するのことができた。
 
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