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王マラジュ
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外から仰々しい鐘の音がした。
コルドは国を統べる王への祈りをすませ、座っていた椅子から立ち上がり扉の隙間からファルの後姿を確認すると、そのまま塔の出口に向かっていく。
今日は幸いにも、朝食のあとに水をかけられただけですんだ。
いつもなら物を投げ付けられたりするが、早々部屋から出たのは正解だったようだ。
水で濡れた服は今はもう乾いている。これなら明日も同じ服を着れるだろう。
そう思いながら塔の階段を下っていくと、ちょうど塔の入口のドアを勢いよく叩く音がした。
夜番の兵士が来たのだと思い、コルドは塔の扉を開ける。
想像と反し、目の前にいたのは衛兵だった。
磨き抜かれた群緑の鎧に赤の縁どりがされたその鎧。それは目の前の兵士が王専属の衛兵であることを表している。
コルドも遠目でしか見たことがない。
まさか城内でもこんな寂れた場所に王付きの衛兵が来るわけないと思っておらず、思わず固まった。
「……」
王付きの衛兵がいるならば――。
コルドは固まりながら視線をその衛兵の先に向けた。
目線の先の男はコルドの視線を察し、口を開いた。
「ご苦労」
男は黄金の瞳に黄金の髪の美しい人物だった。
身につけている赤の服は、現人神である王のみ纏うことを許された衣服だ。
鮮やかな赤と見目麗しい容姿にコルドは思わず固まる。
王マラジュ。
毎日の祈りを捧げる相手が今、目の前にいる。突然の現人神の王の登場にコルドは立ち尽くし、コルドと王の間に沈黙が流れる。
「ぶ、無礼者! 頭を下げぬか!」
いつになっても膝を折らないコルドに業を煮やした目の前の衛兵がコルドに慌てて怒鳴り声を上げる。
コルドはようやく自分が段差といえども王を見下ろしているという恐ろしい事実に気が付き、コルドは急いで降り、王に跪いた。
頭が土で汚れてしまうことなど構わずに、コルドは頭を湿った土に擦り付ける。
「も、もうしわけありません…」
頭が真っ白になりながらコルドはどうにか謝罪の言葉を口にする。
まさか神である王マラジュが目の前に現れると思わなかった。
顔面蒼白で頭を下げるコルドをマラジュは興味深く見下ろし、ゆったりとした口調で言った。
「顔を上げろ」
コルドは震えながらゆっくりと顔を上げた。
マラジュは金の瞳で完全にコルドを捉えている。
想像もしなかった出来事に固まるコルドに王は言った。
「あれの世話はどうだ?」
あれ。
あれ、とはファルのことを指しているということだけはわかった。
「……」
王であるマラジュに何をどう答えればよいか分からず、コルドは言葉を出すことができない。
その様子を見たマラジュは口調を変えた。
今度はコルドに対し、幼子に話すような声だった。
「苦労しているか? あれの世話は」
マラジュの声は優しい。想像していた王の姿とは正反対だ。
だが、恐ろしさでまだ言葉が出ないコルドにマラジュは可笑しそうに言った。
「我は何もお前の言葉尻に揚げ足を取る気は無い。どうだ? お前の今の主人の世話は」
マラジュはコルドの言葉を待っている。
コルドは声を震わせながら言った。
「……変わりは、ないと思います。少なくとも、私の前ではーー」
「食事はとっているか?」
「昼間は、全て完食しています。夜は、分かりません」
想像以上に気さくなマラジュにコルドの緊張も少しほぐれる。
マラジュはコルドの言葉を聞き、満足気に頷いた。
「ならよい。今後も頼む」
「……かしこまりました」
「それと、お前はいい首飾りをしているな」
これで会話が終わりかと思いきや、マラジュが次に口に出したのはコルドの首飾りについてだった。
普段は服の中に隠してある首飾りはコルドが勢いよくマラジュに跪いたせいで服から出てしまっている。
コルドは石を掴み、服の中に入れ直す。
「……申し訳、ありません」
「なぜ謝る? 俺はお前に分不相応だとその首飾りを取り上げる気はない。だが、お前にその首飾りを贈った者は、さぞかしお前のことを思って贈ったのだと思ってな」
「父の、形見です」
「父? その首飾りは女が付けるものだろう」
「元は、母の形見であると聞いております」
「母親の顔は知っているか?」
「私を産んで直ぐに、亡くなったとのことです」
「苦労したのだな」
「……いえ」
早くこの場から立ち去りたいのに、マラジュはなかなかコルドを離してはくれない。
会話を終え早く宿舎に戻りたいコルドと何故かコルドとの会話を楽しむマラジュの会話はもう二、三続いた。
「この城での暮らしは、どうだ?」
「……神である王のご栄光が下々の私まで届いております。王の偉大さを日々、感じます」
コルドの中の最大限の丁寧な言葉にマラジュは笑った。
なにか自分が粗相をしたのかと思い、コルドは頭を下げ直す。マラジュはコルドの頭上に言葉をかけた。
「お前、名はなんという?」
「コルド、と申します」
「俺は定期的にここに来る。その時、少し話し相手になってくれないか?」
想定していなかったマラジュの言葉にコルドは内心体が震える勢いだった。
王と話す? これから?
学のないコルドには何をどう話せばいいのか到底考えもつかない。
固まるコルドを見て、マラジュは面白いものを見たというように笑った。
「そこまで重く考える必要は無い。」
「……私なんぞに、務められるかどうか」
「そう気負う必要は無い。今、王子が出征で不在なのは知っているだろう? その間の話し相手だ」
「……」
コルドの遠回しの拒絶は無駄なようだった。
こうなれば、頷くしかできない。
「私でよければ、努めさせていただきます」
マラジュは満足気に頷いた。
その後、コルドの体を舐めるように見ると、マラジュは視線を後ろに控えている兵士たちに向けた。
「おい、誰かこのコルドの身を清めさせてやれ。服も汚れている。新しい物を用意しろ」
勘弁してくれ、と思いながら、コルドはマラジュに向かってさらに頭を擦り付けた。
「ご寛大、ありがとうございます」
コルドは国を統べる王への祈りをすませ、座っていた椅子から立ち上がり扉の隙間からファルの後姿を確認すると、そのまま塔の出口に向かっていく。
今日は幸いにも、朝食のあとに水をかけられただけですんだ。
いつもなら物を投げ付けられたりするが、早々部屋から出たのは正解だったようだ。
水で濡れた服は今はもう乾いている。これなら明日も同じ服を着れるだろう。
そう思いながら塔の階段を下っていくと、ちょうど塔の入口のドアを勢いよく叩く音がした。
夜番の兵士が来たのだと思い、コルドは塔の扉を開ける。
想像と反し、目の前にいたのは衛兵だった。
磨き抜かれた群緑の鎧に赤の縁どりがされたその鎧。それは目の前の兵士が王専属の衛兵であることを表している。
コルドも遠目でしか見たことがない。
まさか城内でもこんな寂れた場所に王付きの衛兵が来るわけないと思っておらず、思わず固まった。
「……」
王付きの衛兵がいるならば――。
コルドは固まりながら視線をその衛兵の先に向けた。
目線の先の男はコルドの視線を察し、口を開いた。
「ご苦労」
男は黄金の瞳に黄金の髪の美しい人物だった。
身につけている赤の服は、現人神である王のみ纏うことを許された衣服だ。
鮮やかな赤と見目麗しい容姿にコルドは思わず固まる。
王マラジュ。
毎日の祈りを捧げる相手が今、目の前にいる。突然の現人神の王の登場にコルドは立ち尽くし、コルドと王の間に沈黙が流れる。
「ぶ、無礼者! 頭を下げぬか!」
いつになっても膝を折らないコルドに業を煮やした目の前の衛兵がコルドに慌てて怒鳴り声を上げる。
コルドはようやく自分が段差といえども王を見下ろしているという恐ろしい事実に気が付き、コルドは急いで降り、王に跪いた。
頭が土で汚れてしまうことなど構わずに、コルドは頭を湿った土に擦り付ける。
「も、もうしわけありません…」
頭が真っ白になりながらコルドはどうにか謝罪の言葉を口にする。
まさか神である王マラジュが目の前に現れると思わなかった。
顔面蒼白で頭を下げるコルドをマラジュは興味深く見下ろし、ゆったりとした口調で言った。
「顔を上げろ」
コルドは震えながらゆっくりと顔を上げた。
マラジュは金の瞳で完全にコルドを捉えている。
想像もしなかった出来事に固まるコルドに王は言った。
「あれの世話はどうだ?」
あれ。
あれ、とはファルのことを指しているということだけはわかった。
「……」
王であるマラジュに何をどう答えればよいか分からず、コルドは言葉を出すことができない。
その様子を見たマラジュは口調を変えた。
今度はコルドに対し、幼子に話すような声だった。
「苦労しているか? あれの世話は」
マラジュの声は優しい。想像していた王の姿とは正反対だ。
だが、恐ろしさでまだ言葉が出ないコルドにマラジュは可笑しそうに言った。
「我は何もお前の言葉尻に揚げ足を取る気は無い。どうだ? お前の今の主人の世話は」
マラジュはコルドの言葉を待っている。
コルドは声を震わせながら言った。
「……変わりは、ないと思います。少なくとも、私の前ではーー」
「食事はとっているか?」
「昼間は、全て完食しています。夜は、分かりません」
想像以上に気さくなマラジュにコルドの緊張も少しほぐれる。
マラジュはコルドの言葉を聞き、満足気に頷いた。
「ならよい。今後も頼む」
「……かしこまりました」
「それと、お前はいい首飾りをしているな」
これで会話が終わりかと思いきや、マラジュが次に口に出したのはコルドの首飾りについてだった。
普段は服の中に隠してある首飾りはコルドが勢いよくマラジュに跪いたせいで服から出てしまっている。
コルドは石を掴み、服の中に入れ直す。
「……申し訳、ありません」
「なぜ謝る? 俺はお前に分不相応だとその首飾りを取り上げる気はない。だが、お前にその首飾りを贈った者は、さぞかしお前のことを思って贈ったのだと思ってな」
「父の、形見です」
「父? その首飾りは女が付けるものだろう」
「元は、母の形見であると聞いております」
「母親の顔は知っているか?」
「私を産んで直ぐに、亡くなったとのことです」
「苦労したのだな」
「……いえ」
早くこの場から立ち去りたいのに、マラジュはなかなかコルドを離してはくれない。
会話を終え早く宿舎に戻りたいコルドと何故かコルドとの会話を楽しむマラジュの会話はもう二、三続いた。
「この城での暮らしは、どうだ?」
「……神である王のご栄光が下々の私まで届いております。王の偉大さを日々、感じます」
コルドの中の最大限の丁寧な言葉にマラジュは笑った。
なにか自分が粗相をしたのかと思い、コルドは頭を下げ直す。マラジュはコルドの頭上に言葉をかけた。
「お前、名はなんという?」
「コルド、と申します」
「俺は定期的にここに来る。その時、少し話し相手になってくれないか?」
想定していなかったマラジュの言葉にコルドは内心体が震える勢いだった。
王と話す? これから?
学のないコルドには何をどう話せばいいのか到底考えもつかない。
固まるコルドを見て、マラジュは面白いものを見たというように笑った。
「そこまで重く考える必要は無い。」
「……私なんぞに、務められるかどうか」
「そう気負う必要は無い。今、王子が出征で不在なのは知っているだろう? その間の話し相手だ」
「……」
コルドの遠回しの拒絶は無駄なようだった。
こうなれば、頷くしかできない。
「私でよければ、努めさせていただきます」
マラジュは満足気に頷いた。
その後、コルドの体を舐めるように見ると、マラジュは視線を後ろに控えている兵士たちに向けた。
「おい、誰かこのコルドの身を清めさせてやれ。服も汚れている。新しい物を用意しろ」
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