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第1章:ルーク・サーベリーの帰還

第4話:嵐の中の絶望

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 朝から重たい雨の降る日だった。

 ルークが転校する日がやってきた。

 結局あれから何度も脱走を試みたのだけれど思いのほか監視の目が厳しく、屋敷の外に出ることすらままならなかった。

 重い息をつきながら馬車に乗り込む。

 馬車の中には御者の他に3人の男が乗り込んでいた。

 剣を携え、鋭い目つきをした男たちでルークを見てもじろりと見つめたきり話しかけようともしない。

「あの……この人たちは?」

「ああ、道中は何かと危険だからな。護衛を頼んでおいたのだ。見た目は荒っぽいが腕は確かだ。安心して任せるといい」

 つまり、この連中が自分を始末するために雇われたという訳か。

 ルークはごくりとつばを飲み込んだ。

 背中は既に汗でびっしょりだった。

「向こうについたら手紙を書くのだぞ。なかなか戻ってくることはできないからな」

 グリードの白々しい送り出しの言葉と共にルークを乗せた馬車は走り出した。




    ◆




 冷たい雨が降る中、馬車はガタゴトと揺れながら山道を登っていく。

 そろそろ隣の領地との境界だ。

 馬車の中では男たちが何やら世間話に興じながら大笑いをしていて、ルークのことは最初から存在していないかのように無視を決め込んでいる。
 
 だがそれはルークにとって幸いだった。

 馬車に揺られながら頭をフル回転させて今後の行動に考えを巡らせる。

 おそらく領内で殺されることはないはずだ。

 そんなことをしたらルークの持つ伯爵位を狙ってのことだと怪しまれてしまう。

 だとすると行動に移るのは領地を離れてから、それもおそらく人目のつかない山の中だ。

 きっと山賊に襲われたとかそういう口実を作る手はずになっているはず……

「あの……ちょっとトイレに行きたいんですが……」

「ああっ!?トイレだあ!?」

 男たちはじろりとルークを睨みつけるとやがて視線をかわし合い、にやりと笑った。

「……良いぜ。ずいぶんと来たもんな。ここらで休憩とするか」

 御者が軽く頷き馬車を止めた。

 降りしきる雨の中、ルークが降りると男たちも馬車を降りようとしているのが見えた。

「1人で大丈夫ですよ!ちょっと物陰で用を足すだけですから!」

「そうは言うがな、俺たちはお前さんの護衛を仰せつかってるんだ。こんな森の中で何かがあっちゃいけねえからご一緒させてもらうぜ」

 男たちは剣に手をかけながらにやにやと笑って近寄ってくる。

「そうですか……それじゃあ……こうだ!」

 ルークは振り向きざまに手に持っていた泥を男たちに投げつけた。

 降りる際に車輪にこびりついていたものをこっそり拭い取っておいたのだ。

 そして男たちがひるんだすきに脱兎のごとく森の中に飛び込む。

「あってめぇ!……」

「畜生!追え!追え!」

 男たちの怒号が背中を追う中、ルークは振り向きもせずにひたすら森の中を走っていった。

 どこに向かっているのかなどまったくわからない、とにかく距離を取るために必死に走り続けた。

 しかし相手が悪すぎた。

 この手の稼業に手を染めているだけあって男たちは着実に距離を縮めていく。

 やがてルークは逃げ場のない崖っぷちに追い詰められてしまった。

 下を見下ろせば抹茶色に濁った濁流が逆巻きながら流れている。

 完全に袋のネズミだ。

 天気は完全に嵐になり、落雷の音が空気を震わせている。


「ハァハァ……ったく、手こずらせやがって」

 荒い息を吐きながら男たちがルークを取り囲んだ。

 剣を抜き放ち、既に殺気を隠そうともしていない。

「おいおい坊ちゃんよお、何をそんなに怯えてるんだ?」

「俺たちはあんたを案内するように言われてるだけだぜ?行き先はあの世だけどな!」

 趣味の悪いジョークを飛ばしてゲラゲラと笑っている。

「あなた方を雇ったのは誰なのですか!グリード叔父さんの差し金なのですか!」

 ルークは自らを鼓舞するように叫んだ。

「冥途の土産に教えてくれってか?生憎と俺たちも依頼主は知らねんだわ。お前さんを始末して報酬をもらう、それだけなんでね」

 先頭にいた男が口元を歪ませながら一歩、また一歩と近づいてくる。

 ルークは心の中で歯噛みした。

 猜疑心の強いグリードのことだ、こんな末端に依頼主を明かすような真似はしていないのだろう。


「てなわけで、大人しく死んでくれや!」

 男が剣を振り上げた。

 相手が丸腰だと油断しているその隙をルークは見逃さなかった。

 後ろ手に隠し持っていた短剣で男に斬りつける。

「ぐあぁっ!」

 男の左手の指が数本宙を舞う。

 うずくまる男の脇をすり抜け、森の中に飛び込もうとしたルークの腹に別の男の蹴りが食い込んだ。

「ぐはっ!」

 ぬかるみの中を再び崖っぷちまで蹴り戻されてしまう。

「このクソガキがぁっ!」

 振り向いたルークの視線に飛び込んできたのは指を切られた男の凄まじい形相と振り下ろされようとする剣だった。

「クッ」

 咄嗟に両手で短剣を支えて防ごうとしたが僅かに遅かった。


 重い衝撃と共に視界が赤く染まる。

 左手が氷水に突っ込んだように冷たくなり、その直後に燃えるように熱くなった。

 一瞬の間をおいてべたりと何かがぬかるみの中に落ちる音が聞こえた。

 それは切り落とされたルークの左腕だった。

「うあああああああっ!!」

 猛烈な風雨の中にルークの悲鳴が消えていく。

 何も見えない。

 顔半分と左腕が焼けるように熱い。

(痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!目が見えない!左腕の感触がない!僕の左腕がない!)

 左腕を切り落とされ、左目も断ち割られていることをルークははっきりと認識していた。

 それ故に絶望が頭の中を染めていた。

 痛みに足元がふらつく。

 そして土砂降りでぬかるんだ地面が崩れ……

「うわあああああああっ!!!」

 絶叫を残しながらルークは崖の下へ真っ逆さまに落ちていった。




    ◆




「馬鹿野郎!死体を持っていかなきゃ証拠になんねえだろうが!」

 崖下を覗き込みながら男が叫んだ。

 眼下は逆巻く濁流以外何も見えない。

「クソッそれがどうしたってんだ!俺は指を切り落とされたんだぞ!あぁっ畜生……血が止まんねえじゃねえか」

 ルークを切った男が手を押さえながら吠えた。


「まあまあ、済んだことは仕方がねえよ。あの激流に落ちたんじゃ助かりっこねえよ。それにこいつがあれば言い訳もたつだろ」

 別の男が地面に落ちていたルークの左手を拾い上げる。

「クソッ楽な仕事だから引き受けたってのに!こいつは追加料金でも貰わねえと割に合わねえぞ!」

「まあそう怒んなって。さっきあの坊主がグリード叔父さんがどうのと言っていやがっただろ。そいつを突いてやりゃあちょっとした小遣い稼ぎができそうだと思わねえか?」
 その言葉を聞いてようやく指を切られた男の顔に笑顔が戻った。

「そうだな、この慰謝料はきっちりをもらわねえとな。そうと決まれば善は急げだ。さっさと戻ろうぜ。とっとと治療しねえと」

 こうして男たちは元来た道を戻っていき、吹きすさぶ嵐にやがて犯罪の痕跡は跡形もなく消えていった。

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